007 ウォルター追放
「――すまん、ウォルター」
荷造りをしている中、長老が背中越しに話しかけてくる。
「できればお前さんを助けてやりたかったが、もはやワシではどうにもできん」
「いいよ」
ウォルターはそっけなく答える。麻布で作られたバッグの紐を閉じて、ゆっくりと立ち上がった。
動きやすいシャツとパンツ姿に着替えたその姿は、長老からしてみればどうにも見慣れないように思えてならない。それだけウォルターが普段、汚れが染みついたシャツとつなぎを着用しているということを、改めて認識させられる。
そんなウォルターは、笑みを浮かべていた。
もっとも、その表情どおりの感情が込められているかどうかは、非常に怪しいと言わざるを得なかったが。
「スキルなしの俺は疫病神……要はそーゆーことなんだろ?」
小さなため息とともに、ウォルターの脳内で、少し前の広場の光景が蘇る。
ニコラスから追放を突き付けられた瞬間、周りでどよめきが走った。急に何を言い出すのか、村の者たちは誰一人として、意味が分からなかった。
――早く追放しろ。でないとマーガレット以外、全員ここで始末するぞ。
冷たい声色で発せられた言葉が、騎士たちを動かした。武器を抜いて近づいてきたその瞬間、叫び声が解き放たれたのだった。
「早く出ていけ、この疫病神が……よりにもよって、マーガレットの両親から、そう言われちまうなんてな」
ザカリーとドーラが、率先してウォルターに罵倒し始めた。そしてそれは、ほぼ全員の村人たちに伝染していった。
長老とマーガレットは、戸惑いの表情を浮かべるばかりであった。
もっとも、二人が声を上げたところで、何かが変わるような状況でもなかった。
次から次へと罵倒してくる村人たちの姿を見て、ウォルターも悟った。もう、これはどうにもならないと。
山奥の村を出ていく――それ以外の道はないのだと。
「本当に……本当にすまん」
長老が声を震わせる。
「わずか十歳のお前を放り出すなど、ワシもしたくはない。じゃが……」
「そうしないと、この村が危ないってんだろ? それぐらい俺にも分かるよ」
「旅立ちの準備の時間を得る――それが限界じゃった」
「むしろよく許してくれた気がする」
「……勇者様の御慈悲と言ったところじゃろう」
「要はメンツだろ? くだらないもんだ」
ウォルターの言葉に長老は答えなかった。どこで聞き耳を立てられているか、分かったものではないからだ。
まだ、ニコラスたちはこの村にいる。ちゃんとウォルターを追放するかどうかを見張っているのだ。もしも下手なことをしようものなら、即座に控えている騎士たちが動き出す。ウォルターどころか、この山奥の村そのものが壊滅状態になることは、想像に難くない。
こうしてウォルターと話しているだけでも、長老からすればギリギリなのだ。
いざとなれば自分が責任を――そう言ったところで、ニコラスがまともに聞き入れるとは到底思えない。
「……荷造りが終わったのなら、さっさとこの村から出ていくことじゃ」
だからこそ、こんな言い方しかできないのも無理はない。長老自身も、気が気でないのは否めないのだ。
「これ以上、ワシに余計なことを喋らせるな!」
「ん、分かった」
思わず感情的な物言いとなったが、ウォルターは驚くこともなく、バッグを手に取り歩き出す。
「じゃあな、じいちゃん」
扉を開けながらウォルターは言った。長老から返事はなく、ウォルターもまた、振り向くこともせず、外に出て静かに扉を閉める。
嗚咽を漏らす小さな声が、家の中でしばらく響き渡るのだった。
◇ ◇ ◇
「誰も見送りはナシか……」
長老の家を出て、そのまま村の出口まで歩いてきたが、誰一人姿が見えない。目の前には村と外を仕切る『門』があるのだが、いつもは閉まっており、常に見張り役として若い村人が立っているはずだった。
なのに今は、その姿が見えない。ついでに言えば門は開いている。自由に出入りしてくださいと言っているようなものであった。
しかし、軽く周囲を見渡してみると――村人はいた。
家の中などの遠くから隠れて、ウォルターがちゃんと村から出ていく姿を見届けようとしているようだった。
ウォルター自身も、それはなんとなく感じた。
しかし、流石のウォルターも、この『おかしさ』自体には気づけなかった。
追放するからには、それを目の前で確認する者が必要なはずなのだ。少なくともそれを言いつけた張本人がいないのは、どう考えても不自然である。
多少の違和感を抱かないわけではないが、ウォルターからすれば、誰もいないことに対して、一種のありがたさを覚えてしまっていた。
色々言われるほうが面倒であり、後腐れもなくて済むだろうと。
故にウォルターは、この状況に対して、あまり疑問に思うこともしなかった。
(まぁ、いっか。さっさとここから出ちまおう)
そんなことを思うウォルターの足取りは、妙に軽かった。生まれ育った村を追い出される悲しみこそ大きかったが、思いのほか開き直れている自分がいることに、割と驚いてもいた。
ウォルターは意を決して、村の外に足を踏み出す。とても静かであり、土を踏む足音が、妙に大きく聞こえていた。
振り返ることなく、山道を歩いていた。
そんな彼に、これからの行き先など、想像もつくはずがなかった。
(……これからどうなるんだろ、俺?)
不意にそんなことを思った。少し遠くを見渡してみるが、見えるのは森と山だけ。その先に何があるのかも、全く知らない状態だ。
生まれも育ちも山奥でしかない彼は、村の外でさえ未知の世界そのもの。
マーガレットと幾度となく話していたことがある。いつか大人になったら、この村から旅立ってみるのも楽しそうだと。
言ってしまえば、それが思わぬ展開により、叶ったことになる。
しかしいざ体験してみると、楽しさなんて欠片もなかった。
あるのは不安だけ。まだ昼間だというのに、先の見えない暗闇に誘われているような感覚に陥り、何も考えられなくなる。歩いているのも、止まるのが怖いからだ。もし止まったら即座に消えてしまう――何故だかそう思えて仕方がない。
――さぁっ!
その音に、ウォルターは顔を上げた。
風でも吹いたのかと思ったが、そのような感触はない。けれど、確かに『それ』は聞こえたのだ。
「…………」
ウォルターは無言のまま、表情を引き締め、再び歩を進める。どこに向かっているのかは分からない。けれど思うのだ。自分は『そこ』へ行くべきなのだと。
歩き続けること数分――ウォルターは小さな丘に辿り着いていた。
来たことがないその場所を、まっすぐ上がってゆく。
その先に『それ』がいる。
頭で考えるよりも、自分の体そのものが反応している。
だから安心してそこへ行ける。迷うことはない。ただまっすぐ、進み続ければいいだけなのだから。
「着いた」
軽く息を切らせながら、ウォルターはポツリと呟いた。
丘の頂上には、一本の大木がそびえ立っており、そこから見える景色は、実に雄大なそれである。
しかしウォルターは、景色のほうにはまるで意識が向いていなかった。
それよりも大木の下に佇む、一人の人物のほうが、気になって仕方がなかった。
「――待っていましたよ」
その人物が、穏やかな笑みを浮かべ、優しそうな口調で語り掛けてくる。
見た目は若い青年そのもの。ただし服装などの出で立ちからして、どう考えても普通の人間には見えない。
「私の名前はアルファーディ。精霊界で王様を務めている者です」
その言葉を聞いて、ウォルターは思わず、目を見開きながらぱちくりとさせた。
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