第8話 親の心子知らず

 茜の実家へと向かう途中、タケルに疑問をぶつけてみた。

「なんで私だったの?ミシンの事とか」

「全部話すとややこしくなるけど。おばあちゃんに頼まれた時な、実はもう?元治さんに会わせてあげられないのは、わかってたんだ。茜の寿命が、とっくにつきそうだったから」

 タケルは歩きながら、空を見上げた。コバルトブルーから淡い青へと空が明るくなっていく。

「茜と時を遡って、この時代へと同行するのは、お前しかいないと決めた。いや、決まっていたんだ」


「決まってた?」


 タケルは、実家から少し離れた森の中にある、水車の管理小屋の中に入った。そこに腰かけるところがあったので、2人は座って時間を待つことにした。


 タケルはその待ち時間に、思いもよらない話を聞かせてくれた。


 この世の時間を司る神がいて、人はこの世に産まれる前に、その神と面接する儀式があるらしい。その時に、ある程度は、今後どんな人生を送るのか、ターニングポイントだけは決めてからこの世に魂が送られるようになっているとか。


「それ、私が聞いてもいいの?」


「…多分、この時代に遡って来たこと忘れると思う。だから今だけ知っとけ」


 茜おばあちゃんは、子供を3人産むことや、初恋が叶わないこと、大往生することなどを納得した上で生まれてきたらしい。


「運命ってやつなの?」


「そうだ、それをねじまげることは、色んなバランスを崩すことになる。この時代へ一緒に渡って来るのにも、茜と魂の仲間である、梓にしかできないことだったんだよ」


 茜はその面接の時、初恋の人に最後に会えないことを、随分渋ったそうなのだ。


 神様は、茜が、前の世に生きた時、茜の魂が、良い行いをした事を覚えていた。そのご褒美に、一つだけ願いを叶えてやってもいい、と申し出たそうだ。


「それが、もしかして…」


「そうだ、茜は、真剣な恋心を、元治へ伝えることだけを望んだ。やがて戦場に出て亡くなる運命の元治が、少しでも勇気づけられるように。俺は神様から、その約束を果たす番人として選ばれた。だけど、どうしても手紙をあの日に届けられなかったんだ。茜の実家から嫁ぎ先へとついて行ったのも、妖術が使えるのも、その神様から与えられた使命だからだ、その神は時を司る。そして気まぐれだ。茜が亡くなる時も、忘れてるのかととも思った。だから、後の世から、茜を連れ出しに誰かが来てくれないかと、ミシンに術をかけて放って置いたのも、半分は賭けだった。梓が解いてくれて、本当に良かった」


「そう、だったんだ」


「俺たち座敷わらしは言いつけを守らずに親より先に死んで、受けた生を途中で手放した罪を償うために、親の亡くなったあとの家を罰として100年守る宿命がある」


「罰?」


 タケルは頷く。私が学校へ行けなくなったことも、なにかの罰なんだろうか。


「それは違うな」


「心を読まないで」


「いや、悪い、心に飛び込んで来たんだ、お前の声」


 私は少しおかしくなって笑った。


「あんたも大変だね、人の世話ばっかりして」


「座敷わらしは、そういう妖怪だからな、人が頑張って生きようとしている活力を力として、この身に貰ってるから、俺達も動けるんだから。まあ、それもこの世のバランスってやつか」


「そうなんだ」


「お前が今、しんどい時期なのは、サナギの季節だからだ。産まれる前にちゃんと神様と相談して納得して生まれてきてるし、茜と近い魂なんだ、きっと大丈夫だよ」


「ありがとう、もう少し頑張ってみるよ」


「自分を信じろ。頑張れそうなことから頑張れよ」


 水車小屋の窓から、朝の光が差し込んできた。私は目を細めた。タケルの言葉はゆっくりと心に染みた。


 大丈夫だよ。きっと良くなるよ。信じて。


 母にかけて欲しかった言葉は、そんな言葉なのかもしれない。


 母にも母なりの人生があって、大変なことがあると、不安にもなるし、悩むし、もがいて間違えて、それも全部この世のバランスとやらで決まっていることなのかもしれない。


 いつか私も、母と和解できる日が来るだろうか。


「私、頑張ってみる。元治さんや茜おばあちゃんみたいに」


 タケルは何も言わずに頷いてくれた。



 9時半頃、父に連れられた茜が泣きはらした顔で家へ戻ってきた。台所の裏に出てきて、井戸の前に座り込んだ。


「茜さん」


「ああ、君か。どうしたの?」


 ぼんやりとした目をタケルに向けた。


「茜さん、会いたい人に、渡したいものあったんじゃない?」


 茜が目を見開く。


「どうして…?」


「俺が届けてやる」


「ほんとに?」


 茜は立ち上がって、もんぺのポケットから手紙を取り出した。


「読まないでね、恋文なの」


「ああ、大丈夫、俺は字が読めないから」


「もう行っちゃったかもしれないけど、前にここに配達に着てた郵便屋さん、分かる?」


「元治さん、だよね?」


「うん、約束を果たせなくてごめんなさいって、身体に気をつけてって、伝えて欲しい」


「わかった」


「急いで」


「ああ」


 タケルは茜の前から、風のように駆け去った。そして水車小屋へ戻ると、手紙を梓に持たせ、額に手を当てた。


「元治の顔だ、そして駅のある町はずっと向こうだ。街中に入ったら右に曲がれ、その道なりに行くと駅に着くから」


 脳の中に映像が流れ込む、不思議な感覚に一瞬頭がクラっとした。


「はあ、よし、行こう」


 もう一度、腱を伸ばして、その場でジャンプする。今は、ゆきの体なので、ちゃんと走れるかどうか、少し不安だ。だが今、自分が出来ることにベストを尽くす。


「頼んだぞ?困ったことがあったら強く心で俺を呼べ、助けに行くから」


「わかった」


 梓は駆け出した。蔵にあった風呂敷を失敬してきていて、手紙を包んでたすき掛けにしている。


 この時代の靴だ、底が硬いし薄い。だが、裸足よりはましだ。そしてもうひとつ言うなら塗装された道などない。土埃はたつし、所々石が埋まっている。自分の身体では無いから直ぐに息は切れる。だが、ゆきの身体は、思ったよりは伸びやかで、軽かった。


(問題はスタミナだな、駅までだいぶあるし)


 この時代の人は、自転車か徒歩でこの道を行ったのだな、と思うと、自分たち現代人がいかに恵まれた環境なのかを痛感し、なんだか後ろめたくなる。


 駅へは茜の嫁ぎ先の村を通り越して、田んぼ道を真っ直ぐに街中まで行ったところにある。何となく見覚えがあるのは、向こうに見える西の山なりや、堤防の桜並木。その風景のお陰だろう。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 一度息を整えるために脚を弛めて歩いた。日が登り始めると、秋の初めだとはいえ、まだツクツクボウシは鳴いているし、日差しがキツい。


 流れ出てくる汗を袖で拭うと、1度大きく息を吐いて、また走り出した。街が見えてきた。だが、まだずっと先だ。


 こんな不安定な時代が、100年よりも手前にあったなんて、なんだか信じられない。そんな時代を、茜達先祖は生き抜いた。偉いと思う。


 そんなことを考えながら走っていると、出張った石を見逃した。左足の内側だけが石に乗り上げて、バランスを崩して足をひねってしまった。


「いっっっ……たぁ…」


 それは、脳天を突き上げるような痛みで、目に涙が滲む。よろよろと、道端に座り込む。


「最悪ぅ」


 まだ街まで遠い、電車が遅れるとは聞いているが、この足で間に合うことは出来るんだろうか。途方に暮れた。心の中でタケルを呼ぼうとした時だった。


「おーい、大丈夫かーい?」


 茜の嫁ぎ先の村の方から、自転車がやってきた。その人物に、私はギョッとした。


(なんでここにいるの?!仕事行ったんじゃないの?!)


 なんと、それは茜の父親だった。言わば今回のミッション最大の敵だ。驚いているうちに、すぐそばまでやってきたので、恐る恐る顔を上げ、信じられない気持ちで、茜の父親を見上げた。


「どうしたんだい」


「足をひねってしまって…」


「どこへいつもりだったの?」


「駅へ…」


 言ってもいいのか、悩んだが、素直に答えてしまった。


「後ろに乗りなさい、駅前には知り合いの接骨院もある、連れて行ってあげるよ」


「ええ!?」


「村を出たところから後ろ姿を見てたけど、君、脚が早速いんだね、惚れ惚れしたよ。急いでたんだろう?」


「…はい」


「じゃあ尚更だ、構わないから乗りなさい」


 梓は不思議な気持ちで、頷くと、自転車の荷台に横座りした。


「しっかり掴まっておきなさいよ」


 おじさんの腰周りに腕を回すと、歳の割に引き締まっていた。この時代の人は鍛え方が違うのだろう。


 自分が走ってきたのと同じくらいのスピードで街へと走っていく。振動でひねった足が痛むが、身体を支えるよりはマシである。


「おじさん、お仕事は?」


「ああ、うん、ちょっと用事でな、今日は昼からなんだ。俺も駅に行かないといけなくて」


「見送り、とかですか?」


「そうだ、身内が出征前に実家へ戻るから、その見送りだ」


 元治の事だ、と瞬時に悟った。下手したら鉢合わせだ、と青くなった。


「君は?」


「私は、その、親戚の人に頼まれて、見送りの代理のようなものです。忘れ物を届けに」


「そうか、責任重大だな、病院より先に駅へ行くかい?」


「はい」


「わかった。駅前の接骨院に、声をかけておいてあげるから、杉本って言ってくれたら分かるようにしとく」


「はあ、ありがとうございます」


 思いの外親切な茜の父親に、なんとも言えない気持ちになる。駅が見えてきた。


 駅の入口のど真ん前で自転車を止めると、梓を下ろして、おじさんは言った。

「大したことないと思っても、ちゃんと診てもらうんだよ?」


「すみません、助かりました」


「おじさんのことにも娘がいて…今朝はちょっとあってね。厳しく言わないといけない時もあるから…でも可哀想な事をした。何か罪滅ぼししたくてね。君のこと、なんだかほっとけなかったんだよ」


 茜の父は悲しい目をしていた。元治の見送りに来ていることを考えても、頑なに、気に入らなくて元治と茜のことを反対したわけじゃないのだろう。


 茜の好きにさせて、それを許せば娘が不幸になるかもしれないことを、ちゃんと予想して、心を鬼にして引き裂いたのだと。 親の気持ち子知らずとは言うけど、そういうことなのかもしれない。


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