第7話 更にタイムリープ
流れる涙を拭いながら、茜の話を聞いた。
「梓ちゃんは、好きな人がいるの?」
茜に問われて、ふと脳裏に浮かぶ室井の笑顔に胸が熱くなる。恋しい気持ちは私にも分かる。
「うん。片思いだけどね。陸上部の先輩で室井先輩って人なんだけどね」
「室井?……どこかで」
茜は首を傾げたが、気を取り直して話を続けた。
「翌日、嫁いだ時はね、絶望と言うより虚無って言うの?なんにも感じなかったんだ。翌日からお姑さんに仕えて、その家の色んなことをこなして。大じいちゃんだってさ、そのうち出征しないといけないかもしれないだろ?お姑さんにはやんわりとだけど早く子供を産むように言われてね」
茜は穏やかに笑った。
「三月くらいした頃から、ようやく自然に夫婦になれた。あなたの大おじいちゃんは静かな優しい人でね、私が夜中に泣いていたのを知ってたんだ、無理しなくていいって、静かに待っていてくれた」
茜は文机の引き出しから箱を取りだした。古い箱だった。その中にはひとつの櫛が入っていた。
「それ、なに?」
「元治さんのお母さんがね、生前のお詫びだって言って、実家を訪ねてくれたの。その時に私に形見だって言って、内緒でお母さんに預けて行ったんだって」
「ええ?」
「母が亡くなる前に、渡してくれたんだ。もういいだろうって」
茜の手に渡ってからの、年月の方が短い。元治さんは、それをあの日、曾祖母に渡したかったのだろうか。
「その櫛に宿った念を、妖術で糸に移したんだ。まさかその後すぐ…」
タケルが言い淀んだ。まだ先の出来事を茜に話すわけにいかない。
「私は何をお願いしたの?」
「元治さんに、あの日会えてたらって言ったよ」
「もう、こんなしわくちゃのおばあちゃんになってからではねぇ」
恥ずかしそうに頬を撫でた茜の手をタケルは握った。
「今なら、梓となら行けるよ?茜さん。元治さんに会いに行こう」
タケルと茜の視線が絡む。
「本当に行けるのなら……」
「よし」
タケルの身体が淡く光った。
「目を閉じろ」
茜は目を閉じた。みるみると、私が写真で見た事のある、スラリとした茜の姿に変わった。
「じゃあ、つぎは私?」
私は部屋に設置されたミシンの椅子に腰かけた。
「いいよ」
「あ、その前に」
もう一度タケルの体が光り、その光が私とタケル、茜の服装を変えた。
「ああ」
ハナも、目を閉じ、体が揺らめくと、私と同じようにモンペにブラウスの姿に変わる。髪はもとより短いおカッパで可愛らしい。
「じゃあ行きますよ」
ミシン台の、左側の引き出しから出した試し布でミシンを踏むと、布地から降りた針が、下糸に絡み、同時に空間が歪んだ。白く光る閃光が四人を包み込む。
全員が抱き合うようにすると、次の瞬間、元の青木家の蔵の中にいた。
「あ…ここ?」
「蔵の中だよね?」
茜は周りを見渡す。月明かりが差し込んでいる。
「私が嫁いでくる前なんだよね?」
「ああ、間違いでなければ」
タケルが言うと、茜は蔵の戸をそっと押した。
「外から閂かかってないの?」
ハナが聞くと、
「私が嫁いでくる前、閂が壊れてたって、おじいさんが言ってたことがあって」
戸を押してみると、開いていたのだ。
「どうする?たぶん月の位置を見ると明け方なんだと思うんだけど」
「取りあえず神社まで向かおうぜ」
「ちょっと待って、わたしとあんたはここから出られるの?」
ハナはタケルに問う。
「うん、あんまり遠く行くとまずいけど、何とかなるだろ」
「ならいいけど」
明け方、薄く夜が開けるのを待って、4人は蔵から出た。蔵の白い漆喰の壁が青い闇にぼんやりと浮かび上がる。
まだ薄暗い道を、隣町の神社の方へと向かう途中、タケルが言った。
「おばぁ…茜さん、一つだけ言ってないことがあるんだ」
「うん?」
「茜さんは、直接元治さんには会っちゃいけないの」
「え?」
私と茜さんが、タケルを振り返った。薄暗い夜明け、まだ西の方には星すら光っていて、茜さんの不安げな表情をより暗く見せた。
「接触したことで歴史が変わることだってある。下手したら梓が生まれない可能性だって出てくる」
皆は足を止めた。茜さんは眉を寄せたが、やがて穏やかに笑った。
「遠くから、姿を見るだけでいいよ」
茜は俯いて、そして顔をあげた。
「あの日、手紙を用意してたんだ。せめてそれだけでも渡せないかな?」
「手紙?」
「うん。自分を大切に思っている存在が、ここにもいるって…それだけ伝えたいの。少しでも戦場にいくあの人の支えになって欲しい」
「それは、今の時代の茜さんが持ってるの?」
「そういうことになるね」
タケルは考え込んでたが、ハナがツンと顎を上に向けた。
「手紙を渡したところで、嫁入りや出征が無くなるわけじゃない、どうせ離れ離れでしょ?茜さんの気持ちが伝わるくらいいいんじゃないの?」
タケルはハナを見た。
「そうだな、問題はその手紙をどうやって届けるかだ」
「櫛を入れていた封筒の中にね、手紙が入ってたの」
「うん?」
「家を出たところで父に会ったらしくて、神社に行くのを諦めて駅に向かったって」
「じゃあ結構早い時間じゃないの?8時頃?」
「電車が遅れたらしくてね、結局乗ったのはお昼前だったらしいの」
茜さんは更に言った。
「あの時は悲しくて仕方なかったけど、あの時、もし元治さんに会ってたら、私、その後をふんばって頑張れなかったかも。いつか死んだ後、極楽浄土で元治さんと会っても恥ずかしくないように、ってひたすら頑張ってたとこあったな。戦死の知らせを聞いた後すぐは」
茜の話を聞くうちに、タケルの目に力が籠った。
「わかったよ、手紙は届けよう。櫛と一緒に受け取る手紙の内容が変わるくらいだろう。俺がこの時代の茜と接触する。あとは梓」
「私?」
「駅までの道を教えるから、お前が手紙を届けろ、俺たち座敷わらしはあまり長距離を動くと薄れちゃうんだ、姿だけじゃなくて存在が。家々からの念にパワーを貰ってるからなんだけどね」
「でもそれじゃ茜さんが会えなくなるじゃない」
「2人の繋がる血筋を頼りに俺たちの身をそっちにとばすからさ、だから梓が必要だったんだよ。ここに来るにはこのメンツだって決まってたの。なんでかは知らん」
「じゃあ直接会うのは私なの?」
タケルは頷く。
「おば…茜さん、いいの?」
「私は、それを遠目に見ることは出来る?」
「そうだな、じゃあここで二手に別れよう、ハナと茜さんは隣の村の外れでかくれとけ。梓が駅前に着いたら迎えに飛んでくから。俺と梓はとにかく茜ん家だ」
「わかった」
「くれぐれも見つかるなよ?今の茜の姿なんだから」
茜は頷く。4人はそこで別れた。
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