第2話 クズ芸人(下)
完全に怒った
隆が本気で怒ったのはこれで二回目だ。一回目は隆の妹、
それはコンビを組む前の高校3年のときだ。
それを知った隆は俺を無言で殴り、二週間くらい俺と口を聞かなかった。
俺は隆の自宅マンションに向かうタクシーの中でそれを思い出す。
結構な地雷を踏んでしまったかもしれない。仮にそうだと思ったとしても時は、既に遅い。
俺は割り切ることにした。
タクシーは世田谷区内に着く。ダウトとして爆発的に売れてから隆は世田谷に住んでいる。
俺は世田谷に住まない。理由はいかにも成金になりました的な印象を受けるからだ。
だから、未だに下北沢から引っ越していない。
さすがに最初のころに住んだ安アパートではないが、マンションに住んでいる。
月10万くらいのマンションだ。セキュリティが意外と結構している。
その理由はお金のある生活になれすぎないようにするためもある。
タクシーの窓から見える高級住宅を横目に見る。
隆が俺に渡してきたネタはどんなネタだったのだろうか。車両の揺れから俺は眠気が襲ってきた。
「お客さん。着きましたよ」
「え?」
「世田谷区X番地3の2のビエラマンションですよ」
「あ、すいません」
俺はタクシーの代金を払い、ビエラマンションの玄関の前に立つ。隆の自宅マンションの番号を押す。ピンポーンという音声が鳴った後、隆が出る。
『おう。来たか』
「ああ。悪りぃ」
隆はインターフォンを解錠し、俺は玄関からビエラマンションに入っていく。隆の部屋は七階の709号室だ。
エレベーターに乗ろうとすると、帽子を真深く被った華奢な人が乗り込もうとしてきた。
俺は【開】のボタンを押して、帽子の人を乗せる。
その人は俺に向かって軽く会釈した。華奢な人は女性か男性か解らない。
そんなことはどうでもよくて、俺は七階に着くと、【開】ボタンを押して降りた。
帽子の人は一瞬、俺を睨んだ気がした。けれど、芸能人に遭遇した一般人の反応だろうと俺は気にしなかった。
七階の709号室の前に着くと、俺は部屋のインターフォンを押す。
「劉だけど」
『開けたから入れ』
隆の返答に俺は部屋の中に入る。俺は隆が世田谷に引っ越してから初めて、このマンションに来た。
靴を脱ぎ、俺は部屋に入る。
俺の想像通り、隆の部屋には綺麗で洒落たオブジェなどが置かれていた。
まっすぐ進んでいくと、居間に着く。隆は居間のソファーに座っていた。
「遅かったな」
「これでも急いだんだけど」
俺は隆の正面のソファーに座る。隆は腕を組み、タバコを吸いながら前髪をかき上げた。少しだけ長い髪が揺れ動く。
「お前さ。ダウトをこれからどうしようと思ってる?」
「……どうって」
「やる気あるかってこと。お笑い芸人って、信頼も必要だと俺は思っている。「この人、危険」って思われたら笑えない。だからこそ、品行方正とはいかないにしても犯罪や、女癖が酷いのはどうかと思うんだよ」
「また、それ。お笑いは笑いを取っていれば何でもいいんじゃねぇか。はぁ。たっく」
「お前は自惚れてる。解っていると思うが、俺とお前は外見が良い。だからこそ、若い女性ウケが大きい。けれども、最近はやっと若い女性だけじゃなく、幅広い層にもウケてきた。今が大事なときだ」
俺と隆の外見が良いのはその通りで、タレントでも大目に見積もっても俳優でもいけるレベルだ。
俺たちが最初に人気出たのは若い女性だ。そんなことは十分に解っている。
「大事なときねぇ。んなこと、解っているんだよ。うるせぇな」
「うるさいじゃない。反省しろ」
「反省反省って隆はどうなんだ?」
「どうって?俺はお前みたいに女性を酷い目に遭わせたりしない」
「上等だな。品行方正を気取りやがって。俺がモテて気に食わないだけだろう?違うか?」
「あのなぁ。何度も言うけど、そうじゃない。俺はお笑い」
「ああーもう解った。お前の話はいい。ネタの紙。くれ。俺は女遊びを止めない。俺の行動が気に入らんかったら、もう解散でいいから」
「……っ。わかった。じゃあ、今日が最後だ。解散な」
「ふっ。上等じゃねぇか」
俺は隆からネタ帳を貰うとすぐに立ち上がり、部屋を出た。
隆からの正式な「解散」通告に俺は何もダメージを感じなかった。
エレベーターに乗り込みながら俺はスマホを取り出す。
俺はマネージャーの
「ああ。御木本さん。あの、この間、おっしゃっていた俺へのオファー受けます」
『え?本当?それはまたどうして?』
御木本は驚いた様子だった。というのも、俺が乗る気じゃないのを理解していたからだ。
御木本は俺たちをよく理解している。彼女はデビューから現在までのマネージャーでもあるからだ。
どんな仕事を好み、嫌うかも理解している。
「いやーなんて言うか、心機一転みたいな?ああ、そうそう。ダウトは今日のネタライブで解散だから」
『は?どういうこと?』
「だから。か・い・さ・ん」
俺は御木本が反論をする前に電話を切った。
スマホをカバンに入れ、エレベーターが七階から一階に移動していくボタンを見つめた。
これまでのダウトとしての活動は楽しかったことのほうが多い。
相方との意見の相違で解散するコンビは多いが、俺たちがそうなるとはこれまで思わなかった。
けれど、思想が以前から違っていた。だから他者から見たら当然の結果かもしれない。
エレベーターが一階に着くと、俺は降りた。
隆の部屋に行く前に見た人物とすれ違った気がした。
俺が振り返ると、その人物は既にいなかった。俺は歩いて駅に向かう。
夏場の朝はやはり少しだけ暑い。
前のほうから先ほど、エレベーターで一緒になった人物が走ってくる。
そいつは俺の前に立つと、下を向きながらボソボソと何かを言う。
俺が通りぬけようとすると、前に立ちはだかる。やっとその人物が女だとわかった。
「おい」
「お前は
「だから、どうした」
「お前は中川」
「は?もしかして女どもの復讐?なら、間に合ってるけど?」
以前にも遊んだ女からストーカー被害や殺人未遂に遭ったことがある。
仮に目の前にいる女が小柄で、自分よりも力がないと解った。
俺は
「お前にチャンスをやるよ」
「は?」
「お前は一回死ね」
いきなり、その女は俺のほうに切りかかってきた。
けれど、俺はその腕を掴み包丁を落とさせた。落ちた包丁を足で蹴り、遠くに飛ばす。
「っ」
「おい、俺を殺せると思った?自慢じゃねぇけど、俺は遊んだ女からの復讐で殺されかけたことが何度かある」
俺はその女の腕を掴むと地面に押さえ込んだ。
その女は俺をずっと睨んだままだった。抵抗するまでもなく、俺を見続けた。
目を反らさずに見ていると、その女がにやりと笑い始めた。
その時だった。「その人を離せ!」という言葉と共に俺の視界は暗くなった。
クズ芸人 (下) 了
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