第47話 オン・ユア・マーク
それはまるで嵐のようで。プールに飛び込んだ3年生たちは、「冷てえ!」と口々に奇声をあげながら散々大騒ぎして、今度は「寒い、寒い」と震えながら更衣室へと消えていった。
プール開きを見にきたギャラリーの生徒たちも、3年生たちがいなくなると、これでイベントが終わってしまった感じで、いつの間にか消えていった。
「なんだったん、今の」
プールサイドに残されたのは、結局は風花、ミオ、孝太の3人だけとなり、ミオの口にしたその言葉が3人の心情をすべて物語っていた。
「まあええわ。これで一応プール開きは終わったいうことじゃろ」
結局泳いでいない孝太の苦笑い。ミオが、ふん、と微かに笑った。
「終わってない——」風花は思わず声を上げた。「プール開きはまだ終わってない」
風花は何か悔しくて、涙で景色が霞んでみえた。
「だから、ええんじゃって」と孝太。
「よくない。全然よくない! このプールで最初に泳いでいいのは、ここまでがんばった孝太君だけなんだよ。だから、孝太君が泳がないプール開きなんて意味がないよ……」
プール掃除、がんばったんだ。風花は両手で顔を覆った。
「オン・ユア・マーク!」
ミオが突然、大声を上げた。驚いて風花が顔を上げると、ミオの右手の人差し指はピストルを持つように、高く空を差していた。
「ほら孝太、位置について」
孝太はニヤッと笑って深く頷き、「第四のコース、大河内君。尾道海潮高校」と自分でアナウンスをし、ゴーグルをかけると第四コースのスタート台に上がり両腕を一回ぐるっと回してから位置について構えた。
「バン!」
ミオの口で真似たピストル音を合図に、大きな水飛沫をあげて孝太がプールに飛び込み、一旦水面下に沈んだかとおもうと豪快にクロールで泳ぎ出した。
「ほら、風花も行くよ!」
ミオに腕を掴まれて、二人はプールサイドを孝太の泳ぎに合わせて歩き出す。
「見事なスタートを切ったのは四コースの大河内君。既に頭ひとつリードです!」
プールサイドからミオの中継が入った。孝太の泳ぎは決して競泳者の泳ぎではないが、その大きな体を大きく使った豪快な泳ぎだ。
海潮高校のプールは25メートル。孝太は一気に泳ぎ切る勢いだ。
「さあ25メートルのターン。大河内君、ここまで世界記録を上回るペースだ」
孝太は片手で壁にタッチすると、体を反転し両足で蹴って再び泳ぎ出した。ちゃんとした競泳のターンは習得していないのは孝太らしい。
「ラスト15メートル、後方からアメリカの選手が追い上げてきた。だが日本の大河内、一気に突き放しにかかる。最後のスパートだー!」
孝太の泳ぎがさらに激しく水飛沫をあげる。
〈がんばれ〉
風花も思わずグッと拳を握りしめた。
「金メダルまで、あと10メートル!」
ミオの中継にも力が入ると、つられて風花も大声を上げた。
「孝太君、がんばれー」
「あと5メートル、3、2、1メートル」
泳ぎ切った孝太は勢い余って強く壁にタッチした。
「やりました。大河内孝太、世界記録の金メダルです!」
ミオの中継の絶叫。
「やったあ!」
風花の拍手。
プールの水の中から顔を出した孝太は、力強く右手でガッツポーズを作り、風花とミオがハイタッチを交わす。
3人が高校生になって初めての、本格的な夏が始まりだった。
頭を散々悩ませた期末試験もなんとか無事に終わり、待ちに待った夏休みがやってきた。
風花は、あの県大会以降、祖母に教わりながら毎日競技かるたの練習を熱心に続けている。試合をしていないので、自分がどの程度上達したのかは今のところわかりかねるが、県大会のときよりは手応えを感じている。部活の再開を待ち侘びているところだ。
孝太は授業が終わるとすぐにひと泳ぎし、それから自宅までの道のりを走って帰る毎日だ。水泳の競技者としての実力は残念ながらまだまだのようであるが、水泳部顧問である長谷川先生の指導もあり、少しずつではあるが形にはなってきている。
部活を休んでまでかるたに取り組んだミオは、夏休みに入った最初の日曜日、滋賀県にある近江神宮の高校選手権個人戦に中堂、上本両先輩と出場し——
「ああ、千佳さんに勝てなかったあ」
と帰りの新幹線から風花に悲鳴にも似た電話があった。聞けば、高校選手権は団体戦で尾道昇華高校は準優勝、個人戦は尾道三姫の一角である床田千佳が見事優勝したということだ。
「千佳さん、年明けのクイーン戦の有力候補に躍り出た感じ」
ミオはお弁当をモシャモシャと食べながら、報告をしてくる。
「だからさ、とりあえず来週は花火大会だからね。孝太をボディガードにして浴衣でうろつこうよ」
ミオの話はだいぶ飛んでいるが、要するに試合に負けて悔しいので、気分転換に花火大会に行って夏を満喫しようね——ということらしい。
そしてかるた部の活動再開は、お盆が明けてからということになったようだ。
8月10日に尾道に帰るからと母である大道幸から風花に連絡があったのは、その夜のことだった。
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