第48話 バケットハットと巾着袋

「よし、できた」

 祖母が風花の浴衣の帯を締めた腰の辺りをポンと叩いた。先日、ミオの母がプレゼントしてくれた真新しい浴衣を着せてもらったところだった。

 このあとミオや孝太と待ち合わせている場所に向かう予定で、まだ箱に入った新しい下駄を取り出して、玄関の上り口に腰掛けてから下にそっと下ろした。

 この下駄は祖母が隣町まで行って買ってくれておいたものだ。尾道の隣町である福山市の松永は小さな街であるが下駄の生産量で日本一を誇り、毎年9月に「ゲタリンピック」が開催されている。重さ1.3トンの巨大下駄の乗ったそりを綱引きのように集団で引いて速さを競う「ゲタさばり」や下駄を高く積み重ねる「ゲタタワー」、下駄でできた駒を使った「ゲタ将棋」などのユニークな競技が町おこしとして行われているのだ。

 

「こけないように気をつけんさいよ」

「はーい」

 祖母に見送られて風花は家を出た。履き慣れない下駄ではあるが、少しコツを掴むとカラコロと音がして歩くのが楽しいと思う。

 手にはバッグの代わりに真っ白な巾着袋をぶら下げていた。実は、初めてミオの家に行く途中に素敵な帽子を見かけ、ずっと気になっていたお店でついに買ったついでにこの巾着袋も注文して作ってもらったものだった。


 これに使われている生地は、船の帆やテント、パラシュートなどで使われる帆布はんぷ、英語ではキャンパスというとても丈夫な生地だ。

 尾道は一千年の昔から北前船の寄港地として栄えたこともあり、帆船の材料である帆布の生産が盛んであったが、化学繊維の発達で帆布の需要が減ってきたこともあり、それを生産する工場も日本国内から段々と姿を消していった。

 その帆布を向島にひとつだけ残った工場で現在でも生産され続けているのが、知る人ぞ知る「尾道帆布」であり、それを使った鞄やバッグ、帽子などを尾道市内のいくつかの店舗では既製品だけでなく、手作りで注文販売をしている。


 風花が買った帽子はバケットハットと呼ばれるもので、バケツをひっくり返した形に狭めのつばがグルリとついている。帆布の中では一番薄い11号の生地で作ったものであるが、生地の腰がしっかりしているので、薄くてもしっかりと手でつけた型をキープしてくれるのがお気に入りだ。

 縫い付けの糸も化学繊維を使っていないので、真っ白な帆布生地と一緒に、ちゃんと染料に染まるようにできている。風花もいつか自分で染めてみたいと思っている。


 そのときに店内で同じようなものを見て気に入り、風花オリジナルを一緒に作ってもらったのが、いま手に持っている巾着袋だ。

 二つ合わせると高校生の財布には少々高価なものではあるが、どうしても欲しくなって貯金していたお年玉などを取り崩した。


「あら、その浴衣、いい柄ねえ」

 慣れない下駄で急な坂道を悪戦苦闘しながら降りていると、知り合いになった祖母の友人たちとすれ違うたびに褒めてくれるのは嬉しいが、本当はこけそうでそれどころじゃない。

 必死に「ありがとうございます」と言いながら作り笑いでごまかした。


 ミオと孝太とは、千光寺に登るロープウェイの搭乗口近くにある「ロマン」という喫茶店で3時に待ち合わせをしている。そこは尾道で撮影された映画にも何度も登場している、ワッフルが美味しいお店ということだった。

 風花は千光寺には何度か登ったが、いつも自宅からは徒歩で登っているので、ロープウェイには乗ったことがなかった。だから、この喫茶店にくるのも初めてだ。


 喫茶店に着くと、すでにミオたちは店の外にある席に陣取っていて、「ほい」と言いながらミオがメニューを渡してくれた。

 数種類のワッフルから、散々悩んで「アイスチョコワッフル」を注文。まだ少し暖かい生地に冷たいアイスチョコがなんとも言えず美味しかった。


 花火までは時間があるので、せっかくなのでロープウェイで千光寺に登ることになった。浴衣を着た風花たち3人が乗り込むと、観光客と思しき人たちがジロジロと見ている。ちょっと恥ずかしい。


 千光寺公園に着くと、最近できたばかりの展望台に登ったりして時間を過ごした。展望台は飾り立てて何もないが東西に長く作られており、尾道水道を一望できる。

「うわあ、綺麗!」

 風花も思わず声を上げるほどの絶景。風花の部屋とはまた違う風景だ。


「ミオちゃん!」

 そのとき遠くからミオを呼ぶ声がした。振り向くと、声の主は、以前かるたで戦った尾道昇華高校のエース、床田千佳と数人のグループだった。みんな浴衣を着ている。

「あっ、千佳さーん」

 ミオが右手を大きく振ると、床田千佳が近づいてきた。友人なのだろう、他の人たちも後ろからゾロゾロとついてくる。

 そういえば、初めてかるたの試合をしたときは、まだミオは床田千佳を「床田さん」と言っていたはずだ。きっと何度も試合をしているうちに、その距離感が近くなったのだろう。

 風花もペコリと頭を下げた。

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