第38話
フウカと俺が島に帰ってきてから1週間が経った。状況はすっかり1か月前に戻り、出動もなく平和な日々を送っている。毎日毎日、些細な雑事とフウカの面倒を見て過ごした。
帰ってきて数日はやたらはしゃいでいたフウカも、ようやく落ち着いてきた。事務所を走り回ることも、勝手に外に飛び出すこともなく部屋の中で大人しく過ごしていることも多い。
島の子供たちは夏休みに入ったのか、度々部署に遊びに来てはフウカを外へと連れ出した。彼らと混じって遊んでいるフウカは、本当にただの人間みたいだった。
笑ってしまうくらいに平和だった。フウカがいなかった頃だってこんなに平穏だっただろうか。
窓の外から蝉の声と、子供たちの笑い声が聞こえてくる。ただの日本の夏みたいだった。
けれど、そんな日は長くは続かなかった。ある日、起きてきたフウカが足元をふらつかせているのに気が付いた。表情も暗く、苦しそうに頭を押さえている。
「フウカ、どうした」
俺は椅子から下り、彼女の前へしゃがみ込む。フウカは右手で頭を押さえたまま、ふらふらと俺の元へと歩み寄った。それから力なく俺の体に倒れ込むと、声がする、とか細い声でつぶやいた。
「声?」
そう聞くも、フウカは苦しそうに眉をひそめるだけで答えてくれない。それから少し後に出勤してきたシグレが、俺にもたれかかるフウカを見て小さく悲鳴を上げた。
「ふ、フウカ? どうしたんですか、何があったんですか?」
フウカがバラバラになった時のことがトラウマになっているのだろうか、シグレは不安そうにフウカの背をしきりにさすっている。やがてフウカは耳を押さえ、何かから逃げるように体を丸め込んだ。
「ママの、声がするの」
「ママ、って……」
初めてフウカを見つけた日、小さな島を飲み込んだ大きな黒災が俺の脳裏によみがえる。随分長らくフウカの口から出てこなかった単語だった。
「ママはなんて言ってるの?」
シグレの問いかけに、フウカはただ首を横に振るばかりだった。苦しいのか、呼吸も荒くなっている。フウカの状況がわからない俺たちにできることは何もなかった。
ナオヤやゴウが出勤してきても、フウカの容体が改善することはなかった。アカネさんに連絡しようかと考え始めた頃、俺の胸元でうずくまっていたフウカがゆっくりと体を持ち上げた。
「フウカ、大丈夫か?」
フウカは小さくうなずくと、シグレが差し出した水を受け取り、喉を鳴らして飲んだ。部屋は冷房が効いているのに、その額には汗をかいている。
「ママに、呼ばれたの」
「呼ばれた?」
「うん……あんまり、聞こえなかったけど。水の中で声を聞いてるみたいだった。でも、ママが私のこと呼んでたんだと思う」
そんなフウカの言葉に、俺も他の3人も戸惑うことしかできなかった。
「ママは、他に何か言ってたか?」
「わかんない、ほとんど聞こえなかったの。それにママの声が聞こえてる間頭が痛くて……」
一体何が起きたのか、何もわからずに首をかしげる。まだつらそうな顔をしているフウカの体をさすってやっていると、ポケットの中でスマホが震えた。手で探り取り出すと、画面には珍しい名前が表示されている。
「えっ、シノ代表じゃないですか。隊長何したんすか?」
ナオヤの言葉に、俺は心当たりがないと首を振った。
シノは中央本部、ひいては黒災対策委員会を取りまとめている男だ。多忙で、隊長クラスの人間に個人的に連絡することなどほとんどない。彼から何か用がある場合は、大体アカネさんから伝えられる。
そんな人から直接電話があるなんて、フウカの件もあったせいで俺の心はひどくざわついた。俺は深く息を吸い込むと、わずかに身構えて応答ボタンを押した。
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