第30話

 どん、と誰かにぶつかり、俺はハッとする。研究所に続く扉に次々と白衣を着た研究者が駆け込んでいくのが目に入った。あんなに待ち望んでいた研究対象をようやく実際に見ることができるのだ。彼らの興奮もひとしおだろう。


 そんな彼らの熱が高まっていくのと同時に、俺は体が冷えていくのを感じた。廊下からは人が消え、俺だけが1人ぽつんと立ち尽くしている。


 どれくらいそうしていただろう。そのうち黒い制服を着た男が1枚のメモを渡してきた。そこには住所が書かれている。ここに行けということなのだろう。筆跡はアカネさんのものだった。


 メールでもすればいいのにわざわざ紙で渡してきたのは、暗にさっさとどこかに行けと言っているのか。俺は長いこと立っていたせいでふらつく足を引きずり、西日本支部を後にした。


 タクシーを呼び、メモに書かれた住所を告げる。それからは長旅の疲れが出たのか、あっという間に眠ってしまった。


 30分ほど走ったころだろうか。車が止まり、ふと窓の外を見るとやけに豪華なホテルがそこにあった。首が痛くなるくらいの高さのホテルの前に、高級そうな車が止まっている。黒いスーツを着たホテルマンが、笑顔を張り付けて客を出迎えていた。


 タクシーの支払いを終えると、俺は居心地の悪さを感じながらホテルの中へと足を踏み入れる。中はもっときらびやかで、金を持っていそうな老夫婦やら、びしっと髪を固めたスーツの男やらが目についた。


 フロントに名前を告げると、あっさりチェックインの手続きがされた。何かの間違いであってくれと願っていた俺は、心の中で落胆する。部屋まで案内する、と言うホテルマンを断り、自分でエレベーターのボタンを押した。すでに肩身が狭いし、わざわざ持ってもらうような荷物もない。フウカを入れていた鞄を持って行かれてしまったから、俺はほとんど手ぶらだった。


 やたらぶ厚い絨毯を踏み、指定された部屋の前へ到着する。カードキーをかざすとガチャンと扉が開いた。


 部屋は1人で泊まるとは思えないくらいの広さがあった。普段ビジネスホテルすら使わない俺は、どこもかしこも豪華な装飾が施された室内と、やけに大きな窓に動揺する。


 窓の外には夜景が広がっていた。眼下に広がるそれは、俺じゃなかったらきっと綺麗だとはしゃぐようなものなのだろう。けれど俺は、暗闇に浮かぶ光を眺めながら、あの島に帰りたいと思ってしまった。


 カーテンを引き、窓の外から目を逸らす。部屋の中心に置かれた大きなベッドに、風呂にも入らないまま倒れ込んだ。きっちりと整えられた白いシーツが冷たい。


 静かだった。防音がきちんとされているのか、他の客が歩く音も聞こえない。この場所に、俺しかいないような気分だった。


 さっきまで疎ましく思っていたはずの人混みがなくなった途端に、心細さが押し寄せた。フウカもいない、見知らぬ土地で俺は慣れない部屋に1人でいる。孤独だとはっきり思った。


 ポケットにしまっていたスマホを取り出す。時刻は20時を少し回ったところだった。ナオヤたちはもう仕事を終えただろうか。


 仰向けに寝転がり、スマホを操作する。何件かの仕事のメールを返してから、少し迷ってゴウに電話をかけた。


 もう帰ってるだろうから出なくてもしょうがない。そう思っていたのに、1コールでゴウの声が聞こえてきた。

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