第17話

 それからは、しばらく平和な日常が続いた。月は5月に入り、年度初めでバタバタしていた本部も少し落ち着いてきたらしい。フウカに関する報告書を定期的に送るよう、度々連絡が入った。


 言われなくてもわかっているが、最近のフウカの行動はただの子供のそれで、報告書をどう書けばいいか悩んでいるのも事実だった。ひとまず彼女に関する認知の歪みの件は、すでにまとめて本部へ送ってある。


 各地の研究所から、報告をせがまれている状況だった。本部からの連絡を待てと言われているにもかかわらず、こんな地の果ての部署に催促のメールが何通も届く。直接見に来るのは禁じられているのだろう、映像や写真を望むものが多かった。


 フウカは写真を嫌がらない。けれど俺は、画面の中に写された彼女を見るとぞっとしてしまう。ただのガラクタの塊が、写真の中には映っている。映像にしてみてもそうだった。


 けれどそんな嫌悪感が現実で見ると薄まるのだから尚更不思議だ。こういうものは普通写真や映像で見る方が嫌悪感が少ないはずなのに。


 キーボードを叩き、報告書を本部へと送信する。なんだかフウカの成長日記のようになってきてしまった。


 後ろから視線を感じる。パソコンから目を離して振り向くと、フウカがじっとこちらを見つめている、らしかった。



「パパ、おしごと終わった?」



 最近フウカは流暢に話すようになった。俺達と話して学んでいるのかはわからないが、来たばかりの頃よりも会話が成り立っているように感じる。


 フウカはこちらに駆け寄り、俺の膝によじ登ろうとしてくる。人にくっつきたがるのは変わっていない。こんな風になったのはシグレが甘やかしたからだ、とナオヤが度々独り言ちている。


 鉄パイプの冷たさにも、無機質な石の重さにも慣れてしまった。フウカがパソコンに手を伸ばそうとするのを見とがめて、サッと彼女の腕をつかむ。



「これは触っちゃダメだ」



「わたしも、パパみたいにやりたい」



 フウカはどうやら俺らがパソコンに向かっている様子がかっこよく見えるようだ。娘もそうだった。子供というのはなんであれ、大人の使っている機械に興味を持つものらしい。


 とはいえ、フウカにこれを触らせるわけにはいかない。どんな影響があるかわからないのだ。拗ねたようにばたばたと動かす足が膝に当たって痛かった。



「バタバタしてもダメだ」



「わたしに、みんなみたいな手がないから?」



 フウカはくるりと振り向いて、バケツ頭をかくんと傾げた。一体どこで、そんな言い方を覚えてくるんだろう。真っ先に頭に浮かんだのはシグレだった。彼女ならこういう言い回しをしかねない。



「いや、そういうわけじゃ……」



 そう言いながら、視線はフウカの腕に向いていた。銀色に鈍く光る鉄。中は空洞で、どこかに当たるたびにからんと音を立てる。だからフウカがどこにいてもすぐに見つかる。俺たちの腕とは、似ても似つかない。


 フウカの腕はまっすぐ伸びていて、曲がることがない。彼女にとっては当たり前かもしれないが、俺からすれば動かしづらそうだと感じてしまう。


 彼女の腕を押さえている掌が冷たくなっていく。気温が高いから、と入れた冷房のせいで、フウカの体は冷えていくばかりだった。


 フウカは自分の体が冷たいことに何も感じない。まわりの気温に応じて寒さや暑さは感じるようだけれど、自分の体の温度の変化には鈍感らしかった。



「わたしも、パパと同じがいい」



 フウカが右腕を俺の方に伸ばそうとする。そっと手を離すと、突然、彼女の腕が床に落ちた。


 ガランッと派手な音を立てて鉄パイプが床に転がる。俺は一瞬何が起こったのかわからずに、呆然として落ちたフウカの腕を見つめていた。

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