第11話

 俺は、7年前に子供と妻を黒災で亡くしている。暮らしていたアパートの1階、誰も住んでいなかったその部屋で発生した黒災は急速に成長し、俺が仕事をしている間に子供と妻を飲み込んでしまった。


 あのときの俺は本部に所属していて、毎日黒災の対処と後処理に追われていた。だから、妻と娘が亡くなったのを知ったのは、仕事を終えた後のことだった。


 同僚から俺の住むアパートが黒災の被害に遭ったと聞き、走って帰った。俺が駆け付けたときにはアパートはもう崩れ去っており、元の姿など見る影もなかった。


 黒災で亡くなった人間の死体はとても見られるものではない。ぐちゃぐちゃになった妻と娘の死体を抱えて、警官に引きはがされるまで泣いたのを覚えている。あの可愛らしい娘の笑顔と、美しい妻の姿が無残なことになっていた。


 それから精神を病んだ俺は、この離島、第8部隊にとばされた。きっと上司は俺を気遣ったのだろう。黒災の発生頻度も低く、穏やかなこの島での暮らしは、俺の精神を安定させてくれた。



「もう、7年も前のことだ」



 ナオヤに気にしないでくれ、と言いたかったつもりが、まるで自分に言い聞かせるようになってしまった。


 7年経っても、あの崩れ去ったアパートと、2人の死体はくっきりと瞼の裏に張り付いている。娘の後姿が、いつも夢に出た。


 しんみりとした空気が場を覆っている。俺のせいだとは思いつつも、何を言えばいいのかわからなかった。


 その時、足元からガシャンと大きな音がした。慌てて椅子の下を覗くと、フウカがびっくりしたようにきょろきょろと辺りを見回している。


 どうやら、うっかり寝てしまって倒れたらしい。自分が倒れた音に驚いたのだろう。シグレがそんなフウカの姿に笑みをこぼす。それにつられるように、ナオヤとゴウも笑っていた。


 さっきまで重かった空気がぱっと明るくなった。子供とは不思議なものだ。昔、妻と喧嘩していても、娘のやる突拍子もない行動で笑っていた。


 懐かしい、と素直に思った。思い出には常に痛みが伴っていたが、この懐かしさは心地よかった。



「眠いか」



 ブルーシートの体を抱き上げる。ガサガサと音を立てて、フウカは俺の膝の上に座った。けれどその体は冷たくて、ずっしりと石がのっているような気分だった。



「今は、こいつの面倒みるので手いっぱいだな」



 そう言って席を立つ。少し外の空気を吸いたかった。



「こいつ寝かせてくるよ」



 応接室に入ると、フウカが遊んでいたらしいおもちゃがソファの周りに散らばっている。客が来ないからいいものの、託児所のようになってしまった。人形をそっと端に置き、フウカを寝かせる。


 建物の外に出ると、潮風が髪を撫でた。陽が沈み始めている。海面が赤く染まっていた。


 本部にいたときは、海なんて見たことなかった。妻と娘を海水浴に連れて行ったこともない。そもそもこの日本で、安全に泳げる場所が限られつつある。


 連れて行ってやればよかった。仕事が忙しいなんて言っていないで、もっと話をしてやればよかった。


 波のように、後悔が心に押し寄せる。けれど、これくらいの痛みが俺にふさわしいのだと思った。仕事にばかりかまけていた、俺の罪だ。



「なーに浸ってんすか」



 足音がして、振り向くとそこにナオヤがいた。なんだか居心地悪そうな顔をして、俺の隣に立つ。



「隊長が戻ってこないんで、シグレさんがおろおろしてますよ。……まあ、俺のせいかもしんないですけど」



 ナオヤはそう言って、またすみませんでした、とつぶやいた。



「黒災から出てきた子供の面倒見るとか、隊長が1番つらいですよね。俺、なんも考えてなくて」



「いや、気にしてないように見えたならそれでいいんだ」



 ナオヤの背をポンと叩く。部署の方へ足を向けると、ナオヤも黙ってその後ろをついてきた。



「正直、つらくないんすか」



 背後からそんな声が聞こえてきて、俺は立ち止まった。振り返ると、ナオヤがびっくりした顔をしている。



「あの厄介な子供と、部下の面倒見るので忙しいからな。気にしてる暇がない」



 そう言ってやれば、ナオヤはぽかんと口をあけた。普段から生意気を言っている彼のそんな表情を見れて満足だ。また振り向いて戻ろうとすると、後ろからなんなんすか!と叫ぶ声が聞こえる。


 ほんの少し嫌味なように言ったけれど、本心だった。ここに来てよかった。そう改めて思う。

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