第9話

 フウカが来てから1週間が経った。毎日行う会話の中で、フウカは人間でいう5歳児程度の知能を持つことが判明した。


 黒災については、我々と同じ日本語を話すという情報しか得られていない。それでも本部にその報告を送ると、研究者たちから大量のメールが届いた。やはりどこの研究所でも判明していなかった事実らしい。黒災の知能に関する研究は難航しているとのことだった。


 それでも、フウカはまだこちらで預かることになっている。一応本部の方でフウカの対処は検討されているようだった。


 フウカは随分俺達に懐いた。最初は反発心をむき出しにしていたナオヤも、今ではだいぶと慣れたらしい。シグレやゴウは積極的にフウカの面倒を見ていた。


 本部に送る報告書に着手していると、突然がくんと椅子が揺れた。腕に冷たいものが触れる。



「フウカ、仕事中なんだ、邪魔しないでくれ」



「パパ、なにしてるの」



 フウカはなぜか、俺のことをパパと呼ぶようになった。他の隊員のことは名前で呼んでいる。シグレなんかは特別扱いされてずるいと拗ねていた。


 嫌だとは思わない。けれど、よくないことだとは思っている。フウカの面倒を見る関係で部署に寝泊まりしていたら、他の隊員よりも懐かれてしまったのだ。


 今日からは交代制にしよう、と改めてパソコンに向き直る。しかしフウカは俺の腕をつかみ、ぐいぐいと引っ張った。



「あそんでよ」



「仕事中だってば……シグレ!」



 開けっ放しの扉の向こうに声をかける。シグレのポニーテールがひょっこりと覗いて、彼女が事務所に入ってきた。



「どうしました?」



「どうしましたじゃない、フウカ連れてってくれ」



 シグレは俺の椅子の裏に隠れていたフウカを見つけると、くすくすと笑ってその腕を引いた。



「ほら、パパお仕事中だから、邪魔しちゃだめだよ」



「お前までパパって呼ぶから、フウカがそう呼ぶのをやめないんだ」



 フウカは不満そうにえー、と言いながら、シグレのそばを離れようとはしない。フウカを1番可愛がっているのはシグレなのに、フウカは彼女のことを決してママとは呼ばなかった。


 フウカとシグレが事務所を出て行き、部屋が静かになる。


 少し前に研究対象と割り切るだとか、警戒心を持つべきだと思っていた自分がこの状況を見たら呆れることだろう。


 いや、実際呆れてはいるのだ。ただ人間じゃなくても子供はそういう生き物なのか、場所に慣れると人にも慣れていった。


「随分好かれてますね、パパ」



 外から戻ってきたナオヤがそんな風に茶化す。にやにやとこちらに近づいてくるから、机に置いてあったペットボトルで彼の頭を叩いた。ナオヤはそれでもへらへらと笑っている。



「まあ隊長もですけど、シグレさんもほだされすぎじゃないですか? あいつ仮にも黒災生まれの化け物ですよ」



 ナオヤは過剰に怖がることを辞めたものの、ある程度の嫌悪感は消えていないようだった。今では、彼くらいがちょうどよかったのだろうと思う。



「部署内も好きに歩かせちゃってまあ。そのうち乗っ取られても知らないですよ」



 そんな風に言いながら、ナオヤは鞄から何やら古い雑誌を取り出し、パラパラとめくりだした。



「ナオヤ、なんだそれ?」



「図書館に置いてあった古いオカルト雑誌です。4、50年前の」



 その拍子は随分古ぼけていて、文字もぼろぼろになっている。随分前に廃刊になったもののようだった。



「なんでそんなの借りてきたんだ?」



「もらったんすよ。じゃなくて、えーっと、ほらここ」



 ナオヤが示したページには、茶色くなった文字で『恐怖! 手足バラバラ人間』と書かれている。古臭い見出しだ。



「で、それがなんなんだ」



「これ、最初の黒災の後に書かれた記事なんすよ。手足、胴体、頭の大きさがやけにアンバランスな人間が見つかったって。当時はただの都市伝説扱いされたみたいですけどね」



 確かにその記事に載せられている絵には、ちぐはぐな体をした少年のようなものが描かれていた。



「もしかしたら、これもフウカと同じ系統なんじゃないかって思うんですよね」



「え、でもこいつは、ちぐはぐなだけで人間だろ?」



「……あの黒災のとき、亡くなった人多かったらしいじゃないすか」



 ナオヤはふざけて都市伝説の雑誌を持ってきたわけではなさそうだった。その表情は暗く、見てはいけないものを見てしまったような顔をしている。



「フウカは、無人島にいたからあんな姿だっただけで……本当は」



 まるで怪談でも話すように、ナオヤは声を低めている。突然、事務所の入り口からガタンと音がした。

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