第8話
フウカの体から水も砂も落ちてこなくなったのを確認して応接室へ戻る。部屋に散らかっていた砂は、フウカを洗っている間にナオヤが掃除してくれていた。
フウカをソファに座らせて、俺も向かいへ腰かける。ナオヤとゴウがその後ろに立ち、シグレを俺の隣へ呼んだ。
フウカは足をパタパタと揺らしながら、俺たちの顔を眺めているようだった。
「フウカ、これから少し俺達と会話してくれ」
「かいわ?」
俺の言葉に、フウカは首を傾げた。
「そう。とりあえず、俺の言葉に答えてくれたらいい……そうだな、まずは、ママについて教えてくれ」
俺がそう言うと、フウカはせわしなく動かしていた足をぴたりと止めた。首をぐったりとうなだれて、何も言わなくなってしまう。
「フウカ?」
「……ママ」
ぽつりとつぶやいて、フウカはまた黙ってしまった。助けを請うようにシグレに目線を向ける。彼女は呆れたように、小さくため息をついた。
「ママがどんな人だったか、教えてくれないかな?」
シグレはフウカの顔を覗き込むように聞いた。俺が聞いた時と何が違うのか、フウカはご機嫌に頷く。
「ママは……えっと、ずっとママの中にいたの。まっくらで、わたしとママしかいないところ」
「ママの、中にいた?」
フウカが出てきたのは、黒災が崩れた跡地だった。やはり、ママというのは黒災のことだろう。
「ママの中にいて、どんなことをしてたの?」
「ずっとママとおはなしししてたよ」
話をしていた、ということは、黒災は言葉を使えるということだろうか。あの黒災に意志があるとしたら、と思うとぞっとする。
「ママは、なんて言ってたかな」
シグレの声が少し震えていた。自分のつばを飲み込む音がハッキリと聞こえる。
「……あんまり、おぼえてないの。でも、外に出るまえに、にんげんがくるって」
そう言うと、フウカはしょんぼりとうなだれた。
「にんげんって、あなたたちのこと?」
4人ともが黙っていると、フウカがそんな風に聞いてきた。俺がそうだ、と返答すると、フウカの息をのむ音が聞こえた。
「じゃあ、ママがいなくなったのは……」
舌足らずな話し方でそんなことを言われ、心臓が握りつぶされたように痛んだ。この子にとっての母親は、黒災だったのだ。しょうがないとはいえ、俺らはこの子の親を奪っている。
それなのに、同情して、名前までつけるなんて、自分の愚かさが身に染みた。
「……今日は、これくらいにしときましょうか」
シグレの声が聞こえてハッとする。フウカの方は見れなかった。逃げるように立ち上がり、部屋を出て行く。その後ろをバタバタとナオヤたちもついてきた。
事務所に入り、席に着く。体が小さく震えて、椅子がカタカタと鳴った。
「気にしない方がいいですよ」
そう声をかけてきたのはナオヤだった。着席した俺の隣に立ち、じっとこちらを見下ろしている。
「黒災の中にあんなのがいるなんて知らなかった。ましてや黒災が親なんて。つーかあいつがママって言ってるだけで、黒災が親とか意味わかんないすからね」
ナオヤはそう言い捨てて、自分の席へ戻る。けれど、俺にはフウカが、黒災から生まれた化け物だと割り切ることはできなかった。隣に座るシグレも微妙な顔をしている。
「あくまで研究対象って言ってたのはあんたでしょ? いちいち感情移入して病んでたら身が持ちませんよ」
ナオヤは自分の椅子に腰かけ、行儀悪く椅子を揺らしている。ゴウがそんな彼を窘めた。
「……いや、そうだな。すまない」
子供だから、という理由で取り乱してしまった自分が恥ずかしかった。あくまであれは研究対象で、感情移入すべきものではない。
親を奪った人間が目の前にいるのだ。フウカがいつこちらに敵意をむき出しにしてくるかわからない。
持つべき感情は同情ではなく、警戒心だ。
「明日からは気を付けるよ。すまない、迷惑をかけたな」
シグレだけはまだ不安そうにこちらを見つめている。きっと、俺以上に彼女の方が精神的にやられているはずだろう。
けれど、彼女も俺も、割り切るよりほかない。先の見えない不安が、じんわりと体の奥から染み出していた。
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