第7話

 あのバケツ頭をここで預かること、そいつをフウカと呼ぶこと。それ以外に何も決まっていない。アカネさんからも本部からも指示は来なかった。


 研究施設もあるにはあるが、こんな離島の小さな部署ではたかが知れている。何から手を付ければいいやら、4人全員で頭を抱える始末だった。



「あの、ひとまずあの子と会話してみませんか。何か知ってることがあるかもしれないし」



 そう言いだしたのはシグレだった。ナオヤは少し渋ったが、それ以外にできることもなく4人でぞろぞろと応接室へ向かう。


 バケツ頭はやはり退屈そうにソファへ腰かけていた。



「……フウカ」



 そう呼びかけるが、彼女はこちらを見向きもしない。きっと自分の名前だとわかっていないのだろう。彼女の背丈に合わせるように、ソファの前で跪く。



「今日から、お前の名前はフウカだ。……もしかして、元々の名前とかあるか?」



 そう聞くと、フウカはかくんとバケツを傾ける。



「なまえって、なに」



 思ってもいなかった質問が帰ってきて面食らう。そんなこと考えたことがなかったから、どう答えようかと言葉に詰まった。



「周りの人が、あなたをどう呼びたいかってことかな」



 迷っていると、シグレが隣にしゃがみ込んでそんな風に答えた。



「私はシグレ。よろしくね」



 シグレがそっと手を差し出すも、フウカはその意味がわからないらしく、きょとんとしている、ように見える。シグレはそれに気が付いて、フウカの無機質な手を取った。



「これは、握手。人と人が仲良くするためにするものだよ」



 シグレはフウカの手を両手で包む。フウカはぼんやりと、その手を見つめているようだった。



「……ほんと、よくそんな人間の子供にするみたいにできますね」



 後ろから様子をうかがっていたナオヤが、そんな風に憎まれ口をたたく。シグレはそんな彼を振り返ることなく、指をさして



「あの生意気言ってるのがナオヤ。その隣に立ってるのがゴウさん」



 とさらりと言ってのけた。嫌そうな顔をするナオヤと、その隣で笑っているゴウ。それからシグレは俺にも自己紹介をするよう視線で促した。



「俺は、ミクニだ。よろしく」



 シグレと同じように、手を差し出してみる。フウカは自分から俺に手を重ねた。鉄パイプの表面は冷たくて、やはり砂でざらざらしている。



「1度風呂に入れないか、こいつ」



 体中にまだ砂が付いている。応接室のソファも砂で汚れていた。床にも砂が落ちていて、歩くたびにざらついた感触が伝わる。



「お風呂……入れて、大丈夫なんですかね」



 シグレがそう言って首を傾げた。確かに、わからないことが多いこいつにお湯をかけるのは不安だ。黒災は炎に弱いのだから、湯をかけたら何か嫌な反応が起こるかもしれない。



「じゃあ、表でホースの水かけたらいいんじゃないすか」



 ナオヤが腕を組みながらそんなことを言う。そんな犬みたいな、とは思ったが、ひとまず試そうということになり、フウカを外へ連れ出した。


 建物の脇にある水道にホースをつなぎ、水を出す。特別水に怯える様子はなかった。むしろ興味津々で、自分から水に触れようとしている。


 鉄パイプの足元に、少し水をかけた。



「つめたい!」



 フウカは飛び上がり、1歩後ずさる。けれどその反応は、小さな子供が水浴びのときにするそれと似たようなものだった。



「嫌か? 嫌ならやめるか?」



「ううん、だいじょぶ」



 また足元へ水をかけると、フウカはきゃっきゃとはしゃいでいる。少しずつ体を洗って行くと、砂の嫌な感覚は少しずつなくなっていった。


 鉄パイプと、ブルーシートとバケツ。どこを触っても違う感触だ。触れていると、人間ではないことがありありと示されて、得体のしれない恐怖が腹の底にわだかまる。


 俺の顔色が優れないのを気遣ってか、シグレが変わります、と申し出た。



「いや、いい。大丈夫だ」



 なんとなく、ナオヤがフウカを毛嫌いする理由が分かった気がした。俺が触れないと感じられなかった恐怖を、ナオヤはきっと同じ空間にいるだけで感じているのだ。怒鳴ってこいつの面倒を投げ出したくもなる。


 全身を洗い終えると、ゴウが持ってきてくれたタオルでフウカの体を包んだ。慣れない感触だったのか、鉄パイプの腕でタオルをぎゅっと抱きしめている。



「そんなにつかむと、拭けないだろ」



 タオルでバケツ頭が隠れると、もう会えない後ろ姿が思い出されて、心がずきんと痛んだ。

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