第1話
「あーあ、絶対怒られますよ」
船のモーター音と、波しぶきの音が響く中、隊員のナオヤがそんなことを言ってため息をつく。
「しょうがないだろ、まさか表示してた人工衛星のデータが1か月前のものになってたなんて誰も気づかなかったんだ」
濡れた前髪を払いのけながらそう言うと、ナオヤはまだ不満げに口を尖らせながら、前方を眺める。
「1か月かあ……1か月も放置してたらどうなってるんだろうなあ……」
遠い目をし始めたナオヤをよそに、船の後方でうずくまっているシグレへ目を向けた。黒いポニーテールが船のへりに張り付いている。彼女の背を、隊員のゴウが不安そうにさすっていた。
「シグレ! 大丈夫か?」
「……大丈夫です」
周りの音にかき消されてしまいそうな声量でそう言いながら、シグレはよろよろと手を振った。どうしたもんか、と前を向けば、岩の影から黒い何かが現れる。
それは島を覆いつくすほど大きな黒災だった。
黒災とは、50年ほど前から日本で発生している災害だ。ドーム状の黒い物質が、取り込んだ空間のものをぐちゃぐちゃにしてしまう。
「島に船つけんのは無理そうだな……。少し離れたところで止めてくれ」
船頭にそう言うと、船が徐々に減速する。しかし、またもナオヤが不機嫌そうな声を漏らした。
「えーっ、バーナーどうするんすか!? 濡れますよ!」
「じゃあお前、あれに吸い込まれるか?」
もうほとんど目の前に迫った黒災を目にしてナオヤは押し黙った。黒災は、周りにあるものを少しずつ吸い込んで成長する。この船をあの黒災が覆っている島の陸地につければ、船ごと自分たちも吸い込まれてしまうだろう。
防水対策の施された袋に入った火炎放射器を背負い、船が停止するのを待つ。波は穏やかだった。エンジン音がなくなり、いよいよ耳には波の音しか入らなくなる。
黒災は、静かな災害だ。だからある程度の大きさになるまで誰にも気づかれず、こんな無人島では発見が遅れてしまう。
船のへりをまたぎ、海の中へ落ちる。幸い足のつく浅さだった。胸元で波がはねている。ナオヤもため息をつきながらも飛び込む。船酔いで参っていたシグレもふらつきながらその後に続き、ゴウが1番最後に降りた。
「シグレ、立てるか」
俺よりも30センチほど背の低いシグレは、つま先立ちをしながら必死に顔を水面にあげている。そんな彼女の体をナオヤが軽く持ち上げた。
「もうちょっと行ったら多分普通に歩けますから、そこまでは俺が支えます」
「うん……ごめん、ナオヤ」
「シグレちゃんのバーナーは俺が持っとくから」
ゴウが彼女の背から袋を受け取り、4人で島を目指して歩く。春先の海は冷たい。体力がどんどん吸い取られていくような感覚があったが、そんな泣き言は言っていられなかった。
波が膝下になるまで近づくと、黒災はもう目と鼻の先だった。中が少しも見えないほど真っ黒な半球がそびえている。
「はー、ここまででかいの見るの初めてっすわ」
ナオヤは黒災を見上げならそう言い、肩にかけた袋を下ろした。
「ま、そもそもこの部隊はそんなに黒災の対処はないしな。ほら、お前ら準備しろ。久しぶりだからって気を抜いてると、何が起こるかわからないぞ」
俺も肩の袋を下ろし、中の火炎放射器を取り出す。ずっしりと重い感覚が手のひらに伝わった。濡らさないように、腕を必死に持ち上げる。
黒災に対処するには火が必要だ。燃やさなければ、黒災は永遠に大きくなる。最初期の黒災の対策本部は、燃やすという対処法を見つけるのに3カ月を費やしたという話だった。
「燃料足りるか? これ」
ゴウがバーナーを構えながら、苦笑いでそうつぶやいた。シグレも不安そうな顔で黒災を見上げている。
「足りなきゃ取りに行けばいい。第7部隊に追加の燃料を送っておいてくれと頼んである。ひとまずそれは対処できなかったら考えよう」
俺も、こんなに規模の大きい黒災の対処をするのは初めてだった。足元の砂がずるりと崩れる。少しずつ吸い込まれているのだ。首にかけたゴーグルを装着し、ごくりと唾をのんで、トリガーへと手をかけた。
「よし……放火!」
モーター音が響いて、炎が黒災の壁をなめはじめた。燃え落ちた灰が風に流れてこちらへと飛んでくる。ゴーグルに張り付いて視界が狭まったが、気にしてはいられない。
大きな黒災はあっさりと燃えていった。燃料が切れるか切れないかというところで、黒災は崩れ去った。燃やし残しのないようにぐるりと見まわる。燃えていない部分があると、黒災は発生時よりも早く復活するのだ。
最後まで丁寧に燃やし、後には台風が通ったかのように荒れた森が残った。燃え移った木がないか確認をし、ゴーグルを外す。宙にはちらほらと、黒災の灰が待っていた。
「案外あっさり燃えましたね。まあ、もう燃料すっからかんっすけど」
「ああ……それに、ここが無人島でよかったよ」
ゴウの言葉に頷く。これまで大きな黒災が人の多い場所で生まれていたら、と思うとぞっとした。
「まあ、人の多いところだったらこんなに大きくなるまで気づかないなんてこと、ないと思いますけど……」
シグレはバーナーを片づけながらばつの悪そうな顔でそんな風につぶやく。人工衛星から届いたデータチェックは彼女の仕事で、シグレは今回の件を自分のせいだと必要以上に責任を感じていた。
「いや、一緒に確認しなかった俺も悪い。あんまり気にするな」
「そーそ、今回の報告書の作成、シグレさんがやってくれたらいいっすよ」
ナオヤがふざけてそう言えば、シグレはキッと彼を睨んだ。そんな彼女を見てナオヤはけらけらと笑っている。
一通り島をチェックし終わると、船が島へと向かってきてくれていた。また海の中を歩いていかなければ、と憂鬱になっていたので安心する。軽くなったバーナーを背負って海岸へ歩き出そうとすると、背後からがさりと音が聞こえた。
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