第2話
木でも崩れたんだろう。そう思いながら振り向いたが、そこにあったのは俺の想像していないものだった。
頭は鉄のバケツ、体は青いビニールシートで覆われた何か。鉄パイプの手足。それらが組み合わさり自立した人型の何かが、背後に立っている。
「お、おい、あれ……」
隊員たちを引き止め、それを指さす。1番に振り向いたシグレが目を見開いて硬直した。ゴウも呆然とそれを眺めている。俺たちの先を歩いていたナオヤが、立ち止まっている俺らに気が付き、何事かと戻ってきた。
「……なんすか、あれ」
それはふらつきながら、こちらへと歩いてくる。バーナーを構えようとしたが、もう燃料がないことを思い出す。
背中を嫌な汗が流れた。今までこんな事例はない。
黒災に巻き込まれた生き物は死ぬ。人間も、例外はない。だから島全体が覆われた黒災の後に、何か動くものが出てくること自体がありえない。そもそもこれは生き物なのかどうかすらわからなかった。
それが近づくのにつれて、俺らは少しずつ後ずさる。隊員たちを庇うように前に立ったが、誰もこの先の対処法を持たない。
どうしたものか、と考えていると、目の前の何かから小さな声が聞こえた。
「ママ……」
子供のような、舌足らずな言葉だった。口もないのにどこから発音しているのか、それはママ、ママと繰り返し呼んでいる。
「今、ママって、言ったよな」
ゴウがそれを指さしながら言った。どうやら幻聴ではなかったらしい。全員で顔を見合わせる。後ずさる足が止まった。
「ママ、どこにいるの、ママ……」
姿を見なければ、それはただ母親を求めて泣きじゃくる子供の声だった。けれどその見た目の異様さが、俺たちを躊躇させる。どうしようか、と頭を抱えていると、シグレがすっとしゃがんだ。
まるでそれと視線を合わせるように、じっと見つめている。それも、シグレを見ているようだった。
「ママを、探してるの?」
シグレがそう聞くと、バケツ頭が頷くように揺れた。
「ママ、いなくなっちゃったの。どこに行ったかわからないの」
不安定な頭は今にも崩れてしまいそうだった。ひとまず対話できる程度の知能はあるらしい。襲ってこないから、敵意もないのかもしれない。
「どうしましょう、隊長」
シグレが不安そうな顔でこちらを見上げてくる。その言葉に答える前に、反対の声をあげたのはナオヤだった。
「いったん戻りましょうよ! 本部に報告して指示待った方がいいですって」
ナオヤの意見はもっともだ。この島では電波が入らないから、1度帰って指示を待った方がいい。
「でもそれじゃ、可哀想じゃねえか……?」
「はあ!? あんな化け物に同情してんすか!?」
憐れむようなゴウの言葉にも内心頷ける。いくら見た目があんなでも、子供の声で母親を呼ぶ言葉を聞いてしまっては、こんな場所に置いていけなかった。
「……連れて帰ろう。本部には報告するが、どうせ連れて帰れって言われるだろ」
「俺嫌ですよ! あの化け物と同じ船乗るの!」
ナオヤの怒鳴り声を聞きながら、化け物へと一歩近づく。
「じゃあ、お前は泳いで帰れ」
そう返すと、ナオヤはぐっと押し黙った。シグレが不安そうな顔をしたまま俺の後ろをついてくる。目の前に立つと、バケツ頭はほんの少し顔を上げた。
「……歩けるか」
それの腕をつかむと、鉄の冷たさがじわりと掌にしみた。空洞の部分からぱらぱらと砂が落ちている。俺が手を引くと、それはゆっくりと歩き出した。
ゴウとナオヤは少し距離を置きながらそれを観察している。船までたどり着くと、船頭のカイがぎょっとした顔でそれを見た。
「ちょ、ミクニさん。なんですか、それ」
「わからん、だが、連れて帰る」
1人ではへりをまたげなかったらしいそれを抱きかかえて船に乗せる。胴体は石なのか、硬い感触が伝わった。カイは腰の引けたまま、少し後ずさる。
シグレは自分からそれの隣へ腰かけ、ナオヤは1番離れた場所でふくれっ面をしていた。ゴウはその隣へ座り、俺が最後に乗り込んだ。
「……じゃ、船出しますよ」
モーター音が鳴り、船が出る。バケツ頭はまるで故郷を惜しむかのように、島を見えなくなるまで見つめていた。どこに目があるかわからないから、俺の思い違いかもしれないが。
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