宝石の朝

重大な決断を下してから

既に1週間が経とうとしていた頃だった。

暑さには拍車がかかり、

日本では大きな事件が起こり、

選挙も終わった。

様々な変化に身を打たれつつも

時間は容赦なく過ぎていった。

夏が本格的に始まるのだ。

夏休みだってあと2週間で

始まってしまうのだから。


「お疲れ様でした。」


部活にて号令をし終え、

各々ラケットや水筒を手に、

私たち後輩はそれらに加えて

シャトルを手にして体育館を後にする。

夏の猛暑ばかりを切り取って

詰め込んだような体育館から

1歩外に出てみれば風が迎え入れてくれる。

生暖かいものだというのに

清々しいとさえ感じた。


あみか「ういー、お疲れ様ー。」


美月「ええ。お疲れ様。」


あみか「曇りだろうとなんだろうと暑いことには変わりないね。」


美月「テスト明けてまだ少ししか経ってないし、体がついてきてないのよ。」


あみか「それだわ。全然もたない。」


美月「こんな動けなかったっけ?って思うわよね。」


あみか「ほんとにそう。動けなさ過ぎてびっくりした。」


更衣室に向かいながら

文句も同然のことを呟いた。

周りの同級生も、先輩さえも

暑い暑い、やっと終わったと

口にしていた。

この様子だと、きっと顧問の先生すら

暑いと言っていることだろう。

年齢の違いはあれど皆人間なのだと

実感せずにはいられなかった。


あみか「夏になったら今日も部活、明日も部活、明後日も部活の連続だよ。」


美月「体力つくわね。」


あみか「ごりごりになっちゃうよ。」


美月「スタイルが良くなるって捉えればいいものじゃないかしら。」


あみか「お、それはいいね。」


美月「でしょう?」


あみか「言葉の変換が上手だね。ポジティブシンキング。」


美月「そうかしら。」


あみか「そうだよ。一時期よりもいい顔してるし、いいことあった?」


美月「ふふ、何よそれ。」


あみか「いやいや、ほんとだよ?いい顔してるって。」


美月「まぁ…色々はあったけれど。」


あみか「なになに、恋人?」


美月「違うわよ。」


あみか「じゃあ何ー?」


美月「なんだっていいでしょうに。」


あみか「あーやしー。」


あみかはじろりと睨んできたけれど、

本当に恋人だとか

そういうものではないのだから仕方がない。

言わない私は私で意地悪だと思う。

けれど、それでもいいと思ったの。

明言しなくたっていい関係だと思った。


私と波流の関係は

友達以上、親友あたり…

ある一種恋人以下だろう。

依存関係の上に成り立つ私たち。

これをなんと言えばいいのか。

私はまだ、この緩やかに首を絞めてくる関係に

名前があるとしても知らないまま。


私たちは答えを出した日以来も

血を通じて繋がっていた。

とはいえ間接的にだけれど。

結局、あれ以上頻度を落とすことは苦しく、

4、5日に1回は血をもらっている。

私も私なりに出来るだけ

血をもらい過ぎないようにと

考えて行動していた。

変わらずトマトジュースを飲み続け、

生肉を買った時に出る

ドリップを飲んでみるだとか、

鉄分のサプリメントを飲んでみるだとか。

それでも結局変わりはしなかった。

トマトジュースに波流の血が

混ざっていると暗示することが

1番効果はあったよう。

本当に苦しくなった時のみ

生肉のドリップを飲んでいた。


そのように、色々と工夫して

異常な日常を送り続けていた。

それも、もう私たちの普通となっている。

奇怪なことに触れ続ければ

案外慣れてしまうものだ。


それからいつものように

着替えを手早くすました。

不意に室内を見回してみるものの、

既に波流は出ていったのか

姿は見えなかった。

いつも彼女は着替えるのが早く、

そして出ていくのも早かった。

いつしか、どのくらい早いのかを

見届けようと思ったが、

あみかと話しているうちに

姿を消していたなんてこともあったほど。


あみか「誰か探してる?」


美月「え?えぇ、まあ。」


あみか「先輩?」


美月「そうなの。今日は向こうと帰るわ。」


あみか「ん、りょーかーい。」


私と波流が時折一緒に帰ると言ったって

あみかはそう反応しなくなっていった。

ただ、時々にっと目尻を吊り上げて

こちらのことを見ているものだから、

何かしら疑っていそうとは思うけれど。

女子校だから女同士で付き合っていても

おかしくないという考えの人は

ある一定数いるのだろう、と

線香のようにしばしばと浮かんだのだった。


それからあみかとは別れ、

そのまま学校の校門へ向かうと

髪をひとつに縛った波流が見えてきた。

私を見つけるや否や

手を振ってくれるものだから見つけやすい。

笑って手を振ってくれる

その姿が夏らしくて涼しい。


美月「待たせてごめんなさい。」


波流「ううん、ぜーんぜん!今日は音楽棟行けそうになかったしここで待っちゃった。」


美月「全然いいのよ。今日のお願いはご飯のことではないの。」


波流「そうなんだ?」


1歩、そして1歩と学校から遠ざかる。

私たちがご飯と呼んでいる事柄は

吸血行為という意味を含んでいた。

外で大っぴらにいえるようなことでは勿論なく、

別の言葉を代用しなければ

何かと弊害があったのだ。


歩幅を合わせてくれる彼女。

隣にはいつだって波流がいた。


美月「まだ後2日くらいは大丈夫なはずよ。」


波流「そっか。じゃあ今日の用事って?」


美月「裏山に行こうと思うの。それで、ついてきてほしくて。」


波流「裏山?」


美月「えぇ。」


波流「なんでまた。」


美月「一種、腹を括るのよ。今後の生活を頑張るってね。」


波流「…そう。全然私はついていくよ。」


美月「時間は大丈夫かしら。」


波流「平気。テストも終わったしね。」


美月「きっと前より虫が多いわよ。」


波流「脅してる?」


美月「いいえ、そんなことないわよ。」


波流「え?あるよね?」


美月「ついでに熊が出るかも」


波流「あー、絶対嘘言って脅してる!」


美月「ふふっ。」


笑顔の咲く今日は、

ただの7月11日。

私たちは周りから見れば

きっと普通になれていただろう。

私の目指していた普通は

案外どこにでもあったのだ。

どこでも見つけることができたのだ。

気づけばいいだけだったのだ。


波流と一緒に電車に乗り、

私の家まで向かった。

電車に乗っていると

水族館に行った日のことを思い出す。

あの日は確か、私の異常が発覚してから

2、3回目の吸血行為を

行った時ではなかっただろうか。

今でも波流の言葉を思い出すことができる。

それほど、この脳に刻まれた言葉なのだ。

私を助ける、そして私を縛る大切な言葉。


言葉には種類がある。

時には人を支える言葉。

励ますような明るい言葉。

日向のように心地いい言葉。

胸に響く達観した言葉。


反面、人を見下す言葉。

蔑ろにするような濁った言葉。

鬱蒼とした森のように居心地の悪い言葉。

胸を貫く稚拙な言葉。


波流の放つ大好きな言葉は

前者に含まれるものだと

考えずとも分かっていた。


電車を降りれば、

こんなに暗かったかと思うほど

あたりは沈んでいた。

街灯がちらほらと花を咲かせる頃。

今の時間から裏山へ入るのは

少しばかり危険だろうけれど、

そこまで深くは立ち入らないことから

大丈夫じゃないかと薄々思っていた。


家の正面には向かわず、

山の側面の方へと向かう。

そして、住民の人になるべく

見られないようにして山に入った。

山の中は思っているよりも暗く、

どこに段差があるのか分からない。

大きな段差、

それこそ崖とも取れるような場所は

あの秘密基地あたり以外はなかったはず。

通るとはいえ、崖を上方から

降るような道ではないので

あまり心配しなくていいだろう。

けれど、暗いことに変わりはない。

2人でスマホのライトをつけて、

遠くを照らし過ぎないようにして歩いた。

すると、羽虫が数匹光へと

集まっては散っていった。

波流はその度に苦い顔をしていたけれど、

叫ぶことこそなかった。


そして、ついた先。

そこには自然のカーテンがかかった

空間があるのだった。

中に入ってみれば夏は消え失せ

一気に冬へと逆戻りするだろう。

けれど、今の私には

そんなことをする必要はない。


波流「懐かしいね。」


美月「…そうね、懐かしいわね。」


今でもあの3日間のことは

よく覚えていると自信を持って言いたかった。

しかし、実際には横になっている時間も多く

夜や朝、時間を気にせず飢えから

耐えるために眠っていた。

それもあれば、

純粋に時間が経ったのもあるだろう。

記憶は徐々に薄れかかっているのだった。


ただ、土の感触や

その日の天気の悪さは覚えている。





°°°°°





土のしんみりとした感触が

優しく頬を撫でた。

髪はじとじととしており、

土と同様張り付いている。

数日雨に濡れお風呂にも

入っていないとなると

当たり前の結果だ。

これまで続けていたスキンケアも

全て無駄になってしまった。

視界の隅で何か動いているのが見える。

ミミズだろうか。

時折足や服の中にまでも

蟻やダンゴムシと言った

虫が這いずってくることがあった。

初めのうちは払い除けたけれど、

2日も経てば気にする方が馬鹿のように思え

放っておくようになった。


家の裏山、山の中腹あたり…

急勾配の麓だと記憶していた場所は

正規である道を大きく外れた場に存在していた。

今となっては基地だなんて言えるほど

形なんて残っておらず、

当たり前と言わんばかりの出迎え方だった。

自然ばかりが発達していて、

私は何も変わっていない。


当時、急勾配の麓に洞穴を見つけた。

それは小学生の子供が2人入れるほどで、

そこに様々なものを持ち寄っては遊んでいた。

正規の道で山に入ろうとすると

家の中を通らなければならず、

それだとバレてしまう。

その為に道に面している部分から

まるでこそ泥のように山に侵入し、

ここを見つけることが出来たのだ。

どうしても山で遊びたかった私達は

頭をこれでもかというほど使って

練り出した案がそれだった。


洞穴の中は深くまで続いているわけではなく、

学校の机を2個並べたほどの奥行きのみ。

座るにも頭を下げなければならず、

来てすぐは座っていたけれど

その体制はきつかったので横になった。

制服はひたひたになり泥まみれ。

初めはトイレに行きたくなった時の為

保険をかけて座っていた。

コンビニに駆け込めばいいと思っていたから。

だから予定通りコンビニに行ってみれば、

勿論何かと香ってはくるわけで。

ほんのりとしている分

まだ耐えることは出来たが、

もし近日に流血した人がいたとしたら。

そう考えると行こうにも行けなくなっていた。

そもそも食事も水も摂っていなかったおかげで

その1度以降波は来なかったが。





°°°°°





そして歩ねえと波流が迎えにきてくれた

あの日のあの時間のことだけは

妙にしっかりと記憶に残っている。

忘れることなどできないのだ。


波流「いろいろ変わったね。」


美月「そうね。」


波流「4月からすると考えられないくらい変わった。」


美月「ご飯のことも含めて、いろいろと。」


波流「びっくりだよ。」


美月「まず、敬語がなくなったわよね。」


波流「私たちの間柄だとそうだね。先輩後輩っていうよりも友達って感じが強くなったなーって思う!」


美月「ふふ、私もよ。」


波流「水族館だっていったし、この山の奥でピクニックもしたよね。」


美月「またしたいわね。」


波流「うん。いろんなことしよう。」


美月「勿論よ。それからー」


刹那、びゅうと強く風が吹いた。

スマホは秘密基地を照らしていたものの

そこに集る虫たちは風に一蹴され、

瞬く間に姿を消した。


美月「…信頼できる人が近くにいてくれるようになったわ。」


ふと横にいる波流を見てみれば、

彼女はこちらをみることなく

前を、秘密基地を見続けるのみだった。

きっとこれが彼女と私の違いだと

感じずにはいられなかった。

それでも、波流の声色は優しくて。


波流「私の台詞だよ。」


美月「…お互い様ね。」


波流「うん。ありがとう、美月ちゃん。」


美月「こちらこそ。…これからもよろしくお願いするわね。」


波流「任せて。」


その時になって漸く

私の瞳へと視線を合わせ、

にっこりと儚く笑うのだった。

何を感じているのか1から10まで

分かりっこないけれど、

私たちはこれからも

現実を見続けるのだろうというのは

安易に想像がついた。


波流「そういえばさ。」


美月「何かしら。」


波流「三門さんとは話せた?」


美月「いえ、まだ。」


波流「そう…。」


美月「波流はここが何の場所か知っているの?」


波流「え?美月ちゃんと…後三門さんの知ってる場所…くらい。」


美月「そうよね。昔のこと、話してなかったかしら。」


波流「聞いてないね。」


美月「…聞きたい?」


波流「え、私次第かぁ。」


美月「任せるわ。」


波流「うーん…。今日は遅いしまた今度にしよう。」


美月「そうね。」


波流「それに、今すぐじゃなくてもいいかなって。」


美月「すぐじゃなくても…。」


波流「そう。それこそ、三門さんと美月ちゃんの間に何かがあるなら、それを解決してからでもいいのかなって。」


美月「…。」


波流「辛そうな顔して話すくらいなら、多分後の方がいいんだと思うな。」


波流は変わらず、

意見をまっすぐと伝えてくれた。

私が迷う時はいつも手を差し伸べてくれた。

これまで1人で悩み

答えを出すことが普通だった私には

とても新鮮なことが続いている。


これからも背を預け過ぎず、

適当な距離を置いて

この関係が続けばいい。


美月「分かったわ。いつかはちゃんと話すから。」


波流「うん。待ってるね。」


私たちは、まるで夢のような体験をした。

そして、今も尚夢のような体験は続いている。

それは紛れもなく現実という夢だった。


私たちは転ばないよう

赤子の肌に触れるように手を取り

裏山を、秘密基地を後にした。

不意に振り返ってみれば、

そこには真っ暗な山道があるのみ。

私と波流はこうやって

闇の中から出てきたのだ。


ふと顔を上げれば、月がちらと見えた。

安易な言葉だが、

とても美しい月だった。

波のように流るる雲に押しやられて

すぐに見えなくなってしまったけれど。

それでも、一瞬のみでも対峙できたことは

素直に嬉しいと感じた。

もう、朝に眠ることはないだろう。


夜に1人、夢を見るために眠るのだ。









朝に眠る 終

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