選ぶということ
私の1日は決まって朝から始まった。
何がなんでも朝から始めたかった。
あの空白ともいてるだろう
家出をしていた3日間は
朝に眠り夜に起きることも
あったと記憶している。
もう夜に起きるのは懲り懲りだ。
大好きな朝に眠り
朝日を浴びることなく
夜の軌道へと向かうのは
喪失感で溢れているから。
美月「…。」
からり。
近くで氷が鳴る。
そろそろ夏と言っても
過言ではない季節になってきた。
カレンダーももうそろそろ
捲らなければならない。
部屋に持ち寄ってきた
氷の浮き沈みするコップは
最も簡単に結露してしまい、
コースターをしっとりと濡らすのだった。
ゆっくりなっているのではないかと
錯覚してしまうような時計の音。
それもいつしか聞こえなくなってゆく。
本の世界に潜り込んでしまえば
大抵の音など気にならなくなってゆく。
時折意識の海面へと
顔を出して呼吸した時、
一斉に外の世界の音が流れ込んでくるのだ。
その時は大抵、今私は違う世界にいたのだと
強く思うのだった。
今日は悠真の友達が遊びにくるらしい。
家で集まってゲームをするのだとか。
まるで一昔前のようだと思う。
一昔前では皆DSを持ち寄ったり
Wiiのある家庭に遊びに行ったりして
みんなで集まってゲームをするという
ことが普通だった。
現に私が小学生低学年の時に
そのように集まって遊んでいた気がする。
けれど、人数制限があるせいで
結局は鬼ごっことか
大人数で出来るものを
することが多かったのだけれど。
昨今ではネットでのゲーム等
オンライン化が進んでいる。
その中で、少しばかり過去が
垣間見えるのは、
風情のあることだとしんみりする。
美月「…あ。」
ふんわりと香る何かがある。
開いたままの窓の外を見てみれば、
ものすごい速さで横切る生き物。
きっと猫だろう。
その子が怪我でもしていたのだろうか、
甘い香りは波のように漂ってくるのだ。
美月「…やっぱり、そう簡単ではないわよね。」
そろそろ室温も上がってきていたことだし、と
腰を上げて窓を閉じた。
すると、これまでワルツを踊っていた
カーテン達は足を止めて、
その場で項垂れるように立ち止まってしまう。
それから、結露したままの水をそのままに、
キッチンへと向かって
真っ赤で新鮮な飲み物に
手を伸ばすのだった。
そういえば、先日樹に言われたのだっけ。
「お姉ちゃん、トマトジュース良く飲むね」
と。
その変化については
お手伝いさんをはじめ
悠真も不思議に感じているらしく、
何故かをそれとなく聞かれることも
多々あったのだ。
その全てを、今の自分の中でのブームなのだと
適当な理由で返していた。
それで納得がいったのだろう、
それ以降誰にも深く
踏み入れられることはなかった。
冷蔵庫内で冷やされた、
波流の血液が含まれているのだと
唱えながら飲むトマトジュース。
部屋の水とは違い、
結露する前に簡単に飲み切ってしまう。
喉を通りゆく酸味に
心地よさを覚えなければならない。
コップが空になるのを感じ
口を離してシンクへと運ぶ。
口まわりがべたべたしているのを
不意に感じて、鈍く反射する
シンクに自分を写した。
美月「………。」
そこには、口まわりをほのかに
鈍い赤で染めた私がいた。
紛れもなく私だ。
シンクはあまり綺麗に
反射してくれないせいか、
より濁って見えている。
美月「…これじゃあ、本当に化け物ね。」
口にしてみればなんと冷たいことだろう。
それでも私はここにいる。
化け物だろうとなんだろうと、
命を途絶えさせることなくここに立っている。
私はこんなところで
終わらせたくないのだ。
まだやりたいことがある。
やっていないことがある。
まだ読みたい本だってあるし
悠真と樹が大人になるまで
見守りたい気持ちだってある。
何より、歩ねえにまだ
直接ありがとうと言えていない。
改めてごめんなさいも言えていない。
美月「…大丈夫。」
現に症状は少しずつだが
治っているようにみえる。
実際は慣れてきているだとか、
順応してきているの間違いだろうけれど。
それでも今はこの状態が
快方に向かっているのだと
信じる他なかった。
口元を拭う。
あぁ。
まるで人を殺めた後、
思う存分血を吸った吸血鬼のようだ。
脳の隅で、そう思ったのだった。
***
悠真「ねーちゃーん、そろそろ来るらしいぜー。」
ひと通り午前中に
やる予定だったことを済ませて
大広間の簡単な掃除を
手伝っている時だった。
半袖短パンの悠真は
呑気にそう大声を放つ。
昔から声ばかり大きいものだから
一際目立っていたんだっけ。
運動会でもなんでも、
大体声を頼りに見つけていた。
美月「分かったわ。」
悠真「そういえばさぁ、今日来るみんなの中に、まなとってやつがいるんだよ。」
美月「そう。待って、今日は何人来るの?」
悠真「クラスのやつは3人だよ、俺入れて4人。」
美月「あら、そうなのね。」
悠真「まなとな、お姉ちゃん連れてくるっていってたぜ?」
美月「お姉さんがいるのね。」
悠真「おー。流石に俺らと一緒じゃ味気ないだろうしねーちゃん仲良くしてもらったらー?」
美月「悠真達と年が近いのなら一緒に遊んだほうがいいと思うけれど。」
悠真「いくつっつったっけなぁ。中3だっけ。」
美月「受験生なのね。」
悠真「確かなー。なんか、家が寺だって話をしたら広いか聞かれてさ、広いぜって返したらじゃあお姉ちゃん連れてってもいい?だって。」
美月「お姉さん思いなのね。」
悠真「シスコン?」
美月「こら、言葉はちゃんと選びなさい。」
悠真「あちゃー、すんませーん。」
悠真は反省している様子はなく、
気の抜けた声を出すと共に
あ、と声を上げた。
やることでも思い出したのかと
思ったけれど。
悠真「じゃあ俺勉強してくるわー。」
美月「いつもしてないでしょう。」
悠真「ひぇーこわいこわい。」
そう言って、余裕そうに
走り去っていったのだ。
そして聞こえるお手伝いさんの
軽い叱責の声。
悠真や樹が軽くながら暴れて
お手伝いさんやママ、私がそれとなく
注意をするというのも
いつも通りの光景だった。
美月「…ふふっ。」
いつも通りだ。
戻ってきたのだ。
不自由は多いながらに、漸く。
もう心配することも
少なくなってゆくだろうと
安堵していたのだ。
それから掃除の手伝いを続けたり
また読書に耽ったり、
少しばかりピアノを弾いた後のこと。
「お邪魔しまーす!」
と、元気な声がいくつかした。
それらの声が耳に届いて漸く、
ほっと胸を撫で下ろしたのだ。
何に緊張していたのかは分からない。
もしかすると、遊びに来てくれる
何人かのうちから
あの甘い香りがすることを
恐れていたのかもしれない。
けれど、そのようなことはなさそうで、
安心して玄関の方まで
足を運ぼうとした。
その表紙に悠真が
隣をものすごい速さで駆け抜けていく。
髪が風によって浮き、
泳いでいるように靡く。
それほど待ち遠しかったのだと
思わず笑みが溢れた。
幼き頃、悠真達を守るために
お姉ちゃんとして過ごせて
よかっただなんて思う始末。
勿論虐待を肯定しているわけではない。
ただ、私が弟達を守れて
よかったというだけの話。
私も足早に悠真の影を追った。
お姉さんが悠真達と遊ぶのかまでは
分からないけれど、
私と過ごす可能性も考えて
挨拶くらいしておいた方が
いいだろうと思ったのだ。
ひた、ひた。
靴下を履いているにもかかわらず
何故か氷を踏みつけているような
妙な冷たさを感じたのだ。
悠真「早く遊ぼーぜ!」
こんな声が聞こえてくる。
私が着く頃には男組は既に
靴を脱ぎ終えていて
部屋へと向かうところだった。
そこには1人のお手伝いさんもいて、
同行する様子。
それを悠真は鬱陶しそうにしていた。
思春期だし当然のことだろう、
けれど周りの少年達は
すごいすごいと口にしていたっけ。
お手伝いさんはそのまま
家の奥へと進み、
悠真の友達のお姉さんは
私が案内することにした。
ふと姿を捉えれば、
靴を脱いでいるらしく後ろ姿だった。
私のような夏らしいワンピースとは
また系統が違い、
白いロングTシャツに
黒いパンツを履いているという
なんとも動きやすそうな格好で。
後ろ姿からでも美人さんなのだろうなという
雰囲気を感じた。
そして身長は私よりも高く、
左右にお団子をー
°°°°°
お団子を左右にしていて、
そこから長くツインテールのように
髪の毛が垂れている。
私よりも随分と背が高く、
それをみるに花奏が想起された。
美人でスタイルがいい。
そんな簡易な言葉でいいのであれば、
この言葉を選ぶだろう。
°°°°°
美月「…っ!?」
「こんにち…」
美月「あなた…この前の。」
「…っ!」
透き通るような声だった。
けれど、その綺麗な顔には
今ばかりは恐怖とも言えるだろう表情を
貼り付けていた。
この前の、という言葉だけで
伝わっているあたり、
本人で間違いは無いと思う。
何よりこの特徴的な髪型だ。
忘れるはずがない。
あの一瞬の出来事が
今になってもありありと
脳裏に蘇らせることができたのだ。
°°°°°
女性が横を通った瞬間のこと。
理解するまでには
相当の時間が必要になったような気がした。
また、気がしただけなのかもしれないな。
美月「…っ!?」
刹那、首元に違和感が生じた。
どんなと問われれば、
虫が這っているかのような、
将又水滴がびっしりと
塗りたくられたような。
美月「…………ぁい゛……っ!?」
ぼうっとしてる間に、
突如、首元に激痛が走った。
びりりと痛む首。
電気が走ったようで、
その場で蹲りたくなるのを必死に抑え
私は声を押し殺した。
見知らぬ女性は何事もなかったように
私に足音も立てず近づいてきていた。
よりも高い身長の彼女は
ぬっと這い寄ってくるようで。
夜に溶けかけた女性の瞳には
どうやら朝や昼は宿っていなかった。
まるで腹の空いた獣のよう。
狙われている。
食われてしまう。
そんな印象まで抱いてしまう。
瞳が全てを物語っていた。
私に恨みを抱いている。
そのように見えてしまう。
---
美月「はゔっ!?」
気づけば女性は私のことを
被さるように覆い抱きしめて、
首元に口をつけているようだった。
じゅ、ぢゅ、と、吸っているような
奇妙で汚らしい音が聞こえる。
刹那、遊留先輩の顔が過ぎった。
吸血鬼ー。
美月「ぃや、嫌、離してっ!」
叫んでも誰も来ない。
それもそのはず。
この辺り一帯はこの時間帯になると
殆ど人は顔を出さない。
夜を恐れるように
朝に願いをかけるように、
逃げるようにいなくなる。
そう。
私とこの人以外、
今は夜に溶けかけていないのだ。
美月「助け…助けてっ!」
金切り声を上げる。
気持ち悪い。
気持ち悪い!
いくら女性だろうと急に
首元にかぶりつかれるのは
吐き気がしてたまらない。
助けて。
助けてー。
そう何度も心でも唱え
口にも出したがら必死に抵抗し、
延々と蹴ったり殴ったりを繰り返すも
全く効いていないのか、
ずっと首元を舐められた。
時に歯を立てていたのか、
びりりと背骨にまで
電気が流れる感覚がする。
何故だか過る言葉は死。
長束先輩ももしかしたらこうやってー
そんな予想が脳裏に浮かんだ瞬間、
ばっと女性は私を引き離した。
私はというと抵抗する意志は
少し前からなくなっており、
だらりと腕を垂れてぼんやりしていた。
どれほど時間が経ったのかわからない。
女性は私を突き放し、
そのせいで後ろに勢いよく飛んでしまい
盛大に尻餅をついた。
美月「った…!」
「…!」
女性は何を思ったのか知らないが、
顔を窺う余地もなく
私に背を向け走り去ってしまった。
背を追って走ることも
勿論出来たのだろうが、
安心のあまりか腰が抜けてしまい、
この場から動くことができなかった。
°°°°°
あの日以来、私の生活は
大きく変化してしまったのだ。
今ここで引っ叩いてやりたいくらいだったが、
握り拳を作ったままに
体の横に密着させた。
美月「……弟達と遊んでくる?」
「そんな雰囲気でもなさそうだしいいです。…それよりうちに話がありそうですし。」
美月「…そうね。」
「…。」
美月「…私の部屋でいいかしら。」
「どこでもいいです。」
美月「分かったわ。こっちよ。」
怒りのあまりか、
それとも年下だと分かっているからか、
敬語は自然と出てこなかった。
まるで相手を見下しているようにも
取れるかもしれない。
けれど、そのことまでを考えられるほど
私には余裕がなかった。
元凶だ。
元凶がいるのだ。
そこに。
真後ろに。
今度は何されるか分からない。
今度こそ何されるか分からない。
理性を働かせろ。
立場を忘れるな。
何度も言い聞かせたのち、
私の部屋までたどり着いた。
先に客ではあるそのお姉さんを通して
私が後から入る。
部屋には、お手伝いさんが
先程予めおいたのか、
早くもお菓子とお茶が出されている。
カーテンは開いており、
清々しい程の夏の日が差し込む。
冷房を入れているおかげで
汗だくになることはないものの、
背中をつうっと流れ落ちる
気味の悪いものがあった。
「…。」
美月「…。」
お互い口を開くことなく
座ることすらないままに
時間が過ぎていった。
少しして、とりあえず座るよう
促そうとした時だった。
「…運悪…。」
美月「…っ。」
まるで反省していないような口ぶり。
私を直視することもなく
延々と下を見続けるものだから
どうにもかちんときてしまって
彼女の胸ぐらを掴んだ。
私の方が身長は低いので
あまり圧はかかっていないだろうけれど、
それでも目を大きく見開いていた。
美月「あなたのせいで、私は大変な目に遭ったのよっ!」
「…うちのせいで?」
美月「そうよ。あなたが血を舐めたせいで、私の人生全部変わったのよ?」
「…そう言われても。」
美月「あの時、あの夜、切ってきたのはあなたでしょう。」
「……そうですけど。」
美月「けど、何。」
「…そうです。」
美月「そのせいで、私までその症状で苦しめられてるのよ。」
「…は?」
美月「は?じゃないわよ。とんでもない迷惑。」
「…。」
美月「あなたは責任が取れるの、ねぇ。」
ぐらりと胸ぐらを掴んだまま
さらに引っ張る。
真っ白なTシャツは
顔面を歪めていて、
着ている本人よりも苦しそうだった。
「……その症状っていうのは、血を舐めたくなるあれですか?」
美月「そうよ、それ以外何があるのかしら。」
「…。」
美月「あなたのせいで、私まで化け物になったのよ。分かる?」
「…分かりません。」
美月「…っ!…あなたねぇ」
「うちはこれまで何人かの人にやってきたけど、うつったなんて聞いたことないです。」
美月「その人と2度と会わなかっただけじゃないかしら。」
「…違う。会ってる。会ってます。」
美月「…なら、なんで私はこうも吸血鬼みたいな状態になってるのよ。」
「…。」
美月「…あなたのせいでしょう。」
「…知らないし、そんなこと言われても。」
美月「…。」
言葉だけ見てとれば
それ相応冷静に対処しているように
見えるかもしれないが、
実際は目を合わせることなんてしなければ
言葉尻は妙に冷たく、
まるで他人事だと割り切っているようで。
まるで。
まるで、自分には関係のないことだと
思っているようでならない。
許せない。
そう思っている時、
胸ぐらを掴んでいる手を
ぱっと払い除けられた。
それから皺のついた服を
ぴっと伸ばすのだった。
「あーあ、しわくちゃ。」
美月「…他人事ね。」
「はい、だって他人ですし。」
美月「……化け物。」
「…。」
美月「吸血鬼なんでしょう。」
「何言ってるんですか?」
美月「だって、そうじゃないと説明がつかないわ。私だって馬鹿なことを言っていることくらい分かってるわよ。」
「…吸血鬼、ね。」
美月「…。」
「うちはただ人の血を飲まずにはいられないだけですけど。」
美月「…吸血鬼みたいなものでしょう。」
「じゃあうちが今日ここまでこれたのはどう説明するんですか?」
美月「…それくらい、日傘でも差してきたのでしょうよ。」
「流れる水が苦手だとか、大蒜や十字架が苦手じゃないことはどう説明つけるんですか?」
美月「それは…。」
「…ほら、言えない。」
美月「…。」
「それなら、勝手にそっちが好血病を発症しただけのことですよね。」
美月「けれど、タイミングとしてあなたが原因なのよ。それ以外考えられない。」
「本当に考えられないんですか?」
美月「そうよ。その好血病がストレスや精神的な病気から発症するのだって調べたわ。当時の私には思い当たる節がなかった。」
「…。」
美月「…あなたがうつしたのよ。」
「…あーもう分かりました。吸血鬼ってことでいいですよ。」
その女性は投げやりにそう言って
お茶の置かれている机を挟み
窓側へと座ったのだ。
長い足を見るに、
まさにモデルのようだとは思う。
けれど、今はただの綺麗な女性ではなく、
憎むべき相手として映るのだ。
悠真の友達のお姉さんが
今の私の異常に対しての元凶だなんて
思っても見なかった。
このような再会などしたくなかった。
したとしても、私には
復讐をするということしか
頭に浮かばないだろうと分かっていたから。
しかし、出会ってしまった。
しかもゆっくりと
話せるような場所もある中で。
彼女は冷たいお茶をひと口すすり
ふぅ、と小さく息を吐いた。
「もしうちが吸血鬼だとして、何をしてほしいんですか?」
美月「それは、この症状を治すことに決まってるわよ。」
「それなら簡単じゃないですか。」
美月「え…?」
「うちが吸血鬼なら、うちを殺せば終わりですよ。元を殺せばいいじゃないですか。それで元通り。」
女性は中学3年生らしからぬ落ち着きを
持っているような気がした。
これでは私の方が
大人気ないと言える。
けれど、冷静さを保つことは
出来ないままだったのだ。
1度頭を冷やしてくるまでは
きっとこのままだろつ。
美月「殺すって…」
「あーでも、前科負いたくないですよね?」
美月「…。」
「うち、ちょうど死にたかったんで、死ねって言ってくれれば自殺しますよ。」
美月「はっ…?」
「それでどーですか。」
美月「…自分が何言ってるかわかってるのかしら。」
「勿論、うちの言葉なんで。」
美月「…。」
「それで死ねるなら清々しますよ。」
美月「…自分はともかくとして、家族に対して何も思わないの?」
「弟には思うところありますよ。けど、うちもう頑張ったし。」
美月「…。」
「死ねって、ひと言でいいんですよ。」
美月「…おかしいわ。狂ってる。」
「え?…あはは、幸せな人なんですねー。」
美月「…。」
「あれだ、リスカをするなんてあり得ない、親からもらった体なのにとかいうタイプの人だわ。」
美月「…。」
「幸せな人、本当に。」
その言葉ひとつひとつが
自分を卑下していること、
そして私を煽っていることは
意識せずとも伝わってきた。
彼女は指を少しばかりいじった後、
ちらと横目で見てこう言ったのだ。
そこばかりはどうにも
冬が宿っているような気がした。
「分かった。じゃあ来週の日曜にもう1回、うち1人でここにくるんでその時までに答え出してくださいよ。」
美月「…来週…。」
「そーです。殺すのか何もしないのか。」
美月「何もしないならどうなるのよ。」
「どーにもなりませんけど。これまで通りです。」
美月「…。」
「お互い報われることなく血を吸って生きるだけですよ。」
美月「…そう。」
「それか、お互いwin-winになる選択肢を取るか、そっちに任せます。」
美月「…。」
「……じゃ、うちは帰りますね。」
美月「待って。弟さんはどうするのよ。」
「用事できたって言って先帰るだけなんで。弟には勝手に帰ってきて貰えばいいだけですし。」
美月「…あなたねぇ…っ。」
「だってここにずっといたっていいことなじゃないですか、お互い。」
美月「…っ。」
「来週の答え、待ってますね。」
そう言い残し、
お茶を飲み切ることなく
そのまま私の部屋を後にした。
玄関とは反対方向に
足音が向かっていったかと思えば、
暫くして正規の方向へと鳴った。
きっと、弟さんにひと言
伝えにでもいったのだろうか。
家族思いなのかそうではないのか
まるではっきりしないけれど、
ひとつ、こればかりははっきりと分かる。
私のことなどどうでもいいということだ。
美月「…なんなのよ。」
不意に、波流との会話が
脳裏をよぎったのだ。
それは、吸血鬼について話した時のこと。
°°°°°
波流「ねねねね、吸血鬼って知ってる?」
美月「何ですか急に。」
波流「まずは答えてもらおうか。」
美月「馬鹿にしてますか?」
波流「いやぁ、違うんだこれが。」
美月「…まあ、勿論知ってはいますけれど。」
波流「その吸血鬼が学校に出るって噂があるの。」
美月「また変なことを言い出したかと思ったら。」
波流「ん?また?変なこと?」
美月「えぇ。」
波流「なかなかやりよるこの後輩。」
美月「それで、その吸血鬼がなんですか。学校に出るだけなんですか?」
波流「いやいや、まだ続きがあってね。」
美月「はぁ。」
波流「夜中まで学校に残ってると「血ぃ…血をくれ…」って声がするんだって。」
美月「そ、その辺りでやめにしましょうか。」
波流「えーなんでー。」
美月「怖いのは得意ではないんです。」
波流「これはあんまり怖くなくない?私もホラーは苦手だけどこれはいける。」
美月「私と先輩は同一人物じゃないんです。」
波流「そうだけど美月ちゃんならいける!…んでね」
美月「続けないでくださいよ…。」
---
波流「あと少しで全貌が!」
美月「……はいはい、好きに話してください。」
波流「やった!それでね、吸血鬼は若い女の人を狙って」
美月「やっぱり辞めましょうか。」
波流「えー。」
美月「というより、勝手に話を付け加えて怖いようにしてるでしょう?」
波流「あれ、バレた?」
美月「ばればれです。」
波流「でもでも、付け加えたって言っても少しだよ?最後の方だけ」
美月「もう知りません。」
波流「もーそんなぷりぷりしないでよー!」
美月「ふふ、してません。」
°°°°°
あの時は楽しかった。
何もなかったから。
何も困難なことがなかったから。
何も苦しくなかったから。
何も知らなかったから。
知らなかったから。
…。
今日は晴れだというのに、
脳裏ではまた雨が降り出した。
歩ねえの後ろ姿が浮かぶ。
一難去ってまた一難とは
まさにこのことなのだろう。
美月「…。」
吸血鬼だと仮定して彼女に自殺をさせ、
彼女は死に、私は元の生活に戻る。
トマトジュースを飲んで凌いだり、
波流から血をもらって生きたり、
ほのかに香る甘い匂いに
くらくらしたり、
自分を抑制して生きたりしなくて良くなる。
良くなるのかもしれない。
私は。
私は、念願である普通に
戻ることが出来る。
…。
…。
…。
普通に。
普通の人間に。
…。
…。
…。
重い選択肢を前に、
私は突っ立っていることしか出来なかった。
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