私の味方

じりりり、みー、みー。

遠くの雑木林から

季節外れとも言い難い1匹の蝉が

誰かを求めて鳴いている。

だが、他に返事を返すような蝉もおらず

1匹でわんわんと鳴いている。

泣いていると言っても過言ではないような

悲痛とも取れるその声は、

穏やかな風が吹くこの部屋まで届いていた。


朝。

先日の夜だって、一昨日の夜だって

私が眠ればすぐに消え失せ、

代わりに朝が出迎えてくれる。

そうやってまた、

何も変わらない1日が始まるのだ。

私はそれに則り朝に起きて夜に眠る。


美月「…暑い。」


森博嗣が著した本を閉じて

早めに開いておいたカーテンの先を眺む。

すると、レースカーテンを透かして

木々の生い茂る庭が目に入った。

草木はうんと背を伸ばして

我1番に日を受けようとしている。

その度に青さが深まるようで、

夏は近く梅雨なんて

過ぎ去ってしまったのではないかと思うほど。

見た目からして暑いとは

きっとこのことだろう。

昼間になれば更に日を真っ向に受け、

その表面を輝かせる。


夏、というと最近読了した

青の数学という本のタイトルが過ぎる。

あの夏の清涼感を文字のみで表すのだ。

まるで自分がその世界の中にいるかのような

臨場感を感じることができるあの文字達。

言葉には無限の力が隠されているのだと

何度も思い知らされる。

いい方にも悪い方にも

言葉は力を振りかざすことができるのだ。


時には人を支える言葉。

励ますような明るい言葉。

日向のように心地いい言葉。

胸に響く達観した言葉。


反面、人を見下す言葉。

蔑ろにするような濁った言葉。

鬱蒼とした森のように居心地の悪い言葉。

胸を貫く稚拙な言葉。


美月「…。」


私はこれまでの人生の中で、

どちらの言葉の比率が高いのだろうか。

それは誰にも測ることは出来ないだろう。

私だけがこれくらいだろうかと

推測することは出来る。

しかし、無意識のうちに吐かれた言葉等

自分が気づかないうちに

口にしてしまったものは

頭に残ることなんてほぼない。

何より、全ての話を、自分の言葉を

記憶しているだなんて

スーパーサイメシアでない限り

無理だと言っても差し支えない。


美月「…もしも…の話よね。」


ふぅ、とらしくもなく

細く長いため息をひとつ。


異変が起こってからは

ため息の数が増えている気がする。

気がする、というよりかは

ほぼ自覚している。

次々の過ぎ去るだけの日々に

波流が紛れ込むようになり、

今となっては2日に1回は

血を供給してもらう。

つい昨日にも波流に

血を流してもらった。

傷は完治する前に新しい傷が増え、

指先が綺麗に元通りへとなることはなかった。


異変に気づいたあたりでは

5日から1週間程は

我慢していたはずだ。

それが、今となっては2日。

2日。

…。


美月「もしも…毎日、ずっと血を吸わないといけなくなったなら。」


もし、そうなってしまったら。

そうなれば波流を頼ることはもうよそう。

それから1人で生きていけるようにしよう。

そうなってしまわずとも、

今のうちからすればいいことを。


準備を始めなきゃならない時間までは

まだ余裕があるために、

吸血鬼について調べてみる。

吸血鬼は夜に生きる存在で

血を吸い栄養源とするだとか、

大蒜や流水、日光が苦手だとか

眷属を作るだとか様々。

それらは生きている間に

1度は聞いたことのあるようなものばかりで

正直あまり参考にはならない。

何故なら、私が当てはまるのは

吸血欲があることのみなのだから。


スマホで調べる中、

1度は通り過ぎた文字の中で

ふと目に止まったのものを指でなぞった。


美月「…眷属…?」


吸血鬼が他者に

対して吸血を行った際、

相手を従わせることが出来るといった

ニュアンスだったはずだ。

見ているサイトには眷属について

然程詳しくは書かれていないかったが、

記憶を辿りそのような結論に至る。


そう考えると1ヶ月ほど前、

夜に出会った女性は吸血鬼であり、

私は眷属になってしまった

…だなんて考えるのが

妥当なのだろうか。

フィクションとも捉えられる話に対して

妥当という言葉を使うのは

何だか違っている感覚がするが。

吸血鬼が吸血すると眷属に…。


美月「…!」


ふと、思いついてしまったのだ。

今の私が吸血鬼であるとする。

そしたら波流にも

この吸血衝動の影響が出ていたって

おかしくないのではないだろうか。


夏だからだろうか。

朝日のせいだろうか。

ぶわっと背中から首元、掌まで

気持ちの悪い汗が噴き出した。

私はまた誰かを

平和でなく安全でないあちら側へ

押しやってしまったのか?

今となっては私もあちら側の

1人ではあるのだろうけれど。


…そう考えれば。

私は元よりあちら側にいて、

近づき親しくしたいと思う人皆を

引き摺り込んでいるようにも

捉えられるのではないか。


美月「………。」


数日間、数十日間に渡る

この異常現象に対して

心底疲れ切っていたのだろう。

頭を抱え、そのまま上げることなく

時が過ぎ去るのを待った。

何も考えたくない。

何もしていたくない。


あぁ。

夢描いていた本のような世界が

現実になったっていいことなどなかった。

虚構は虚構と知っているからこそ

面白いと思えるのだ。

柵の外から眺めているだけでいいのだから。


ゆっくりと頭を上げ、

やはり現実に向き合わなければと

自信を奮い立たせ

再度スマホに向かった。


吸血欲にのみ絞って

再度検索をかけてみる。

何が正解か分からない以上、

むやみやたらに調べるしか方法はない。

きっと、それしか。

不安を抱きながらだんだんと

熱を帯び始めたスマホを手に

情報の海から探し物を見つけようと

躍起になっている。


もしこのままだったら。

ずっとこのまま生きていかなければ

ならないのだったら。

学校はいけなくなるのだろうか。

社会に出れるのだろうか。

何にも縛られずに趣味を

楽しむことは出来るのだろうか。

…。

…本当に、1人で生きていけるのだろうか。

波流の行為を突っぱねることが

出来るのだろうか…?


思考は留まるところを知らず

巡り続けたのち、見つけた文字列があった。

それはなんとも淡白で。


美月「…吸血病…ヴァンパイアフィリア?」


見たことのない病気の名前と共に、

吸血鬼を仄めかすような単語が

ずらりと並んでいることが窺える。

ヴァンパイアフィリアとは、

人か動物か問わずに血液を好み

接種したくなるという

症状を持つ病気のことらしい。

自傷行為として自分の血液を

口にするものもいれば、

他人から血液を貰うという人もいるのだとか。


症状が進行すると、自傷行為タイプの人は

自分の血液だけでは飢えを感じ始め、

犯罪に手を染めてしまう人もいるらしい。

現に、ヴァンパイアフィリアとみられる

症状を持った人が殺人をしてしまう等の

記事も探せば出てきた。

この症状は心の病からくるもののようで、

安定剤を処方してもらうか

カウンセラーに通うことが大前提。

酒、タバコといった類の

依存症に似ており、

禁酒のような形で断絶することが

必要となってくる。

そうしなければ。


美月「…社会復帰は難しい……。」


最後の一文に目を通し切って

ぱっと顔を上げると、

そこはもう浅い朝ではなく

背丈の伸び始めた朝がそこにいた。

目の前に立っていた。

影は段々と濃く色づきだし、

そろそろ準備を始める時間ではないのかと

時計を始め様々なものが急かしてくる。


まさにこれだと思った。

異変が起こる前に何か

普段だと思うことはなかったと

記憶しているのだが、

それでもどこか負荷がかかっていたのだろう。

その結果、夜女性に会ったあの日付近で

偶々ヴァンパイアフィリアに

なってしまったのだ。

…。

…と、わかった気にはなったが

どうもしっくり来なかった。

そんな偶然があるだろうか。


否、反対なのかも知れない。

あの女性との出来事が

私の元々かかって負荷をさらに重くし

とどめを刺した。

そして、女性の行動が吸血鬼のようで、

それが深く印象に残り

私も同じような症状が出てしまった。

…。

…とでも言えばいいのだろうか。


美月「…他人からもらうタイプと…自分で補給するタイプがあるのね。」


いつも波流からもらう血は

つい先程まで体内で巡り続け

守られていたものだからか

随分と新鮮で美味しく感じた。

血を美味しいだなんて感じる時点で

相当頭がおかしくなって

しまっているのは自覚している。


自分で完結することができたなら。

そう考え、いつだか波流に貸した

カッターを机の引き出しから取り出す。

机が木のものだからか

ふんわりと檜っぽい香りが漂う。

カッターからも染み付いた

木材の色が、香りが滲んでいる。


美月「…っ。」


椅子に座り、そっと、

そうっと刃を空気に触れさせる。

かち、かちとひと言ずつ

私に挨拶をしてくれる。

音ひとつさえ立てないように

指に沿わせると、

なんとも言えない恐怖が

背筋をすうっと登っているのか

降っているのかどちらかまでは

区別はつかないものの違和感を感じた。


そうか。

これが。





°°°°°





波流「…結構怖いや。ちょっとだけ待って、すぐもっかいやるね。」


美月「しなくてもいいんです。」


波流「ううん、これは美月ちゃんのためでもあるけど、私のためでもあるっていうか。」


美月「先輩の?」


波流「そう。私が現状を知っておきたいなって思ってるだけだよ。」


美月「…。」


波流「私のわがまま。」





°°°°°





美月「…これが、波流の感じていたことなのね。」


実感した。

体感してようやく分かった。


波流の手が微かに震えていたこと。

怖いに決まっていた。

普段自分を傷つける習慣がない私には

平然と指を切るだなんて

出来るわけがなかったのだ。


…。

…私はまた、自分のことを優先して

人の気持ちを見落としていたのだ。

私は。


カッターをぐっと握りしめ

自分が出来る限りの加減をして

刃を指に沈めた。


美月「いだっ…!」


反射的に手を離し

カッターはからりからりと部屋に転がった。

思っているよりも深く切ってしまったらしく

時間をおかずに血が流れ出した。

そうっと近づけて、

はしたないが舌を少しばかり伸ばし

切り傷の出来た指を舐める。


美月「……まずい…。」


ぺっぺ、と吐き出したくなるほど

ただの鉄分の味しかしない。

指先を洗っていなかったことが

ふと脳裏に過る。

指を舐めた時特有の

つーんとするような感覚の方が強く、

美味しいだなんて全く思えない。


血は思っているよりもたらたらと

流れ出していた。

舐めたせいでじわっと滲み、

その影響で垂れ出している。

その場からすぐに立ち上がり、

カッターを回収したのちに

ティッシュを1枚、

傷口にあてがった。

ティッシュと肌がくっついてしまう前に

ぱっと離してやる。

そう。

くっついて依存してしまう前に。


私は。

私は、思っている以上に

深刻な状態なのだと気づいたのだ。

自分ばかり良ければそれでいい。

そんな方向ばかりを。

波流に甘やかされていたのもあるだろうけれど

それを断りきれなかったのは

無論、私の弱さだ。


私は。

私は。


体感して実感して

漸く気づくのだ。

いつも気づいた時には

大概が過ぎ去ってしまった後だと知らず。





***





美月「はぁ…はぁっ…。」


気づけば外を走っている。

朝、あれだけゆっくり準備を始めたのだ。

母親からは「今日部活はないのか」と

問われたほどだ。

ふと時計をみれば後数十分で

家を出なければ

間に合わない時間へとなっており、

慌てて家を出たはいいものの

走らなければ間に合いそうにない。

間に合うようにと、

1分でも1秒でも早くと願いながら

上がる心拍数を深呼吸をして押さえつけ、

信号や電車で止まり、

止まってはまた走るのだ。


美月「はっ…はっ…あぅ…!」


どうして部活前に走らなければならないのか。

これから嫌になるほど走るではないか。


自分の時間管理能力の過ちを恨み

一生懸命に足をただただ動かし続ける。

日差しが刺すように降るものだから

喉や顎を伝って汗が滴る。

滴ったのが分かってしまう。


美月「あぁもう、最悪。」


愚痴をひとつコンクリートへと

吸わせてやるのだ。

あぁ。

私が無意識のうちに織りなす言葉は

時には人を支えるだとか

励ますような明るいだとか、

日向のように心地いいだとか

胸に響く達観しただとかいう言葉でなく、

人を不快にさせるような言葉なのだろうな。


学校についたはいいものの

ぎりぎりという言葉を

最大限に引き出している。

そのような時間だった。

ばてながらも走り続け、

よたよたとした足取りで

更衣室まで漸くの思い出たどり着く。

すると、1人の影。

他に部員は見当たらず

既に体育館へと足を運んだようで。


あみか「あ、美月ちゃんおはよー。」


美月「お…おはよう。」


あみか「どうしたの、すごく疲れてるー。」


美月「…家を出るのが…遅…れたのよ。」


あみか「やばいじゃん。今から部活だよ、大丈夫?」


美月「既に…走ってきたのにまた…走ると思うと億劫ね…。」


あみか「ちゃんと飲み物飲んどいた方がいいよ!」


美月「そうね…そうするわ。」


あみか「熱中症注意しなきゃだからね。」


部内でよく話す彼女は

生憎苗字は忘れてしまったがあみかという

名前であることは確と覚えている。

1週間ほど前に一緒に帰ると言いながら

中途波流と出会い

約束を流してしまったあの出来事など

毛頭覚えていないようにそう言った。

内心は煮えるような怒りだって

抱いているのかもしれないが、

表面上は全くそうと捉えられない。

どことなく陽奈に似ているような

雰囲気を持つあみかは

私が着替え終わるまで待っててくれるようで

スマホをいじりながら話をしていた。

話をする余裕などないのだが、

簡単な言葉だけを交わして。


美月「ごめんなさい、待たせてしまって。」


あみか「だいじょーぶ。後1分ある。」


美月「1分しかないじゃない!急ぎましょう。」


あみか「せっかちだなぁ。」


美月「間に合わないかもしれないじゃない。」


あみか「間に合えばいいんだよ!」


美月「もう!」


焦っている時は大抵

2種類に分かれる。

怒りか、呆れて笑うか。

今は明らかに後者だった。

その後もにへらと笑っていれば、

私もそれに釣られて

口角を少しばかり上げてしまった。

時間がないというにも関わらず

こうもゆったりとした時間の流れを

持つ人と共にいると

不思議と心に余裕が出てくるのだ。

だが、時間がないことは事実。

自身にそのことを暗示し、

もう動かないかと思われた足を

意地で動かした。


美月「…?」


あみか「あ、みんないる?」


美月「えぇ、先生もいるわ。」


あみか「やば、遅れちゃった?」


美月「時間通りだと思うけれど」


あみか「5分前行動しろとか言われちゃうね。」


普段、部活開始時間に

顧問の先生がいることは少ない。

何なら初めての事態だ。

流石にいつもと違う空気を察知したのか

隣からも息を呑むような音が聞こえた。


「遅い。」


体育館の前方から

私達の指導をしてくれる

顧問の先生が通る声を飛ばす。

そんなに長い時間

体育館の出入り口で

時間が経ってしまっていたのだろうか。

他の部員達は既に並んでいて

数人肩で息をしていた。

他の部員もたった今そろったばかりのよう。

それだけ皆も急いだらしい。

私もその中の1人だった。


あみか「すいません!」


美月「すみません。」


先に聞こえた声に続けて

私も同じ言葉を繰り返す。

すると顧問の先生は

早く並びなさいと言って

部員達の列を指した。


からから。

何の音だろうか。

体育館の扉が開いた音?

ラケットがぶつかり合った音?

喉奥が空いた音?

それとも心が渇いた音?


荷物を持ったまま列に加わる。

ぴりぴりしている。

…それは空気感で分かった。


「これ、どういう事。」


顧問の先生が声を上げる。

そして手に何かを持って

後ろの方にも見えるように

持ち上げていた。

…白い屑。

それがたくさん入った籠。

籠の中からその屑を取り出して

みんなに見えるよう掲げる。

ぐしゃぐしゃになりながらも

芯のようなものがあったのか

不気味にかくかく曲がっていて…

……もしかして…シャトル?


「誰、こんなことをしたのは。」


声色が違う。

明らかに怒りを露わにしてあると

誰でもわかる程。

それもそのはず。

部費を集めて買ったシャトルの山。

時には知り合いから譲り受け

練習で使用しているものもあっただろう。

シャトルは決して安いものではない。

そう、耳にしたことがある。

練習ではいつも多量の、

塵の山とも思えるような

使い古した数多のシャトルを使っていた。

元よりぼろぼろだったといえばそうだが、

とはいえまだ使えたものばかりのはずだ。

それを、誰がこんな。





°°°°°




「えー、遊留はないっしょ。」


「まじ?ありそうって思ったんだけど。」


「だってあんなへらへらしてるやつ先生は選ばなくね。」


「あはは、ガチ診断始めてんじゃん。」


「清川はいい犬になるだろうけど遊留はへらへらしてるし表面上って感じだから先生にも不評っしょ。」


「清川先輩もだけどバドミントン本気でやろうって感じなくねー?」


「それうちら。」


「あっはっはっは。」


「でもマジでなくない?」


「それ分かるわ。今の部長も顧問に言われてやってるだけっしょ。」


「それか伝統とか言ってしょうもないもん引き継いでるか。」


「伝統とかほんと怠いわ。」


「遊留だと伝統引き継ぎそうじゃね?簡単に流されそう。」


「あー芯なさそうだよなー。」


「そーそー。だから」





°°°°°





何故だか、ふと浮かんだのは

先輩たちの悪口を言うことで

盛り上がっていたあの4人組だった。

偏見だとは分かっているけれど、

1番やりそうだと勝手に決めつけていた。

決めつけは良くない。

そう、心の中を落ち着ける。


「雛。」


…。

名前。

…あ、そっか。

唐突に呼ばれはっとする。

先生の話を聞いているつもりが、

疲れのあまりか耳に入っていなかったらしい。

ぼうっとしてしまうなんて

なんだからしくない。

私らしくない。


美月「はい。」


「シャトルをぼろぼろにしたのは雛だって言う人がいるんだけど?」


美月「えっ…?」


ふと。

唐突に現実に戻されたような。

あちら側やこちら側でもなく、

ただただ真下に引き摺り下ろされる。

その間に膝や頬などを

コンクリートの床で擦りむく。

傷に小石が挟まって

更に鈍痛は加速して。

そんな感覚が一瞬で背筋を駆け巡る。


してない。

私はそんなことしてない。

していない。

なのに何人か言ってると。

こそこそと、

斜め前で人が動いていた。

耳打ちをしているらしい。

多分、例の…

…陰口を言っていた4人組だ。

私のことをよく思ってない人ら、

面白くないと感じている人らだ。

今、この現状を見て

きっとほくそ笑んでいるのだ。


「雛さん、昨日の部活終わってから結構経って体育館倉庫に行ってるのが見えたんです。」


「私達、担任の先生を探して校舎を回ってたら雛さんの姿があって!」


昨日、部活が終わった後は

すぐさま帰路についた。

倉庫には行ってない。

しかし、先日は習い事のために

先に1人で帰ってしまった。


言葉は人を傷つける。

こういうことかと身をもって体感している。

今日はそんなことばかりだ。

実感することが多い日だ。

他人の声など、悪口など

自分に向けられるものであれば

全て流してしまえばいい。

けれど内側からの、

過去の記憶から出る声は

どうしても塞ぎようがない。





°°°°°





「あはは、びちゃびちゃだー!」


「なんでこんなことするの…?」


「だって楽しそ」





°°°°°





「なーんか戻ってくるのが遅いなーって思って覗いたらシャトルを…。」


4人組がそれぞれ都合のいいように

口に出しては止まらない。

それに乗じてか否か、

何人かの先輩はこちらをちらと見てくる。

隣にいた、ついさっきまで

一緒に体育館へと足を運んだあみかも

その集団の1人となっていた。

横目でその子を見ると

ばちっと目が合うのがわかった。

その子は先生の言うことが信じられないようで、

心配の視線を私に向けている。

心配か、それもと疑惑か。


ざっと見回したのち、

再度先生へと視線を合わせる。


冤罪だ。

あの4人組が私のことが気に入らず、

貶めたくてやったんだ。

分かっていた。

あからさますぎる。

悪質。


歯軋りによって変な音が口内を飛び回って

反吐が出そうになる。


あからさますぎる。

悪質。

それは…私だってそうだったではないか。

小学生の頃の私だって

同じではなかったか。


「雛がやったのか?」


圧を感じた。

先生からのもそう、

私を貶めたい人からのもそう。

あと、本当にそうなのかと

蔑んだ目で見やる先輩や

他の部員のもそう。

きっと前の方にいる波流の姿は

誰かの影に隠れてしまっているのだろう、

探し出すことは出来なかった。

何故、このタイミングで

波流を探したくなったのだろう。

邪念を払って先生に届くよう、

声に芯を持たせて放つのだ。


美月「やってません。」


人と対立すると面倒は起きる。

ましてやタチの悪い連中とかだと

尚面倒な目に遭わされる。

それでも自分の中の正義を、

正しさを曲げることは出来なかった。

それが、私にできることだった。

償いだ。

誰に知られるわけでもなく、

ただただ自分に許されるための…

…過去のあなたに、今のあなたに

許されてもらうためだけの。


水分が足りないのだろうか。

何かで殴られたような頭痛が

一瞬だけ通り過ぎていった。

がんがんしてて、ふらつきそうだったけれど、

一瞬だったがために助かった。

ストレス、だろうか。

ふと、ヴァンパイアフィリアになってしまう

原因のことが過ぎってゆく。

心の病だと言ったか。

このようなストレスが、

塵のようなストレスが、

償いをと考えること自体が

もしかしたら枷になっていたのかもしれないな。


じりじり。

体育館の中なのに焼けるような感覚が

頭から、手から、足から。


私はおかしかった。

ずっと前からおかしかった。

おかしかったのかもしれない。

何か、触れたくないことに

気づいてしまったような気がした。


それからはあんまり覚えてない。

今は人の声を聞きたくなかった。

一気に何か、意欲とも言い難い何かが

削がれてしまったのだ。


顧問に呼び出されて、

確か一対一で話したんだっけ。

本当に私がやったのか、

とか何だのああだの。

話が終わる頃、

いつの間にか部活終了の時間になっていた。

今日は本来ならば1日中練習がある予定が

シャトルがないために

短縮せざるを得なかったのだ。

私1人に対して向こうは4人組。

顧問の先生だって

全ての人間関係を把握しているわけではない。

数的に向こうのほうが信憑性があるのは

分かっていた。


ならば。

冤罪だろうが認めてしまうほうが、

認めて諦めてしまうほうが

簡単なように思えてしまった。

だが、やっていないことは事実。

それを最も簡単に折ってしまっては

これまでの私が可哀想ではないか。

これまでの私を裏切るのは

いつだって私だけだから。


結局部活をすることがないまま

顧問の先生からは言葉を羅列され、

その殆どを流した。

中途、私のことを目撃したなどと

口にしていた4人を呼び出し

話を聞く等もしていたけれど、

どうも向こうは折れる気がないらしい。

私に対してどうしても

嫌がらせをしたいよう。

それを無視することしか、

そのことがなかったように過ごすしか

今はするべきではないと思った。

やり返すことだって出来たが、

今はそれ以上に悩ましいことがある。

吸血欲についてだ。

こちらは放っておいても治らなさそうだが、

この騒動は放っていた方が鎮まる。

そう読んでいたのだ。


私が部室に戻って

帰る用意をしようとすると

明らかに気まずい雰囲気が流れた。

私がやったと信じて止まない人は

当たり前だが一定数いるようだ。

それもそのはず。

あくまで部外者。

ならばどちらが正しいことを言っているか

分かりづらいに決まっている。

そこには既に波流の姿はなく。


あみか「あ、美月ちゃん美月ちゃん。」


美月「何かしら。」


あみか「大丈夫だった?」


美月「大丈夫ではないわね。」


あみか「そっか…。」


美月「いくらやってないって言ってもなかなかね。人数差もあるからじゃないかしら。」


あみか「先生は見る目がないんだよ。」


美月「公正な立場で見ようとしているのは伝わってくるわ。」


あみか「だからって圧迫面接みたいなことは良くないよね。」


美月「…まぁ、正直少しくるものがあるわね。」


冷や汗しか吸わなかった体育着を脱ぎ、

そそくさと退出の準備をする。

体育館には波流の姿がなかったため、

もう既にここから去っていることだろう。

何故だか、今だけは無性に

波流の背中を追いたかったのだ。

だが、今から追ったって会える保証はなく、

そもそもどこにいるのか

わからないと言ってしまえば

分からないのだから。


あみか「すぐ帰る?」


美月「えぇ。そうするわ。」


あみか「1人で帰るの?」


美月「そうね、多分。途中で人と会えばその人と帰るわ。」


あみか「そかそか。分かった。じゃあ気をつけてね。」


美月「えぇ。じゃあね。」


あみかは良くも悪くもだが、

信じているとも信じていないとも

口にすることはなかった。

中立だ。

そう。

信頼関係とはそのようなもの。

寄りかかり過ぎたって

ある時に期待している反応がなければ

裏切られただなんて妄言を吐く。

そんな都合のいい人間にはなりたくない。

そう思ってはいたものの

実際好みになってみれば、

ひと言くらい言ってほしかっただなんて

欲がじわじわと湧いてきてしまう。


「美月ちゃんがやったんじゃないよね。」

「大丈夫だよ。」


たったひと言でいい。

私のこの努力を認めてくれる人が

いて欲しかったのかもしれない。

自分が自分のことを信じてあげるのは大前提、

その次に誰かに認めてもらいたかった。

私の頑張りを。

1人で戦った現状を。

誰かに認めてもらいたかったのだ。


全部全部もう時間の溝へ。

覚えていない、知らない。

知らない。

そう投げ出せてしまえば楽だった。

だけれど私は立ち向かうことを選んだのだ。


帰路を1人で辿ろうと

校門のある方向へ進む。

昨日とは随分と違った心地だ。

ふと、見覚えのある影が

立ち止まっていることに気がついた。

まるで数日前のようだ。

酷似している。

私はと言うと、その影の前で

立ち止まらなかったのだ。


波流「…!…美月ちゃんっ!」


通り過ぎようとした時だ。

何度目だろう、また手首を引かれた。

この感覚。

腕が張ってぴりぴりして

なのに安心して、

なのに苦しいこの握力。

私は天邪鬼なのだろう。

波流を探していたのに

彼女を無視しようとするなんて。


波流「待って…!」


美月「…。」


波流「えっと…」


美月「離して。」


波流「嫌だ。」


美月「逃げなんてしないわよ。痛いの。」


波流「え、あ、あぁ…ごめん。」


すると弱々しくぱっと手を離し、

その手は行き場をなくしたからか

数秒空を彷徨って

それから鞄の肩ベルトへと戻っていった。

数日前もここで話したな。

波流といると想起されるのは

楽しみものから苦いものまで様々で。





°°°°°





美月「…聞いてたの?」


波流「偶々聞こえてきちゃって。」


美月「本当に偶々なの?」


波流「あー…美月ちゃん遅いなーって思って倉庫に行ったらばったり。」


美月「…私が早く戻ってたらよかったわね。」


波流「ん、そう?私は美月ちゃんがガツンと言ってくれて嬉しかったし、私の同い年のみんなも嬉しかったと思うよ。」


美月「…私はただ許せなかっただけよ。」


波流「優しいんだね。」


美月「そんなものじゃないわ。」


波流「そう?」


美月「えぇ。ただ自分の中にある正義を、正しさを曲げることが出来ないだけ。」


波流「それって1番かっこいいじゃん!」


美月「思ってもみない発想だわ。」


波流「えー。でもでも!私は美月ちゃんが味方してくれたって感じれてめっちゃ嬉しかった!」





°°°°°





波流「…美月ちゃんはやってないって私信じてるから。」


美月「…。」


波流「あんなの気にしないで。顧問の先生にも私から弁解しておく。」


美月「…。」


波流「だから大丈夫。」


美月「…ふふっ。」


波流「あ、何笑ってるの。」


美月「頼もしいなって思っただけよ。」


波流「ほんと?」


美月「えぇ、本当。さ、帰りましょう。」


波流は真っ直ぐだ。

認めたくはないけれど、

きっと私よりも真っ直ぐ。

それに嫉妬する間も無く

尊敬の意が湧いてきたのは

きっと、きっと波流だから。


波流「待って待って。」


美月「何よ。」


声を弾ませた割には足取りは

そう軽そうになく、

なよなよとしているようにも見えるだろう。

それははにかんでいるようにも見えた。

物事は様々な側面によってできていた。


足を止めて波流の方を向くと、

何か意を結したのか

私の目を見てこう言った。


波流「私は美月ちゃんの味方だから。」

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