日常と化して

きらきらと光るような学校生活。

そうなるはずだ、否、そうしようと

意気込んでいた4、5月もすぎ、

志気さえ湿気ってしまいそうな

6月が地面から空にかけて

全てを占めていた。


つい先日までゴールデンウィークでも

部活があるどうこうと

口にしていたはずだが、

時間は無情にも待ってはくれない。

当たり前だ。

時間だけは後ろを向くということを

教わらずに今の今まで生きてきたのだから。


4月から既に2ヶ月経た。

そりゃあ波流や嶋原先輩とも

絆が深まっていくわけだ。

ただの他人、赤の他人だった

4月とは訳が違う。

もう6月なのだ。

もう、他人ではないのだろう。

その証拠とも言わんばかりのタイミングで

ちらと教室の隅に影を見た。

気づきすかさず

私はその影へと足速に近寄ると、

相変わらずの笑顔で私に言葉をかけたのだ。


波流「やっほー、美月ちゃん。」


美月「波流、おはよう。」


波流「えへへぇ?もう昼だよ。」


美月「挨拶よ挨拶。」


波流「確かにそれは大事…おはよう!」


くすりと笑ったのが伝わったのか、

波流は目尻を下げて

姉のように微笑んでいて。

波流は変わらず

夏服に薄いセーターを着ていた。

教室内ではクーラーが効いている為に

セーターがなければ鳥肌が立ってしまうだろう。

そこでやっと、ここは共有されている

場所なのだと実感する。

共同生活をする中で

我儘ばかりが通るわけではない。

そのひとつとしてクーラーが

挙げられたのだ。

他にも幾つか挙げられるだろう。

秩序を乱さない為の制限が。

ただ、別に今でなくてもいいじゃないかと思い

頭をからにして波流に視線を向けた。


波流「あっついよねー。」


美月「そうね。でも教室内は結構冷えるわね。」


波流「だよねぇ。ここの教室寒くない?」


美月「やっぱりそう?」


波流「うん。私のとこよりも幾分も寒い。」


美月「それは冷えるに決まってるわよね。」


波流「あはは、だねー。」


美月「そういえば…急に来たりして何か用事かしら。部活のこと?」


波流「あぁ、それなんだけどね。」


美月「…?」


波流は歯切れ悪そうに

視線を逸らしながらそう言った。

波流が目線を逸らすのは

珍しいだなんて思ったが、

よくよく考えてみれば

言いづらそうな時は自然と

視線が逸れていたような気がする。

私が相手の目を食うかの如く

凝視しながら話すものだから、

そう言った変化に気付きやすいのだろう。

だから、陽奈と話す時彼女の目が

うろうろと歩き回っているのを

知っているのだ。


ふと寒いだなんて思ったのか

軽く自分の腕をさすると、

ほつりほつりとしている

新品同然の夏用セーターが

肌を緩やかに撫でてくれる。

撫でているというよりかは

もしかしたら傷つけているのかもしれないが。

待つしかないと思い

何かをいうわけでもなく

彼女の次の言葉を待っていると、

それは思っているよりも早くに伝った。


波流「そろそろじゃない、大丈夫?」


美月「そろそろ?」


波流「うん、そう。…あー…あの、例の件。」


美月「例の…あぁ、そういうことかしら。」


波流「多分、美月ちゃんが思い浮かんでることで合ってると思う。」


例の件だとか、あれだとか

抽象的極まりない言葉でしか

形容することができないのだ。

そう、言葉を統制していたのは

紛れもなくこの公共の場という、

人の目があるという事実だった。


波流が言っているのは、

私のこの吸血欲のことだろう。

そう気づいた時に漸く

波流の顔が曇っている理由について

しれた気がしていた。

そんな気になっていた。


そろそろ腹部の異常は再度強くなっており、

一旦は下がっていたメーターも

もう既に上がっていってしまった。

そのスパンは明らかに

短くなっているのだと

嫌でも理解してしまう。


理解しながらも、嫌な現実を見てでも

返事はしなければならない。

苦い顔を隠すよう、薄っぺらく返事をした。


美月「…そうね。」


波流「でしょ?」


美月「…えぇ。」


波流「だから、今の時間でよければどうかなって。」


美月「…少し時間を貰ってもいいかしら。」


波流「もっちろん!」


波流は苦し紛れか、

将又その苦味を逃す為なのか

目をにっと細めて微笑んだのち

私の腕を優しく掴んだ。

いつだか、私が教室から

出ようとした際に痛いほど

強く掴んできた人と

同一人物だとは思えない。

まるでたった数日の間に

心変わりをしてしまったかのように。

そこには、見慣れない波流が

いるような気がしてしまった。


人は知らずして変わっていく。

気づかずして変わっていく。

気づけば変わっていた。

知らぬ間に、他者から言われて

気づくことだってしばしば。

ジョハリの窓とはよく言ったものだ。


私は一体波流の

どのくらいの窓を見ているのだろう。

見ることができているのだろう。


波流につれられるがままについた先は、

先日連れ込んでもらった

ほぼ人が使っていない校舎端にある

トイレではなく、

音楽科の人が利用する系の教室が

連なっている棟へと入る。


この学校は普通科と併設して

音楽科が存在する。

それもあってか音楽系の部活の

多くの生徒は音楽科所属だった。

昼休みでも数十人と意図せずすれ違う。

ばたばたと走りながら

「急がないと」「時間ない」

と口にしているあたり、

部活での集合があるのだろう。

そういえば、今日の朝には

吹奏楽部の友達が一緒に

昼ごはんを食べれないと

溢していなかったか。

理由を聞けば、大会のための話だか

準備だかがあると

言っていたのは記憶に新しい。


美月「…結構珍しいところね。」


波流「そうかも。」


美月「波流はこの辺りの教室を使っているの?」


波流「うーん、音楽の授業でくらいじゃない?」


美月「なら一緒ね。」


波流「美月ちゃんもかー。」


美月「えぇ。選択は音楽にしたわ。」


波流「だよねぇ。美術なんてやってられないよ。」


美月「でも波流なら両方出来そうじゃない?」


波流「出来るかもしれないけど、音楽の方がやりたかったんだ。」


美月「そうね、音楽好きだったわね。」


波流「そうなの!って、美月ちゃんこそ美術も出来そうだよ?」


美月「私も音楽をしたかったのよ。」


波流「えっへへ、ここまで合うと照れますなぁ。」


美月「けれど、性格はそう似てないじゃない。」


波流「あー、ま、そうかも。」


美月「どちらかというと嶋原先輩と似ているわね。」


波流「10年も一緒にいりゃあね。似てるっていうか片割れみたいなもんだよ。あっはは。」


美月「いいわね。微笑ましいわ。」


私にもそのような存在が

いたらよかったのに。

そう出掛かった言葉は

ぐっと堪えて喉の奥、

腹の奥へと仕舞った。

波流も波流でそれ以上

言及するようなことはなかった。

偶々ここが話題の切れ目だったのだろう。


ふと視線はとある扉へと映った。

そこには人影は今の所見当たらず、

閑散としているのが窺える。


波流「こことかどう?」


美月「いいと思うわ。」


波流「よし、じゃあここで。」


美月「待って、勝手に使っていいのかしら。」


波流「1年の時に先生に聞いたことがあってね、休み時間とか誰も使ってなかったらいいんだって。ただし物は壊さないこと。」


美月「最低限のマナーね。」


波流「そゆこと!んじゃ、お邪魔しまーす。」


波流が手をかけたのは

ひとつの音楽室。

前にはグランドピアノが

でかでかと場所を占領しており、

そのせいか教室は幾分も

狭く見えていた。

だが、よくよく見てみれば

実際に教室は私たちが普段

使用しているような場所の

半分から3分の1程しかないではないか。

もしかしたら個人練習の場なのかもしれない。


何より目を惹かれるのは

グランドピアノだった。

じっと眺めている間に波流は

すたすたと足を進めていき、

ひとつの席に腰をかけた。


かしゃりと乾いた音が

心臓にまで響いてきたのを思い出す。

あれはトイレだったからだろう。

ここでは広いこともあり、

反響して響くというのは

そう感じなかった。


先輩は、前回同様波流は自分のポケットから

刃の先だけがほんの少しだけ見えている

ペンタイプの小さなカッターを取り出し、

こちらをちらと眺むのだ。


その度に浮かぶのは、

何か悟ってしまったような波流の顔だった。

まるで、こうなることが予測できていて、

且つ自分で切ることを

覚悟していたかのような。

あの顔。





°°°°°





美月「それ…。」


波流「あぁ、これくらいしか刃が出てない方が加減しやすいし怖くないんじゃないかなって…。」


美月「…。」


波流「じゃあ、行くよ?」


美月「待って。」


波流「…?」


美月「……本当に軽蔑していないの?」



-----



波流「勿論。するはずがないよ。」





°°°°°





波流「美月ちゃん?」


美月「…えぇ、今行くわ。」


波流「うん!多分ここ、丁度死角だからさ。」


美月「ありがとう。」


波流「んーん、お任せあれ。」


にんまり笑う彼女。

それが何故か今だけ不気味にさえ

見えてしまうのだ。


この数日間、波流といることが増えた。

彼女を信用しているなと

感じる部分が増えていた。

その反面、波流の連ねる言葉達は

どこか表面だけではないかと

人を心の底から信用できない私がいる。

言葉の裏には別の顔を

つけているのではないか。

別の笑顔を浮かべているのではないかと。

しかし、そんな不信感でさえ、

落ち着いてから波流の顔を再度見てみれば

靄だってすうっと消えていくのだ。


波流「いい?」


美月「待って。」


波流「へ?」


美月「…最近、頻度が多いじゃない?」


波流「…。」


美月「症状が進んでいるんじゃないかと思うの。」


波流「…そう、かもね。」


美月「…。」


波流は喜怒哀楽がしっかりとしている。

だからこそ、今この顔が

非常に落ち込んでいる物だと

私にさえも知ることが出来た。


前回血をもらったのは2日前。

その日もトイレで血をもらったのだが、

いくら利用する人が少ないとは言え

昨日ばかりは来てしまったのだ。

それに怯え、今日はこんな遠くまで

足を運んだのだろう。

また、日を追うごとに欲する血の量は

増えているように感じるのだ。

波流が指を切る深さが

毎度違うだけなのかもしれないが、

最近ではひとつの傷口から

ぷっくりと溢れ出る鮮血だけでは物足りず、

歯を立てて傷を抉ってしまいたいという

衝動が胸の中で渦巻くようになった。

それは波流には話していないけれど、

私が指にかぶりつく時間が長くなっていて、

あと1滴でも口にしようとする姿から

想像はついていることだろう。


美月「…続けていてもいいのかしら。」


波流「でも、放置したらどうするの。美月ちゃんはどうするの。」


美月「…。」


波流「他の人を襲うの?」


美月「…そんなことしないわよ。」


波流「……ごめん、こんなこと言って。」


美月「いいえ、いいのよ。いつかは考えなくちゃいけないことだもの。」


波流「いつかは…そうだよね。」


美月「今でさえ2日に1回くらいのペースになりつつあるのよ。このままじゃ…って、考えてしまうの。」


波流「…。」


美月「親が医者でいつでも輸血パックをもらえるだとか、そのような状況なら別なんでしょうけれど、現実は違う。」


波流「じゃあ、解決策が見つかるまでは今のままで過ごすしか」


美月「解決策っていうのは、血をもらい続けることが出来るということ?」


波流「…か、美月ちゃんが血を飲まなくても良くなるかのどっちか…かな。」


美月「……そうよね。あぁ、もう。お腹が空いて動転してるだけだわ。ごめんなさい。」


波流「ううん、大丈夫。ほら、こっち。」


今後の不安、未来の不確かさ。

全て全てがこの欲によって

波のように押し寄せる。

それすら、欲が勝ってしまえば

どうだって良くなっていき、

やがて欲に呑まれかけて

過去によって引き上げられる。

それをあと何回繰り返せばいいのだろう。

何回この過去とすれ違うのだろう。


そんな思案さえ、

波流の指に乗る紅色を見れば

どうだって良くなるのだった。


あぁ。

一昨日の傷、まだ癒えていないじゃない。

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