住居型老人ホーム

 私の働いている住居型老人ホームは比較的健常な方が入るアパートタイプの老人ホームで、自身の身の回りの事を出来る高齢者が入居されている。

 建物の入口は共有で、入るとヘルパーの詰めているステーションがある。健常者と言えど高齢なので補助が必要なときや有事の際にはステーションに連絡が入る。

 常に2名のヘルパーが待機していて、朝昼晩と入居者の安否を確認する。

 ステーション同じ1階フロアに個人が使用する個室が6室、2階に8室となっている。来客は必ずステーションにて受付をするルールになっている。


 その日、入居者の高木さんに息子夫婦が子供達を連れて訪ねて来た。

 高木さんの息子さんは受付を済ませていると、元気な子供達は長い廊下を走り回って楽しそうにしている。母親が数回注意して行為を止めたが、両親の足元を潜って遊び、落ち着きがない。

 すいませんと受付用紙を記入する息子さんが私たちに申し訳なさそうに謝るがこのホームの入居者で子供を毛嫌いする方もいないので大丈夫ですよとその旨を伝えた。

 少々の物音なら一向に構わないと聞いて安心した様子だった。

 入居者の高木さんは少し足が悪く、杖を使用しているので私が息子家族を部屋まで案内した。高木さんの部屋はちょうどステーションの真上に当たる部屋だ。

 2階に上がると高木さんが廊下に出て、にこにこと満面の笑みをたたえて待っていた。両手には子供達に渡すのであろうお菓子の詰め合わせを持っている。

 子供たちはお爺ちゃん目がけて競うように走っていった。


 二時間ほど息子家族は滞在して帰っていった。その間、興奮した子供達が走り回る音や飛び跳ねる音が時々ステーションに響いたが、私は同僚と微笑みを交わして賑やかな時間に高木さんの笑顔を想像した。


 22時頃ステーションの電話が鳴った。外線を知らせる着信音だった。

 この時間に外線からかかってくるのは珍しい。嫌な予感が漠然とした。


 高木さんの部屋を訪れる、チャイムを鳴らすが返答がない。普段なら寝ている時間なので少し待ってもう一度鳴らすと、部屋の中から返答があった。

 高木さんは寝ていたのだろう虚ろな表情で顔を出した。私は電話の内容を伝えた。

 高木さんは体を支えきれずに杖と共にその場に崩れ落ちた。

 私はベッドまで高木さんを伴い、座らせて落ち着くのを待って部屋を出た。


 ステーションの戻ると先ほどの電話の内容、高木さんの様子を業務日誌に記す為にペンを執った。


 少しすると音が聞こえだした。

【ダッダッダッ ドッドッド ダダダダ】

 上階からだ。え!?

 存在を感じて身をよじって後ろを振り向くと、暗い廊下に同僚が懐中電灯を持って立っている。上階に目を向けている。

 定期巡回から戻ったようだ、ホッとして胸をなでおろす。

「同僚が何の音?」と怪訝な視線を上階に向けながら私に聞いた。

 分からない。と素直に返すと同僚は「昼間の音に似てるよね」と嫌なことを言った。

 私は同僚に今掛かってきた電話の内容をそのまま伝えた。

 高木さんの息子家族が帰りに交通事故にあったこと。川に転落して全員が溺死したこと。それを高木さんに伝えてきたこと。

 それを話す間もあの音は上階から鳴り続けている。

 私と同僚は昼間同様、子供達が走り回る様子を想像して鳥肌が止まらなかった。


 このステーションはこんなにも寒かっただろうか、こんなにも廊下は暗かっただろうか。


 放置する訳にもいかず同僚を伴い音の確認に向かった。

 階段を上がる。音は大きくなる。高木さんの部屋に向かうにつれて更に。

 高木さんの部屋の呼び鈴を何度も押すが返答が無い。

 スペアキーで開錠する。普段と変わらず扉は開く。電気がついていない。

 室内は廊下よりも暗い。少し開けた扉の隙間から同僚と懐中電灯で室内を照らす。

 部屋の中からは音が変わらず響いている。

 人の足音だ。


 音に向かって光のスジを向ける。

 ヒカリの中、大人の腰ほどの高さの位置を《ダダダダ》こちらに悲痛な表情で口を歪ませて向かってくる。

 私達は悲鳴を上げて扉を閉めた。恐怖にかられ施錠するとステーションまで転がるように逃げた。

 上階からはまだあの音が鳴り続けている。先ほどよりもさらに強く。

 【ダッダッダッ ドッドッド ダダダダ ダダッドッドッド】


 私と同僚は抱き合って震えた。確かに見た。

 室内で向けた光の先に


 痛哭つうこくに狂った老人が歪んだ顔を涙と唾でテカらせて四つん這いで走り回っている姿を。



 

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