第9話 竜虎相討つ

 デジタルなアラーム。

「…………。……薔薇香。どうしたの。眼を醒ましなさい、薔薇香」

 母の声。

 楯楼流薔薇香は見知らぬ天井の下で眼を醒ました。

 潔癖症的に清潔な病院のベッドの白いシーツの上だった。

 眩しい。

 広い病室に一つきりのベッド。

 その周囲を家族全員、医者達、看護士達、そして道着の下半身をジャージにした朝霧蘭丸が囲んでいた。

 呼吸を補助する酸素マスク。

 左腕から小さな痛み。輸血用の点滴瓶からのびているチューブの長い針が白い肌の下に潜り込んでいる。

 心電図モニタが小刻みに繰り返す電子音で彼女の生存が量られているのが解った。

「薔薇香……! 本当に心配したのですから……!」

 手を握っていた母が涙をこぼしながら泣き伏す。

 薔薇香の眼端からも熱い涙がこぼれてくる。

 年配の医者がペンライトで薔薇香の瞳孔反射を確かめ、一連のチェックをすませて「もう心配ありませんが一晩入院するのもよいでしょう」と父に確認をとる。

 大病院の最高級の病室で眼を醒ました薔薇香は自分が出血多量で意識を失い、瀕死の状態だったと祖父から教えられた。

 救急車の中からこの病室までをリレーされた途中での緊急大量輸血が彼女の命を救ったのだ。

「……そうですか。……意識を失っていたのですか」

 酸素マスクを外した薔薇香の眼醒めた意識はぼんやりと暗かった。それが呼吸と共に段段明瞭になってくる。

 学園登校時のアクシデント。

 鼻血。

 やだ。恥ずかしいですわ、と薔薇香は顔を真っ赤にし、その状態でこの部屋には当の朝霧先輩がいる事を思い出す。

 何故、先輩が、と戸惑う薔薇香に父が「朝霧君は心配してずっとついてきてくれたんだ」と教えてくれた。「今日が初対面なのかな。朝霧君は薔薇香、お前の許嫁だよ」

 え。許嫁。

「薔薇香さん」ベビーフェイスの若君が私に近づいて微笑みかける。「お元気で何よりです」

「朝霧君もあの現場で心不全を起こしたのだがAEDが間に合って、この病院で一足早く息を吹き返したんだ」

 父の言葉で朝霧先輩は照れた顔をした。

 あの現場。

 道着の袴が落ちて、彼の下半身が剥き出しになり、眼に焼きついた光景を薔薇香は思い出す。

「……すみません。お見苦しい物をお見せしてしまって」

「いえ。とても美しかったですわ……」

 きゃ! 何を言っているのですか、私……!と薔薇香は激しく動揺した。

 その時、病室に窓から一筋の陽光が射し込んだ、

 自分の許嫁と紹介された男性と顔の距離が近い。

 彼から汗とコロンの混じった麝香の様な香が鼻に届いた。

 胸がドキドキする。

「……あ、そうですわ」

 薔薇香は許嫁から眼を反らすと、ベッドの横から降りてそろえられていたスリッパを裸足に履く。

 そして大きなベッドに下から両手を差し入れた。

「ファック・オフっ!!」

 勢いよくひっくり返され、音もなく軽軽と転がるベッドと乱れるシーツと驚く家族達。そして朝霧蘭丸。

 それらはこの瞬間に渦を巻き始めた病室の中で輪郭と色彩が溶け合わさり、赤を基調とする明彩となって正体を現わしましたわ。

 緑の照明に照らされた不気味な石の城。

 ああ、危なかったですわ。

 さっき、完全に覚醒したと思いましたのに。

 やはりここは魔王の城の中ですのね。あの夢の世界に永遠に囚われたままになるところでしたわ。

 石床に膝を着いて見上げている私の眼の前にゼードゴラーイの胸中にあった赤い宝石が浮かんでいます。

 この赤い宝石が本体でしたのね。

 赤い光に照らされる中、私は横に倒れている大魔王蘭丸の頬を叩き、眼を醒まさせました。

「う……あ……」

「だらしないですわね。あなたにもあなたの夢があるのでしょうが今は眼醒めておきなさい」

 名残惜しそうに夢から醒めた大魔王蘭丸は私を見て急に赤面いたしましたわ。全くどんな破廉恥な夢を見ていたのやら。

 と、一息ついている私達の背後で赤い宝石が黒い稲妻を放ちましたわ。

『永遠に浸っていられる……幸福な夢より……生き返るすべのない……苦痛の現実を選ぶのか……!?』

「うるさいわね。ゴールドフォックス・サーティンテール・ウィップラッシュっ!!」

 私は十三房の金髪縦ロールで稲妻を蹴散らし、赤い宝石に強烈な打撃をくらわしましたわ。物理攻撃が効かなくて精神攻撃に切り替えていたのに今更ね。全く無様ですわね。

「何度も言っているでしょう。そして何度で言い返してあげるわ。この世界は私が見ている刹那の夢。全ての設定は私の夢であるという前提に成り立っているの。悪夢の魔王、もちろんお前も」

『なんていう……独りよがりの……思い込み……だ!』

 それが生きている悪夢の魔王ゼードゴラーイの最後の言葉でした。

 赤い宝石は無数のひびによって光を曇らせ、火も煙もなく爆裂して散ったのです。

 赤い微粉がしばらくこの緑色の照明に照らされた広間に残留いたしましたわ。

「さて」と私は制服姿の蘭丸を振り返ります。「前に言った通り、ゼードゴラーイにとどめをさした私がこの夢の創造主である最強存在という事でいいですわね」

「くっ!」

 蘭丸は悔しそうな顔をしましたが、武士に二言はないという態度をとりました。

 だけど。

「何故だ! 何故、僕は自分が見ている夢の中でもこんな屈辱を味わなければならないのだ……!」

 まだ言いますか。往生際が悪いわね。

 それにしても蘭丸は何故、魔王に最後の攻撃を出さなかったのでしょう。

 もしかして新しい必殺技の名前がネタギレで思いつかなかったから、とか。……ありそうね。

 と私が戦いを振り返っていると、突然、この魔王城全体が岩石の軋みを挙げながら激しく揺れ始めました。

 魔王の死と共にこの城も消える。そういう演出なのかしら。

 しかし振動は地震だけではありません。

 これは……このマヨヒノミア自体が振動している!?

 私の感覚には宇宙震とでも呼ぶべき次元規模の大破壊振動として、この空気の震えが感じられました。

『私を倒したところで……輪廻回路の崩壊は……止まらん。夢を見ていた我が……滅ぼされたから……この世界が……いやマヨヒノミアだけでは……ない! お前達がやってきた世界も……連動して消えるのだ……!』広場に漂っていた赤い微粉末がまるで立体映像の如くゼードゴラーイの姿を形作ります。『もはや二つの世界は……切り放せぬほどに融け……混ざっている! 夢は醒める……夢の終わり……だ! 二つの世界は……消え去る……!』

 復活した魔王に今度こそとどめを刺そうと縦ロールを振り上げた私を、蘭丸が手で遮って止めます。

「無駄だ、薔薇香。魔王は本当に死んだ。あれは実体ではない。……ゼードゴラーイの『幽霊』だ」

「幽霊……集合無意識に情報のみが焼きついたとかいう……」私は壁に大きく走る亀裂の群を見ながら呟きます。集合無意識。そういえば私達が死んだ直後に見た、星が群集う風景は集合無意識だったのね。星の一つ一つが生命の灯の情報体。「でも幽霊ならばまだ力があるはずですわ。私体の幽霊の様に」

『幽霊である我には力は……ない。幽霊は本来……無力だ……』ゼードゴラーイの幽霊は何故か笑い声と共にその言葉を吐きました。『お前達の幽霊は……生前のお前達自身が強力……であった故に……強い力を持っていた……のだ。……そうか、予言はやはり……強力な力を持っていた……というのか……! お前達は最初から……強力な存在だった……のだ!』

 何よ。今になってやっと気づいたのかしら。

 それにしてもゼードゴラーイの滅びによって二つの宇宙が夢から覚める、世界が崩れるというの。

 すると、やはりこの世界は悪夢の魔王が見ていたた夢にすぎないというの。

『皆、滅べ……無になれ……!!』

 瞬間、赤いゼードゴラーイの姿は爆散しました。

 それと同時に魔王の城の光景が、まるで絵に描かれていた物が引き裂かれる様に大きな破片としてバラバラになりました。

 引き裂かれた物は城だけではありません。マヨヒノミアにある異世界ファンタジー風のあらゆる景色が、ちぎれた無数の二次元の絵画の様に集合無意識空間に漂い、無秩序にくるくる回りながら私達の周囲から離れていきます。

 異世界ファンタジーのマヨヒノミアの光景だけでありません。

 私達が元いた世界、迷比ノ宮学園の光景、そしてそれが所属していた地球、宇宙、次元のあらゆるものが破片としてちぎれて無秩序な回転運動をしているのが私達の眼に映りました。

 二つの宇宙のあらゆる破片の中で私と蘭丸のみが五体満足で集合無意識の宙に浮いています。

 全てが終わるの……。

 あらゆる物が眼醒めて崩壊し、悪夢の魔王と一緒に忘却の中に消えていく……。

 時間も。空間も。そこに生きていた全人類の生命さえも。

 エンディングその一。『覚醒。そして二つの宇宙の消滅』。

 そしてそれ以外のエンディングなどあるわけはなく……。

 私と蘭丸の二人の姿も夢が醒める様にぼんやりと薄くなってきましたわ。

「そんなの……」

「そんなの認めるかァーッ!!」

 蘭丸が叫びました。

「僕は大魔王蘭丸ッ!! この世の全ては僕の夢ッ!! 悪夢の魔王の夢すらも、僕の夢ッ!! それ以外、認めないッ!!」

 叫びと同時に集合無意識を乱遊していた宇宙の破片の群が回転運動をやめました。

 そして気流があるかの様にバラバラながら整然とした流れを辿り始めます。まるで二重螺旋の如くの。

「大魔王蘭丸っ! そんなのは認めませんわっ!!」私は縦ロールを振り乱しながら口に手の甲をそえて高笑いします。「この世界は私の夢の中っ!! 蘭丸の夢も、私の夢っ!! ザ・クイーン・オブ・ザ・ドリームスとして命じますわっ!! 全ての世界は元に戻りなさいっ!! 二つの世界に生きている全ての生命の記憶と記録と共にっ!! 夢さえあれば何でも出来るっ!! 元気ですかーっ!!」

 二つの宇宙の破片はまるでパズルが組み合わさる如く、形を取り戻しています。

 見た目、超高難易度のそれらは驚くべき速さでどんどん元の形を成していきました。

「違うッ! 違うぞッ!! この世界は僕の夢だッ!! 僕の家族も復活するんだッ!!」

「あなたこそ思い込みのみが激しくてよっ!! この世界は私の夢ですわっ!! 私の家族も、マヨヒノミアでのクレメンタイン達も私の夢として復活するのよっ!!」

「この夢は僕の夢だから私が主導権を握れば世界は崩壊しないッ!! これらの宇宙を統べるのは大魔王蘭丸の宿命ッ!!」

「あなたは私の下で腰でも突き上げていればいいのよっ!!」

「僕は大魔王だッ!!」

「ファック・オフっ!!」

 私達は最後まで相容れませんでした。互いの夢としての二つの宇宙の主導権をとり続けました。

 縦ロール。

 木刀。

「チェンジ! ドラゴンっ!!」

 私はまるでそれが自然な流れであるかの様に、縦ロールに宿る幽霊の力で巨大な竜へと変身しました。

「トランスフォーム! タイガーッ!!」

 すると蘭丸も合わせるかの様に、木刀からほとばしった光を浴びて巨大な虎の姿に変身しました。

 私と蘭丸はそれぞれの武器に宿った幽霊の力を己が自身の身に宿して、自分達の望みとして巨大な竜と虎の姿に変化したのですわ。

 そして夢の世界の主導権を握り続ける為に戦いつつ、宇宙の果てまで駆けました。

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