第8話 夢から醒めて……

「姉さん……大丈夫かい……姉さん……」

 うなされていた私は非常に薄い、固くて湿った敷き布団の上で眼が醒めました。

 新聞紙の様な掛け布団をはねのけた上半身は下着しかつけてなくて寒いですわ。

 隙間風吹くアパートの一室で私は粗末な身なりをした玄武郎を振り返ります。

「ありがとう。大丈夫ですわ」

 もう朝ですか。

 寒い中で寝つけない最低の睡眠でしたが何か永いようで短い夢を見ていた気がします。

 掛け布団を肩にかけました。今日は珍しく朝食を食べる事になっています。いつも夕食しか食べませんがこんな日は引き取られる前に少しでも栄養をつけたいと思い、卓袱台の玄米飯に生卵を落としますわ。

 それで天然パーマの縦ロールが幾らか元気を取り戻した気がしましたわ。

 まだ止められていないガスの火で、やかんのお湯が沸きましたわ。

 やがてこの一室の玄関に黒服の男達が現れるでしょう。

 そして玄武郎の為の当面の生活費と引き換えに、私は住み込みの性風俗の店へと売られていくのです。

 あの飛行機事故で私達は祖父母と両親を一度に失い、屋敷も会社も縁者の助けも失って楯楼流家は一気に没落しましたわ。

 二人とももう迷比ノ宮私学園に通う事も出来ませんわ。

 朝食を食べた私は小さな仏壇に最後の別れを告げました。

 アパートの前の道路に一台の自動車が停まった音がしましたわ。

 すぐにこの部屋のドアが開くとサングラスをかけた数人の黒服の男がそこに立っていましたわ。

 卓袱台の上の湯のみに出がらしのお茶を入れて迎える……ってそんな事をしている余裕はないわね。

「迎えに来たぜ」

 灰色の三和土たたき。しがみつく様な眼線を送る玄武郎を手で制した私の前に一人の若い男が現れました。

 それが私を助け出してくれる謎の王子様でしたらよかったのですけれど、残念ながら彼は黒服達のまとめ役でしたの。

 でもサングラスをかけて幾らか大人びていながらも彼は何処かで見た事がある……。

 蜂蜜美少年。

 そうあなたは学園の先輩、朝霧蘭丸……。

「とか何とか言っておいてドッカーンっ!!」

 突然、私は眼の前の卓袱台をひっくり返しましたわ。

 卓袱台の上の欠けた茶碗や湯のみや土瓶は暴力の力に抗えず、放物線を描いて部屋中に飛び散りましたわ。

 驚いた顔をしている玄武郎や蘭丸の顔や黒服の姿、それらは風景の中に溶け混ざって音もなくグルグルとした色彩の渦の中に消え去ります。

 日常雑音はまるで波がひく様に背景から消え去りましたわ。

 そして悪夢は醒め、気がついた瞬間、制服の私はゼードゴラーイの片手に握られ、今にもその黒いあぎとへと呑み込まれる寸前であった事に気づくのです。

「アウェイクド・ピアッシング・リバーサーっ!!」

 私の縦ロール群は覚醒し、まっすぐとした槍の如く直進してゼードゴラーイの頭蓋骨を砕きましたの。

『馬鹿め……あのまま夢の中にいれば……そのまま永久に生きられたところを……』

「生き地獄の中の生なんてごめんですわ!」

 私は身を掴んでいた巨大な手指を縦ロールで振りほどきながら、倒れて眠っている蘭丸の前に降り立つのです。

「実力では勝てないと覚って精神攻撃に堕しましたか、ゼードゴラーイ!!」

『……これが悪夢の魔王の本来の……戦い方』

 半分ほど砕かれた頭蓋骨でゼードゴラーイはうそぶきます。

「何が魔王よ!!」私は人差し指を悪夢の魔王に突きつけますわ。「はっきり解りましたわ!! この世界がソウゾウの産物と言うのなら魔王という存在は想う者のソウゾウ力が足りない部分!! 私のソウゾウ力の足りない所の隙間に生まれた淀み!! 虚こそ実体!! それがお前ですわ、ゼードゴラーイ!!」

『……それがどうだと……言うのだ……』

「お前などとるに足らないゴミカスという事ですわっ!!」

 私の縦ロールが悪夢の魔王ゼードゴラーイの頭蓋骨を完全粉砕いたしましたわ。

 分解していく黒い骨身の中から四方八方にほとばしる赤い光がこの広間全体を照らします。

 その赤い光はやがてモノクロームとなるこの宇宙の全てを巻き込んでのっぺりとした平面に全てを張りつかせるのです。

 ああ、何処からかデジタルなアラームが聴こえる。

 モノクロームな世界が全てを白とも黒ともつかない灰色の中に呑み込み、私の意識は今度こそ完全な覚醒を迎えたのですわ。

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