第6話 楽勝街道

 旅人のいない大街道を争う威力のままに私達は進みますわ。

 この魔王に蹂躙されたマヨヒノミアでは街道を進んでいくだけでも普通にモンスターに出くわします。

 例えば石化の眼力を持つトカゲの王バジリスク。

 双刃の巨斧を構える牛頭の大巨人ミノタウロス。

 汚れた翼を羽ばたかせながら不潔な鉤爪に私達をかけようとする女面の妖鳥ハルピュイアー。

 その他、不吉な怪人魔獣の数数。

 しかしそれらは鎧袖一触、争いつつ前に進む私達の威勢に巻き込まれて無力に吹っ飛び命火を消し去られます。

「このままイケますわ! 第一の城砦をめざしますわよ、蘭丸!」

「うるさい! 僕に命令するな!」

「行きますわよ! 大魔王蘭丸!」

「……うん。解ったぞ!」

 大街道の坂道を上れば、峠に第一の城砦。

 大街道をふさぐ頑固たる岩の小城。

「お邪魔しまーす!」

「お邪魔しますわ!」

 絡み合って転がる様に正門を打ち破った蘭丸と私の前に黒い馬上の禍禍しい甲冑騎士軍団が立ちふさがりましたわ。

「我の名は六つの魔団の一! 魔界北方鏡像騎士団団長エブブムーイッ!!」

「及びその配下、魔界北方鏡像騎士団五〇〇人ッ!!」

 名乗るや五〇〇と一人が私達に向かって突撃してきます。

「スパイディ・レッグス・ウォーク!!」

 私の縦ロールはクモの足の如く長くのび、姿態を宙に持ち上げて尖る足先で騎士団員を蹂躙します。

「パープルレイン・インヴォケーションっ!!」

 蘭丸の木刀が走る様な紫光の土砂降りで地を掘り返し、敵を蹴散らします。あ、ちゃんと必殺技は新しくしてるのね。

「うぎゃーッ!! 全滅だァーッ!!」

 悪の城砦が一つ滅びました。

 はん! 不甲斐ないですわね。私をちょっとは満足させなさいよ。まあ、私の夢の中ですから私達のチート無双は仕方ないですか。

 第一の城塞を破壊した私達はそのまま第二城砦をめざします。


「我の名は六つの魔団の二! 我の名は魔界水域甲殻鬼団団長アルガザリエスッ!!」

「及びその配下、魔界水域甲殻鬼団四〇〇人ッ!!」

「トルネーディ・テンタクル・ツキッ!!」

「エレクトリック・カウンターっ!!」

「ぐわーッ!! 全滅だァーッ!!」


「我の名は六つの魔団の三! 我の名は魔界獣毛有尾曲芸団団長バーランスドッ!!」

「及びその配下、魔界獣毛有尾曲芸団六五〇人ッ!!」

「ゴールデン・ワイルド・ダイセツダンッ!!」

「ジェノサイド・サバイバー!!」

「げげぇーッ!! 全滅だァーッ!!」


「我の名は六つの魔団の四! 我の名は魔界疑似知能生命体団団長グレーティスト・ゴーレム!!」

「及びその配下、魔界疑似知能生命体団五〇〇人ッ!!」

「ヘアピーシィズ・オールラウンド・レジスタンス!!」

「ブルービーム・ブリリアント!!」

「ごわーッ!! 全滅だァーッ!!」


「我の名は六つの魔団の五! 我の名は魔界火炎竜王団団長スーパー・スターゲイザー!!」

「及びその配下、魔界火炎竜王団四〇〇人ッ!!」

「ハード・ドリルズ・ヘッドバンキング!!」

「バッドエンド・トロイメライ!!」

「うおおーッ!! 全滅だァーッ!!」


「我らは六つの魔団の六! 我らの名は魔界不死吸血怪人団十八人!!」

 あら、急にしょぼくなりましたわね。

 あ、きっとここはエレキグィタが詰めていた城砦なのですわね。

 あいつ、最後の城砦を任される程度には強かったのですわね。

 でも主がいないのなら楽勝でございますわ。いても楽勝ですけど。

「サンライズ・イエロー・カイテンギリ!!」

「プロミネンス・レクイエム!!」

「どっぎゃーんッ!! 全滅だァッー!!」


 それからは悪夢の魔王城の寸前で狼男とカトブレパスを瞬殺。

 移動する土煙に巻き込まれるイメージで途上にいたモンスターはマップから次次と消えていきますわ。

「ここまで来たな……!」

 濃い紫の空に黒い雲がちぎれそうに流れていきます。

 蘭丸は返り血で汚れた制服の肩に木刀を担いで、大街道の終点、地平線から起き上がった悪夢の魔王ゼードゴラーイの黒い巨城を前に呟きますわ。

 ……なんかすっかりベビーフェイスにワイルドなイメージが板についたですわね。ううむ。かっこいいかもしれませんね。これならば万が一にも私が惚れてあげてもよろしくてよ。いや、そう言えば蘭丸は元元私の眼福ナンバー・ワンだったのでございますわ。あまりにも大魔王モードの印象が強すぎてすっかり忘れていましたわ。

 でも中二病全開である本性を忘れてはならないのですわ。蘭丸は心の魔王、心が魔王、そういう人なのですから。

 全く、今現在進行形であるこのサーガは私が夢見ているゆえに進行している出来事。それに気づかないとは随分とかっこいい道化ですこと。

「ここがこのマヨヒノミアを夢見ているという寝言を言う、悪夢の魔王の居城なのですね。真に夢見ているのはこの私、楯楼流薔薇香だといいますのに」

「違う! ここは僕の夢! 薔薇香、お前は夢の中の登場人物に人物にすぎない。僕の夢の中でこの世界は自分の夢、なんてややこしい入れ子構造を作るなよ! 結界の中に結界を作るな! ややこしい!」

「……その言葉はそっくり返しますわ。あなたは何をしたいのですか、蘭丸。誰の夢なのかといちゃもんをつけるわ、無頼をきどって非協力、私と喧嘩の真っ最中、挙句は転生勇者なのに大魔王を名乗るはっちゃけぶり。あまつさえ、この楯楼流薔薇香を自分の倫理乱れたハーレムの第何番目かに置こうともくろむ邪悪な思惑!」

「うるさい! お前は必ず一番目だ!」

 何故か蘭丸の顔が真っ赤ですわ。

 最後の城を前にして私達はのんびりと口喧嘩をたしなみます。

 その時。

 瞬間的に直上から飛び込んできた二人の甲冑の騎士達。

 私と蘭丸は互いに弾かれた様に跳躍してその大鎌の斬撃をかわしましたわ。

 マヨヒノミアに来る直前の星の世界で私達を襲ってきたあの完全鎧の騎士達ね。何者かは知らないけれど、今も私達を狙っているのね。

 音と気配が伝わらないほどの高空から全速で急降下して私達の不意を突こうとした戦術は見事ですわ。しかしその程度の奇襲では私達のタマはとれませんわよ。

 まあ邪魔者は消えておしまい、なだけですけれど。

「何者かは知らねど、私達に敵対するならこのマップ上から消えていただきますわ。『タテロール・イアイ・キリ』!!」

「『ウォータークラウン・エクスプロード』!!」

 神速で私の黄金の縦ロールがのびて振られ、私の眼前にいる騎士に三日月の斬撃をくらわしましたわ。

 蘭丸の木刀はそのインパクトの頂点で美しい水の飛沫の如く青色の光が大爆発します。

 私達それぞれの眼の前にいた騎士達は反撃の機会さえなく大威力を浴び、悲鳴めいた声を挙げ、後方へ吹っ飛び。地を長く削りましたわ。

 分解して飛び散った完全鎧の兜が吹っ飛び、その素顔が私達の前にあらわになりました。いよいよ正体ご開帳ですわね。

 え!?

「何故、私と蘭丸がもう一人ずついるのです!?」

 黒髪縦ロールとベビー・フェイス。

 転生前の私達と全く同じ姿ですわ。

 何て事!? 私達それぞれの前に倒れているのはこの自分とそっくりな顔をしたもう一人の楯楼流薔薇香と朝霧蘭丸だったのですわ。鏡を見た時よりも写真や動画を見ている時よりもリアルな質感の写実像が自分とは別に甲冑の破片をぶら下げて地に倒れているのです。

「あなた達は何者ですか!?」

「僕がもう一人ってどういう事だ!?」

 私達の当然の疑問にもう一人の蘭丸が叫びます。

「僕達はお前達の幽霊だ!!」

「そうよ! 私はあなたの幽霊よ。薔薇香!!」私と同じ姿の薔薇香が私達を仰ぎ見ます。

 素直に言って今までの常識と照らし合わせて私は戸惑いました。

「私達は生きているのに幽霊ってどういう事ですか!?」

「死の瞬間、宇宙の裏側の集合無意識に焼きついた残像……それが幽霊ですわ」自分は幽霊、と自己主張したもう一人の私、楯楼流薔薇香二号が幽霊らしく宙に浮かび語り出しました。「宇宙の存在の全ては『集合無意識』という物質も現象もエネルギーもない宇宙中に広がった純粋な虚数時間の情報フィールドを共有しますわ。いわば全ての存在は足元の地面という情報実体から浮かび上がった、質量と感覚のある映像という言い方も出来ますの。……情報実体は足元ではなく天上にあるという言い方も出来ますけれどどちらにせよ、比喩の問題ですわ。ともかく情報実体は肉体を自覚しますわ」

 その私の幽霊の語りぶりに私は過去に観たある作品を思い出しました。アニメ『フロイトとユングの美しくアブない超心理学』での主人公の一人ニセユングの語る独自宇宙理論ですわ。でもあれはユングの研究である集合無意識をホログラフィック宇宙論に合わせてどちらも無理やり歪めている、と世論では悪評の方が多かったはずですわ。集合無意識とホログラフィック宇宙論については興味ある人は各自で調べた方がよろしくってよ。

「肉体が死んだ瞬間、今まで肉体器質に制限されていた意識はその制限が廃《はい

》され、直ちに全宇宙に発散する」と今度は幽霊の蘭丸が言葉を継いで宙に浮かんで喋り始めましたわ。「けれども裏側宇宙の集合無意識野には人生がバックアップされる様に意識が焼きつく。連続しない意識の複製。情報実体しかない映像。……それが僕達、幽霊だ」

 と、いう事は私達が肉体と共に持っていたこの魂と幽霊は別物だというの? ああ、ややこしい。めんどくさい。

「普通は意識、というか魂と幽霊は同時には存在しない。幽霊はその場に留まるが、魂は発散してすぐ輪廻転生の次の段階に移るからな。お前達があんな恥ずかしい死に方をするから、僕達はその幽霊として笑われる運命にある。恥ずかしい立場に追いやられている! 死に恥をさらしているんだ! ……それだけじゃない! 死んだ魂が言霊にひかれてこっちの世界に転生するせいで、今や宇宙ごとに独立していたはずの集合無意識は言語共同体である二つの世界にまたがっている! ごっちゃごちゃに混ざり始めているんだ! いずれ、その悪い影響がどちらの宇宙にも現れる。……だから初めからちゃんと発散し直すようにこの世界へ来る前にお前達をもう一度殺そうとしたのだ!」

「早いうちに二つの魂のもう一度殺して、言語共同体の連結を断ち切ろうとしたのですわよ!」

 怒涛の如く私達の幽霊が解説を並べ続けるのに私の頭はパニックですわ。脳内会議する余裕さえありません。

 蘭丸は腕を組んで幽霊二人の話を聞いていますが多分理解力は私と同じ。

 彼は素早く腕をほどきましたわ。「よし。解らん!」

「えーと……、つまり元の宇宙の住人である私達がこっちの世界に転生するのは宇宙の都合が悪い。そうおっしゃいますのね」私は何とか理解する為の断捨離を始めましたわ。「後、恥ずかしいめにあわされているから私達を殺す、と」

「まあ、ぶっちゃけて言えばそうだ」と朝霧蘭丸二号。

「何故全てを話したか解りますかしら。あなた達に納得して穏やかに自死してもらい、魂の再発散をうながして死んだ瞬間から宇宙をリセットするのが世の為なのですわ」と美しい私二号。「あなた達は存在自体が破滅的なのですわよ」

「……証拠は?」

「へ?」

「え、証拠……ですかしら?」

「それはあなた達の主観でしょう。あなた達の断言する事は何処にその根拠があるのかしら。何にせよ、この今進んでいる物語は幾らスケールが大きく思えても私の夢にすぎないのですから! あなた達が何をほざきましょうとそれは私の脳内の範疇にすぎないのですわよ。解ったら二人仲良くマスでもかいてお眠りあそばせませ!」

「……何という傲慢で下品な女なんだ……!」

 蘭丸二号はそう言いますが、薔薇香二号は真っ赤になってうつむいたままプルプル震えていますわ。

 そりゃそうでしょう。あなた達が言う通り二人が幽霊で私達の情報記憶の双子だというなら、誰かが私を指摘する罵倒を言えばそれは二号へ突き刺さるのですから。

「私達にあなた達は敵わなかったのでしょう」私は自分の縦ロールを指で巻き巻きしながら二人に問いかけますわ。「瓜二つでも実力はダンチ。あなた達の言う事を私達が聞いてあげる道理が何処にあるのかしら。……大体ね、繰り返すようですけれど、あなた達は私の夢にすぎないのですわよ。あなた達は私の夢という物語のNPC。勇者楯楼流薔薇香のこの夢をこれ以上ややこしくしないうちにさっさと退場してもらえないかしら」私は雄雄しくそびえる霊峰の様にすっくと立って高笑いします。

「それは違うぞ、薔薇香!」あら、蘭丸が激昂しています。幽霊の肩を持つのかしら。「これは僕、大魔王朝霧蘭丸の見ている夢なんだ!」あ、やっぱりそうなりますか。

 状況は混沌としてきました。

 禍禍しくそびえる黒い巨城のふもとで、顔が全く同じ二組が幽霊だの魂の発散だの言いながら、喧喧囂囂けんけんごうごうと言い争いをしているのですから一般人が見たらよけて通る光景ですわ。

 私が高笑いする眼前で私二号と蘭丸二号は何とか説得しようと語彙を変えて同じ理論を説明し直し、自分はハブられたと思ったのか蘭丸が私に負けじと高笑いする、そんな混沌。

「繰り返し言う。いや請い願う。このまま何もせずに黙って僕達に討ち取られてくれ」

 蘭丸二号がそう言いますがそれを言う方こそ何たる傲慢。

「何もしないのが正解なんてRPGで最もやっちゃいけない事ですわ!」私は言い放ち一笑に付します。「討ち取るというのなら覚悟決めてかかってらっしゃい! 勝負はもう着いているけれども!」

 幽霊達は私と蘭丸の眼から視線をそらさず、大鎌を構えますわ。

 もう一ラウンドやる気なのね。しかしこちらに負ける気はしないのだけれども。

 その時、まるで会話を打ち切らせる為に鳴り響いた様な轟音。

 地響きと土煙。

 巨城の正門が大堀を渡れる橋として倒れた突然の光景に、私達は思わずその方へ振り向きましたわ。

 魔城から誰が出現したという事はありません。

 ただシルエットのみを強調するかの如き城の正門が跳ね橋となり、その喉奥の暗いうろを見せてまるで私達を誘うかの如き開門の光景のみがありますわ。

 まるで暗い世界がスローモーションになる如く。

 一人として魔のものの姿が見えずしてもこの城の存在感の鬼気は半端ではありませんわ。

「これは……私達四人をまとめて呼んでいるって事なのかしら」

「悪夢の魔王ゼードゴラーイがですかしら。……きっとそうでございますわね」

 薔薇香二号の呟きを私も肯定する気分になりましたわ。

 その時、この世界に誰とも知れない低い声が、まるで山中で幾千もの木霊に打たれるかの様に私達の耳に厳かに響き渡りました。


『……貴様らの議論……我にも面白く思えた……!!』


 鼓膜ではなく脳内に響き渡り、それでいて決してテレパシーの類ではないのを強調するかの様に肌を震わせる声。

 これは……きっとゼードゴラーイの声に違いありませんわ。聞いた事がない声を魔王のものと決めつけるのは、今までに感じた事がない魂凍らせる震撼と威圧感の故。

 悪夢の魔王ゼードゴラーイ。圧力のある声。

 誘っていますのね。


『……来……い……虫けら共!! ……貴様らを呼ぶのは……今以上に貴様らを恐怖させられる準備が我に……あるからだ……!!』


 言葉を聞くからに、魔王は今までの私達の会話を見聞きしていたという事になりますわね。

「たとえ敵が待っているとしてもここは進軍の一手ですわね」

「ああ、魔王如きを何故大魔王蘭丸が畏れると思うのか」

 私は蘭丸と同じく入城の意思を見せますわ。

 けれども、情けないのは私二号と蘭丸二号の怯えた感じで顔を突き合わせている幽霊二人ですわ。

「駄目ですわ。……行けませんわ。はっきり言ってとても怖い……ですわ」

「悪夢の魔王……正直に言って僕の実力が通じるとは思えない……! 元元、僕達は魔王と戦う為にこの世界にやってきたのではないんだし……」

 ああ情けない。さっきまで私達とは戦う意思を見せたくせにに相手が本物の魔王となると途端に尻尾を巻くのね。ヘイヘーイ! 幽霊ビビってるー!

 負け犬の様にがくがく怯える自分自身と蘭丸の鏡像なんか見たくありませんわ。

「そんなのですから私の偽物どまりなのよ!!」私は思わず幽霊達に人差し指を突きつけ叱りつけていました。「あなた達は虫けら呼ばわりされて悔しくないの!? 役に立たないぱおーん!ばかりぶらさげて殿方として恥ずかしくはないのかしら!? いざという時には私を押し倒すくらいの気概を見せつけなさい!! そんなちっぽけさで私達に『自死を薦める』なんて大言壮語をよく吐けたものね!! ……何もしないのなら、幽霊とはいえ生きている資格はありませんわ!! 魔王と戦いなさい!! ここで意地を張り通すにはそれくらいしかないのですから!!」

 言って私は城の正門への大街道の路を歩き始めましたわ。

 ビビる幽霊二人に一瞥いちべつをくれた蘭丸も私の横に立って歩き出します。

「大魔王と戦ってはいけない!」幽霊の蘭丸二号は私達の背に声を投げかけます。「この世界に属する存在ではない僕でも声を聞いただけで解る。……悪夢の魔王はけた外れに強い! 今まで通り、途上の魔獣を掃除機でもかけたかの様に消し去るなんて段取りは魔王に通用しない! 魔王と戦えばお前達はこの世界から消滅するぞ!!」

「そんなの知った事じゃありませんわ」

 だってこれは荘厳たる私の夢ですもの。

 それにしても自分と同じ全く人物がふがいないというのは大変歯痒はがゆいものですわ。

「もう私達があなた達に敵うなんて思わわない! だからせめてこの宇宙から離れて! 悪夢の魔王に自分と同じ姿が蹂躙じゅうりんされるなんて顛末は私だって見たくありませんわ!」

 薔薇香二号は私を引きとめているつもりかしら。自死を薦めると吐いた口でよく申します事!

 私は振り返り、幽霊の二人の元まで引き返すと白い手を二閃させました。

 革の鞭を鳴らした様な音。

 二人に本気ビンタを食らわしてさしあげましたわ。

「馬鹿な……幽霊の私達を物理的にビンタするなど……痛いですわ!」

 右の頬を打たれた私二号は右頬を手で押さえながら呆然と呟きます。

 そもそも先ほど必殺技が通じているのだから、その類であるドラマチックな私のビンタ攻撃も通じるのでしょう。

 さて聖書には「右の頬を打たれたら左の頬をさしだすがよい」と書かれていますわね。

「ほら。早く左の頬をお出しなさい」

 命令する私の頬に乾いた音と共に鋭い痛みがはしります。

 私の言葉への返答は薔薇香二号による本気ビンタでした。

「やりましたわね!」

 白き頬を薄桃色に腫らしながら私は美しき幽霊に更なる本気ビンタを返します。

「やったわね!」

「やったわね!」

「やったわね!」

「やったわね!」

「やったわね!」

「やったわね!」

 …………。

 終わりなきと思えたビンタの応酬にそれぞれの蘭丸がパートナーを羽交い絞めにして引き離しました。

 叩かれ続けた私達がふん!と息を張って互いにそっぽを向くのは同時。

 その瞬間に私は夢に気合を入れて頬の腫れを治しましたわ。薔薇香二号の方も恐らくは私と同じ方法で自分の腫れを治します。

 ともかく魔王を恐れて動けないというのなら幽霊達のお相手はここまでですわ。

 私と蘭丸は自分達の幽霊に背を向け、魔王城への跳ね橋を渡り始めました。

 すると背後で聞こえた音高き乾いた響き。

 振り返ると幽霊の薔薇香二号が蘭丸二号の頬を叩いたというのがそのポーズで解りました。

「朝霧先輩! 私達も意地を張り通しましょう! このままでは私達が元の世界へ戻っても世界の破滅を見過ごしたという生き恥、いえ新たなる死に恥ですわ!」

 元気ですわね。

 元気があれば何でも出来る! 気合注入成功ね。

 それを見ている蘭丸二号の眼が恨みがましい負け犬モードから輝きのある前進モードへと変わりましたわ。

「そうだね。……僕達は無力だと結論したのは早急すぎた。ここで引き下がっても何も得られないどころか世界を見捨てた汚名を負う事になる。行こう!」

 まあ。格好いい事ですこと。何処かの大魔王に見せてあげたいわ。

 ……って見てるのね。

 しかしその次に私と蘭丸の前で繰り広げられたのは心臓どっきーんな光景でした。

 私二号と蘭丸二号は無言でしばし見つめ合っていたと思ったら、どちらともなく手を重ねて指を絡め、互いの唇を重ねましたの。

 え!? キスシーン!?

 二人は恋仲だというの!? そんな事をしたら子供が出来てしまいますわ!なんてうぶな感想は抱かない仮想経験豊富な私ですけれども、それはもう大変なショックでしたわ。

 ちょっと待ちなさいよ! この場にはあなた達だけじゃなく私と蘭丸がいるのよ。魔王ゼードゴラーイも聞き耳だけじゃなく光景まで見通しているかもしれないのによくそんな露出狂みたいな真似が出来るわね!?

 私と蘭丸の姿でそんな事をしないで! そんなものを見せられたら心臓はばっくばく! 次にAEDが必要だったのは私というオチがついてしまうじゃない!

 あーもう、恥ずかしさで体温が上昇しますわ。私の顔も熱がこもってさぞかし赤いでしょう。

 私は思ずきびすを返して恋愛状況から眼を反らします。

 と、そこで方向転換した私の唇の位置にあったのは、眼を閉じた蘭丸の顔でした。

 近い! 近すぎます!

 というか、微妙に腰を屈めて私の唇の高さに自分の唇の位置を合わせないで!

 Wキスシーンなんて大胆な演出を決めるつもりなのね。二人のムードを一気に高めるつもりね。決めてやる今夜なのね。

「蘭丸二号の分際でいい気分を出して私を抱こうなんて思わないで! あなたにリップのヴァージンを捧げるつもりなんてなくってよ!」

 私は慌てて蘭丸の頬を縦ロールでバチコーン!と挟み叩いてやりました。

 撃墜された蘭丸はそのまま膝を屈して魔王城の跳ね橋の上に墜落します。

 あれ? でも考えてみたら私は蘭丸の唇を受け入れてもよかったんじゃありません? 元元そういう眼で蘭丸を見ていたのですから。

 そう! 思えばここは私の夢の中。

 魔王ゼードゴラーイも蘭丸も幽霊達もそして今の私自身も全て楯楼流薔薇香の夢の産物。

 そうよ! 夢の恥はかき捨てなのよー!

「早く起きなさい。大魔王蘭丸」

 私は蘭丸の手を取り、強引に立たせましたわ。

 そしてその唇に私の紅薔薇の様な唇を無理やり重ねてやります。

 瞬間、蘭丸の顔が赤く着火しましたわ。

 どう? 舌の根が乾かぬ内に私のわがままな自由奔放さが魅せる情熱的なファーストキスは!?

 大魔王蘭丸も不意討ちにたじたじですわ。

 私は振り向きます。

 幽霊達と眼を合わせましたが、二人の黒い瞳はこれほどないくらいに澄んでいました。

 しゃんとしなさいよ。大魔王。

 そして四人は黙って魔王の城への跳ね橋を越えました。蘭丸は不意討ちの余波で腰が引け気味でありましたが。

 これより暗黒の悪夢の世界に入門でございますわ。

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