第4話 転生戦士、覚醒

 そこは中世ヨーロッパ風の上流階級らしい屋敷の広い寝室した。

 中世ヨーロッパという言葉を安易に使うと時代考証にうるさい中世ヨーロッパ警察が湧くから、ここは『異世界ファンタジー風』という言葉にしておくのが無難かしら。ここは異世界ファンタジー風。皆様、ジャガイモ料理でもトマトでも透明なガラスがはまった窓でも清潔なおトイレでも何でもガンガン存在しまくってよろしくってよ。

 私、楯楼流薔薇香は二つ並んだ豪奢な揺り寝台に絹のおくるみにくるまれた金髪巻き毛の赤子としてこの世界にいます。まあ、産まれてすぐの身で既に頭髪が生えていて精神的に助かったわ。それにやっぱり縦ロールは金髪が最高ね。異論は認めないわ。

 揺り寝台は広く、私の横には黒髪の赤子が寝かされていますわ。どうやら二卵性双生児の男の赤子の様でございますわ。これまでの展開から考えて、この赤子が朝霧蘭丸先輩の転生した姿みたいですわね。

 私は大きな翡翠色の瞳で部屋の中を見回します。

 この広くて立派な寝室にいるのは貴族の様な身なりをした二人の女性と二人の男性。そして大勢の衛士風の一様の武装をした屈強の男達。

 二人の男女はが人格が外見に出た様な立派な中年。男の髪は黒く、女はブロンド。

 そして二人によく似たブラウンの髪の美しい女性が年若くて一七歳ほど。服の上からでも解る巨乳ですわね。

 そしてそして一人、皆と相対する窓際の位置にいるのが黒マントの男。マント以外の装いも黒革が基本で、欧州風の顔立ちなのに肌は黒に近い褐色であり美形。

 空いた窓から鳴りながら吹き込む風に、小さくなびく黒マント。

 私達の両親らしき中年男女は衛士達と一緒に若い美女をかばって震えています。

 黒い美形の男に、他の皆の視線は緊張して釘づけです。

 この世界に転生していきなりの事ですけれども、どうやら事態は緊迫しているみたいね。

 黒い男の不敵な笑い声が部屋の中に響き渡ります。

「大人しくクレメンタインを渡せば、不死の血の祝福をもってして永遠の生命を与えてやろう! そしてお前達一族に魔人『エレキグィタ』の永劫の庇護を与えてやる!」

 あら。日本語を喋っていますのね。まるで吹き替え版の洋画を観ている様ですわ。

 クレメンタインとはあの少女の名ですね。私達の姉なのかしら。

 とにかく魔人エレキグィタというのがこの部屋に集まった人間達の共通の敵という事でいいみたいですわね。

 といって異世界に召喚された身といえ、この私は力なき赤子。今、この活劇を待つ場面で出来る事は何もないですのよ。

 大体、何故私は異世界転生を許されたのか。日本に冠たる楯楼流家の長女とはいえ、特別に凄い力は持っていない。超能力も内政力も剣の技もお料理の腕も。

 ああ、神よ。何故あなたはこの私をこの異世界に転生させたの。

「エレキグィタよ、忌まわしき吸血鬼よ! いつまでもお前の好き勝手にはのさばらせておかんぞ!」私のこの世界での父らしき中年男は叫びます。「古代事典は解読したのだ! このニンニクをくらえ!」

 中年男や衛士達は一斉に背後から白いこぶ状の根を持つ緑色の細い茎の植物を取り出し、その束をエレキグィタにつきつけました。

 途端、部屋の空気はその香菜の成分、ジアリルジスルファイドの匂いで気分が悪くなるほど匂います。それは赤子の鼻にもプンと来ます。イヤーンですわ。

 あの魔人は吸血鬼なのですか。それならば乙女ゲーム『私立男子アンデッド高校V→Z』で描写されている通り、ニンニク料理が苦手のはずです。納得ですわ。

 しかし思いがけず、エレキグィタは黒いマントを打ち振って強風を起こし、ニンニクの匂いを全て打ち消しました。この距離ならニンニクの匂いを少しは嗅いでもおかしくはない、そんなムードですのに。

「フッ! 笑止!」エレキグィタは私達の必死を鼻で笑います。「ニンニクなど臭くもかゆくもないないわ! 毎晩、少しずつその砕片を処女の血に溶かして飲むこと幾百年、今やすっかり耐性をつけ、その弱点を我は克服したのだ! ……さあ。どうぞ。マドモアゼル」

 エレキグィタは黒い右手をクレメンタインに差し出しますが、彼女がその手に渡したのは太い木の枝を十字型に組んだ十字架なのでした。

「これでも食らいませ! 吸血鬼ッ!」

 クレメンタインは十字架で吸血鬼を思いっきりひっぱたきますが、それは黒革の衣装の表面で砕けて相手は何のダメージを受けた気配もありません。

「お前は救世主教の敬虔な信者ではないね。信心のこもっていない聖印はただの『形』にすぎないのだよ。……そんな物、我には何のダメージにもならん!」エレキグィタは確かに何の苦痛もなく笑います。「言っておくが、お前達が次に太陽や流れ水を我にぶつけたとしても我には何の傷にはならない! 太陽や流れ水には我はこの数百年、ほんの少しずつ身をさらし、かすり傷を負いながらも永い時間をかけて完全な耐性を身につけた! 見ろ、この綺麗に日焼けした肌を! これが我が太陽光に打ち勝った証しだ!」

 エレキグィタは黒革の衣装にはっきりと浮き立つ筋肉を敵対者達に見せつけます。そして、その肌の滑らかな黒さ。

 なんて健康的なアンデッドなの! 私は白眼になりましたわ。

 彼らは恐らくは私達の常識が通じがたい化け物を相手にしています。

 これは何という事。元の世界で不慮の死を迎えてこの異世界に転生したものの、やっている事が無力な赤子として美しい処女が吸血鬼に襲われているのを無口に観察しているだけなんてなんて悪夢なの。

 まさしく悪夢! 悪夢ならめよ! 赤子のもみじ手でもせめて中指を立てて意を示せ!

 私は思いきり赤子の肺でシャウトしました!

「あばばばばばばば! あばばばばば! あばばばばばばばばばあっ!」

 なんて事! 衝動は全く声にならない、赤子の身体のもどかしさ!

 それでも緊迫の画面で赤子が突然破裂音の如き声を挙げたのにこの寝室の全員が振り向きます。

 しかし、それも数秒の事で。

「さあ来い、クレメンタイン! 我が城で永劫の時を過ごそう! 二四人目の妻としてな!」

 エレキグィタは美少女の手を取り、一気に引き寄せます。

 それに対して彼女を守る衛士達はとっさに剣を抜き、一気に黒い吸血鬼との距離を走って詰めますが、屈強な男達は全員、マントの一振りであっけなく宙へと転倒しました。

「あばばばばばばば! あばばばばば! あばばばばばばばばばあっ!」

 私は姉の危機に必死に叫び続けます。

「あばばばばばばば! あばばばばば! あばばばばばばばばばあっ!」

 何て無力な! これが悪夢なら早く眼醒めざめなさい、私!

「あばばばばばばば! あばばばばば! あばばばばばばばばばあっ!」

 ……いや、これがいっそ悪夢なら眼醒めないで! 私!

「あばばばばばばば! あばばばばば! あばばばばばばばばばあっ!」

 ……もしかしたらこの世界は私が転生した異世界だと思っていたけれど、実は眠って見ている夢の中なのではないのかしら。本当の私は鼻血で失血死寸前でしたけれど奇跡的に助かって、それからの事は私が意識不明で見ている夢ではないでしょうか。そうよ、きっとそう。きっとこの異世界転生は私が見ている邯鄲かんたんの夢。ほんの午睡の間に見ている永永とした、一瞬の夢。……夢の中ならば何でも出来る。私はいつだって、明晰夢では万能の女王様なのですから!!

 私は悟りましたわ! だって、ここは私の夢の中にすぎないのですもの!

 夢の中で眼醒めなさい、無敵の私!!

「あばばばばばばば! あばばばばば! あばばばばばばばばばあっ……ああ…………ファック・オフ!!」

 超覚醒。

 突然の声に驚いた寝室内の者達が振り向く視線を集中させる中、赤子であった私の姿態は揺り寝台の上に浮かび上がり、自然法則を無視してぐんぐん大きくなりました。その姿は迷比ノ宮学園高等部の女子制服を身にまとい、この寝室から連想される世界文化とは隔絶の二一世紀日本の世界観で自己主張するのです。

 私は私!

 私は楯楼流薔薇香!

 この世界は薔薇香が見ている夢!

 育て、健康な姿態! 育て、金髪縦ロール!

「ちゃんちゃらおかしくてクリちゃんがフルボッキしますわーっ!」

 私は淑女の慎みを光速で端っこに追いやって思いっきり叫びました。

 え? そんな事を叫んで恥ずかしくないのかって?

 この世界は私が見ている夢。夢から醒めれば全部チャラ。この言葉を憶えている者はいない。誰も覗けぬ夢ならば魂の自由のままに恥ずかしい言葉を大声で叫ぶのも一興。

 夢の恥はかき捨てですわー!!

 とにもかくにも敵味方構わずの注目を集め、無敵お嬢様の私、楯楼流薔薇香はここに女子高生の姿として新たに再生しましたの。転生前の私との間違い探しは髪の色が金髪になったで正解ですわー。

 私はカモシカの様な足と革靴で寝室の床に降り立ちます。

 室内の皆が信じられないという視線で私を見ていますわ。うふふふふふふ、注目カモーン。主人公ポジションでスポットライト当たりまくりよ。

「薔薇香……」

 この世界でのお父様が私を見て呟きます。

 あら、今この赤ん坊だった私を薔薇香と呼びましたのね。赤子の名前も最初から薔薇香だったのかしら。ただの凄い偶然か、それともここに異世界転生の秘密があるのかしら。

 とりあえずここは異世界転生同性愛ハーレム物を読み漁った成果を発揮する時ですわ。

「お前は……何者だ……」

 黒吸血鬼が突然の事に呆然としていますわ。何百年と生きていても今みたいな光景を見るのは初めてみたいですわね。

「何者と訊かれて答えてやるが世の情け! 宇宙で一番縦ロールが似合う美少女勇者、楯楼流薔薇香! 華麗にここに転生! 吸血鬼エレキグィタとやら、我が姉クレメンタインに手を出そうと考えるだなんて一兆年早いですわよ! チープなあなたは自分の城とやらに引きこもって美少年のケツでも舐めていればよろしくってよ!」

「何だと! 我には少年趣味などないわ!」

 言うや、その場にいたクレメンタインは横へ押しやられます。表情に怒りを浮かべたエレキグィタは黒いマントを翼の様にしてこちらへ疾走しました。

 何ていう素早い突撃。衝撃波なのか、背を向けていた窓が瓦礫と化しました。

 えーと、そう言えば私にはどんな異能があるのかしら。

 っていうか異世界ファンタジーなのに武器とか鎧とかの装備はなし?

 勇者なら生まれつき聖剣を握っていたとしてもおかしくないんじゃない?

 本当に何もなし?

 ……OH NO!!

 肉迫したエレキグィタの黒い手の黒い鉤爪が視界一杯にアップになった瞬間に私の意識はフリーズしました。

 その危機を救ってくれたのが二人の間に電光の如く割って入った人物の木刀です。

「チェストーッ!」

 あら、暴れカバの時の再現……。

 気を張って直に自分に何があったのかを見直せば、私の前にとび出したのは男子高等部制服姿の朝霧蘭丸先輩でした。

 やはりもう一人の赤子は朝霧先輩だったのですわ。

 私の様に急成長した剣道美少年は室内の風に黒髪をなびかせます。硬い木刀は吸血鬼の黒い爪を刀身で食い止めていました。

「何だ……蘭丸まで見る見る内に成長して……これは名づけの仕業なのか」

 この世界の父が再び呟く内容を聞くにやはり双子の片割れは蘭丸先輩の転生だったのね。彼もみるみる育って制服の美少年の姿に。あら、元の世界の死ぬ直前の姿だった道着姿じゃないのね。ちゃっかり木刀は持っているというのに。

 次の木刀の一振りで、エレキグィタは一気に後退しましたわ。まるで加速装置でもついているみたいに。

「何者だ、お前らは!? 何故、赤子が成長して現れたッ!?」

「僕の名は朝霧蘭丸! この世界を支配する為に転生してきた大魔王だ!」

 え? 大魔王!?

 朝霧先輩は何か思い違いをしているみたいですわ。

 この世界は私が眠って見ている夢。先輩は夢の中の登場人物にすぎないのに。

「この魔人エレキグィタや悪夢の魔王『ゼードゴラーイ』様を差し置いて大魔王を名乗るとはお前は何様のつもりだ!」

「朝霧蘭丸様だっ! 貴様なんか僕が見ている夢の登場人物にすぎない!」

 ベビーフェイスの朝霧先輩が誰にも見せた事はないであろう、影を帯びた邪悪な笑みを浮かべて笑っていますわ。

「僕の明晰夢で眠っている身体が起きない内に美女ウハウハのドリーム・ハーレムを作る! ハーレム第一号はお前だ、薔薇香!」

 ……朝霧先輩って心の魔王?

 っていうか、私の夢の中の朝霧先輩は私と同じ様にこの世界を自分が見ている夢の中だと思い込んでいる設定!? なんてややこしい!!

 ともかくこの朝霧先輩こそ私の想像力の産物にすぎないはずですわ。

「ちょっとお待ちなさい! 蘭丸こそ私の見ている夢ですわ!」私の見ている夢なのですから先輩は名前を呼び捨てにして差し上げます。「それなのにあたかも自分がドリーム・マスターの様に振る舞うなんて、ちゃんちゃらおかしくて思わずお腹が受精いたしますわ!」

 私がおかしすぎて思わず小指を立てつつ高い声で笑うと、夢の蘭丸は頭にきた様で「うるさい! うるさい!」と木刀をぶんぶんと振り回し始めました。随分と乱暴になったものですけどこんなワイルドな先輩もそれはそれで捨て置けませんわね。夢の中でこれ、という事はこの蘭丸は私の潜在的な欲望の表れなのでしょうか。

「これは僕が見ている夢なんだ! 僕は異世界転生大魔王! 大魔王に生まれ変わった! 薔薇香さんこそ僕が夢の中で見ているこの世界に生まれ変わったという設定なんだ! 夢の中の君こそ僕のサクセス・ドリームの邪魔をするんじゃない!」

 呆れた。何処までこれが自分の夢だと言い張るつもりなのかしら。私の夢のくせにして。

 蘭丸は私を背にしたままで、間合いから出たはずのエレキグィタに向かって木刀を振りかぶりました。

「夢の中だから何でも出来る! くらえ『エターナルフォース・ブリザード』! 絶対零度の凍気で相手は死ぬ!」

 蘭丸が木刀を振り下ろしますと、剣閃をなぞる様に現れた青銀光の三日月が凄まじい威力を音に響かせてエレキグィタへと飛びました。

 そうね! 中二病なのね!? 即死技だとか大魔王だとか蘭丸は心の中に中二の大樹を育てつつ高校生になった、そういう人なのね!? そういう設定なのね!

 そして蘭丸が死んで転生したという事について、私はその死の原因となった事で思い当たる事がありました。

「……もしかして蘭丸……私や衆目の前でぱおーん!をさらした恥ずかしさが死因なのでありませんか」

 そう言うと、蘭丸は飛翔斬撃を食らったエレキグィタがガラスの破片の様に砕けた瞬間に私を振り返りました。

 ああ、童顔が真っ赤に染まっているのね

 これは図星という事かしら。

 AEDとか現場で言っていたみたいですし、もしかしたら心臓発作でも起こしたのかしら。

 ぱおーん!を周囲に見られたショックで?

 羞恥心が限界を超えたのかしら?

 羞恥死!? 羞恥死なのね? 恥ずかしがり屋さんが生存の限界を超えたのね?

 なんて可愛いのかしら! そしてなんと可哀相なのかしら、そんなショックで死んだという私の夢の設定で!

 私が高らかに失笑を致しますと蘭丸は真っ赤な顔のままで私に向かって叫びます。

「うるさい! うるさい! 薔薇香こそ鼻血が大噴出して死んだくせに!」

 思い起こされる私の主観。転生を決定的にしたあの瞬間。あら、まあ。あらためて説明されますとさすがの私もカチンと来ます。

「言っておきますけれど私は死んでいませんのことよ。意識不明。そのはずよ」

 全ては邯鄲の夢。永い永い夢の物語も現実に戻れば眠っていたのはほんの一時ですわよ。

 それにしても私の夢の中の登場人物として私の恥ずかしいシチュエーションをつついて攻撃するなんて生意気すぎるじゃない。

 私は蘭丸へと言葉での反撃を開始しようとしたその時ですわ。

「貴様達……我を無視するでない。あれくらいの攻撃で我が倒れるとでも思っているのか」

 その声に私と蘭丸と、そしてその他大勢のオーディエンスとして私達二人の争いを傍観していた両親と姉と衛士達がエレキグィタの死体を振り返りました。

 粉粉に砕けたはずの吸血鬼はその破片の一つ一つが小さな黒い蝙蝠となって元の立ち姿へと集まっていきます。

 二秒と経たぬ間に蝙蝠の群が一つの姿に溶け合わさり、五体満足な黒コスチュームのマントひるがえすエレキグィタが復活しましたわ。

「このアンデッドの魔人たる我が凍結攻撃などで死ぬものか。とはいえこの我の姿を一度でも壊し、滅即復活の力を使わせた事はほめてやろう。それを誉れとして永久の眠りに旅立つがいいわ」

 エレキグィタが自ら十字架の如き爪先立ちになった瞬間、その両腕がフッと消えました。

 見えないほどに加速したんですのね。

 私の脳裡にBLアニメ『吸血鬼クリニック・俺の媚薬に狂えばいい、愚患者ども』のワンシーンが浮かびました。両手の十本の指を鉤状に曲げてその内側に高圧圧縮した空気渦を封じ込め、強力な発条兵器の如く解放を待つ魔祖グレゴリオの指弾技。私達はまさにその標的になっているに違いありませんわ。一弾、一弾が飛んでくる大型ナイフの威力ですわ。

「伏せて、蘭丸! 空気連弾が来るわ!」

 私は思わず叫びましたが言葉が間に合ったとは思えません。

 両手が胸の前で交差し、金属音と共に十の圧縮空気弾が放たれました。

「チェストーッ!」

 ワザマエ! 見えない五つの弾丸を、蘭丸の木刀は最小限の機敏な動きで弾き返しましたわ。

 私の方に飛んできた透明弾は金髪縦ロールが動いて弾き返しました。

 あら。今、私の縦ロールが結構フリーダムな動きしましたわね。自動的に勝手に動いてくれたみたいな。

 しかし私の方に飛んできた一発は弾き返された時にこの美しい頬に一条の切り傷を残していきました。そこから赤い絹糸の様な血が一筋垂れます。

 何て事、この楯楼流薔薇香の麗顔に傷を! 痛いじゃないの! まあ、私は普段の夢から五感痛覚があるから、痛いからって夢じゃないという証拠にはならないけれど。

 それにしてもこの美形に傷だなんて取り返しのつかない事を!

 けれども、ここは私の夢の中!

「楯楼流薔薇香がここに命じます! 傷は治りなさい!」

 瞬間、血は止まり、痛みは霧散します。傷は消しゴムをかけた様に消えました。

「夢の中のお前は気持ち悪いな……」

 蘭丸がその私を見て、ひいた顔をしますが、こんな傷は気合よ、想像力よ。

 それにしても今の一発で私の怒りゲージが満タンになりましたわ。夢の中といえ私に傷をつけるなんて!

「蝙蝠なら蝙蝠らしくドリアンの受粉媒介でもやってればいいのですわ! あ、あれはオオコウモリでしたか」

 叫んだ私はエレキグィタに挑みかかろうとしますが、走り出す直前にはたと頭が冷えました。

 私は徒手空拳。武器装備を持っていない。蘭丸でさえ木刀程度は持っていて中二風の必殺技を繰り出せたというのに。

 そうですわ。夢の中の技は私自身が想像力で想像するのね。蘭丸が木刀を振るう様にかねてからの私らしさが武器なのね。

 とすれば、私らしい異能とは何なのでしょう。美しさで敵を魅了するとか?

 思いだせ、私らしさ。私ならではの異能を励起するのよ。

 蘭丸だったら木刀! 私なら……何?

「とどめくらえ、エターナルフォース・ブリザード!」

 蘭丸は二撃めの中二技を放ちます。

 しかし、その二度目の斬撃はエレキグィタにはまるで届かない間合いで見事な空振り。

「……何故、技にならない。……最初の一撃と全く同じ剣とタイミングだったのに……」

 蘭丸は呆然と呟きますが、確かに今の技は私の眼にも最初と全く同じものに見えましたわ。

 なのに、何故、今度は技が発動しない。私にも解りませんわ。

「蘭丸様! この世界では必殺の技は同じものは二度も発動しないのです!」叫んだのはすっかり観客席に収まっている私達の父親でした。自分の子供達にすっかり敬語ね。「自分の最高を超えた技を出す為には工夫した新たなる技を!」

 まるでマンネリ化を回避するのに必死なバトル漫画みたいですのね。この世界観様に超常技を献上する為には、前の技のインパクトを超えた新技をアイデアを絞り出してお披露目する必要があるのね。

 インパクト。それは大胆なエフェクトであり、大振りであり、斬新な技の名前。

「蘭丸!」私は美少年にアドバイスします。「すっごくかっこいい中二的な技の名前を新しく考え出すのですわ! 新しい技の名前、イコール新必殺剣ですわ!」

「解ってる!」

 蘭丸は木刀を肩に担いで何やら口をもごもご動かしましたが、その隙を見逃すほど魔人エレキグィタは愚かではありませんでした。

 吸血鬼の黒い姿が消えたかと思うと後に真空だけを残し、一瞬で蘭丸との間合いを詰めます。

 黒い拳。いわゆるボディブローが、ワンツーのタイミングで蘭丸のみぞおちに叩きこまれます。

 その二撃で蘭丸の身体は後方に吹っ飛び、自分達が使っていた赤子の揺り寝台を潰し、破壊しました。

 強烈なダメージに蘭丸は咳き込んで血を吐きます。

「ちょっと、エレキグィタ! 私の夢の中の登場人物にしては、あなた、悪役ぶりが激しすぎるんじゃない! たとえ夢の中でも私の胸が痛くなる描写はしないで!」

 叫んだ私にエレキグィタが振り向きました。そして即座にあのポーズをとります。十発もの空気弾丸を放つ、凶悪なあの武器発射の構えを。

 距離が近い! 逃げられないじゃない!

 十発全ての空気弾が至近距離の私に向かってマグナムの威力で放たれました。

 万事休す! 夢の旅もチュートリアルが終わっていないこの段階で死、なの!?

 覚悟した私ですがこれを救ってくれた物がありました。黄金のオロチ。私の左右前後の金髪縦ロールが自発的に動いて、まるでヌンチャクの回転で防御する如く空気弾を全て弾き返したのです。

 瞬間に私は覚りました。私らしさといえば確かにこの縦ロール! 意のままに、いや意識さえ超えて自在に動いてある時は攻め、ある時は守る、髪のオロチを巧みに操るメデューサの金髪縦ロールこそ私にふさわしき異能なのですわ!!

「あまりもの痛快さに思いっきり濡れますわー!」

 私は小指をのばしつつ高笑いします。金髪縦ロールは私の意思で黄金の螺旋槍と化して、直線的に吸血鬼に襲いかかりました。

「ハニーブロンディ・スパイラル・ツキッ!」

 必殺技は歌舞伎かぶいた名前。きつく絞られた私の黄金の突きは物理法則を無視して瞬時に五mの間合いを詰めましたわ。

 鋭い勢いは全てを貫く勢いでエレキグィタにを襲撃しました。その二本の尖端は胸の前にかざした黒い両掌を貫いて筋肉質な胸板に大きな穴を空けたのです。

「この勇者楯楼流薔薇香や心の魔王朝霧蘭丸を差し置いて悪夢の魔王を名乗るとは、あなたの上司ゼードゴラーイとやらは何様のつもりですか!」

「……おのれ! 悪夢の魔王様を呼び捨てにしおって! 何と不遜な!」口から黒い液体をこぼしながらエレキグィタは言い放ちます。

「不遜で結構! 不遜でもサムソンでもマリリン・マンソンでも、今のうちに私にひれ伏して足の指の間を端正に舐めあげてくれるのでしたら、命を助けてやらない事もないわ!」

「下品な!」

 たくましい吸血鬼はその身を幾十もの小さな蝙蝠に分解しながら、己の傷を埋めていきます。

 更に彼は鋭い黒爪を持った手で襲いかかってました。何と身体に黄金の縦ロール槍を貫かせたまま槍の表面を黒血で滑らせて私との間合いをゼロにします。蝙蝠の群から黒く鋭い爪が私を襲います。

「真空技『シンケン・シラハ・トリ』ッ!」

 私の黄金の双房は左右から黒い手を挟んで、私の額を貫こうとしていたそれを止めましたわ。漫画『男の子イッポン!』のヒロイン、ウグイスが見せた技ですわ。間一髪、エレキグィタの攻撃を防ぎました。

 しかし相手の身体はどんどん蝙蝠から肉体へと復活していきます。

「たとえ太陽の光が肌を焼いてもこの魔人エレキグィタを倒す事は出来んわ!」

「そうならばこれはどうだ!! 『サンシャイン・ハレーション』!!」

 私の背後から現れた蘭丸が木刀の突撃を黒い吸血鬼は腹で受け止めました。あら蘭丸、もう既にさっきの怪我は治っているみたいですわね。

 貫いた木刀が内側から朝陽の光を幾丈も周囲に放射します。

「身体の内側から太陽の光で炙られた気分はどうだ! 吸血鬼!」

 蘭丸の新必殺技はそういう路線で来たようです。怪我は私と同じ方法、気力で治したみたいね。完全にパクるとは侮れないわ。夢見がちな少年蘭丸、恐ろしい子!

 今度の内部攻撃は健康的な吸血鬼にも存分に効いたみたいですわ。魔人エレキグィタは悲鳴を挙げながらその黒い肉体衣装が灰となって形が崩れていきます。今度は蝙蝠にならないのね。

「ぐおおおおおおおおおぉぉぉっ!! ゼードゴラーイ様ぁぁぁっ!!」

 断末魔の間の悲鳴を挙げながら吸血魔人エレキキグィタの身体が崩れていきます。蘭丸の木刀はその身をえぐりながら陽光の放射を止めません。滅即復活というのもこの内側からの太陽光の前には通じないみたいね。

「……たとえ我が倒れてもゼードゴラーイ様の配下『六の魔団』が貴様らの前に立ちはだかる! ……貴様らが伝説の勇者の生まれ変わりだとしても六の魔団は倒せん……! 六の魔団の城塞の前には……」

「いいから早く死になさいよ」

 私は金髪の細いドリルをエレキグィタの額にさくっと刺しました。

 エレキグィタの灰化が加速してあっという間に完全分解し、この寝室の開いた窓から外へと吹きこぼれていきました。

 あちこちを破壊された異世界ファンタジー風の大きな寝室はこれで静かになりました。

 私達は魔人エレキグィタに完全勝利したのですわね。

 壁際に追いやられていた私達のこの世界での両親、姉クレメンタイン、衛士達が私達の戦いを見守り終わって感動と安堵の汗を流していますわ。衛士達はそれなりに怪我を負っていますが、私達の様には治す事が出来ないのね。

「蘭丸……薔薇香……名づけの通りに予言の勇者がここに現れてくれた……」この世界での父親が滂沱ぼうだの涙を流しながら私達に語りかけます。「二人とも魔王ゼードゴラーイからこの世界『マヨヒノミア』を取り戻す為に戦ってくれますね……二人の勇者様……!」

「言っておくが僕は勇者じゃない! 大魔王だ! 大魔王蘭丸、この夢の世界を支配する者だ!」

 蘭丸はこの期に及んでそんな言葉を吐きます。私にぱおーん!を見られたショックで死んだ、そういう設定のくせに。

 私の方は勇者と呼ばれてちやほやされる準備はいつでもカモーンよ。

 ここは私の夢の中。私は明晰夢の主人公。

 ああ、まず私達の身に何が起こっているのか、夢の中の世界観を両親からくわしく説明してもらう必要がありますわね。

 ここは私の思うままになるとはいえ、夢とは常に己の記憶を遥かに超えた思いがけない風景を見せてくれるものだから。

 それにしてもマヨヒノミア? 迷比ノ宮私学園と関係が深いという設定なのかしら。それとも単なる他人の空似?

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