4 花の町
リビングにある大きな窓から差し込む光の眩さに目が覚める。マシロはわん公の腕の中で眠っていたようだった。
「オはよウゴざいマす。マシロ様」
目をこすりながら上半身を起こすと、リトル・ダンテがマシロににこりと微笑みかけた。
それに返すようにマシロもリトル・ダンテに微笑みかける。
「ああ、おはよう」
身支度を済ませていると、とっくにきれいに身なりを整えているロフスキーが階段を下りてきた。
「マシロさん、少しお話したいのですが」
そう切り出し、ソファの背凭れに手をかける。マシロは荷物を持ち、頷いて定位置に座り込んだ。
ソファに向かい合って座る。リトル・ダンテはロフスキーの左隣に座り、わん公はマシロ側のソファの横に座る。
「……まずですね」そう言ってロフスキーは話し出す。「昨日の事、謝らせてください」
すみませんでした、と言うと深々と頭を下げた。リトル・ダンテもロフスキーに倣って頭を下げる。
「よせよ、そう言うのは嫌いだ」
首を横に振って告げる。
「ええ。ですが、これは単に私がしたくてしたことなので……それと、博物館に行く前に話した研究についての話ですが……貴方のこと、やはり信用できない。魔法使いだから、というわけではないですが、……」
そこまで言うと言葉が出てこないのか黙り込んでしまった。
「まあ、そう簡単に人に植え付けられた恐怖や不安は拭えないだろう。別に気にしていない。そういう人間はごまんといる。私は、お前のような人間を何人も見てきた」
だから気にするようなことはない、もとよりそうするべきだったと私も思う。マシロは最後にそう付け足した。
その言葉を聞いて、ロフスキーは少し安心したような顔をした。
「……今朝、目が覚めた時。リトル・ダンテに昨日のことについて聞いたんです。博物館まで行った時の事……詳細は省きつつでしたが、大体のことは教えてもらいました」
そう言って次の話題に入る。
「それを聞いてどうしたんだ?」マシロは淡白に聞く。
「私は……――いや、俺は正直怖かった。“指導者”を信仰する“追随者”がここまで反乱分子を消しに来るのかと」
「俺」というのが、彼の本来の人格なのだろう。昨日の時点でお互いに腹を割って話をしたという事実ができ、取り繕うことはやめようと思ったらしい。マシロもそれは同じだった。
「……もう、良いよな。これ以上取り繕うのは。どうせ、もう会わないだろうし」
「そうしてくれ」
俯きがちにロフスキーは言うと、マシロは頷いた。続けてロフスキーは言う。
「“指導者”や“追随者”について、あんたはどこまで知っているかは知らないが、俺は知ってる。 ……あいつらの恐ろしさを」
思い出しているのだろう、膝の上で握りしめられている両の拳は小刻みに震えていた。
「ほんの少し前の話。“指導者”と言う組織に、俺はいたんだ。研究者としていいように使われていた。だが、“
マシロはそこまで聞くと、「少し前っていつの話だ?」と聞いた。
「ええっと、四年前……三年前かな?」
その答えに肩がびくりと跳ねた。
――四年前。逃亡計画を立てていたという話だから、逃げだしたのはもう少し後だろうが、それでも
「え、何?」
ロフスキーはマシロの反応に困惑していた。
「いや、そうだな。 ……そういうことか。私も少しだけ話しておこうか。全くの無関係というわけでもなさそうだからな」
一人納得すると、一拍置いて話し出した。
「私も“指導者”や“追随者”については大体知っていた。と言うのも、“四年前に起きた事件”に間接的に関与しているからだ」
その言葉にロフスキーは酷く驚いた。
「どういう意味だ?」
「四年前の事件、知っているだろう? お前は被害者だろうからな。その被害者に私の両親もいたんだ。実際、その現場に私はいなかった。別の場所にいた時、知り合いに訃報を聞かされてな。身を隠すことに徹することにしたんだ。その裏で、学者として旅をすることを表面上の理由にして、“指導者”について情報を集めていたんだ」
あまりにも衝撃的な告白に、ロフスキーは目を白黒させていた。
「え、でも」
そんな風には見えなかった。ロフスキーはそう言おうとした。だがマシロはそれを予測して、「隠していたからな。誰にも悟られるわけにはいかなかった。どこに追随者が、彼らと繋がりを持っている人間がいるか分からなかったから」
そう言われてロフスキーは黙り込んだ。
何か思うところがあったか、前のめりに体を丸めて、手で顔を覆う。「あんたも、被害者か」そう呟いた。
「これから、どこへ行くの?」
気になったのだろう、会わないと決めていても、短い時間を共に過ごして、たとえ欺かれていたとしても本来の彼女の姿が垣間見えた気がしていたから、本来の彼女はもっと純粋で逞しい人なのだろうと察する。少しばかり、彼女のことが良くも悪くも気になってしまっていた。
ロフスキーの問いに、マシロは顎に手を当て考え込む。
「うーん。そうだな、ゆくゆくは“指導者”がいるだろう街に向かおうとは思っている。だがその前に、全部の街を見て回りたいんだ。そうだな、次に行く町は……」
「ブロムストビューなンてドウでしょウか?」
マシロがぶつぶつと呟いていると、リトル・ダンテがそう提案してきた。ロフスキーは隣で「ここから近いし、良いと思う」と頷いた。
「そうだな、そうしよう」
「でも、あの街に……“指導者”のいる街、サルウァトルシティーに行こうと思えるなんて……」
どうしてそこまでしようと思うのだろうとロフスキーは不思議に思った。
「彼らが我々市民を本気で守ろうとしているのか、“文明”を繁栄させて何がしたいのか、疑問はいくつかある。だからこそ確かめなければならないと私は思っている。それに、復讐もしたい。もちろん、彼らを殺しにいくわけじゃないが」
「え、でもあの事件って」
「ああ。だがまあ、両親の思いを汲むとなると、殺しは良くないし、誰も救えない。暴力を暴力で解決しようとすれば、また争いが生まれる。憎しみが広がるだけだ。私はどうにかして
真っ直ぐに、白く澄んだ瞳でロフスキーを見つめる。
――この人は本気だ。きっと、何か考えがあるんだ。だから、ずっと一人で……。
「……もし、あんたが良ければで良いんだけど」とロフスキーは切り出す。「もし、サルウァトルシティーに辿り着けたら、俺の家族に会ってくれないか? その街に住んでいるはずなんだ。安否が知りたい……弟が、母が、住んでいるはずなんだ……」
そう言うとまた俯いた。肩を震わせて、嗚咽を漏らす。
「分かった。会えたら、彼らに伝えよう」
リトル・ダンテから駅までの道のりを教えてもらうことになった。鞄から、滅多に使わないホログラム式PCを取り出した。台座にあるボタンを押すと青色のランプが点灯した。起動させるとホログラムが空中に投影され、メニュー画面が現れる。そこから地図アプリを開き、リトル・ダンテから行き方のデータを転送してもらう。すると、地図上にルートが示し出される。
「コレで大丈夫でしょウ」
「ありがとう、リトル・ダンテ」
「いえいえ」
玄関口でリトル・ダンテと話していると、キッチンの方から音が聞こえてくる。ロフスキーが袋を持ってやってきた。
「これ、食糧。念の為に持っておいて」
「気が利くな、ありがとう」と袋を受け取ると、中身を確認することなく鞄の中に乱雑に入れ込んだ。
「金銭ノ方は大丈夫なんデスか?」と首を傾げて聞く。
「PCの方にいくらか入っていて、ほとんど使っていないから余っているし、大丈夫だろう」
「一応いくラか分けマスよ、長旅にナルでしょうシ」
両手を出し、PCを渡すように促す。マシロはそれに応じてPCを渡す。起動させ、ホログラムが投影されると、メニュー画面の中から「
「コレで大丈夫デスね」
そう言って画面を閉じ、PCをマシロに返却した。
「ありがとう」
踵を返し、マシロはPCを鞄にしまいながら玄関口から外へ出た。それと同時にわん公がマシロの方へ走ってきて、まるで走る馬に乗馬するかのように飛び乗り、そのまま繁華街へ走っていった。
リトル・ダンテは玄関を出て、マシロたちの背中を目で追う。しかし、すぐにその背中は小さくなっていった。
*
わん公は本気の走りで走り続けた。人通りが無くなった時、マシロはそれを好機として静かにわん公の足に手を近づけて魔法をかける。それは一時的にわん公の力を底上げするための魔法だった。その魔法を受けてさらに加速していく。
そうして前よりも早く繁華街へ着くことができた。入り口に着いた途端、わん公は疲れたのか地面に伏した。
「すまんの、わん公。少し休もうか」
「わふ……」
繁華街の中へと入っていくと、ホログラム式PCを鞄から取り出し起動させると地図を開く。繁華街の中は迷路のように四方八方に道が伸びているため、地図は必需品となる。地図さえあれば迷うことはない。
ゆっくりと体を持ち上げるわん公はマシロに擦りつく。自身の体を庇うようにゆっくりと歩き出すと、マシロはわん公を気にかけながら地図を確認し、わん公の歩幅に合わせて歩き出した。
地図を確認しながら進んでいくと、「おーい!」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。声の主は道の突き当たりからマシロの方へ走ってきた。
「マシロちゃん!」
モーネだった。
「モーネ!」
「やっぱりマシロちゃんだ! 今度はどうしたの?」
モーネは親しげに笑いかけ、わん公の頭をガシガシと撫で回す。わん公は気持ち良さそうに目を瞑った。
「
「それならボナムに来て!」と自分が来た方向を指差し、マシロの腕をぐいと掴んで引っ張る。
「ボナム?」
「うん! パパが働いてる料理屋さん!」
ああ、あそこかと納得する。モーネはマシロの答えを聞かずに腕を引っ張って走り出した。「ちょっと待て! わん公は疲れているんだ!」
マシロの必死の叫びをモーネは無視をして、「早く早く!」と急かした。
わん公は仕方がないな、と言う風に二人に早足でついていく。
T字路の突き当たりにある料理屋「ニクス・ボナム」。廃墟のようだった建物は一日も経たずにきれいになっていて、扉の上には店名の書かれた看板が掲げてあった。階段を登って比較的大きな扉を開けて中へ入ると、人が多くいて、あの生々しい死骸や滴っていた血液や赤い水溜りは見る影もなかった。
活気を取り戻した店の中、ホールから見える厨房の中にはモーネの父親と他に三人ほど男が忙しなく働いていた。そのうちの巨躯をもつ大男がマシロに気がつくと、手を止めることなく、大きな声で話した。
「おお! あんた、あんただろう? うちの従業員や大事なお客様を助けてくれた女の子ってーのは!」
店の端から端まで聞こえる大きさで叫ぶ男にマシロは驚いて仰け反る。
「な、なんだ……?」
マシロとわん公は中へ入るや否や何事かと辺りを見回した。料理を堪能していたのだろう客たちはマシロを見て、「あの子が犯罪者から守ってくれたって!」「博物館にいた人たちが無事に戻ってきたのはあの子のおかげなんだってな!」「とても逞しい子ね、頼りになるわ!」そう言って盛り上がっていた。
マシロは何があったのか聞こうとしたが、モーネはすかさずあるテーブルにマシロとわん公を招いた。そこには前に博物館でモーネの頼みを聞いて探し出したモーネの母親がいた。
「あら! マシロさん、でしたっけ?」
「ああ、また会ったな」
「偶然よね! マシロちゃんの姿が見えたから思わず迎えに行っちゃった!」
楽しげに母親に話すモーネの姿にマシロはほくそ笑む。
自身の仕事を他の従業員に託したのか、先ほど大声を上げた巨躯の大男がマシロたちのテーブルへ歩いてきた。
「改めて、初めまして。俺はここの店長のオレグ・ペトロフだ。昨日通報して魔法使いさんが来てくれてね、すぐに店は元通り綺麗になって、従業員もみんな無事に戻ってきたから、落ち着いた今、宴会を開いていたところさ! あんたはこの店の英雄だからな、好きなだけ食べて飲んで楽しんでいってほしい」
オレグはにっと口角を上げて思い切り笑う。前歯が一つ欠けているのがとても印象的だ。
友好的に接してもらうことは久しぶりだった。マシロはおかしくてふふっと笑った。
「分かった。ならお言葉に甘えていっぱいご馳走になろう。どうせこの後、ニクスを出て行くからな」
「そうなのかい? なら尚更楽しんでもらわなきゃな! わっはっは!」
豪快に笑ったオレグに続いて店中でさらに盛り上がりを見せる。マシロにとっては“関係のない話”で、身に覚えのないようなことだったが、彼らにとってはマシロは英雄のようで、命の恩人らしかった。
わん公はマシロの隣から離れないが、客の何人かはわん公に
「おい、わん公に無闇矢鱈に食べ物を与えようとするな。困っているじゃないか」
食べ物をあげようとした子供はしゅんとして、自分がいたテーブルに戻っていった。
「だめかい?」
「いっぱい食べて欲しいんだもの」
逆に大人たちは肩を落としつつ、自己満足のために食べ物を与えようとその場を動かなかった。
「やめてくれ。その代わり、店長さん。鹿肉はあるかね? 彼女は生の鹿肉が好物なんだ」
「おお、あるぜ。でっけぇ鹿肉をプレゼントしてやるよ!」
「ありがたい」
「わんっ!」
鹿肉と聞いてわん公は尻尾を振って喜んだ。
それ以外は食べないのかと判断すると、わん公に集っていた人たちは自分がいたテーブルへ戻っていく。
「なんで鹿肉?」
モーネはテーブルにある大皿から料理を小皿に分けて取り、マシロの前に小皿を置きながら聞いた。
「好き嫌いが激しいわけじゃあないがね、そうでも言わんと無理やり食べさせようとしてくるだろう。人であれ動物であれ、無理やり口に物を入れられるのは拷問と同じじゃ」
いただきます、と言ってモーネが取り分けてくれた料理を食べる。マシロの言葉に、「そっか」と相槌を打つとモーネも自分の分の料理を頬張った。テーブルに置かれた料理は現代で言う中華料理のようで、小皿に分けて食べる大皿料理がこの店では主流のようだった。モーネたちのテーブルの上には様々な料理が置かれていて、テーブルを圧迫していた。
店長がマシロから頼まれた肉を持ってくると、わん公は嬉しそうに舌を出して尻尾を振った。
「ほらよ」と大皿に乗ったブロック状の鹿肉をわん公の前に置くと、がつがつと勢いよく食べ始めた。
「ハハッ! でっけぇ体だもんな腹減ってんだろ。もっと持ってきてやろうか」
「いや、大丈夫だ。あとは水をわん公に持って来てくれないか?」
「あいよー」と返事をして小走りに厨房へ戻っていく。戻る際に客から注文を受けたり、食べ終えた皿を受け取ったりと慌ただしく動いていた。マシロはその姿を見て目を細める。じっとそれを眺めていると、モーネは不思議そうに小首を傾げた。
「どうしたの?」
「ここの客たちは、これが当たり前だと思うか?」
意味深長な質問にモーネはまた首を傾げる。
「どういうこと?」
「お前はまだ分からんじゃろうがな、この世界、この時代で、この光景を見ることは少ない。とても貴重な光景なんじゃ」
そう言うと再び料理を食べ始める。
母親はマシロの様子を見て怪訝な表情をした。
「あなたは、本当に何者なの?」
「さあな」
物を口に入れた状態でもごもごと適当に答えた。
それから何回か店長がテーブルにやってきては、おすすめだと言って大皿料理を持ってきた。マシロとわん公は彼らに甘え、以前より多くの食べ物を平らげ、流石に腹がいっぱいになったのであとは他の客たちで分けて食べてくれと頼み、モーネたちと別れることにした。
わん公は先に店から出て、マシロはその後に続く。階段を降りたところで、モーネが扉を開けて追ってこようとした。
「なんじゃ、モーネ」
「これから、どこへ行くの?」
「そうじゃな。まあ、花の町にでも行こうかとな」
「花の町?」
「ブロムストビューっていう町があっての、そこへ行くんじゃ」
「へー! 良いなあ。アタシも行きたいー。マシロちゃんともっと一緒にいたい!」
頬を膨らませて我儘を言うモーネ、その後ろから母親が歩いて来た。
「もう行ってしまうんですか?」
「充分楽しませてもらったよ。店長たちにはよろしく言っておいてくれ」
「ええ。本当に、この度はありがとうございました」
深々と頭を下げる母親に、マシロは「やめてくれ、辛気臭い」とそっぽを向いた。その様子に頭を上げて、ふふっと微笑んだ。
「ほら、モーネ。お別れの挨拶よ」
「……やだ」
「やだじゃないわ。困らせてはダメよ?」
「だって……」と、服の裾をぎゅっと掴み、俯く。涙を堪えているようだが、堪えきれずに肩を震わせて泣いている。嗚咽を漏らすモーネを見かねて、わん公は踵を返してモーネに近づき、頬をぺろっと舐めた。
「わん公……」
「くぅん」
「永遠に別れるわけでもない。また会えるさ」
マシロは真っ直ぐモーネを見つめる。雪景色のように美しい瞳を見つめ返し、涙を拭って強く頷く。
「うん! また会おうね!」
元気一杯に手を振り、モーネはマシロたちとの別れを受け入れた。
わん公は階段を駆け降り、マシロはわん公の背中に乗って駅を目指した。振り返ることはなかったが、モーネはマシロたちが見えなくなるまでその背中に手を振り続けた。
料理屋を出て左に曲がり、鞄を開いて地図を確認する。三方向に道は続いていて、真っ直ぐ行くと博物館のある出口へ。右に進むと駅、左はまた別の出口があるようだった。
わん公はマシロの指示に従って右の道を進んだ。そこからまた三つに道が分かれていたが、まっすぐ突き進んだ。
すると博物館へ向かった時と同じような出口が見えてきた。出口を出ると、外は雪が降っていた。
凍えるような冷たい風が吹き抜ける。マシロは身震いをした。
「寒いな……」
雪のせいで視界がぼやける。だが幸いなことに、駅はすぐそこだった。灯台のようにランプが点灯しているのでそれが目印となり、視界が悪い天候でも道に迷うことはない。
わん公は明かりの元に歩いていく。
駅の出入り口には電光掲示板の煌々とした光が周囲を照らしていた。電光掲示板には「ニクス・スタティオン」と書かれてある。出入り口には二重の扉があり、マシロはそこから中へ入っていった。
駅の出入り口には階段はなかった。その代わり、二重扉の先に階段があるようで、自動階段が二列になって設置されている。一方は登るためのもので、それに近づくとセンサーが作動して、上の方へ動くように仕組まれている。もう一方は逆方向に作動するようだ。
マシロは上へ登る自動階段に乗り、二階へ。わん公が乗っても特に問題はないようですんなりと二階へ上がることができた。
二階には人が全くおらず、券売機と
光をなるべく多く入れるための大きな窓が均一に並べられている駅内は、時間帯のせいか、降雪の影響もあるのか薄暗く感じる。蛍光灯がついているが、頼りなく点滅している。
だんだん暗くなり始める外、人が全くいないのも加えて何処か不気味だった。
マシロはわん公と共に歩き、一度駅員と話をするために事務室へ向かう。
事務室の窓口がある
窓口からそっと中を覗き込む。奥の方で一人の駅員が誰かと話をしているようだった。ここの駅員はロボットではなく、生身の人間がやっているようだ。
棚に隠れて誰と会話をしているのか見えないが、おそらく別の駅員だろうことは予測できた。
マシロは悪いとは思いつつも耳を傾けた。
「――ああ、参っちゃうよ本当に」
「“追随者”か……力のない我々一般市民は、彼らの言いなりになるしかないんだろうな」
「そうだな。彼らも鉄道を利用するしかないし、こっちとしてはまあ、悪ささえしなければ全然普通に対応するんだがな。それでもやっぱり悪い噂の絶えない“追随者”に駅を利用されるのは怖いな。特に鉄道で悪さをしたという話はないから、大丈夫だと信じたいところだが……」
「でもいつ何が起きるか分からんぞ? “指導者”の言いなりになる魔法使いたちも、いつ悪行に加担するか分からんし……」
「だな。魔法使いみたいな化け物たちが加担したらそれこそ世界が終わりそうだ。 ……本当に嫌なご時世だな」
先日の事件の話だろうか。確かにあまり声を大にして話すような内容でもない。それに、もし仮にこの場に“追随者”や彼らに繋がる人間がいたら、きっとこの駅員たちに未来はなかっただろう。マシロは魔法使いを「化け物」と呼ばれる事に少しだけ心痛した。分かっていたことでも、こう言う形で言われている事には心が痛んだ。
話を終えたのだろう、駅員の一人がこちらに向かって歩いてくる。見つからないように一度窓口から離れ、今来たかのように見せるために駅員が窓口に来たのを見計らってマシロは窓口へ向かう。
「失礼、駅員さん」
「おお、これはこれは可愛らしいお嬢さん。何か用かな?」
駅員は気さくに帽子を取って挨拶をする。すると、マシロの背後に座り込むわん公に気付き、うおっと驚いて小さく悲鳴をあげる。
「こ、これは」
「わん公。わしの家族なんじゃ。それで、ちょっと聞きたいことがあっての」
背丈の低いマシロは背伸びをして駅員を見上げる。
駅員は辛そうに震えるマシロを見て早めに話を切り上げてあげたいと思い、「どうしたの?」とわん公から目線を逸らして聞き返す。
「近くの町、ブロムストビューへ行きたくての。ロボットはおらんが、これでチケットは買えるか?」
そう言って鞄からホログラム式PCを取り出し、駅員に見せた。
駅員はマシロからそれを受け取ると、不思議そうに回して見た。
「これは……最近見かけませんでしたが、まだ使っている人がいたんですね」
「悪いか?」
「いえいえ! 使えますよもちろん。そちらの券売機をお使いください」そう言ってマシロが来た方角を指差す。「使い方は分かりますか?」
「大丈夫だろう」
「そうですか。それは良かった! チケットを購入されましたらそのままプラットホームまでお進みください。ご乗車されましたら車内でチケットを確認しますので」
駅員はにこやかに丁寧に説明をする。もし、マシロが毛嫌いされている魔法使いだと知ったら、こういう接し方はしなかったのだろうか。マシロは一瞬だけ嫌なことを考えてしまう。
「分かった。ありがとう」
「お気をつけて! デウスベネディーカト!」
踵を返し、券売機へ向かう。わん公はマシロの代わりに駅員に会釈をして立ち上がるとマシロについて行った。
券売機は三台壁に嵌め込まれていて、液晶パネルを操作する形になっている。メニュー画面には「
チケットを無事に購入し、PCの方で完了したと言う表示を確認後、電源を落とすと一度鞄にしまった。
「行くぞ」
「わんっ」
マシロはプラットホームへと向かった。
奥には左右に分かれて道が続いている。どちらも上に向かって自動階段が続いていた。
適当に右方向に進み、自動階段を登る。
プラットホームにはすでに電車が来ていた。現代にあるような電車ではなく、雪上車が電車のように連結しているような見た目。蒸気機関車ではなく、歴とした電力で動くものだ。魔法使いが存在していなければここまで発展することもなかっただろう。電力供給は全て魔法使いと研究者が作った魔道具から得ていた。
マシロはほぉ、と白い息を吐いた。
プラットホームは屋根がしっかりと設置されていて、レールの上にも屋根があり、外の降雪は電車には特に影響はないようだ。
電車に向かいつつ、鞄からPCを取り出し、起動させると購入履歴を表示させる。そこからチケットを選び、号車と部屋の番号を電車と照らし合わせながら部屋を探す。
車内は個室に分かれた形となり、向かい合って個室が並んでいる。車両によって食堂になっているものもあり、テーブル毎に組み込まれているスキャナーに乗車前に購入したチケットのバーコードをスキャンすることで食堂で食事をすることができる仕組みとなっている。
また、個室内に同じスキャナーが存在し、そこで購入したチケットをスキャンし、駅員が確認できるようになっている。販売員等は存在しておらず、食堂で飲食を済ませられるようになっていて、給仕は全てロボットが行う。
自身が買ったチケットに記された個室を無事見つけ、わん公と共に室内へ入る。
個室は向かい合う形で長椅子が設置されていて、大きな窓が一つあるだけのシンプルな構造になっている。窓の下にキャビネットがあり、その天板にはスキャナーが埋め込まれている。そこでチケットのバーコードをスキャンするようだ。
わん公は床に伏せ、マシロは窓際に移動して座る。
「これか」
マシロはPCをキャビネットの天板のスキャナーに翳すと、スキャナーはピッと軽い音を鳴らして緑色のランプがつき、点滅する。完了したらしく、またピッと軽い音が鳴る。
ふぅと息を吐いて座る。
数分後、キャビネットの側面から音が流れる。
『発車致します。ご注意下さい』
キャビネットの役割は、チケットをスキャンすることだけでなく、電車の案内などの放送を流すことでもあったようだ。よく見ると確かに側面部分にスピーカーがついていた。
わん公はその音に少し驚き顔をあげる。
「ふふ、わん公。驚いたか?」
「わふっ……」
正面から放送が聞こえたと分かると安心したようでまた伏せた。
マシロは窓の外を眺める。駅を出発し、どんどん加速していく景色を見るも、外は暗く、降雪によって視界が悪くなっているため正直見ても面白いものはない。しばらくは繁華街や住宅街等の明かりが少し見えたが、町を出たのだろう、すぐに明かりも小さくなっていった。
町の外は殺風景で何もない。魔法で結界が張られていて、結界から外へ出るとあまりの寒さに凍てついて凍死してしまうだろう。数秒も立っていられない。魔法使いなら、魔女なら、その寒さに対抗するための魔法を心得ているだろう。しかし、なんの力も持たない一般市民が結界外へ出れば、確実に死ぬ。幸運で息ができたとして、視界も悪く、足元も充分に整備されていないどころか動物も住めない、植物も育たない気候。多少生き残れたとしても街に戻るまでに倒れてしまうだろう。
結界は人々を守るためのもの。町も、初めはただの集落に過ぎなかった。人と人が交わり、人が生まれ、そして数を増やして集落が村になり、町になった。魔法使いは少しでも生きやすくするために連携して結界を張った。
集落もいくつかに分かれ、それによって町も比例して出来上がっていく。誰かが町と町を繋ぎ、行きやすい環境を作るため努力を惜しむことはなかった。
マシロの両親は厳しい環境下で、自分より他人の幸せを願っていた。人々が生きやすくなるように行動するのが何よりも自分の幸せだとしていた。マシロは、そんな両親を誇りに思っていた。
誰よりも他人を愛し、自分は二の次。そして何よりもマシロを愛していた両親。
思い出すのは、自分に笑いかける両親の姿。
そして、――ドロドロに溶けて雪に沈む二人の姿。
窓に頭をつけてうたた寝をしていた。
はっと目が覚める。また泣いてしまっていた。
「くぅん」
わん公が心配してマシロを見上げていた。
「わん公……」
ぺろっとマシロの頬を舐める。
「悪いな、また心配かけて」
わん公の頭を撫でていると、こんこん、とノックされる。マシロの反応を待つことなく、ノックをした人は部屋に入る。
「どうも。空調等大丈夫でしょうか?」
車掌だった。マシロは「問題ない」と答える。
「それは何よりです。そうそう、食堂車がありますのでぜひご利用下さい」
「食堂か……なあ、ここに料理を持ってきて食べることはできないか?」
時刻は十九時。外は暗くなっていたが降雪は止んでいた。なるべくわん公と離れたくないマシロはわん公と食事をしようとして車掌に質問をした。
「申し訳ございません。食堂車でお食事をしていただく形になるので、それはご遠慮いただければ」
「そうだよな、すまないな」
「いえいえ、では良い旅を」
帽子を取って挨拶をし、車掌は個室を出て次の部屋へ向かう。
マシロとわん公は顔を合わせ、どうしようかと考える。
「とりあえず、食堂車に行ってみるか」
電車の車両は大体十両編成で、四号車と五号車が寝台が設置された個室がある車両、六号車と七号車が食堂車となっていて、八号車にオープンキッチンがあり、そこから食堂に運ぶ形となっている。夜間は酒を楽しむことができるバーに変わる。それ以外の車両は個室、十号車は乗務員室となっている。
マシロは現在三号車にある、「12」と記された端の方にある個室にいて、そこから四号車、五号車を抜けて六号車へ向かった。
食堂には少ないが人がいた。それぞれ食事を楽しんでいるようだった。給仕ロボットの姿はあまり見えない。
マシロは出入り口から右へ曲がり、手前のテーブルに腰を下ろした。
わん公は目立つが仕方ないので床に伏せてもらう事にする。他の乗客はほとんどが七号車に近い方のテーブルに集中して座っているが、万一こちらに来る乗客が来ても邪魔にならないように配慮しつつ、わん公はマシロの側から離れなかった。
テーブルには窓際にタブレット端末が置いてあった。台座からタブレット端末を抜き取り、メニューをめくりながら眺める。料金は全て同じ金額で、大体六百円ほど。様々な料理が書かれてあり、豊富なメニューに目移りをしてしまう。
しかしマシロは違うようで、わん公の方をちらちらと見ながらメニュー表を見ていた。
「わん公でも食べれそうなものはあるかのう」
自分ではなく、わん公を基準にして料理を選んでいた。
ここに来るまで、わん公が食べていたものはほとんどが生の肉だった。加工された食材を食べさせる事に不安があったようで、マシロはうーんと唸った。
ある程度メニューを見終わり、もう一周捲ると、いくつか料理をピックアップし、購入ボタンをタップした。するとバーコードが表示され、同じようにPCを起動させ、スキャンをする。購入が完了すると、タブレット端末を元の場所に戻し、窓の外を眺め始めた。
真っ暗な雪景色。どこまでも続く地平線を見ていると、闇に引き摺り込まれそうな感覚になる。白く美しく、荘厳な雪化粧と雲ひとつない夜の空。満天の星や夜空に浮かぶ月は救いの光だった。外から見る電車の光は、まるで一筋の流れ星のように見える。それ以外、何もなく、ずっと先にある町の光も届かぬ中間地点では、月の明かりと、星々と、電車の光だけが頼りだった。いや、電車の光でさえ、弱々しく、頼りなく感じる事だろう。すぐに通り去る流れ星は、どこまでも続く雪景色を照らす光にしては、蜘蛛の糸よりも心細い。その代わり、周囲に何もないので夜空は一層美しく目に映る。そして何より映えるのがオーロラ。緑色に輝くカーテンは幻想的で夜の不安も打ち消す事だろう。だが、生憎、魔法結界外で見られるオーロラはほんの数秒。頻度も少ない。希少な存在であることから、この世界にある町のどこかでは魔法使いたちがオーロラを作り出し、鑑賞するイベントがあったりする。この寒空の下、生きる希望とも言える存在がオーロラであったり、町それぞれ特有のイベントや物販だったりする。
感傷に浸りながら、窓の外に広がる緑のカーテンを眺めていた。
「…………お母さん、」
その呟く声にわん公は反応して耳を立てる。マシロは幼少期の頃を思い出していた。
あの時に見ていた景色が現在の景色と重なる。後ろを振り向けば、娘に優しく微笑みかける母親の姿が。
それとほぼ同時に、七号車の方の扉が開き、カタカタとワゴンを押してロボットがやってきた。
「オ待タセイタシマシタ」
マシロは目を擦り、料理を受け取る。わん公は邪魔にならないように壁際に避けて座る。
運び終えたロボットはまたカタカタと音を鳴らしながら戻っていった。
テーブルにはオリヴィエサラダやボルシチ、ピロシキにプロフが並んだ。マシロは真っ先にピロシキを皿から一つ手に取ると、半分に割って中身を確認した。肉の炒め物が中に沢山詰め込まれていて、湯気が立ち、肉汁が溢れてくる。熱い熱いと言いながら、ふぅ、ふぅと息で冷ましつつ、その半分をわん公に差し出した。
「熱いぞ〜気をつけろよ〜」
「わふっ」
大きく口を開けてピロシキを頬張る。焼かれたパンの香ばしい匂いと肉の匂い。見ているだけで食欲が唆られる。
美味しそうに食べるわん公を見て、マシロも残りの半分のピロシキもふぅ、ふぅと息を吹きかけて冷まし、口に入れる。口の中に広がる肉と肉汁が熱い。だが美味い。思わず口元が綻んだ。
「美味い〜!」
皿に乗っていた他のピロシキも半分に割ってみる。中身は蒸したじゃがいもだった。これならわん公でも食べられると思い、また息を吹きかけて冷まし、わん公に与えた。
「ほらわん公、これもきっと美味いぞ」
「わんっ」
マシロから貰い、頬張ると嬉しそうにゆっくりと噛み締めるように食べた。それを見てマシロはもう半分もわん公にあげた。
「わしのはまだあるから、お前が食べておけよ」
そう言って自分はサラダからスープ等食べ進め始めた。
マシロが食べ終える頃には食堂には誰もいなくなっていた。
壁にかかった時計を見遣ると、夜も深まり、二十一時に差し掛かっていた。そろそろ出ようかと思い、立ち上がると給仕ロボットが入ってきて、後片付けをし始めた。邪魔にならないようにとさっさと食堂車を出た。
個室へ戻ると腹も膨れたことで眠くなり、マシロは窓に寄り掛かり目を瞑り、わん公はそんなマシロを心配に思い、なるべくマシロに近づいて暖かくなるようにと、マシロに寄り掛かって眠りについた。
*
思えば、俺はずっとひとりぼっちだった。町へ行っても、同年代くらいの子供は俺を嫌った。「根暗だ」、「異端者だ」、そんな風に罵った。
両親は俺を見放していた。いや、扱いに困っていたのかもしれない。嫌われていたわけではない、……そう信じたい。
それでも、弟は、ユージムは唯一俺を慕ってくれていた。
だから、……。
『兄さん、また喧嘩?』
『放っておいてくれ……』
いつも、部屋の片隅に座り込んでいじけていた。俺は弱虫で、泣き虫だった。しかし、ユージムは違った。
『兄さん。なんでやり返さないの? 兄さんすごいじゃん! いつもすごい発明してさ! またすごいの作って見返してやろうよ!』
そんな風にいつも言うのだ。「見返してやろう」、「あんな奴ら、兄さんのすごい発明でぶっ倒してやろう!」なんて息巻くのが常。正直俺が作りたいものは、そう言う攻撃的なものではなかった。けれど、嬉しかった。正直な話、俺を慕ってくれているだけで嬉しかったんだ。
ユージムの言う通りにしてみたこともあった。
『……分かった。作るよ。すごいの作る。だから、ユーも手伝ってくれる?』
少し顔を上げてユージムに問いかける。ユージムは嬉しそうに、『当たり前じゃん!』と顔を、目を輝かせて言った。
そうして作った道具で、俺を殴って罵った奴らを見返してやった。
父さんは研究者で、ほとんど研究室に閉じ篭ってばかりで、俺のことなんて気にかけてもくれない。それでも、俺は父さんに憧れて、父さん以上にすごい研究者になりたくて、何かを俺の手で生み出してみたくて、この世の全てを知り尽くしたくて、研究者に憧れていた。けれど、一度だって俺の話を聞いてくれたことはなかった。
母さんは弟贔屓な人だった。父さんや俺みたいなやつはあまり好きではないみたいで、部屋に篭るようになった俺にだんだん声をかけなくなっていった。それでも、俺は母さんが好きだった。母さんの作る手料理が温かくて、優しくて、美味しくて、大好きだった。
変わった家族だったと思う。周囲の人間は、ほとんど機械任せだったから。
弟も、変わっていたと思う。父さんよりも、俺の作るものが、考えが、すごいと言った。歳はそんなに離れていないのに、子供みたいに無邪気に俺の後ろをついて行こうとして、純粋に俺の話に興味を持ってくれて、……。
成人になった時、リトル・ダンテが俺の隣に来た。そばにいてくれる存在が増えた。その時も、ユージムは笑っていて、名前をつけてくれて、家族として迎え入れてくれた。
そして、四年前。
父さんは失踪した。
研究者、学者、なんでもこの世界をどうにかしようとする者たちを集めようとした組織があった。組織と呼ぶべきかは不明だった。それほど人数が少なかった。けれど、怖かった。
俺ともそんなに歳が離れてなさそうな女の子や、男の子たちが、次々に組織に入ることを拒む人たちを殺していった。
それはあまりにも残虐で、人間にしかできないことだと思った。
彼らは人間だ。同じ人間だ。
悪魔だと呼ぶ人がほとんどだったが、俺は違うと思った。
涙も流さない。返り血を浴びて「汚い」と罵っていた。
それでも、どうしようもない人間はいるから。
俺は、彼女たちに降伏した。死にたくなかったから。
だから、家族には指一本でも触れさせない。危害を加えるなと言った。
そうしたら、女の子が、「そのつもりだった」と言った。
真意は分からなかった。はじめから降伏していれば、殺すことはなかったと言うことか?
それならそれでいいと思った。
だけど、実際。俺の頭脳の良し悪しを判断した彼女たちは、特別な任務だと言って他の研究者たちとは違う部屋に通された。
そこにあったのは、見たことも無い設計図。そして計画書。
この世界の研究者はほとんどが発明家だった。もちろん、魔法使いには劣るが、自分で研究して、考えて、生み出したもので役に立てられるものも多く存在した。しかしそれは、魔法使いなしには生み出すことすらできなかった代物だった。
そして目の前にあるのも、そうだった。
世界が揺らぐ。
そう確信した計画書と設計図。
それを目にした時から、俺はその場から逃げることだけを考えた。
そして、一年。
家族のもとに帰ると決めた。だが、家族のもとに直帰したことで、家族に被害が及ぶと考えると、俺は行動に移せなかった。だから、データを偽造した。俺にとってみたら偽造することなんて容易かった。
リトル・ダンテに協力してもらって、俺は悟られないように逃げた。
会いたい。
ユージムや母さんに。
マシロが家を出ていってから、マシロと話したことが、頭の中で反芻していた。
“指導者”と言う存在は、王国の国王にも匹敵するような大きな存在となっていた。なぜそこまで成り上がることが出来たのか、正直理解出来なかった。
この世界で有効なのは、宗教的観念や圧倒的な力だろう。
勉強なんてろくにしない人々、――否、その考え方がそもそもおかしいのかもしれない。勉強をしないのではなくて、出来ないのだとしたら? しようとも思わないと言うより、思えないのであれば……“指導者”と言う存在を完璧にするために、それ以外を信じなくさせるために、マシロの言っていた「記憶」を消していった。と言うことなのだろうか。
ロフスキーは頭を抱えていた。
マシロという不思議な少女のことを理解したくて、どうにかして協力できないかと考えていた。
「ご主人様、やはりマシロ様のこと」
「違う。俺は、ただ……彼女の未来に託せるなら、託したい……俺は、家族が、弟が守れれば、それでいいから……」
リトル・ダンテは悩むロフスキーの背中をそっと撫でた。
今まで育ってきた環境の中で、生活していた中で出会ったことのない種類の人間だった。魔法使いも、怖いものだとばかり思っていた。魔女も空想上の存在であるはずだと信じて疑わなかった。
だが違うと思い始めていた。
彼らも人間で、少し特別で、可哀想な人たちだと。
「休みましょう、ご主人様」
立たせようとして、リトル・ダンテはロフスキーの手をとり、背中を支えた。
「……ありがとう、今は、お前がいてくれるだけで救われているよ」
「こちらこそ」
液晶の画面はにこりと微笑む。ロフスキーの細くてすらりと長い体を器用に支えながら、またベッドへ戻った。
ひとりぼっちで家で待っていた時、本当に心細く、不安だったのだろう。それからしばらくの間、ロフスキーはリトル・ダンテから離れることはなく、ひとりぼっちになることを避け続けることになっていた。
*
「着いた、花の町だ――!」
花の町、ブロムストビュー。
マシロは白い息を吐きながら、周囲を見るためにその場でぐるりと回った。
朝の日差しが差し込み、更に美しく輝く雪の造形物や白い建物。眩しいが一気に眠気が吹き飛んだ。
ニクスタウンよりも大きな町。
都会と呼ぶほど人通りが多いわけでもないが、中心街であることは確かだった。この街から、六つの方向に駅があり、各町へ行けるのだから。
町を観光するためか、駅だけでも雪像の周囲には人が多く集まっていた。人通りは少なくも、立ち止まって芸術作品を見上げる人々が多くいる。町全体がまるで美術館のようだった。
マシロはわん公の背に乗り、町の中心部へ向かった。
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