3 指導者

 「午後四時丁度。それでは、本日のタスクを終了してください」

 ある研究室にチャイムが響き渡った。気怠げに放たれた言葉は、研究者たちの頭を切り変えさせた。


 各々決められたタスクをこなし、頭脳を疲弊させ、固まった体をほぐすために伸びをする。

 出入り口には、ある青年が研究者たちを急かすようにして手を叩いて立っていた。

 「ほらほら、さっさと自室へ帰ってくださいっス」


 文句を一つも言わずに研究者たちはさっさと部屋から出ていく。

 「……行ったな」

 青年は中に他に人がいないことを確認すると、電気を消し、扉を閉めて鍵をかけた。


 「ハイドットさん」

 そこへ、青年が歩いてきた。ハイドットと呼ばれた青年は声をかけられた方を向いた。

 「何スか」

 不貞腐れたような顔をして答える。


 「研究者たちはもう帰ってしまいましたか」

 「ついさっきね」

 「そうでしたか」

 「何スか?」

 淡々とした質疑応答に、ハイドットは訝しげに先ほどと同じ質問を投げかける。


 「いえ、急ぎではないのですが、“栽培”に関してもう少し効率を上げたいので、どうにか出来ないかと打診されまして、そこで研究者方とお話をと」

 「はー、なるほど。なら明日っスね、とりあえず詳細聞いているなら俺に話通してくれれば伝えときまスよ」


 「そうですか。それならそれで……あ」

 「あ?」

 青年はジャケットの裏側のポケットを探り、ズボンのポケットを探る。そこで、何か気づいたように小さく声を上げた。


 「すみません。詳細を記したメモ用紙を自室へ忘れてしまったようで」

 悪びれも無く、無表情に青年は言うと、ハイドットは舌打ちをした。

 「はぁ? 意味分かんねぇスよ! これだから能無しは困るなぁ!」


 いきなり声を荒げると、青年はイラッとした。

 「能無しだなんてあんたに言われたくないですね! 女々しいあんたは頭まで凍てついてるんじゃないですか?」

 「なんだと?」


 「本当のことでしょう?」

 睨み合う二人の元に、仲裁しようと言うつもりはなく、苛々しながら二人の様子を睨みつけるもう一人の姿があった。

 その姿を確認した青年はハイドットから一歩飛び退いた。


 「ヴェ、ヴェローゼ……」

 「あら。邪魔よ、ヴァルちゃんにハイドットちゃん」

 ヴァルと呼ばれた青年は申し訳なさそうに肩を落として、「すみません」と頭を下げた。


 「ほーんと、馬鹿な家畜共はすーぐ喧嘩するんだからぁ。馬鹿ばっかり。ま、ぼくに害がなければなんでもいーけど〜」

 ヴェローゼはスキップをし、ストロベリーブロンドの髪やフリルの目立つワンピースドレスを揺らしながら二人から遠ざかっていく。


 ヴァルは彼女の姿が見えなくなると同時に深いため息をついた。

 「全く。彼女の言う通りだ。馬鹿馬鹿しい」

 「お前が始めたんだろ?」

 「あんたですよ」

 また互いを睨み始め、すぐに目を逸らして彼女とは反対方向に二人並んで歩いて行った。


 サルウァトルシティー。北東部に存在する大きな街。この世界では珍しい、現代チックな施設が多く立ち並んでいる。


 そんな街の周辺に、ニクスタウンと同じように森が存在していた。ニクスタウンとは違い、森も広大で、日本列島の東北地方に広がる森林や山のような景色が広がっている。それはとても美しく、過酷な真白の世界であることを忘れてしまうくらい、豊かな森だった。


 そんな森の中、一人の男が佇んでいた。木陰の切り株に腰を下ろし、白い鳥と戯れていた。

 「パクスちゃん〜!」

 先程、ハイドットたちのところにいたヴェローゼの声。

 パクスと呼ばれた男はヴェローゼの方を振り返る。彼女の声に驚いて鳥は逃げてしまった。


 「あ……逃げてしまわれた」

 「あら、ごめんなさいな。でもでも、ほら。一緒に今日も視察に行きましょ♪」

 パクスはゆっくりと立ち上がる。すかさず、ヴェローゼはパクスの腕を抱き寄せ組んだ。離れないように少し力を入れる。

 パクスは苦笑してヴェローゼの歩幅に合わせるように歩き出した。

 

   *


 視界が暗転したと思うと、博物館内の照明が全て消えたようだった。

 リトル・ダンテは突然のことに頭が追いついていないのか、慌て始める。

 「ナ、何事でスカ⁉︎」


 一方で、マシロとわん公は落ち着いていた。慌てふためくリトル・ダンテを落ち着かせようと、わん公はリトル・ダンテの頭の上に顎を乗せた。

 「何か近づいてくるな」


 マシロの言った通り、正面から薄ぼんやりとした明かりが徐々に近付いてきていた。リトル・ダンテは恐怖して、顔の液晶画面が点滅した。わん公は落ち着かせようとして、リトル・ダンテに尾をかぶせる。


 人の足音ではなく、クローラーから発せられる機械音が廊下に響き渡る。

 その音で、マシロは受付にいたロボットがこちらに来ているのだと確信した。

 「受付嬢か。現状を是非説明してくれ」

 響くようにマシロは声をあげる。


 ロボットはゆっくり近づくと、ぺこりと頭を下げる。

 「申シ訳ゴザイマセン。閉館時間デスノデ、強制的ニ照明ガ切レテシマッタヨウデ。誠ニ申シ訳アリマセン、オ伝エスルノヲ忘レテシマッテイマシタ。受付係失格デス」


 頭を上げて謝罪をすると、もう一度深々と頭を下げた。

 「いいさ。ずっとここに人が来なかった証拠じゃからな。お前が気に病む必要なんてない」

 「ソウデスカ……アリガトウゴザイマス。オ気遣イ感謝シマス。ソレデデスネ」と、話題を切り替える。「モウ外ハ暗クテ危ナイノデ、ココニ泊マリニナラレルノハイカガデショウカ?」と提案をした。


 「お前がそうしてほしいならそうする」

 そう他人事のように言い放つ。

 「分カリマシタ、構イマセン。非常用ニ布団等アリマスノデ、オ二階ヘ」

 そう言うとロボットは踵を返し、階段の方へ向かって行った。マシロたちもそれに続く。


 二階へ上がり、休憩スペース部分の壁際へロボットは向かう。そこには隠し扉があり、ロボットが何かしら操作をすると、扉はゆっくりと開く。そこから中へ入れるようで、ロボットはマシロたちに中へ入るように促した。


 「食糧モコチラニアリマスノデ」

 「ここって火気厳禁か?」

 「ハイ」

 「そうか……ならまあ、我慢するか」


 マシロたちが中へ入るも、わん公は入り口でつかえてしまうようで、自分は中へ入ることは出来ないと悟り、しゅんと肩を落とす。部屋の中へ入るのを諦め、入り口付近に座り込んだ。


 「そうだよな。わん公、わしもそっちで寝よう」

 一匹だけ廊下で過ごすと言うのはあまりにも寂しい、わん公と少しでも離れてしまうのはどうしても嫌だ。マシロはそう思い、踵を返してわん公の元へ歩いて行く。

 その様子に、受付ロボットは小首を傾げていた。


 「ドウシテデスカ? 中ノ方ガ暖カイデスヨ」

 「わん公は大事な家族だからな。にしたくないんだ」

 「ソウデスカ。ナラバ布団ヤ食糧ヲソチラヘ移シマスネ」

 「ワタクシも手伝いまス」


 リトル・ダンテは受付ロボットについていき、マシロとわん公の分の布団と食糧を一緒に運んだ。

 運び終えると、受付ロボットは会釈をし、すぐに一階へ降りて行った。

 それから夜、保存食を少し食べ、瓶に入っているスポーツドリンクを飲んだ。布団を敷き、わん公に抱きつきながらマシロは寝た。

 

   *


 晴天下、小高い氷山に登る少女の姿があった。

 周囲は氷の大陸に囲まれ、少し離れた場所には集落があった。そこで人々は各々の仕事を全うして生き長らえている。


 肌も髪も目も白く、太陽光に反射してきらりと光る長い髪が風になびく。

 『お母さん〜! ここ削っていいー?』

 麓にいる母親に呼びかける少女。その声を聞き、母親は慌てた。

 『もう、目を話した隙にまた登って! 降りてきなさい!』


 『“グラキエス・コイン”作るんでしょー?』

 『あなたは良いの! 私がやるから、早く降りてきなさい! 危ないでしょう!』

 母親は少女の身を案じて呼びかける。少女は「ちぇー」と言いながら渋々氷山から降りる。が、途中、足を滑らせてしまった。


 『あっ』

 少女は小さく悲鳴をあげる。

 母親は咄嗟のことに体が反応し、少女に向かって魔法を使った。光の粒が母親の手から出ていくと、少女の体を包み込んだ。ゆっくりと地面に下ろすと光の粒は空へ上がって消えていった。


 『だから言ったでしょう? もう危ないことはしないでね』

 『はーい』

 娘のことを愛おしく思い、母親は少女の頭を撫でる。本来ならば声をあげて叱りたいところだったが、それよりも可愛らしい娘を怒鳴りつけるのは抵抗があった。


 少女は強がっているが、やはり怖い思いをしたのだろう、母親に抱きついて静かに涙を流した。母親はそんな少女の頭を優しく撫で、抱きしめる。

 

   *


 「……お母さん」

 朝日に照らされ、眩しさに目を覚ました。

 わん公は涙を流すマシロの頬をぺろっと舐めた。


 「なんだ? ……ああ、泣いていたか」

 自分では気がついていなかったが、夢の影響せいで泣いてしまっていたらしかった。


 慰めてくれるわん公のノズルを撫でて「ありがとう」と呟いた。

 マシロが起きたことを確認したリトル・ダンテはマシロに会釈をして近づいてきた。


 「本日はドウしマショウか?」

 むくりと上半身を起こす。マシロの様子を見て、リトル・ダンテは心配そうに顔を近づけてきたが、マシロはそっぽを向いた。


 「今日はこの階の展示室を見よう」

 それだけ言うと、身支度を済ませる。丁度、受付ロボットが階段を登ってきていた。


 「オハヨウゴザイマス」

 「ああ、おはよう」

 「ヨク眠レマシタカ?」


 「おかげさまでな」

 「ソレハヨカッタデス」

 受付ロボットはにこりと微笑むと、布団を片し始めた。片し終えると、マシロたちに会釈をし、自分の持ち場へ戻っていった。


 ロボットが階段を降りて行くのを見て、マシロは立ち上がり、展示室へ向かった。

 展示室に入ろうとすると、マシロは足を止めた。すぐ後ろを歩いていたリトル・ダンテはいきなり立ち止まったマシロの背中にぶつかってしまう。


 「アウっ」と小さく声を上げる。マシロは気にする様子もなく、部屋の中をじっと見つめ、耳をそばだてていた。

 「リトル・ダンテ、お前は博物館の外へ逃げろ」

 そう言うと、マシロとわん公は中へと入っていった。リトル・ダンテは不思議に思いつつも、マシロの言う通りにした。


 部屋の中は薄暗く、一階の展示室のような照明は切れていて、廊下から差し込む日差しのみが明るく差し込んでいた。つまりは、扉から光が差し込むばかりで、中は暗く、展示品はほとんど見えない状態になっていた。

 そんな中、耳を澄ますと、布の擦れる音が聞こえてきた。


 ――誰かいる。一人……いや、二人か。

 音を立てないように気をつけながらそれに近づいていく。


 暗い空間の中、何かが動いているのは確認できた。マシロは指を鳴らし、

 パッと明るくなると、人影の姿が露わになった。男が二人と、その足元に一人転がっている。


 足元に転がっている男は気絶しているのか、動く様子はない。

 男二人はマシロたちに気がつくと、銃のようなものを構えた。

 彼らは黒装束に身を包み、顔は隠れて見えない。銃は見慣れないものだが、軽いのか、二人の動きは身軽だった。


 「何者だ」

 マシロは臨戦態勢を取る。わん公は部屋に入ってきてからずっとを感じ取っていたのか、威嚇をして、今にも飛びかかりそうだった。

 「我々は“指導者”に追随する者。ここ近辺に“反逆者”が発見され、彼らの処理を任されている」


 内の一人が堂々とそう話した。

 眉間に皺を寄せ、追随者二人を睨みつける。

 マシロはどうやって追随者らの足元にいる気絶している男を助け出そうかと考えた。


 ――わん公に指示することも出来る。だが、銃で攻撃されることも鑑みると、あまりいい考えではない。だからと言ってをここで使うと言うのも気が引ける。


 数秒考えたのち、マシロは走り出した。一瞬の隙に魔法を使って男を追随者たちから遠ざけることができればいいと考えた。光の粒子が手から滲み出た、ところで追随者の片割れがマシロの行く手を阻んだ。そして、銃をマシロの腹に向かって振り下ろそうとした瞬間、わん公は牙を露わにして走り出す。


 もう一人の追随者がわん公に向けて銃を撃った。わん公は間一髪避けて、銃を撃ってきた追随者の肩に噛み付いた。牙は追随者の肩に刺さり、骨の折れる音など鈍い音が聞こえてくる。


 あまりの痛みと衝撃に追随者は叫び声を上げる。

 マシロに銃を振り翳した追随者は一瞬手を止め、わん公の方に気を取られた。その隙にマシロは銃を持つ手に蹴りを入れる。衝撃で銃は床に転がった。


 わん公に向けて銃を打たれたことに気付くと、マシロの血相が変わる。

 「わん公ッ‼︎ お前ら、……お前らよくもの大事な家族をッ‼︎」


 マシロを取り囲むように光の粒子が瞬き始める。それは白い光を帯び、オーラのように見えた。その光の粒子はさらに形を帯びていき、大きな狼のような顔にかたどられていく。


 小さな少女とは思えない迫力に圧倒された追随者らは「ひっ」と悲鳴をあげ、マシロの行く手を阻んでいた追随者はさっさと逃げていき、わん公に噛みつかれていた追随者はなんとか振り切って、動かなくなった右腕を左手で庇いながら逃げて行った。銃は地面に放り投げられていたまま、彼らは取りに戻ることもなかった。


 すっとオーラは空気に溶けて消えていく。

 わん公も威嚇をやめ、気絶している男の方へ寄り、体を揺すった。しかし、一向に起きる気配はない。


 「これ、麻酔銃か」

 マシロは銃を蹴り上げる。蹴られた銃はもう一つの銃に当たり、展示品の影に隠れてしまった。


 男の体を持ち上げると、わん公の背中に乗せた。

 「……大丈夫か?」

 「わん」

 「そうか」

 それだけ言うと、リトル・ダンテの元へ急いだ。


 博物館を出ると、リトル・ダンテが階段に座り込んで待っていた。

 「すまんの、リトル・ダンテ」

 「大丈夫デシたカ?」

 「ああ。問題ない」


 マシロが答えると、リトル・ダンテはわん公の方へ視線を移した。

 「ソの方ハ?」

 「あー……ほら、モーネたちの関係者じゃろ」

 「ソウデすカ。ナラ、ドコカ病院へ」


 追随者について、話すべきか一瞬迷った。だが今後、“彼ら”から接触があるだろうことを考えると、話しておくべきなのかもしれない。マシロはそう考え、リトル・ダンテに話を切り出した。


 追随者について、“指導者”と言う存在について。

 「――推測だが、料理屋を襲ったのも追随者という者たちで、彼らからどうにか振り切って逃げた何人かが別の場所で撃たれていたんじゃないのかの。二階に数人いたと言うことと、二階の展示室で一人倒れていたと言うこと、辻褄が合う気がする」


 「確カにソウですネ……トテも恐ろシイ話でス……」

 リトル・ダンテはマシロから話を聞き、身震いをした。

 「とりあえず、戻ろう。また同じ道を辿ることになるな」


 「彼ハどうシマすカ?」

 そう言ってわん公の背中を指さす。

 「そうだな。まあ、町の方まで行ってどうにかしよう」

 未だ気絶している男を一瞥し、マシロは歩き出した。

 

   *


 大きな氷山の上、氷で作られた城があった。

 城の上層、窓に手をつき、白い息を吐いて外を眺める姿があった。


 猫の耳のような形の装飾がついた黒い装束を見に纏い、大きなリボンを首元に巻いている一人の少女。赤い双光は少し悲しげだ。


 「……」


 そこから見えるのは、商人が女や子供、怪我をしている男に向かって怒鳴っている姿、彼らは商人の奴隷だった。クローラーのついた荷車から様々な荷物を運び出し、移動している最中のようで、時節、力のない子供や思い通りに動けない男は荷物を地面に落としてしまっていた。その度に商人に怒鳴られ、鞭で打たれている。あまりにも不憫で、とても見ていて気持ちの良い光景ではない。


 少女は鞭に打たれている子供を見て、微笑んだ。優越感に浸っていた。

 ――そうよ。私に歯向かう屑は鞭打ちされていれば良いのよ。これより痛い目に遭ったことなんてない家畜に、慈悲なんてないわ。


 微笑んだかと思うと、次の瞬間には涙を流して嗚咽を漏らした。

 

   *


 繁華街に戻ってきた一行の視線の先に、人集りがあった。その中に、見知った顔がある。

 「あ。マシロちゃんだ〜!」

 モーネだった。モーネはマシロに気がつくと手を振って駆け寄った。


 「どうした?」

 「なんかね、わん公ちゃんみたいな真っ白で綺麗なオオカミさんが料理屋さんで」


 そこまで説明を聞くと、マシロは走った。わん公は背中に乗せていた気絶している男を下ろしてもらうように促し、下ろした途端にマシロを追いかけて走っていった。


 モーネの説明通り、料理屋の前には人集りが出来ていて、各々好き勝手に話をしていた。マシロは料理屋に入るため、野次馬に冷たく「どけ」と言い放つ。小さな少女から言われたとは思ってもみなかったようで、驚きを隠せない様子だったが、マシロはお構い無しに先に進んでいった。わん公はマシロの代わりにお礼をするように会釈をして先に進む。リトル・ダンテも同じように「スミマセン! スミマセン!」と言いながら野次馬をかき分けながらマシロに必死になってついていく。


 一方モーネもいきなり走り出したマシロのことが気になり、男を近くの人に預けて、走って先に行ってしまったリトル・ダンテたちについていく。


 料理屋の中へ入ると野次馬もいなかった。それも当然で、近くまで行って見たいと言うような人はいないだろうと思うほどに、グロテスクな状態のものがあった。


 料理屋の壁に、大きな杭によってわん公よりも一回り小さな白い狼の頭が打たれていた。そこから垂れる血液は寒さによって固まり、氷柱になっていた。まだ体温が残っているのか、氷柱になった血液の先端から血液は滲み出ている。その下で赤い水溜りができていた。


 その様子を見て、わん公はマシロの方を見た。これを見たマシロがどう思うのか気になったのではなく、心配に思ったからだった。


 だが、マシロは至って冷静で、少し見た後すぐに踵を返してその場から離れた。

 リトル・ダンテとモーネは野次馬に揉まれていたが、マシロが戻ってくるのを見て野次馬の先にあるものを見ることなく、マシロについていった。


 モーネの両親が野次馬から離れた場所でモーネを探していた。その声を聞き、モーネはマシロのことを気になりつつも両親の元へ戻っていった。

 「リトル・ダンテちゃん、マシロちゃんのこと……」


 「ハイ。ワタクシにオ任セくだサい」

 「うん!」

 リトル・ダンテはマシロの後を追うわん公の後ろについた。


 「マシロ様……」

 マシロに何があったのか聞こうとは思わなかった。いや、思えなかった。声をかけ、顔を伺った時。リトル・ダンテはギョッとした。マシロの血相は見たことないほど怒りに満ちていたから。


 何も言わないマシロにわん公は心配そうに尻尾を振る。だが少し距離を置いていた。

 一見普段通りに見えるマシロにリトル・ダンテは恐怖を覚えた。

 繁華街を出ると、マシロは一度立ち止まり、大きく深呼吸をした。


 くるりと後ろを向き、わん公の背中に乗る。リトル・ダンテの方を見ると、「お前も乗るか?」と提案をした。

 「良インでスか?」

 「ああ、もちろん。地面が危ないかもしれんからの」


 「デハ、お言葉ニ甘えテ」

 マシロの後ろに座り、彼女の様子を窺う。先程とは打って変わって、普段通りのようで、視線に気づいたか、リトル・ダンテの方を見て小首を傾げた。

 「ん?」


 「ア、いエ……」

 横断歩道を渡り、町の奥の方を見る。


 先日の陥没の影響も、隆起していた地面も、溶けていた地面も、何事もなかったかのように元通りになっていた。まだ雪上車は走っておらず、その代わり歩く人を見かけ、マシロは声をかけた。

 「のう、お前」


 声をかけたのは老人だった。紳士のような老人はシルクハットをとってマシロに挨拶をした。

 「おお、お嬢さん。動物さんにロボットさん。どうされましたか?」

 「三日前くらいに地震があったじゃろ? あれはどうなったんじゃ?」


 「ああ、あれはね。私たち魔法使いが被害が多く出ている町へ出向いて復興作業をしてね、何人かでここに来て、魔法で元に戻したんだ。まあ、いなくなった人は元には戻らないから、捜索作業とかでほとんど時間が潰れているかな。いなくなった方々には申し訳ないが、探すだけ時間の無駄かなあと思うね」


 残念そうに老紳士は肩を落とした。

 「そうじゃな。わしもそう思う。 ……そうか、魔法使いが他の町から」

 「大体鉄道で行ける範囲で、隣町からくる魔法使いがほとんどだね。“ブロムストビュー”とか“ポルトベロ”とかね」


 都会の方からよくもまあ来てくれるんだなぁ、とマシロは暢気に考える。

 「もうほとんど作業は終わっているから、道路は渡っても大丈夫だよ。それでもまあ、脆くはなっているだろうから、気を付けてね」

 「ありがとう」


 そう言うと、わん公は老紳士に会釈をして通り過ぎた。老紳士はシルクハットをとって手を振って見送った。

 リトル・ダンテはマシロと老紳士の会話をあまり聞き取れていなかったようで、「どウイったオ話ヲシていタンデすカ?」と聞いた。その質問にマシロは、「魔法使いが公共整備とか、諸々してくれていたのじゃと」と答えた。


 「ソうでシタか。魔法使イ……本当にイらっシャルノですネ」

 「そうだな」

 適当に相槌を打ち、ロフスキーの家へ急ぐ。

 日が落ちるのが早く、すぐに辺りは暗くなった。夜になってもマシロは進行を止めることはなかった。


 「ソロそロ休ンだ方が良イのデはなイでショウか?」

 「そうだな。だが休む場所もないだろう」


 マシロの言うように、商店街の先から繁華街まではずっと住宅街が続いている通りストリートになっている。なので休める場所はない。ほとんどの場合、一般市民は雪上車を使って移動するため、停留所が各場所に存在しているばかりで歩いて移動する人のための施設等は存在していなかった。停留所でも屋根はあるが、長居できるような場所ではなし、雪上車を利用する人に迷惑が掛かってしまうことは間違いないだろう。


 わん公の足は自然と早くなっていた。

 スピードを上げるわん公は、さすがにこれ以上歩いて向かうのは無謀だと思ったのだろう、ついには走り出した。行きの場合とは違って身の危険も特にないので、わん公はマシロとリトル・ダンテのことを気に掛けながら走った。


 夜も更け、てっぺんが近づいてきた頃。一行はロフスキーの家にたどり着いた。

 わん公の背中から降り、リトル・ダンテは家の扉をノックした。

 マシロは訝しげに、耳を澄ましつつ扉の先を見つめる。だが一向に扉が開く気配はなかった。


 「オカしいデスね」

 「中へ入れないのか?」

 「こノ時間なラご主人様は起きてイラっしゃルと思ウのデスが」

 不思議そうに首を傾げ、自分でロフスキーが持っているだろう端末に連絡を取ろうと試みた。


 だが、やはり応答はなく、……。

 

 ガシャーンッ‼


 「なんだ!?」

 「ナニゴト!?」

 何かが割れるような音、倒れるような音、様々な大きな音が途端に聞こえ始めた。


 リトル・ダンテは「ご主人様! ご主人様!」と呼び続けている。マシロは「そろそろ、さすがに近所迷惑だな」と思い、扉を開けようとした。その瞬間、血相を変えたロフスキーが扉から飛び出してきた。彼と出会った時のように避けることが叶わず、マシロは衝突して階段から落ちてしまった。わん公は咄嗟に投げ出された彼女の体を守るように背中や尻尾で受け止めた。幸いなことに怪我はなく、すぐに立ち上がった。


 ロフスキーはぶつかった拍子に扉に頭をぶつけてしまい、リトル・ダンテは心配して駆け寄った。

 頭から血を流すロフスキーは気にする様子もなく、リトル・ダンテに抱き着いた。

 「ご主人様!?」


 いきなり抱き着かれてあわあわと慌てるも、さすがに何日もたった一人で家の中にいたので、人肌恋しくなったのか、ロフスキーはうわごとのようにリトル・ダンテの胸の中で「ママ、さみしい」と何度も呟く。


 「ママ……?」

 聞こえてしまったのかマシロは階段をのぼりつつ、ロフスキーを嫌な目で見た。

 とりあえず落ち着かせようとリトル・ダンテはロフスキーの背中を優しく撫でてやり、そうするとだんだん落ち着きを取り戻したようでリトル・ダンテに手を借りつつ、ゆっくりと立ち上がった。


 わん公は家の中へ入る三人の姿を見て、家の中へ入れてもらうためにリビングが見える窓まで向かった。


 子供のように涙を流し、ソファの上で足を畳んで蹲る姿にまたマシロは引いていた。

 「うげ……」

 「うげってなんですか」


 「いやぁ……」

 むすっと不貞腐れたように頬を膨らませるロフスキー。マシロからぷいっと目をそらした。

 リトル・ダンテはまたあわあわと二人を見比べて慌てていた。


 わん公は窓から中へ入れてもらい、暖炉の傍で体を丸めて温まっていた。

 先刻、家の中へ入った一行、マシロは部屋を見て驚愕した。


 倒れて欠けているポールハンガー、暖炉の火は消えているものの灰が散らばっていたり、観葉植物が倒れて土が出て汚れていたり、敗れて中身が飛び出たソファや瓶が割れて中身が流れ出てしまっているワインなんかがあって、家の中は本当に酷い有様だった。


 地震の影響もあるのだろうとは思うが、中には故意的にやったのではないかと思うようなものもあった。ソファや破れた本がそれを物語っていた。

 わざわざ本棚から本を取り出して破り捨てたのだろうか。


 マシロは唖然とした。さすがにこのままではいけないと思い、リトル・ダンテに頼んでロフスキーとともに一度外へ出てもらうことにした。その間に、魔法で部屋をある程度片付けようと考えた。


 リトル・ダンテは片付けるなら手伝うと言ったが、「ロフスキーの傍にいてやれ」とマシロに言われ、言う通りにした。

 結果、魔法でこの家に泊まった時と同じような状態に戻すことができた。二階や地下は話だけ聞いていて見てはいないので戻すことは無理だろうと判断し、リビングだけに留めた。


 二人を呼んだ後にわん公を中へ入れて今に至る。

 足と腹の間に顔をうずめ、ずっと縮こまっているロフスキーに嫌気がさしたマシロはロフスキーを問いただした。


 「何があったんだ? なんであそこまで荒れていた? どうして幼児退行しているんだ?」

 「…………責めないでくださいよ」

 縮こまった姿勢のままロフスキーは小さく言った。


 「責めているわけではない。聞いているだけだ」

 「冷たい人だ本当に……」

 どうにもマシロに怯えているようにも見えるロフスキーに、リトル・ダンテは隣に座り背中をさすってやる。何故か彼のことしか信用できなくなっているようだった。


 冷たい、というのもロフスキーも同じではないかと少し思ったマシロは首を振る。

 「話してくれ。そうしたらこちらも非があれば詫びる」

 「…………わかりました」

 少しの沈黙の後、承諾した。

 ロフスキーは静かに語りだした。


 「地震が起こった三日前ほどまで遡ります。大きな地震に驚いて、はじめこそ冷静に対処しようと暖炉の火を消したり、二階の方で扉を開けたまま、なるべく窓から離れた場所で体を縮こませてやり過ごそうとしていました。ですが、二階の窓から外の惨状を見た時、自分の中で何かが壊れたんです。涙が止まらなくなって、動悸もして、何をどうすれば正解なのか、身を守ってここを生き抜いたとして、何かメリットがあるのかと考えてしまいました。地震が収まるのをただ蹲って待っていると、マシロさんたちのことが頭をよぎりました。あなたという不思議な少女にだんだん恐怖感が芽生え始めて、あなたのことを信用していいのか分からなくなって……地震が来る前に調べていたものと酷似しているのも相まって、次にあなたと共に行動しているリトル・ダンテのことが心配になり、そして彼がこの場にいないことに何よりも恐怖しました。いつも一緒にいてくれた大事な家族が“”という妄想が頭の中にすっと入ってきて、強迫観念にとらわれ始めてしまいました。もともと精神的に疲弊していたこともあって、ついには錯乱してしまったようで。すべてに怯えて、悪魔にそそのかされて、ついにはあなたたちが戻ってきたときに“悪い魔女を殺してしまえばいいんだ”と思うようになっていきました。そこから二日三日、寝ることもできず、食べ物も食べる気になれずで余計に疲労してきつつ、地下室に籠って魔女についてまた調べ始めました。魔女について調べるうちに余計に不安や恐怖が強くなっていき、文字を読むだけで怯え、貴重な資料であるはずの本を破り捨ててしまいました。それを何度も繰り返してしまい、ついにマシロさんたちが戻ってきた先程のこと、リトル・ダンテに会える喜びや安心と共に、悪い魔女と思しき少女にまた会ってしまうという恐怖や絶望感によって気が狂い、あのように部屋を荒らしてしまいました……悪魔に唆されたように、本当に殺してしまうのではないかと思うとそれも怖くて、それで気が狂ったのかな、と……」


 魔女や悪魔など、妄想に走ってしまうほど相当精神的に来てしまっていたのだろうとマシロは思った。

 ロフスキーは所々つかえながら、ゆっくりと自分の言葉で話した。


 ――話しておくべきだろうか。こんなに気疲れして、幼児退行するくらいだから、本当に真面目で優しくて臆病な人間なんだろうな。あまり言いたくはないが、この男がそれを望むのであれば話してやるか。


 「……そうか。話してくれて感謝する。わしは別に何か企みがあるわけではないし、お前をどうこうしようとは思わない。だが、それほど怖がられているのであれば謝罪しよう。怖がられないような何か、信用しろとか、そこまでは言うつもりはないが、何かわしにできることがあれば何でも言ってほしい。お前がわしをどうしたいのかを聞きたい」


 ロフスキーを刺激しないようにゆっくりと少し感情を込めて、提案をしてみる。体を縮こまらせ、顔をうずめているも、ちらりとマシロの方を見てすぐに視線をそらしてしまう。


 「……じゃあ、一つ聞いてもいいですか?」

 「ああ、いいぞ」


 マシロは冷や汗をかいていた。実際、マシロもロフスキーに対してまだ信頼を寄せているわけでもなかった。お互い知らない部分が多すぎる。だからこそ、これを機会に互いを知るチャンスなのだと割り切ることにした。


 ロフスキーは足を下ろし、ソファにしっかり座りなおした。だがまだマシロの方を見るのは怖いのか俯いたままだった。

 「あなたは……魔女、ですか? それとも、それは俺の……」


 そこまで言うと黙り込んでしまった。マシロの方を見ないようにして、体は震えていて恐怖しているように見える。

 マシロはこの男を可哀そうに思った。どう言うのがこの男のためなのだろうと考える。


 だが、ここで嘘をついたところで、また不信感を抱かせる原因に繋がってしまうのではないか?

 マシロは考えた。考えて、ようやく答えを出した。

 ふぅ、と息を吐く。


 「私は、……魔法使いだ」

 魔女、とは言わなかった。

 「魔法、使い……」


 実際、魔法使いと魔女は見分けがつかない。それどころか魔法を使わない人ノーマルと魔法使いも見分けがつかないのだから、あながち間違いとは言いづらい答えだった。


 ロフスキーはちらりとマシロの方を見た。

 マシロはロフスキーの目を見て微笑んだ。

 少し安心したのか、まだ不安は残っているのだろうが肩を落としてため息をついた。


 「そうですか」

 「魔法使いも怖いか?」


 「いえ、ですが、……その喋り方の方が普段のマシロさんなんですよね」

 先程よりロフスキーの喋り声は柔らかくなっていた。緊張が解けてきたのだろう。精神的にも安定してきたようで、子供っぽい言動は一切見られなくなっていた。


 「そうだな」

 「はぁ……そっか……そうか……」

 そう言った途端、ロフスキーはバタンと倒れこんだ。


 リトル・ダンテはいきなり倒れたロフスキーを心配して慌てて飛び上がり駆け寄って揺さぶろうとした。マシロはそんなリトル・ダンテを制止する。

 「アノ、エエト」

 「よほど疲れているんだ。寝かせてやれ」


 「で、デハベッドニ運ビまスっ」

 慌ただしく、ロフスキーを優しく抱き上げて二階へ急いで向かっていった。

 マシロはその様子を眺め、わん公の背中に抱き着いた。

 「……これで良いよな。彼らを利用しようとしたのは、私だから」

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