第4話 衝撃は突然に

 (そろそろ30分経ったな)

 途中からいやに大人しくなったと思っていたら、朝は寝てしまっていた。こういうことは"躾"の中で何回かあったが、寝たというよりは脳が自身を守ろうとして強制シャットダウンしているようだった。気絶に近いかもしれない。

 「まぁいっか」

 それでも耳にはきちんと入っていただろう。今日はこれで閉店だ。

 いわゆるお姫様抱っこで朝を持ち上げ、ひとつ下の階へ戻る。赤い紐が付いているドアを開けるとトレーニングルームほどではないが殺風景な部屋が視界に飛び込んできた。書類が整理されて置かれている広い机に事務用のイス、少し乱れたパイプベッド、小学生向けの辞書やテキストの横に四季報やら体術の初心者向け教本が置かれたアンバランスな本棚。兄さんがたまにボーナスとして渡している金の中で揃えたものか、ベッドの横に積まれた所々色褪せているマンガ一式が唯一の娯楽要素だ。

 ベッドに寝かせ布団を被せてやると朝はしばらくモゾモゾとした後に横向きに小さく丸まった。元々ガタイが良い方ではないし、ベッドも180以上ある兄さんが寝ても充分なほどの広さであるが、そうしている姿は必死に急所を隠している小動物のようで殊更か弱く見えた。

 「気にくわないなぁ」

 俺の声を認識したのかその肩がびくりとした。更に縮こまる姿に、俺は何とも言えない気持ちになった。





 始が事務所へ行くと統はまだ書類を見ていた。時刻はとうに深夜といっても差し支えないが、事務所には煌々と電気が付いている。

 「どうかしたのか」

 「ううん。何でもないよ」

 (ここで兄さんに休むよう言うと碌なことにならないんだよね)

 これまでの付き合いから学習している始は自身のイスに背もたれと向かい合うように腰を落とし、いくらか統から距離をとってから口を開いた。

 「あのさ、朝のことなんだけど」

 「それについてはお前に任せてるだろ」

 「そうなんだけどさ。ね、朝のことどう思う?」

 「どう思う?ってのはどういう意味だ?」

 「言葉のままなんだけど」

 統は何か言いたげに手元の書類を机の端に除けた。その上げられた視線に冷気を感じ目を逸らしつつも始は統の言葉を待った。

 統と始は腹違いとはいえ兄弟関係にあるが互いの存在を知ったのは、世間一般からして真っ当でない父親が死んだ後だった。悪い意味でも賢く素早く強い父親はそれを活かす道として「情報屋」を選び莫大な富と地盤を手にし、それからあっけなく病死した。二人の母親は共に父親からの援助が無くなるとあっさりと二人を捨て新しい恋人の元へ行った。弁護士経由で兄弟に相続された土地や建物の所有権等を計算したとしても、そんな父親の血を引く子どもは育てる気がしなかったということだろう。実際、兄弟は幼い頃からどこか雰囲気が人と違っていて母親の恋人にも気味悪がられた。あれから何年も経ったがそれは収まるどころか更に磨き上げられ、始は敬愛する兄だとしてもその鋭い瞳に、威圧感に満ちた声に、その風貌に、圧倒されないことはなかった。未だに長いこと目を合わせることが出来ないのはその為だ。

 「子どもの割には働いている」

 「え、意外。評価なんてしてないかと」

 「正直、ここまで付いてくるとは思わなかった。が、まだまだ甘い。妨害だろうがなんだろうがテメェの力でなんとかできねぇのは論外だ。何の後ろ盾もない見ず知らずの子ども一人の衣食住を見てやってる手間賃には足りねぇな」

 「ふーん。俺がちょっかい出すのは許すんだ?」

 「やり方が露骨なんだよ。あれに気づけないバカは・・・いや、いたか。それにお前はしっかり働いている。それこそ多少のお遊びは目を瞑ることができるくらいにはな」

 「じゃあやっぱり、朝は未熟?」

 「誰がどう見てもそうだろ」

 「まーね」

 (未熟なのに、あんな仕事渡すのもアレだけど。ま、流石兄さんってトコかな)

 「なんだ、不満か?」

 「まさか。寧ろ意見の一致が確かめられたよ」

 「・・・そうか。ところで、明後日からしばらく留守にする」

 「出張?珍しいね」

 「今回は俺が行かないといけねぇやつだからな。帰れる目処が付いたら連絡するが、それまで頼んだ」

 「はいよ」

 「それから、」

 「ん?」

 あの統が期間の分からない出張、しかもそれ以上に珍しく言い淀む姿はいっそ不気味さすらあった。始は本気で明日の天気を心配した。ひょっとすると魚か蛙が降ってくるかもしれない。怪雨ファフロツキーズなんて見たくて見れるものではないぞ、と現実逃避した脳ミソに更に統の言葉で衝撃が走る。

 「女が一人増えるかもしれねぇ」

 「・・・へ?」

 どこか決まり悪そうにする統、人生で一番間抜けな声が出た始。この空間は紛うことなき混沌カオスであった。



 遠くから聞き慣れた、アラーム音代わりのアニメソングが聞こえてきた。やがてそれは音量を上げ、無理矢理にでも目を開けて止めたくなるほどの騒音に感じる。

 (何時だ?)

 手探りで探し当てたスマホをスワイプしアラームを止めた。寝ぼけ眼で見た液晶には7時の表示。瞬間、さぁっと血の気が引いた。

 「ヤバイ!!!」

 思わず叫び飛び起きる。6時には起きて始の朝食を用意しないといけないのに、今日は大寝坊だ。しかも始はとうに起きているだろう。朝っぱらから嫌味を言われるのは、なんならそれを統に面白可笑しく語られるのは、御免だ。

 階段を駆け下り、リビングへ飛び込む。キッチンと対面式になっている机には誰もいなかった。壁掛け時計を見たが、いつもならそこで始がコーヒーを片手に新聞を広げている時間だった。まさか始に限って寝坊などないが、どうなっているのか。

 「おはよう、朝♪」

 「はじ、めさっ、?」

 困惑している朝の背後から始の声が聞こえたと思うと、勝手に膝の力が抜けた。まるで糸の切れたマリオネットのようにべしゃりと落ち、僅かな力の腕と膝でその体を支える。途端に小刻みに体が震え、呼吸が浅くなった。

 「や、やだっ、え」

 「睡眠学習出来るなんて優秀だね。ちゃんとるし。良い子良い子」

 四つん這いの状態で無防備な背中を撫でられゾワゾワと鳥肌が立つ。嫌悪感からではない。これまでに教え込まれた恐怖を体が覚えているのだ。

 「どうしよ。今日はお留守番にしようかなー。兄さんも"躾"の成果だって言えば許してくれるでしょ」

 ルンルンとしている始に朝は決死の思いで首を横に振った。「犬」の間は許可無く動いてはいけないが、これだけは伝えないと駄目だ。

 「なに?喋って良いから、言ってごらん?」

 恐らくそんな朝の思いなどお見通しだろう始から、言えるものならなと言外に含まれた脅迫まがいの言葉が出て、脈が飛んだ。苦しい。痛い。死んじゃう。

 「ほら」

 もしここで反抗すれば、また"躾"がなってないと怒られるだろう。もしそうなれば、今度は精神攻撃なんてものじゃ無くもっと直接的にされる。

 「ほら」

 それでも。

 「は。はたらか、せて、くださ、い」

 ここで引き下がったら、統に会えない。頑張れない。折れてしまう。

 朝は懸命に声を出した。

 「おねがいで、す。はたらかせてください、お、おねがいします」

 体感ではもう何時間も経った。実際は5分とかかっていないだろうが、朝は始の言葉をひたすら待った。

 「・・・・・・良いよ」

 「え、」

 「代わりに、今日1日兄さんに書類渡すのとかは全部俺がやるから。兄さんに呼ばれても無視な」

 「ぁ、はぃ」

 「じゃとりあえず」

 出勤させて貰えることにホッとしていると、首に這うような嫌な感覚がした。カシャンと金属が擦れる音がして細い圧迫感が首にかかる。

 「お外出るなら必要でしょ」

 Yシャツの襟に隠れるほど細いが大型犬が噛んでも千切れない特製の首輪に、朝は今朝一番の疲労感を感じた。

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