第3話 夜明け

 朝が持っている一番古い記憶は、「お姉ちゃん」が点けたテレビで目にした無数のカメラのフラッシュだ。そこでは一昨日まで朝を含めて8人の子どもの世話をしていた「ママ」が取り囲まれていて、どこかへ連れて行かれている途中だった。

 「ねぇ、みんな、」

 そう呼びかけたところで記憶は飛び、次のシーンは散らかった部屋で「お姉ちゃん」が他の子を抱えて外へ出るところから始まった。頭と背中がズキズキして体中から熱が逃げていく感覚がした。

 「お姉、ちゃん、」

 呟くような声だったが「お姉ちゃん」は気づいてくれた。他の子を外へ出すとこちらへ小走りで来て、ペタペタと朝に触れて状態を確認しているようだった。

 「お姉ちゃん、ボク、痛いよ」

 そこでまた記憶は途切れ、その次のシーンでは大柄な男たちに囲まれていた。いつの間にか「お姉ちゃん」も他の子もおらず、余りの頭痛に目を開けることも辛かった。

 そこでふと、自分は何故生きているのかと思った。今思えば、死にかけていたのだろう。死期を目前に何やら不思議な心持ちになったんだと考えている。

 訳もなく静かに涙が流れて時折鉄の味が口に広がった。あと働いていたのは僅かな視覚と聴覚だけで、そんな状況でも男たちが自分の命を終えさせようとしてきているのが分かった。

 「お兄ちゃん」

 変な液体を吐き出しながら口をついたのはまさかの「お兄ちゃん」だった。どうしてかは分からないが、なんだかそう言いたくなったのを覚えている。すると男の中の一人が朝と目線を合わせてきた。そろそろ何も見えないし聞こえない。だが、ここで既に働かなくなったと思っていた嗅覚がスッとした匂いを捉えた。

 「お ぇ、う にこ ぃ」

 途切れる声の中、意識が泥に沈んだ。

 

 目が覚めた時、始めに思ったことは「どうして生きているんだろう」だった。白い天井に白くて固いベッド。嗅ぎ慣れない消毒液の匂い。始めての病院だった。純粋な疑問として浮かんだ思いは隣にいる男に気がつくまでそのままだった。

 「ようやく目覚めたか」

 厳しい視線に悪寒が走る。しかし男が纏うスッとした匂いには覚えがあった。

 これが当時20になったばかりの最上統とのファーストコンタクトだった。

 「お前、この女を知っているか?」

 見せてきたのはよく顔を出していた「お姉ちゃん」とは違った「お姉ちゃん」の写真だった。

 「うん」

 「どういうやつだった?」

 「えっ、とね、

 男の放つ捕食されるような恐怖に飲まれそうだった。だが何故か、ここで怯んだら負けだと思ってペラペラと語った。日頃どんな服を着て、どんなことをしてくれてどんな話をしてくれたか。その途中には別の「お姉ちゃん」との一連の会話なんかも挟んだ。ひとしきり話し終えると男は少しだけ目を開いて俺を見た。

 「それは本当か?」

 「うん。ボク、しょーもないこと?はよく覚えてるの」

 会話を完全再現したことについて「お姉ちゃん」達から言われていることを真似して言うと男は後ろを覗き込むように目線を動かした。それを追いかけるように振り向くと、そこには男とどこか似た目の別の男がいた。

 「良いね。兄さん、この子可愛いしそろそろお手伝いがいても良いんじゃない?」

 「・・・はぁ。世話はお前が見ろよ」

 「はーい」

 最上姓でもなくまだ17歳の始だったが、その幼さに釣り合わないほどの得体の知れない何かがあったことを覚えている。

 「良かったねボク。これからは俺らが保護してあげるよ。お世話もするし、懐いてくれるようにするね」

 「犬かよ」

 「wwwwwwww確かに!でも、違わないかもwwwwwww」

 それから、やたら軽いな、と思ったことも。

 「ではお世話の第一歩として~。名前付けよっか・・・うーん。あっ、今ちょうど夜明けだし『朝』で良いか」

 その瞬間、一人で満足そうにする始により「朝」としての人生が始まったのだった。

 


 働らかざる者食うべからず。

 そうして命を助けてくれた統のために奔走する毎日を過ごす内に、俺はいつの間にか統に他とは違った想いが生まれた。

 俺がいた場所というのは借金のカタなんかで子どもを集めて売る、その道の稼ぎ場だった。これは新聞で「あの事件に関与か」と、ある大物政治家が逮捕された記事を見かけ偶々始が「それ、兄さんの仕業なんだよね」と教えてくれたことから知った。あの頃、統は逮捕された政治家の競争相手からの弱みを握りたいという依頼のために動き、最終的に大きな資金源であった反社とあの施設を突き止めたのだ。その過程で「ママ」もとい施設の責任者は連行され、実働部隊に当たる「お姉ちゃん」たちも証拠隠滅のために右往左往した。そう、証拠隠滅。あの時、一緒にいた他の子はどうなったのか。それだけはどこにも情報が出てこない。でも、寧ろ出てこなくて正解なんじゃないかと思う。

 詰まるところ、俺は自分の身元を知らない。出身地はおろか本当の名前も知らない(「朝」以前に名前らしいものがあったことは一度も無い)し、年齢もよく分からない。事件を年輪代わりにひとまず歳を重ねている。当然学校も行ってない。必要なことは独学で学んだ。

 始の"躾"は兄弟の下で働くようになってから始まった。それまでは怒られるとかで済んだのに、いつの間にか、いや、始が俺の気持ちに気がついてから激しいものになった。きっと敬愛する兄に対して許し難いんだろうな。統も興味がないのか何も言ってこないし。でも、俺は、あの人のために働けるならそれで良い。例え現実が、そう上手くいかなくても。今はあの時のように夜明けを信じるしか出来ないのだから。統さえいれば、俺はそれで良いや。

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