白い軍勢4

 富豪を保護したスピカ達が向かったのは、直前までいた交易都市セレンだった。

 セレンから離れてまだ二時間。未だセレンが『最寄り』の町であり、富豪を送り届けるならばそこが一番合理的な場所だ。たった二時間の旅路なので護衛と呼べるほどの仕事もしていないが(野生動物との遭遇もなかったので)、富豪は猛烈に感謝。お礼として身に着けていた宝石を三つ渡してくれた。

 宝石は適当な店で売ったところ、銀貨三十枚に早変わり。適切な値段かどうかは、曲がりなりにも宝石都市の住人であるフォーマルハウトが見てくれたので、特に問題はないとする。勿論もっと高く売れるならそれに越した事はないが、銀貨三十枚なんて大金は交易都市でも簡単には稼げない。これだけあれば、仕事がなくともウラヌス食いしん坊を二十日は喰わせていける。

 勿論二時間の旅で消費した物資は完璧に補充出来、スピカの装備の手入れも行えた。元々万全な準備はしたつもりであるが、更により良い状態となっている。クエンには、より安全に辿り着けるだろう。

 そう、クエンに行くだけなら何も問題はない。

 しかし問題は、クエンそのものにある。


「なんでよ!? なんでクエンへの旅を中止するの!?」


 フォーマルハウトが大きな声で、目の前にいるスピカを批難する声を上げる。

 スピカ達は今、セレンにある宿屋に泊まっていた。宿泊費は銀貨一枚。銀貨一枚は銅貨百枚と等価であり、銅貨は十枚もあればそれなりに美味しくて豪勢な料理が食べられる。安い宿屋なら銅貨十五枚で泊まれる事を思えば、銀貨一枚の宿屋はかなりの高級宿だ。

 実際、個室にベッドが三つあるのは、正に豪華さの証。銅貨一枚で使える超簡易宿屋は『紐』が寝床(スピカは一度使った後、二度と使わないと決心した)である事を思えば、地上の楽園のようである。臨時収入があったのでパーッと使ったのもあるが……フォーマルハウトを安全な宿屋で寝かせるための措置でもあった。

 かくして同じ部屋にいるスピカとフォーマルハウト、それとウラヌスは今後について話をしている。そしてスピカが切り出した方針は、「目的地であったクエンへの旅は諦める」というものだった。


「さっきの金持ちおじさんが言ってたでしょ。クエンはもう壊滅したの。だから行くだけ無駄」


「そ、それは……で、でも、もしかしたら、まだ生きてる人がいるかも知れないし……」


「ま、それは否定出来ないわね。壊滅って言っても動物に襲われた結果だから、人間みたいな皆殺しとか考えてないだろうし」


「それなら!」


「でも相手がレギオンなら駄目。アイツだけは本当に相手しちゃいけない」


 スピカがハッキリと告げれば、フォーマルハウトは悔しそうに顔を歪めた。納得出来ない、したくない……そんな気持ちがひしひしと伝わってくる。

 しかしどんなに悲痛な顔をされたところで、スピカはこの考えを曲げるつもりは毛頭ない。変えるという事は、死地に赴くのと同義なのだから。

 なのにフォーマルハウトが納得していないのは、つまるところ彼女の無知が原因である。何を知らないのかと言えば、レギオンがどんな生物であるのか、という事だ。

 納得するには知識が必要だ。それを伝えず頭ごなしに「ワガママ言うな」と叱責するのは、知識ある大人として不誠実だろう。


「そんなに強いのか? レギオンというのは」


 都合の良い事に、ウラヌスもレギオンを知らない。フォーマルハウトを納得させるためにも、スピカはレギオンについて話す事にした。


「まず、レギオン単体はそこまで強くない。実際に戦った事はないけど、本とかの記述が正しいなら私一人でもどうにか倒せるぐらいかな。ウラヌスならそれこそ虫けらのように潰せるでしょうね」


「……どういう事? そんなのに襲われて、クエンは滅茶苦茶になったの?」


「あくまでも単体ならの話よ。レギオンの一番恐ろしいところは、数の多さなんだから」


 群れを作る生物というのは、珍しいものではない。オオカミや鹿などの獣は数体から十数体程度の群れをよく作るし、小魚は何百匹もの群れを作って天敵から身を守るという。とある地域では、何百万もの小さな甲殻類が現れるとか、何万もの獣が横断するとか、真偽不明な噂話を含めればいくらでも例は挙げられる。

 そんな群れを作る生物の中で、レギオンは特に巨大な群れを作る。群れと遭遇したらほぼ確実に殺されるので正確な情報は殆どないのだが、しかし数少ない伝聞曰く、大きな群れになればドラゴンすらも瞬く間に飲み込むほどの数で動くという。何百年も前には町一つ飲み込むような大群が出た、という伝説もあるとかないとか。圧倒的な大群団であらゆる強敵を打ち倒し、喰らい尽くすのが奴等の基本戦術だ。

 目撃例こそ殆どないが、生息地では生態系の上位に君臨しているのは間違いない。数次第ではあるがスライムやキマイラと同等、或いはそれ以上の存在だと言えよう。


「一般的なレギオンの群れは、数十から数百程度。これだけでも人間に換算すれば数百人分の戦力よ。で、今回のレギオンは町を占拠するほどだから、もしかすると数千人の軍隊規模の戦力、昔話で語られるような大群かも知れない。フォーマルハウト、あなたはそれを敵に回す覚悟はあるの?」


「そ、それ、は……」


「私にはあるぞ! 一騎当千の戦士は我等にとって誉れ! その誉れを得られるならば望むところだ!」


 スピカの言葉に言葉を詰まらせるフォーマルハウト。対してウラヌスはとても嬉しそうに、かつ迷いなく答えた。

 ウラヌスの心には芯がある。

 強い者と戦って、戦士としての己を鍛え上げる――――それが一番の目的だ。そのためには命の危険さえも厭わない。故に彼女は自分の目的を果たせるか否かという、極めて単純な考え方をする。町をも滅ぼす大群と聞いても、躊躇いなく戦いたいという気持ちを表明出来るのはそういう理由だ。

 だが、フォーマルハウトは違う。

 彼女はきっとそこまでの覚悟はしていない。ただ故郷に帰りたい、家族に会いたいという、その気持ちだけで語っていたのだろう。しかしその気持ちは何処まで本気なのか。ぐらい強いものなのか。そこを定めていないがために、レギオンが想像以上に恐ろしい存在と知って迷ってしまう。

 尤も、それを覚悟がない等と責めるのはあまりにも上から目線だが。人間というのは大概そんなもので、ウラヌスのような考え方の方が稀である。或いはウラヌスのそれは獣の考え方、と言うべきだろうか。

 そしてスピカも、ウラヌスほど割り切っては考えられない。


「(諦めさせた方がこの子のため、ではあるんだけどね……)」


 『合理的』に考えるなら、レギオンに襲われた宝石都市クエンに向かうのは悪手だ。レギオンの習性は未知数なところが多いものの、群れで訪れたからには『狩り』として襲撃したのだろう。ならば住人は餌。生き残りは殆どいないと考えるのが妥当だ。そんな場所に向かうなど無駄足でしかない。

 それに、わざわざ自分達が足を運んで調べる必要性がない。宝石都市クエンから此処交易都市セレンまで、人間の足で僅か二日の距離だ。これだけ近いとレギオンが次に来るのは此処かも知れない。スピカ達が救助した富豪の証言によりレギオンの襲撃が明らかとなった今、セレンの統治者達はその対策でてんやわんやしている頃だろう。そして対策を練るには情報が必要だ。遠からぬうちに調査隊が組織されるのが自然。彼等の調査結果を待てば、被害状況は手に取るように分かる。

 ……と言いたいところだが、問題があった。


「で、でもそんなんじゃ、何時になったらクエンの事が分かるの!? 私知ってるんだから! この町のお金持ち達が保身しか考えてない、成金集団だって! 仕事の事を考えて、秘密にするに決まってる!」


 フォーマルハウトが叫ぶように指摘した通り、此処の統治者である富豪達の人格だ。彼等がクエンに起きた事態を隠そうとする事は十分に有り得る。

 フォーマルハウトは批難したが、一概に問題のある態度とも言い難い。交易都市セレンはその名の通り、交易により富を得ている大都市。農業などの生産業もあるが、多くの人々が就いている仕事は商品を仲介する仲卸業、それら商品を運ぶ商人の護衛である冒険家、或いは彼等が泊まる宿……『市場』に関連する仕事ばかりだ。

 言い換えれば交易都市セレンは、商品の行き来が盛んであるほど儲かる。商品の行き来が盛んとは、景気が良いという事。

 景気が悪い、というのは大きな問題だ。人間の社会は金がなければ回らない。仕事のない人々は住むところを失い、食べ物が買えなくなり、死ぬか奪うかしかなくなる。人が死ねば働き手も買い手もいなくなるため経済は更に悪化し、奪えば治安の悪化によりやはり景気は悪くなってしまう。悪循環が起こり、最後は町自体が崩壊する。

 実際にはそこまで破綻する事は稀だ。しかしセレンに暮らす住人が景気の動向に敏感なのは間違いない。そして景気というのは、人の気分に大きく左右される。世界中で使われている宝石を生産していたクエンが壊滅したという話が広まれば、一体どれだけ景気が悪化するか分かったものでない。セレン経済を安定させるため、情報を伏せるというのは大いにあり得る事で、また『一時凌ぎ』としては悪くない策だろう。

 勿論町一つ壊滅したという話が、何時までも隠せる筈がない。それに帝都から『お叱り』も受けるだろう。だから秘密裏に情報を集めたり、帝都に報告したりはするだろうが……準備に時間が掛かりそうだ。調査に向かうのは何時になるのか。

 一日二日の遅れが、『命取り』になるかも知れないのに。


「……仮にその通りだとして、私らに何が出来る?」


「そ、それは、その……あの……………」


 スピカの問いにフォーマルハウトは答えられない。答えられる筈がない。彼女の心には芯がないのだから。

 ――――ただ、何時までもないとは限らない。

 人間というのは、変わるものなのだから。


「……パパとママ、お姉ちゃんとお兄ちゃんと会いたい……!」


 自分の『本音』を受け入れる事だって、出来るようになる。


「……………会いたいのは分かるけど、でも」


「分かってるけど! 分かってるけど……私、みんなに言わないで、家出して……う、うぅ……!」


 フォーマルハウトは泣き出し、その場に蹲る。

 本当なら、泣いても状況は変わらないとしっかり言うべきだろう。

 そしてハッキリと、危険だから町には行けないと言わねばならない。町一つを滅ぼす怪物レギオンを相手するなど、死に行くようなものなのだから。フォーマルハウトの身の安全を守るためにも、自分自身の命を守るためにも、それが最も合理的な判断なのは考えるまでもない。

 しかし、スピカの口は動かない。

 言うべき答えは決まっている。他の答えなどある訳がない。合理的に考えたなら。

 だが、感情は違う。

 胸の奥からふつふつと、合理的でない考えが浮かぶ。フォーマルハウトの願いを叶えてやれと、鬱陶しいぐらいに訴えてくる。死ぬつもりなのかと理性的に、心の中で指摘してみれば……感情はこう返す。

 、と。


「……はぁ」


 ため息を吐けば、フォーマルハウトはびくりと身体を震わせた。表情は怯えたもので、身体もすっかり縮こまっていた。


「分かった。行こう、クエンに」


 されど続いて語ったスピカの言葉で、フォーマルハウトの顔と姿勢は変わる。


「ほ、ほんと!?」


「こんな事で嘘吐いても仕方ないでしょ。良いって言わなきゃ一人で勝手に行きそうだし、あと……」


「あと?」


「銀貨五枚。依頼料をもらってるんだから、仕事は最後までやらなきゃね」


 淡々と、仕方ないかのように答えるスピカ。

 しかしどれだけ取り繕っても、非合理の極みなのは変わらない。一人で勝手に行きそうだから? 行かせてしまえば良いではないか。依頼料をもらっている? そのままもらえば良いだろう。

 結局、そうした人間的感性そのものが非合理なのだ。野生の獣のように、徹底的に自分の都合だけで考えれば、何一つ合理的な部分がないと分かる。

 分かった上で、スピカは引き受けてしまった。


「(ほんと、こんなんじゃ命がいくらあっても足りないのに……)」


 自分の甘さに呆れ返る。いや、或いは自分の『過去』に引きずられ過ぎなのか。

 そして言ってしまった手前、もう引っ込める事もしたくない――――これもまた、非合理的な考えであるのに。

 何よりスピカにとって困るのが。


「うむ! どんな敵かは知らんが、私に任せておけ! 戦士としての強さを見せてやろう!」


「頼もしい! よーし……パパとママとお兄ちゃんとお姉ちゃんに、絶対会うぞー!」


「「おーっ!」」


 挙句明らかにワクワクしているウラヌスと、期待で目を輝かせているフォーマルハウトを見ていると、自分の決断が間違っていたように思えない事だった。

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