白い軍勢5
翌朝、スピカ達は交易都市セレンから出立した。
一度外の環境に出た事もあって、フォーマルハウトの足取りは一回目の旅立ちよりはマシになっていた……かも知れない。人間というのは、高々二時間の旅で劇的に生長する生物ではない。そもそも大富豪の娘っ子には基礎的な体力が皆無なのだから、小手先の技量を磨いたところで大して意味はないだろう。何事も基礎が大事なのである。
今回もフォーマルハウトは二時間ほどでへばり、休憩を挟み、また進むという行程でいた。とはいえ旅を計画しているスピカにとって、それは想定内の出来事。一回目と同じく食糧と水は十分に用意し、旅の予定も余裕を見積もっている。頻繁に足を止めても問題はない。
それに、フォーマルハウトの足は段々と力強く、早くなっていた。セレンから出て三日目の朝である今日の彼女は、最早一流の冒険家を思わせる気迫に満ちている。
尤も、顔色から判断した体調は、三日間で最悪であるようにスピカには見えたが。見晴らしの良い荒野のど真ん中(勿論安全には配慮している)で立ち止まったスピカは、足取りの覚束ないフォーマルハウトの方へと振り返り問い掛ける。
「……体調、大丈夫? 悪いようなら休み入れるよ」
「だ、大丈夫……歩けるから……」
「歩けるだけじゃ駄目。最悪の時に走れるぐらいじゃないと」
「揚げ足取らないでよ! 走るぐらい、出来るから……!」
スピカの気遣いに、フォーマルハウトは怒鳴るように反発する。
一緒にいるウラヌスにはフォーマルハウトの憤りの理由が分からないようで、キョトンとしている。疲れたなら休むべき。大自然に生きる存在ならば当たり前の判断に何故フォーマルハウトが反発するのか、合理的に考えたところで答えは出てこない。
しかし非合理的なスピカには分かる。
フォーマルハウトは一刻も早く家族の下に駆け付けたいのだ。とはいえ肉親を奪った相手への復讐すら理解出来ないウラヌスには、フォーマルハウトの気持ちなど聞かされても首を傾げるだけだろう。
だからここでフォーマルハウトを宥めるのは、自分の役目だとスピカは考える。
「落ち着いて。良い? そんなへろへろの足で一時間歩くのと、三十分休憩を挟んで普通に歩くの、どっちが早いと思う? それにさっきも言ったけど、動物に襲われて、走って逃げられないなら食べられてあの世行き。そもそも町に辿り着けない」
「で、でも……早くしないと……」
「焦ってやってもろくな結果にならないよ。繰り返すけど、死んだら元も子もない。だから休むべき。ね?」
ゆっくりと、静かに、けれどもハッキリとスピカはすべき事を告げる。フォーマルハウトは納得出来ないと言いたげな表情を浮かべたが、しかし理性的な意見に反論が思い付かなかったのだろう。少しの間押し黙った後、こくりと、小さく頷いた。
「良し、じゃあ休憩ね」
「うむ。分かった!」
スピカの言葉に、ウラヌスは返事をしながらどかんっと座る。そんだけ元気ならコイツはあと二時間以上余裕で歩けそうだなーと思いながら、スピカもゆっくり座り込む。
そしてフォーマルハウトは、ぱたりと倒れた。
やはり疲労が限界に達していたらしい。スピカが思った通り、このままでは猛獣に襲われてもろくに走れず、あえなく食べられていただろう。尤も、そうなったらウラヌスに抱えてもらうつもりだったが。本当に危険なら、もっと前に無理やり休ませている。
なんにせよしばらくフォーマルハウトは動けないだろう。スピカも長めの休憩で、身体をしっかり休ませる。
ただし旅の途中で冒険家が真に休む事は早々ない。身体を休めている間も、頭でやる事はいくらでもあるのだ。
現在の旅の進捗を確認するのも、その一つ。
「うーん、そろそろ到着しても良い頃なんだけどな……」
スピカは地図を広げ、自分達の場所と宝石都市の位置を確認。あとどれぐらいで辿り着くか計算しようとする。
実際のところ、旅は順調だ。
体力のないフォーマルハウトとの旅なので休憩を多めに挟んでいたため、最短の二日で宝石都市クエンに辿り着く事は出来なかったが……しかし想定よりも早く進んでいると思われる。フォーマルハウトが無理したのもそうだが、一番の要因は『邪魔』が入らなかった事だろう。
邪魔とはつまるところ、野生動物の事だ。ここ最近のスピカ達のようにキマイラやスライムなど頂点捕食者に襲われる事は本来稀なのだが、人間程度の大きさの肉食動物に襲われる事はそれなりにある。
冒険家はしっかりと武装していて、更に知識もあるので、自分と同じ体躯の獣に負ける事はあまりない。だが、時間はかなり奪われる。油断すれば殺される相手なのだからサクッと済ませるなんて嘗めた真似は出来ないし、それだけ緊張すれば体力と精神を消費するため休息が必要になるからだ。逃げるにしても方角によっては大きな迂回となる事もある。
そうした邪魔がなかった事は喜ばしい話であるが、今回に関してスピカは素直に喜べない。単なる幸運ではなく、原因に心当たりがあるからだ。
「(多分、レギオンがこの辺りの動物達を喰い尽くしたんだ)」
町一つ飲み込む規模の群れを維持するには、大量の獲物が必要だ。レギオンが動物達を喰い尽くしていても、なんら不思議はない。
ただ、そうなると新たな疑問も浮かんでくるのだが。
「(道中、全然クエンからの脱出民に出会わなかったのはなんでだろ)」
獣に襲われた時、取るべき選択肢は二つ。
一つは戦う事。そしてもう一つは逃げる事だ。中には「話せば分かり合える!」等という論理性皆無な発想に辿り着く者もいるかも知れないが、そういう
さて、仮に逃げるという選択をする者が九割だと仮定しよう。実際はもっと多いだろうが、細かくなると計算が面倒なのでこの値で概算する。昔スピカが誰かから聞いた、宝石都市クエンの人口は約四万人。九割がレギオンから逃げたとすれば、三万六千人が町の外に脱出しようとした計算となる。
勿論全員脱出は不可能だ。レギオンに捕まり、食べられてしまう人は間違いなくいる。しかし仮に九割が喰われたとしても、三千六百人がまだ生きている。その三千六百人が全方位(仮に十方向)均等に散り散りになったとしても、三百六十人は交易都市セレンまで行きそうなものだ。実際には隣の町の方角くらい知っているだろうから、そこまで散り散りにもなるまい。
どうして此処までの道中で、あの大富豪以外の生存者に出会わなかったのか。付け加えると行き倒れも見ていない。徒歩二〜三日の距離なのだから行き倒れがいない事自体は自然だが、ならばやはりセレンに向かう人々と出会わないのはおかしい。レギオンに獣が食い尽くされたなら、獣に襲われる心配もないのに。
「(レギオンが生存者を執拗に追跡した? いや、それならこの辺りでレギオンの姿を見ている筈。だとすると考えられるのは……)」
一人も逃さないような大群団が、人間の軍隊も顔負けの統率力で襲い掛かった。
……考えられない、とは言わない。自然は何時も人間の『常識』を超えてくる。ましてや生態がよく分かっていないレギオンの能力がどの程度のものであるかなど、推測のしようがない。人間の軍隊染みた統率力を持つ存在という可能性も考慮すべきだ。
しかし自然は常識を超えても、条理は逸しない。
四万人の人間を殆ど逃さない大群団となれば、大量の餌が必要な筈だ。それを維持するためには連日狩りを行わねばならない。そうなればやはり、この辺り一帯で狩りをしているレギオンと遭遇しそうなものだが……
疑問が新たな疑問を呼び、考えが纏まらない。
「なーなー、ところでクエーとかいう町はまだ見えないのかー?」
挙句、ウラヌスというお邪魔虫が無邪気な声で考えを邪魔してくる。
適当にあしらいたいところだが、粘られても面倒だ。そう思いスピカは渋々ながら答える。
「……クエンはあっちよ。距離的にはそろそろ見えてくる頃だと思うけど」
「ふぅーむ。あっちか……」
スピカが指差した方角を、ウラヌスはじっと見つめる。
スピカは嘘を吐かず、ちゃんとクエンがあるであろう方を示した。そして本当に、そろそろ見える頃である。ましてや超人的身体能力の持ち主であるウラヌスの視力であれば、何かが見えたとしても不思議はない。
そういう期待も少しはしていた。
「お。確かに見えるな! 何か、塔みたいなものがあるぞ! あんな大きな建物を作るとは、凄いものだなー」
だが、まさか本当に見えるとは思わなかった事――――そして奇妙な一言に意識を奪われ、言葉が詰まる。
塔みたいなものがあると、ウラヌスは言った。
クエンにそのような建造物があるのだろうか? 宝石都市の名は世界中で有名であるが、遠くから見える巨塔があるという話をスピカは聞いた覚えがない。
地元民であるフォーマルハウトは何か知っているのだろうか? それを尋ねようとスピカはフォーマルハウトの方へと振り向いた
直後、スピカの顔の横を風が通っていく。
「――――ちょっ!?」
横切ったものがフォーマルハウトだと気付き、スピカは慌てて立ち上がる。
フォーマルハウトは全速力で駆けていた。クエンがある方へと、一直線に。
どうやら倒れた彼女の意識は目覚めたままだったらしい。そしてクエンが見えると聞いて、居ても立ってもいられなくなったのだ。
気持ちはスピカにも分かる。スピカもフォーマルハウトの立場なら、恐らく同じ行動を起こしているだろう。
だが、その先にいるのは十中八九レギオンの大群。まだ距離があるとはいえ、迂闊に近付くのは自殺行為だ。
「ウラヌス! あの子を止めて!」
「む? 分かった」
ウラヌスの方が速いと判断し、スピカは指示を出す。ウラヌスは荷物を置いた後、身軽になった身体ですっ飛んでいった。
そうしてフォーマルハウトは呆気なくウラヌスに捕まる。フォーマルハウトは暴れていたが、ウラヌスの腕力を振り切れる訳もない。
「離して! 離してってば!」
「落ち着いて! 大丈夫、ちゃんと近付くから。ただしゆっくり。レギオンがいるかも知れない」
叫ぶフォーマルハウトを宥めるように、スピカは理由を説明する。
フォーマルハウトは何かを言おうとしたが、反論しようと考えた事で少しばかり冷静さを取り戻したのか、或いはウラヌスの拘束から逃れるのは無理だと思ったのか。口を噤むと暴れるのは止め、大人しくなった。
スピカはフォーマルハウトの頭を撫で、ウラヌスに拘束を解くよう伝える。ぱっとウラヌスが手を離しても、フォーマルハウトはもう走り出さない。
スピカはこくりと頷き、自分が先頭に立って、宝石都市がある方へと歩き出す。
超人でないスピカの目は、ウラヌスほどには優れていない。
しかしいくらウラヌスでも地平線の向こう側を透視出来る訳もなく、どれだけ遠くとも地平線から出ているものしか見えない。つまり決して普通の人間の何十倍も遠くまで見えている訳ではないのだ。
歩いていれば、そのうちスピカにも同じものが見えてくる。着実に、段々と、ハッキリ。
「アレが、宝石都市か……」
やがて都市らしきものがかなり大きく見えてきた。スピカは目を凝らし、その全容を探ろうとした
その時である。
フォーマルハウトの足が、突然止まった。
駆け出したのではない。ぴたりと立ち止まって、そのまま前に進まなくなってしまったのだ。
一度は止められたとはいえ、ハッキリと故郷が見えたならまた走り出すものではないか? そう思い警戒していたスピカだったが、フォーマルハウトは何時まで経っても走るどころか動きもしない。
何故フォーマルハウトが止まったのか。その答えは間もなく明らかとなった。ただし教えてくれたのは、フォーマルハウトの言葉ではなく、スピカが見ていた景色。
人間のものではない巨大な都市が、宝石都市の代わりにそびえる姿だった――――
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