白い軍勢
白い軍勢1
「さて、ここで一つ問題があります」
神妙な顔をしたスピカは、重々しい口を開いてそう告げた。
スピカが今いるのは、交易都市セレンと呼ばれる町にある冒険家ギルド。セレンは帝都から南に歩きで進む事二十日ほどの位置にある。
この町は帝都ほどではないがそこそこ大きく、治安の維持も行き届いている発展した都市だ。しかし辺りに広がるのは、豊かさとは真逆の荒野。身を隠す場所のないこの大地に生息する獣は、いずれも獰猛かつ強靭だ。ドラゴン種も多いと聞く。
この町を拠点にして活動すれば、それら猛獣とは頻繁に出会う。身を隠せない以上、それらの猛獣から逃げるには、一瞬でも怯ませるか、或いは強靭な逃げ足が必要だ。つまり優れた身体能力の持ち主こそが、この地域では生き残りやすい。
だからなのだろう。町の外に出るのが仕事の冒険家は、男女共に屈強な、単刀直入に言うなら荒くれ者のような様相の者達が多い。スピカがいる冒険家ギルドも、筋肉をその身に纏う者ばかりだった。
粗忽なのは見た目だけで中身は割と仲間意識の強い(過酷だからこそ人間の強みは活かさねばならない)ので、敬意を持って接すればむしろ頼れる人々ではある。とはいえ筋肉が増えれば力加減も難しくなるというもの。その所為か、はたまた単純に予算の問題か。ギルド内に置かれている椅子や机はやや老朽化した、傷があるものばかりだ。尤もその傷が、良い『味』を出しているとスピカは思う。
さて。そんなギルド内にて始まったスピカの話を聞いた者――――ウラヌスは、こてんと首を傾げた。
「んー? 問題かー? もぐもぐ、一体何が、もぐもぐもぐもぐ。問題なんだ?」
「……まぁ、うん。現在進行系で問題は深刻化しているんだけどね」
「なんだともぐもぐそれはもぐもぐ、大変じゃないか。私に、もぐもぐ、出来る事ならなんでも言ってくれ。もぐもぐ、護衛として存分に力を発揮しようもぐもぐ」
悩むスピカに対し、ウラヌスは胸を張りながら力強く答える。
……帝都から二十日の道のりを進んできた。帝都近くにある森で出会ったウラヌスと過ごした日々も、同じぐらい経っている。
苦楽を共にした、というには少しばかり短い期間かも知れない。だがこれだけの間寝食を共にすれば、相手の性格というのはよく分かるものだ。ウラヌスが発した今し方の言葉に嘘偽りはなく、彼女は心から問題解決のために努力しようと決意している。
実に頼もしい相棒だ。
ならばこちらもハッキリと、正直と告げねばなるまい。そう思いスピカは口を開け、こう答える。
「……お金が、ありません」
あまりにも単純かつ絶望的な言葉を以てして。
その言葉を聞いたウラヌスは、目を大きく見開き、顎が外れそうなぐらい口を大きく開けた。
「なん、だと……!? ま、前の町で私達が倒した、畑を荒らしていたスレイプニルの金は!? それにこの町に来てから毎日仕事をしているじゃないか!」
「スレイプニル退治の報奨金はもう殆ど残っていないわ。仕事で稼いだ金より支出が多いから、残金切り崩している状況。お陰で旅支度は進むどころか、どんどん難しくなっているのよ」
「な、なんという事だ……」
恐るべき事実を突き付けられ、ウラヌスは愕然とした表情を浮かべる。スライムにもキマイラにもヴァンパイアにも、一切恐れる事なく立ち向かったウラヌス。そんな彼女でも、お金がない事には絶望の感情を抱くらしい。
いや、合理的だからこそ絶望するのだ。人間の社会で生きていくには金が必要なのだから。お金がなくとも生きていけると語る人はいるが、それは幸運にもなんとかなった人間、或いは本当に追い詰められた経験のない人間が語る内容である。なんとかならなかった人間は、その口を開く事は出来ない。
「い、一体、どうしてこんな事に……!」
そしてウラヌスのこの言葉は至極正しい。現状を認識したなら、次は対処法を考えるべきだ。
スピカとしてもそう思う。加えてスピカはその原因に既に気付いていた。故にゆっくりと片手を上げ……ウラヌスの顔を指差す。
「どうしても何も、アンタが毎日毎日馬鹿食いしているから食費がとんでもない事になってんのよ! アンタが原因だっつーの!」
次いで臆面もなく、その事実を告げた。
瞬間、ウラヌスの顔に衝撃が走る――――貪り食べている格安肉(正体不明)を口に含みながら。
「な、何ィ!? 私が何時食べ過ぎたと言うんだもぐもぐもぐもぐもぐもぐ!」
「今! この瞬間! 私の目の前で食べ過ぎてるのよ! その肉今の時点で何人前食ってるか分かってる!?」
「……三人前ぐらい?」
「十人前よ馬鹿たれ!」
誤魔化した訳ではなく、ほぼ確実に本心から言っているであろうウラヌスの答えに、スピカは一瞬の躊躇いもなく事実を突き付けた。
そう、スピカ達が金欠に陥っている原因はウラヌスの食欲だ。
一緒に旅をするようになった時から分かっていたが、ウラヌスの食欲は凄まじい。恐らくは強力な身体能力を維持するためなのだろう。
だが、それを考慮しても驚くべき食事量である。十人前の肉を平気で平らげ、それでも足りないと言わんばかりにパンも食べてしまう。これが『一食分』だ。比喩でなく、本当に一日に人の十倍は食べている。あの小さな身体の何処にそれだけの食べ物が収まるのか、全く分からない。
……とはいえその食欲そのものは、対価としては格安だとスピカは考えている。スライムやキマイラと多少なりと殴り合えるウラヌスの力は間違いなく十人力以上。十人以上の屈強な兵士を養うための食費だと思えば、これに文句を言うのは贅沢というものだ。
ただ、それでもスピカには荷が重過ぎる。
「(普通の人間が生きていく分には、週に二回三級の仕事があれば十分なんだけど……流石に十人分の食費は普通に無理だし)」
共に旅をしている間、食費は常にスピカの頭を悩ませた。ウラヌスの逞しさのお陰で受けられる仕事の幅は増えたが、仕事で得られた報酬は食費に消えていくのだから。
それでも今日まで食べてこられたのは、ウラヌスが都市の外で野生の獣をどんどん仕留め、もりもり食べていたからに他ならない。これはスピカの旅のやり方……町にいるよりも野外にいる方が多いという方針によく合っていた。最初こそそれを知らず、持ってきた食糧を食い尽くされたが、今はもうその心配もない。一緒に旅をしていれば、どうすれば効率的に出来るかは分かるというものだ。
だがこの町では、そしてこの先の旅ではそれも通じない。
「(乾燥した大地……生き物の数はお世辞にも多くない)」
生物の数というのは、環境により大きく左右される。具体的には水と温度が重要だ。多ければ多いほど良い、という訳ではないが……なければどうにもならない。
帝都周辺の森や草原は温度も水も十分にあり、数多くの生命が暮らしていた。それこそウラヌスという『大食漢』を養える程度には。
しかしこの町の周囲は荒野。温度は高いものの、水が少ないため大きな樹木や瑞々しい草花は生えていない。干からびた草を食む、ごわごわとした毛の獣と虫ぐらいしかいないのだ。食べ応えのある大きな獣は数が少ない。虫は栄養豊富で数が多いものの、量を集めるとなると中々に大変である。
荒れ地にも大型の捕食者はいるが、そうした生物は大抵飢えに強い。何日も食べなくても平気でいる。だから獲物が少ない荒野で生きていけるのであり、飢えに強くないウラヌスは荒野では生きていけない。なので足りない分は町で買うしかなく、その量が収入を上回っているのが現状だった。
せめて南に行く商人の護衛などの任務が受けられれば、今頃その商人に『必要経費』としてウラヌスの食事を用意してもらう事も出来ただろうが……危険な生物が跋扈する環境だけに、護衛の任務は等級が高い。一級二級が殆どで、三級の仕事は安全な北に行くものばかり。スピカ達に受けられる依頼はなかった。
「(北に戻れば問題は解決するけど、それじゃあこっちに来た意味がないしなぁ)」
そもそも何故スピカ達がこの町に来たのかといえば、キマイラ達の生息域がこの町の更に南側に存在しているからだ。
キマイラとヴァンパイアを住処から追い出したのは『何』なのか。
それを知るためにスピカ達は、ここ最近は南に向かって進んでいた。折角此処まで来たのだから退くなんて……等というのは非合理的な考えであるし、目的といっても何がなんでも成し遂げたいものではないので、諦めて帰るのに問題はない。
しかしそれでも『惜しい』と思ってしまうのが人間だ。どうにか目的を達する方法はないものか、考えを巡らせるも答えは出ない。正確には考え自体は浮かぶが、欠点が大き過ぎて採用する訳にはいかないものばかり。
「むぅ……少し食べるのを我慢すべきだろうか?」
例えばウラヌスのこの発言も、却下した案の一つである。
「それは駄目。腹ペコで力が出ませんでしたー、なんて最悪じゃない。それに空腹が続くと筋肉って衰えるらしいわよ」
ウラヌスの戦力は絶大だ。今のスピカの冒険には、ウラヌスの単純ながら強大な力が欠かせない。
空腹になったウラヌスは間違いなくその力を発揮する事など出来ない。自然相手に手を抜くというのは、最もしてはならない愚行だ。比喩でなく、命に関わる。
勿論駄目だ駄目だと言うだけではなんの方針も決まらない。しかし失敗すれば命を失うのが冒険家という家業であり、頑張れば困難は解決出来るというのはほぼ妄言である。実際には駄目な時は何をしても駄目なものだ。
「……今日、デカい仕事が見付からなかったら北に撤退しよう」
「むぅ、すまない。私が足を引っ張ってしまうとは……護衛として不覚……!」
「いやぁ、ウラヌスがいなかったら多分此処まで来れてないだろうし。隠れる場所のない荒野を進むには、私はちょっとばかり軟弱だもの」
労うように言葉を掛けつつ、スピカは席から立ち上がる。
半分諦めの心境であるが、まだ全てが終わった訳ではない。もしかしたら大金が手に入るような仕事があるかも知れないし、三級でも受けられる南へ向かう護衛の仕事があるかも知れない。可能性というのはどんなに低くなっても、中々ゼロにはならないものだ。
「(まぁ、そんな都合の良い仕事があったら逆に躊躇するけどね。大金が手に入る等級の低い仕事って、詐欺臭いのなんの……)」
世の中に美味しい話なんてない。しかし美味しい話に乗らないと先に進めない。
なんとも矛盾した状況だと思いながら、依頼書が掛けてある壁にスピカは歩み寄る。一つ一つ吟味し、報酬と依頼内容を見比べ、けれどもやはり『理想』の仕事はない。
すっぱり諦めて北に向かう商人の仕事を請け負うべきかと、避けたい可能性が現実味を帯びてきた時だった。
つんつんと、スピカのお尻を突く輩が現れたのは。
「うひゃぅっ!? なん……!」
いきなり尻を触られるとは思わず、スピカは小娘のように跳ねてしまう。
変態でも現れたか。思わず身構えながら後ろを振り向いたスピカだったが、その警戒心はすぐに薄れる事となる。
何故ならそこにいたのは、小さな少女だったから。
年齢は、十を超えたぐらいだろうか。背丈はウラヌスよりも更に低い。顔立ちは丹精で、そのやたら滅多に自慢げな笑みがなければ人形だと勘違いしてしまいそうだ。金色の髪と青い瞳は、この地方の人間としては珍しくないが、彼女は特に美しいものを持っている。
着ている服は可愛らしいフリルが付き、ボタンやリボンなどの装飾も綺羅びやか。胸元には大きな宝石らしき石がある。この町は勿論、帝国内で最も豊かな都市である帝都でも、ここまで派手な身形をした少女を見掛ける事は稀だ。絢爛な身形は如何にも資金の豊かさを物語り……貧乏な村出身であるスピカからすると鼻に付く。尤も、それを指摘したところでこの自慢げな顔から察するに、貧乏人の戯言として聞き流しそうだが。
どうやらどこぞの金持ちの娘のようである。正直第一印象は良くないが、曲がりなりにもスピカは大人だ。ムカつくからなんて理由で、初対面の小娘の額にデコピンを喰らわせるような真似はしない。
「えっと、何か用かな?」
むしろ年上として余裕を見せつつ、少女に話し掛ける。
すると少女は堂々と胸を張り、自らの顎に指を触れるという洗練された嫌らしい仕草を付け加え、相手の事などお構いなしな自信満々な表情を浮かべながらこう答えた。
「そこのアンタ、お金に困ってるわね! 私の依頼を受けてくれたら、言い値で報酬を出すわよ!」
臆面もなく、スピカにとってあまりにも『美味しい話』を――――
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