異郷の獣王達8

「ふぅー……なんとかなったな!」


「ええ、なんとかなったわね」


 倒れて動かなくなった二体の獣を前にして、スピカとウラヌスは同じ気持ちを言葉にし合った。

 正直、かなり危険な賭けではあった。

 論理的に考えて、キマイラ達がマンドラゴラを知らない可能性は極めて高い。とはいえ所詮は可能性の話。実は彼等の生息地にもマンドラゴラとよく似た植物が生えていて、本能的に嫌っているという可能性もゼロではなかった。もしそうだったら作戦はおじゃん。いよいよ打つ手がなかっただろう。

 それにうっかり息を吸い込めば、マンドラゴラの毒はスピカ達の身体も蝕んだ。スピカが煽る言葉を発したのも(内容は個人的なものだが)、息を吐いて少しでも吸い込まないようにするため。しかしそれでも危険な事に変わりはない。

 幸運に助けられた側面があるのは否めない。とはいえ自然界の勝者とは生き延びたモノであり、運を味方に付けるのも実力のうちだ。スピカ達はキマイラ達に勝ったのである。

 ……さて。勝利して終わり、となるのは野生の話。人間はその『先』を学ぶ事が出来る生き物だ。


「ねぇ、ウラヌス。あの死骸二つを、こっちに持ってこれる? 息を止めて花畑に行って、連中をずるずるーっと引っ張ってくるような感じで」


「うむ? それぐらいならお安い御用だぞ! さっき殴られた時に脱臼も治ったしな!」


「あ、治ったんだあれ……」


 雑な治し方に呆れるスピカを余所に、ウラヌスは快諾すると駆け足で花畑に踏み入りキマイラとヴァンパイアの亡骸の下に向かう。流石に二体同時に運ぶのは無理なようだが、一体ずつなら引きずるようにして運ぶ事が出来た。

 それでも一回で花畑の外まで運ぶ事は出来ず、息が苦しくなったら一旦亡骸を置いて駆け足でスピカのところに戻って深呼吸。再び亡骸の下に向かって引きずって、苦しくなったら息継ぎというのを繰り返す。ヴァンパイアは空を飛べるだけあって軽いようだが、キマイラは重たいようでかなり苦戦していた。

 しかし時間は掛かっても、ウラヌスは宣言通り二体の死骸を運んできてくれた。


「ふぃー。ようやく持ってこれたぞー」


「うん、ありがと。さてと……」


 仕事を終えたウラヌスに感謝の言葉を伝えた後、スピカは二体の亡骸に歩み寄った。

 キマイラとヴァンパイア。

 どちらもこの帝国では見られない生物だ。存在こそ知られているが、生息はしていない。

 そんな生物が、何故帝国中心の近くにいるのか?

 生物が生息圏から離れて行動する――――決してないとは言わないが、かなり珍しい事だ。どんな生物でも生まれ育った環境に一番適応しており、それ以外の環境では自身の力を十全に活かせない。食べ物が足りなかったり、毒への耐性がなくて食べられなかったりもする。身体能力の強さというのは実のところ重要ではなく、適応力がなければ他所の土地では生き残れない。繁殖力旺盛な一部の虫などを除き、生息地から離れた生物の大半は死ぬのが定めだ。それを本能的に知っているのか、住み慣れた土地から好んで離れる生物はいない。

 離れる事があるとすれば、餌不足に直面したか、危険に追われたか……いずれにせよ緊急時だけだろう。キマイラとヴァンパイアはその大きさから考えるに恐らく頂点捕食者。彼等を追い出すような生物がいるとは考え難いし、もし喰われる側なら個体数も多い筈なので、もっと頻繁に帝国へと流れ着いている筈だ。

 だとすると餌不足だろうか。その推測を確かめるため、スピカはキマイラの身体を調べる事にしたのだが……しかし一目見た瞬間に自分の考えを否定せざるを得なくなる。

 どう見てもキマイラの身体は、肉と脂肪がたっぷりと付いていたからだ。


「(直前に良い肉を食べた……ぐらいじゃここまで太らないか)」


 住処を離れるほどの飢餓となれば、それこそ命に関わる水準の筈だ。餓死寸前の身体ならば肋骨が浮かび、肌はカサカサで、毛に艶がなくなっているもの。

 ところがキマイラの身体に浮かび上がった骨は見られない。腹の皮膚はしっとりもしたもので、体毛は綺羅びやかな見た目通りすべすべの手触りだ。健康的なキマイラの姿を知らないので、他の生物の知識からの想像になるが、栄養状態は良好なように思える。

 直近に、大きな獲物を満腹になるまで食べたのだろうか? 確かにワイバーンや怪鳥ロックを仕留めれば、腹を満たせそうである。しかしそれなら小さな生き物であるスピカ達に襲い掛かるとは思えない。腹は空かせていた筈なのだ。

 他に何か情報はないだろうか? そう思いながら、スピカは次にキマイラの背中側を見る。


「……ん?」


 するとそこには、またしても奇妙な痕跡が残っていた。

 『火傷』の跡だ。

 毛の奥に隠れていたため今まで気付かなかったが、どうやらかなり大きな、部分的には腹まで達するような火傷を負っていたらしい。火事か何かから逃げてきたのだろうか? そう思って観察したが、しかし調べてみると違和感を覚える。何故なら火傷の跡が、まるで植物の枝葉のように枝分かれしながら広範囲に広がっていたからだ。

 火に炙られたとして、こんな複雑な紋様を描くものだろうか? いや、そもそも火傷というのは背中から負うものか? 火というのは普通下から上に昇っていくもの。だというのにこの火傷は、背中側が太く、腹側が細い。まるで炎が下に向かって走っていったかのような……

 一体これはなんの跡なのか。ヴァンパイアの方にも同じ傷跡があるのだろうか。それを確かめようとスピカはヴァンパイアの方を見て、


「ふんふんふふふーん♪ ふふふふーん♪」


 ぐっちゃぐっちゃと素手でヴァンパイアの解体をしている、小鬼の姿を目の当たりにした。

 ……目を擦ってみたが、何度見てもウラヌスの所業は変わらない。

 未だ未調査のヴァンパイアは、ウラヌスの手早い技によって美味しそうなお肉に変化しようとしていた。というよりほぼお肉になっていた。スピカがキマイラを調べていた時間が長かったのもあるだろうが、超人的な力を加工に用いればどんな巨獣もあっという間に食肉となるという事なのだろう。

 無論、貴重な情報は失われるが。


「ちょ、ちょおぉっ!? な、何解体してんのよアンタ!?」


「む? だってそのままでは食べられないだろう? 齧り付けば良いかも知れないが……それは少し、野蛮じゃないか?」


「アンタに野蛮云々は言われたくないわ! まだそいつを調べてないって言いたいの!」


 割合本気で怒ってみたが、ウラヌスはこてんと首を傾げるだけ。調査の重要性がよく分かっていないらしい。

 やっぱりアンタの方が野蛮人じゃない、と心の中で思えども、それが罵声として伝わらなければ言う意味がない。ガシガシと頭を掻き毟って苛立ちを抑え、それからスピカはため息を吐く。

 ウラヌスの所為で、ヴァンパイアは今や美味しそうな肉塊だ。

 正確には流石にそこまで原型は失っていないが、身体の皮は剥がされていて、胴体の筋肉が露わとなっている。食べられない皮は無造作に捨てられていて、おまけにボロボロの状態。これでは火傷の跡は見付けられまい。

 貴重な情報源の一つを失った形だ。惜しいという気持ちはどうしてもあるが、しかしそれに固執するのも良くない。一度気持ちと頭を切り替える。そしてキマイラについてだけ考えてみる事にした。

 まず、キマイラの背中にあった奇妙な火傷の跡。普通の火災で付いたものとは思えない。なんらかの異常な出来事があったと考えられる。恐らくその出来事が、キマイラが生息地から逃げ出した要因なのだ。

 しかし驚異的な肉体を持つキマイラが、それも遠く離れた帝国中心近くまで逃げてくるとは。それこそ大災害染みた出来事でなければ、あり得ないように思える。そのような災厄となれば、人間には無害だと考えるのは楽観が過ぎるというもの。


「(……少し、調べた方が良いか?)」


 別段、異常を突き止めて人々に警鐘を鳴らしたい、人助けをしたい等と考えている訳ではない。

 だが何も知らないままでいる事が好ましいとは全く思えない。人間は知能と技術で自然と戦っているが、知能を活かすには相手の事を知っているのが大前提だ。嵐から逃げるためには、嵐に直面する前に、嵐の存在を知らねばならないように。

 そのために危険な地に出向くというのは本末転倒にも思えるが、しかしこちらから出向くのならば引き際も分かりやすい。それに早めに出向けば『手遅れ』になる前に行動を起こせる可能性がある。

 勿論、例えば火山噴火や大地震のような近付く事そのものが『失敗』である場合もあるが……キマイラが逃げ出したという事は、既にその災厄は起きた後の筈。終わった出来事を今更心配する必要はない。

 総合的に考えて、調べておいた方が何かと得なように思える。元よりスピカには『仇討ち』以外の目的はなく、その仇も何処にいるのか分かっていない。唐突に新たな『目的地』を決めても、特段問題はなかった。


「……良し、次の目的地を決めた」


「お? そうか。ならまずは腹ごしらえをしないとな!」


 スピカが呟いた言葉に、ウラヌスは満面の笑みを浮かべた。同時にヴァンパイアの肉をずずいとスピカの眼前に出してくる。反省しているのか、していないのか。この言動一つで大体察しが付く。

 とはいえ彼女が一緒にいたから助かった、というのも事実だ。

 もしもウラヌスがいなければ、果たしてキマイラをどうやり過ごしただろうか? ヴァンパイアからどうやって逃げただろうか――――スピカは自分の脳裏を過った二つの疑問に、小さな笑みを返す。答えは考えるまでもない。何をしたところで喰い殺されて、冒険は此処で終わっていただろう。

 或いはウラヌスがスピカの事を見捨てたり、命じた指示が信じられなかったりしても、やはりスピカは喰い殺されていた筈だ。今自分が此処にいるのはウラヌスが、例え揉めた後でも迷わず一緒にいてくれたからと言っても過言ではない。

 出会いの印象は良くなかったが、今ではそれもすっかり薄れている。確かに阿呆ではあるのだが、それは人間的な常識のなさや価値観の違いから生じる『ズレ』だ。むしろその容赦ない合理性と、それでも揺るがない信念は……認めるのは癪だが(そう感じてしまう事自体が合理性からかけ離れているという自覚もあって)、スピカとしては尊敬しなくもない。

 期間限定ではあるが……その間ぐらいは頼れる『仲間』だと認めるとしよう。


「そうだね……これからしばらくよろしくね、相棒」


 スピカはぽつりとそう呟く。


「んぁ? 今なんかもぐもぐもぐ言ったかもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ」


 なお、ウラヌスはその言葉を全く聞いていなかったが。それどころかヴァンパイアの肉を一人勝手に食べ始めている始末。

 ぴきりと、額に血管が浮き上がるのをスピカは自覚した。


「……こ、の……阿呆がぁ! アンタ鼻が良いなら耳も良いでしょうに! 都合良く聞き逃してんじゃないわよ!」


「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ」


「誤魔化すように肉を食うな! というか生の肉を食うな! せめて焼け! あとまた一番美味しそうなところ勝手に食べ、あーっ!? なんで食べる速さ上げんの!? 馬鹿なの!? この、野蛮人!」


 ギャーギャーワーワー叫ぶスピカに対し、ウラヌスは知らんぷり。

 認めたのに、やり取りは以前と全く変わらない。

 つまるところそれが二人にとって安定した関係なのだが、それを認めてしまうのもまた癪だと思ってしまう、感情的なスピカなのであった。

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