異郷の獣王達7
駆け出したウラヌスに反応し、キマイラとヴァンパイアも動き出す。
二体の猛獣は横目に互いを牽制。しかしその攻撃が自分に向かわないと分かると、同時にウラヌスに向けて攻撃を繰り出す。キマイラは前足を真っ直ぐ伸ばし、ヴァンパイアは噛み付こうとしてか大口を開けた。
「ほっ!」
ウラヌス、この二体の攻撃を前にして即座に逃げる……上に向かって。
跳躍したのだ。桁外れの身体能力を生み出す脚力で大地を蹴れば、その小さな身体は鳥のように高く跳ぶ。
ウラヌスはその場から消えたが、勢いよく攻撃した二体の獣達は止まれない。ヴァンパイアの頭を、キマイラの前足が殴り付けた。
二体は仲間という訳ではない。しかしここで攻撃する事が『不味い』というのは本能的に分かるようで、キマイラの顔が僅かに歪む。尤も、その顔一つで許してもらうなんて考えは、あまりにも楽観的だ。高度な知能と社会性を持つ人間でも、これをやれば喧嘩となりかねないのだから。
「キャアアッ!」
怒り狂ったヴァンパイアはキマイラの顔面を、翼を振るって殴り飛ばす!
巨体を浮かべるほどの風を生み出す翼だ。まともに喰らえば人間の上半身ぐらいは吹き飛ばし、一撃で肉塊に変えるだろう。
キマイラの頑強な肉体はこれに耐えたが、受けた衝撃はかなり大きい。少なくともキマイラが怒りに震える程度には。ヴァンパイアが仲間であれば我慢したかも知れないが、そんな事もなく。
「グゴァアッ!」
「キャアアッ!?」
キマイラはヴァンパイアにもう一度拳を叩き付け、今度はヴァンパイアがふっ飛ばされた! もうこうなるとヴァンパイアもやられっぱなしではいられず、キマイラに飛び掛かる。
二体の取っ組み合いの戦いは、地響きを伴うほどの大きさだ。互いに相手の事しか見ておらず、人間の事などすっかり忘れているのではないかと思えてくる。
今ならこっそり移動すれば逃げられる――――そんな考えがスピカの脳裏を過ぎった。
しかし此処はだだっ広い大平原。遠くまで逃げたところで、隠れる場所がなければ簡単に見付かる。追い駆けてくるかは分からないが、ヴァンパイアに恨まれている事を思えば覚悟はすべきだ。無闇に走っても体力を使うだけ。時を見極めなければ危険だ。
加えてこの近くには、手紙を届けた村がある。暴れ回るうちにキマイラ達が村の方に向かわないとも限らない。村が再び襲われても、スピカ達に『被害』はないが……そんなのを目にしたら目覚めが悪くなるというもの。
兎にも角にも、村から引き離すのが先決だ。
「(気を引くなら、こいつで十分!)」
二体が取っ組み合いをしている間に離れていたスピカは、一本の矢をキマイラ達目掛けて放つ!
今回放った矢は、見た目は普通の金属製の鏃だ。生身の人間ぐらいなら、胸や頭に当たれば一撃で致命傷を与えられるだろう。
しかし言い換えればその程度の威力だ。スピカのような女性冒険家が好む皮装備でも、ちょっと貫通するのが限度。軽量でも金属製鎧なら簡単に弾かれる。それら装備を叩き潰すほどに屈強なキマイラ達相手では、例え腹に当たろうとろくな傷を与えられない筈だ。流石に目に当たれば失明させられるだろうが……組み合って激しく暴れる二体に対し、狙いが付けられる訳もない。
ならばこの矢は無意味な、ちょっかいを掛けるだけの代物か?
いいや、そうではない。何故なら鏃には、スピカがとある植物から得た『粉』をまぶしてあるのだから。
粉は単独では無害なもので、人間が指で触れてもこれといって被害は受けない。だが、汗などで湿っていると話は違う。水に溶けた粉は金属を溶かす性質、『酸』を生じさせるのだ。この酸は極めて強力なもので、一滴もあれば、人間の皮膚に穴を開けてボロボロになった骨が丸見えになる。
そしてこの性質は血でも生じさせる事が可能だ。鏃に粉をまぶしておけば、鏃で付いたちっぽけなキズから染み出した血で、強力な酸が生まれる。
「――――キ? キ、キギィイヤアアッ!?」
鏃が太腿に当たったヴァンパイアが、一瞬の間を置いた後、悲鳴染みた声を上げたのはそういう理屈だ。
酸による攻撃で怯んだヴァンパイアは、飛んできた矢が原因だと分かったようですぐにスピカを睨む。が、ここで押されていたキマイラが反撃。ヴァンパイアが吹き飛ばされた。
その隙を狙ってスピカはもう一本の矢をキマイラの腰に撃ち込む。無論、強酸を生み出す粉を振り掛けた上で。
「グ、グガ……グギィイイッ!?」
腰の痛さに驚いたのか飛び跳ねたキマイラ。その顔面にヴァンパイアが翼を叩き込んでふっ飛ばす。
ごろごろと地面を転がったキマイラは、しかし瞬時に四つ足で大地を踏み、即座に体勢を立て直す。
二体の戦いは距離が開いた事で一時中断。互いに睨み合って足を止めた……のはほんの僅かな時間だけ。
二体揃って、くるりとスピカの方に振り向いた。
「(良し、狙いがこっちを向いた!)」
大型の獣は賢い傾向がある。あくまでも傾向であり、絶対ではないが、しかしキマイラとヴァンパイアは戦い方を見るにそれなりには賢そうだ。
故に弓矢を撃ち込めば、その原因らしきものに当たりを付けられるとスピカは読んでいた。思惑は的中。自分達の身体に痛々しい傷を与えた存在として、スピカをしっかりと認識している。
さて、ではここでスピカが脱兎の如く逃げ出せばどうなるか?
「ウラヌス! 私を運んで!」
「うむ! しかし何処に?」
キマイラ達を激突させた後、草むらに隠れながらスピカの近くに戻っていたウラヌスが返事と共に跳び上がる。当然の疑問を言葉にしながら。
スピカは即座に返答。ただ一言『場所』を伝えたたけだが、ウラヌスはそれで理解してくれた。こくりと頷くや、スピカの身体をひょいっと抱き上げる。
ウラヌスの手が支えているのはスピカの背中と、折り曲げた膝の裏側部分。確か王国や帝国のうら若き女子達の間で、格好いい男の子にされたい行為の一つとして有名な『お姫様抱っこ』という抱かれ方だったか。生憎スピカはその手のものに興味がなく、ましてや抱き上げているのが年下の女子となるとトキメキもない。
ただしこの体勢でキマイラ達から逃げるとなれば、中々に心臓の鼓動は高鳴りそうだとは思ったが。
「距離を稼ぐのを最優先で逃げて! それとこの縄も持って、私が引けって言ったら引いて!」
「うむ! 全部なんとかしてみせよう!」
スピカが出した指示を受け、ウラヌスは颯爽と走り出す。
合わせて背後から、二体の猛獣の雄叫びと、大地を蹴る音と羽ばたく音が聞こえてきた。
ウラヌスは猛烈な速さで大地を駆けていく。片腕が脱臼した状態でスピカを抱きかかえているため相当走り辛い筈なのだが、明らかにスピカが一人で走るよりも速い。顔を打つ風が痛いぐらいで、景色も目まぐるしく変わっていく。仮にこの速さを出せてもスピカでは心身が持たなそうだが、ウラヌスは実に涼し気な顔でこれを成す。人間離れとは正に、ウラヌスのような人物にこそ相応しい言葉だ。
しかしどれだけ人間から逸脱していようと、人間以上が溢れている自然界から見れば驚愕するようなものではないだろうが。
「キャァァァァアアアアアアアッ!」
走るウラヌスに真っ先に追い付いたのはヴァンパイア。空飛ぶ巨獣の速さは、ウラヌスの非常識な走力を大きく上回っていた。
ヴァンパイアは足先にある鋭い爪をウラヌスに差し向ける。このまま降下して、踏み潰すつもりか。単純であるが巨体を活かしたこの一撃は、小さな生き物には比喩でなく必殺の攻撃である。恐らくウラヌス一人だったなら、虫けらのように殺されていただろう。
だが、此処にはスピカがいる。
スピカは素早く弓を構えた。弓に当てた矢の先にあるのは鋭い鏃、ではなく皮で出来た小袋。矢の先に紐で結び付けただけの単純な作りをしており、何かの衝撃を受ければ紐は簡単に解れて中身をぶち撒けるに違いない。
そして矢が狙うのはヴァンパイアの顔面だ。
「ふん、所詮獣ね。狙いを定めて真っ直ぐ来る奴が、一番矢を当てやすいのよ」
嘲笑うような台詞に続けて、スピカは矢で放つ。
全力で弓を引いた状態で放った矢は、鳥よりも遥かに速い。ヴァンパイア相手でもその速さは有効で、何か行動を起こされる前に矢とその先に付いている袋はヴァンパイアの顔面に命中した。
とはいえ所詮皮の袋。目に当たったなら兎も角、額に当たったところで傷一つ与えられやしない。ではその中身ならどうかと言えば……今回袋の中に詰まっているものは、例えば爆発物だとか、強酸をばら撒くような代物ではない。そんな危険物を相手が真上にいる時に使ったら、自分達にも降り掛かってくるのだから使える訳がない。
代わりに、細かな粉が入っている。
それも毒性なんてない、穀物を磨り潰して作ったただの粉だ。ただしとびきり乾燥させて、風が吹けば何処までも舞い上がるような代物。真っ白な色合いをしたそれは、少なくとも人間の視界を完全に塞ぐ程度には濃密である。
つまり、粉で作った煙幕だ。
「キャアッ!?」
紐が解れた袋から、大量の粉が撒き散らされた! ヴァンパイアの視界は完全に塞がれ、驚きの声だけが響く。粉煙幕はスピカ達にも降り掛かってくるが、ものが無害だと分かっていれば怖くもなんともない。
「右に直角で曲がって! 今なら視界の外に出られる!」
「分かった!」
煙幕が残っているうちに、スピカとウラヌスは方向転換する。
ヴァンパイアは煙幕を翼で振り払ったが、その時にはもうスピカ達は視界内にいない。困惑し、辺りをぐるりと見回して、ようやく東へと走るスピカ達を再発見。
「キ、キ、キィィイイヤアアアアアッ!」
叫びと共に、ヴァンパイアは再びスピカ達を追い始めた。
煙幕で翻弄されて怒り狂っている様子。先程の粉煙幕も見破っており、恐らく二度目は通じないだろう。しかし距離は取れたので、しばらくは安全な筈だ。
それよりも問題は、次に迫ってきた猛獣キマイラの方だ。
「グルルゥウウウウッ!」
唸りながら駆けてくるキマイラも、走る速さはウラヌスよりも上だ。ヴァンパイアほど圧倒的な速さではないが、着実にスピカ達との距離を詰めている。
キマイラの方は頭上ではなく、後ろから追う形で迫っている。これでは粉煙幕を使っても、展開した次の瞬間には抜けているだろう。目隠し効果は瞬き一回分あるかどうか。いくら素早いウラヌスでも、この時間でどうこうするのは無理だ。
別の作戦が必要である。そこでスピカは腰の袋から、小さな『袋』を取り出した。パンパンに張った袋であり、入口部分を硬く紐で結んでいる。
「ウラヌス、とりあえず鼻栓しといて。要らなくなったらその辺に鼻息で捨てて良いから」
「む? 鼻栓?」
首を傾げるウラヌスの鼻に、スピカは勝手に鼻栓を嵌めた。自分の鼻にもしておく。
そして手にした袋を構え、スピカは背後に迫るキマイラを睨む。しかしこの程度でキマイラは怯まない。大きな口を開け、今までその巨体を動かしていた前足でスピカに殴り掛かろうとした
瞬間、スピカは袋を素手で叩き潰す。
袋の中身は動物の死骸や糞、吐瀉物などを煮込んだ後に乾燥させて作り出した粉。
不衛生の極み……と言いたいところだが、毒性は左程高くない。精々食べたら何時間か経った後に腹を激しく壊す程度だ。
では何が優れているかといえば、臭いである。
兎に角臭い。動物に比べて劣る事が多い人間の鼻でも、鼻栓なしには扱えないほど強烈な悪臭だ。まともに吸えば、数時間は臭いが鼻にこびり付いて取れない。
ではこれを真正面から、鼻栓なしで嗅いだ
「グギアッ!? グゴォォオオッ!?」
大悪臭に怯み、キマイラはその場にひっくり返った。悶え苦しんでいるようで、転がりながら四肢をバタつかせている。
作戦大成功といったところだ。
「ふぅー! やったね! もう鼻栓捨てていいよ!」
「ふんっ! ふがっ!? くしゃい!?」
ウラヌスは鼻栓を外すと、彼女の口からは困惑した声が発せられた。
こちらにも効果抜群だったらしい。身体能力に優れているというのも、手放しに喜べる事ではないようだ。
とはいえ撒き散らしたものは所詮ただの臭い。身体に害悪はない、筈である。時間が経てば慣れて、苦痛は薄れていくだろう。
勿論ウラヌスだけでなく、キマイラにも同じ事が言える。
「グ、グゥ、グルガアアアッ!」
自力で起き上がったキマイラは、雄叫びと共に再びスピカ達を追い始める。足取りは最初こそ鈍かったが、数秒もすれば今までと変わらない速さに戻った。
キマイラの横を飛ぶように、ヴァンパイアもスピカ達を追う。既に二体は体勢を立て直し、スピカ達との距離を着実に詰めてきている。
「(時間は稼いだ。だけど、まだ足りない……!)」
スピカはある場所を目指している。
辿り着けば、キマイラ達を倒せる筈だ。絶対ではないが、ほぼ確実だとスピカは信じている。しかしそこまでの距離は遠く、このままでは二体に追い付かれる方が早い。
せめてあと一回、どうにか時間を稼がねばならないが……もう手がない。ヴァンパイアにもう一度煙幕を使っても恐らくそのまま突っ込んでくるし、キマイラに悪臭粉を使っても気合いで突破してくる筈だ。ヴァンパイアなら悪臭粉は通じるだろうが、キマイラに煙幕は通用しないと思われる。
せめて爆発矢が使えればキマイラを怯ませられたかも知れないが、森でスライム相手に使い尽くしてしまった。未だ補充も出来ていないため、今は使えない。
スピカ最大の弱点がこれだ。物資が戦闘能力に直結しているため、『連戦』に凄まじく弱い。戦いが長引くほど使える手立てがどんどん減っていき、最後に残るのはちょっとばかり平均よりも逞しい女が一人だけになってしまう。
「(考えろ……考えろ……! 何か手立ては……!)」
策を練ろうとするが、しかし案は浮かばない。
そうこうしている間にも、キマイラ達との距離は縮む。
悩んでいても打開策はなさそうだ。ならば出来る事をするしかない。残り少ない煙幕と悪臭粉を握り締め、せめて不意打ちになるようギリギリまで引き付けようとスピカは構えた
「投げるぞ! 口をしっかり閉じておけっ!」
刹那、ウラヌスが叫んだ。
投げる? 一体何を投げるつもりなのか。困惑するスピカだったが、ウラヌスはスピカの返事を待たない。
大きく腕を振りかぶり、ウラヌスはスピカを投げ飛ばした!
「……!?」
口をしっかり閉じろ。その言葉の通りにしていなければ、スピカは舌を噛んでいただろう。投げられたと理解した後は叫びたかったが、それを堪えて口をぐっと閉じる。
そして思考を巡らせた。
ウラヌスは何故自分を投げ飛ばしたのか。働かせた頭が下した判断は、それを知るべくまずは自分が置かれている状況の確認する事。素早く目を動かし、周りの様子を観察していく。
それだけで、ウラヌスの『考え』は理解出来た。
視界内に『目的地』が見えたのだ。ウラヌスは最後まで運べない事を予期し、スピカを目的地の方へと投げたのである。後はこちらの足で目的地に迎え、と。
「ぐがッ!?」
スピカが全てを察した頃、地上からウラヌスの呻きが響く。
目を向ければ、ウラヌスの身体が空に浮かんでいた。まるで蹴られた石のように飛んでいる。どうやらスピカを投げた直後、キマイラの鉄拳を受けたらしい。
呻いたからには相当手痛い一撃を受けたのだろう。空中でくるりと身体を回転させたので未だ死んではいないが……着地に失敗して彼女は地面を転がった。やはり無傷ではないらしい。
ウラヌスは立ち上がったものの、今やキマイラとヴァンパイアの目線はウラヌスに釘付けだ。弱った獲物から確実に仕留めていく。熾烈な生存競争が繰り広げられる自然を生き抜くための、鉄則である。
今のウラヌスがどの程度動けるかは分からない。しかし仮に走ったり跳べたりしても、今までほど力強くはない筈だ。キマイラやヴァンパイアの攻撃を躱せるものではない。
渡された猶予は僅か。
「っ……!」
だからスピカは地面に落ちた後、すぐに立ち上がって走り出した。
背中から地面に落ちたため、身体中が痛い。それに猛獣との追い駆けっこ中とはいえ、草むらの毒蛇や毒草がいなくなる訳ではないのだ。がむしゃらに走ればそれらに襲われ、命を落とす可能性が高くなる。
だが、それがどうした。
ウラヌスは命懸けでスピカの作戦に協力したのだ。こちらもちょっとぐらい命を懸けなければ、釣り合いが取れないではないか。
無論こんな考えは合理的ではないだろう。野生動物なら間違いなくウラヌスを囮にして逃げている。しかしこの考えを改めるつもりは、今のスピカには毛頭ない。それが今の自分の胸を占めている衝動なのだから。
ウラヌスのお陰で、スピカは目的地の手前まで辿り着く。だがまだ足は踏み入れない。ここから先にはどうしても、もう一度ウラヌスの助けが必要だ。
「ウラヌス! 鼻を摘みながらこっちに来て!」
スピカは大声でウラヌスに呼び掛け、そして弓を構える。
矢の先にあるのは、残り一つの悪臭袋。
スピカの掛け声を聞いたウラヌスは、顔を上げるやすぐさまスピカの方に走り出す。相変わらずの人間離れした走力だが、スピカを抱えていた時よりも少し遅い。身体に蓄積した傷が彼女の力を妨げている。
無傷のウラヌスにも追い付いたキマイラ達の方が、今のウラヌスよりも圧倒的に速い。ウラヌスとの距離を二体の獣は瞬く間に詰めていく。
ただし二体は鼻を摘んでいない――――ウラヌスと違って。
「正面からなら、狙いやすいわ!」
スピカは矢をヴァンパイアの顔面目掛けて放った!
真っ直ぐに飛んでいった矢は、狙い通りヴァンパイアの顔面に命中。悪臭をばら撒く!
「キ、ブギャアァッ!?」
臭いに慣れていないヴァンパイアは悲鳴を上げた。更に体勢を崩して墜落。
ついでとばかりに、走るキマイラも巻き込む。
「グゴェッ!?」
自身に匹敵する体重が突然ぶつかってきて、これにはキマイラも呻きを漏らす。二体は仲良く地面を転がる。
その隙にウラヌスはスピカの傍までやってくる。スピカはウラヌスに縄を渡し、ウラヌスがそれを持って走り出したのを確認してから、大きく深呼吸してから背後にある目的地に足を踏み入れた。
しばらく進んだ後、スピカはくるりと振り返り、キマイラ達を見遣る。
キマイラはヴァンパイアを蹴り飛ばし、体勢を立て直す。ヴァンパイアも蹴られた反動で空に飛び上がる。二体はすぐに互いに睨み合ったが、賢い彼等は何に怒りをぶつけるべきかを即座に理解した。
棒立ちするスピカだ。
「キャアアアアアアアアアッ!」
「グゴアアアアアアアアアッ!」
ヴァンパイアが叫び、キマイラが吼える。一人のちっぽけな人間を殺すために。
スピカは迫る二体を前にして、逃げもせずその場に立つ。彼女は待っていた。連中が此処に足を踏み入れる事を。或いは、期待していると言うのが正しいかも知れない。
その期待を彼等は裏切らなかった。キマイラ達はスピカの思惑通り、『目的地』に足を踏み入れてくれた。
この時点でスピカは自分の勝利を確信する。否、確定した、という方が正しい。
「アンタ達は知らないでしょうけど――――この世にはね、立入禁止の領域があんのよ」
スピカは勝ち誇った台詞を二体の獣に向けて吐く。
「引けっ!」
次の瞬間スピカがその言葉を告げると、彼女の身体が力強く後方に向かって引っ張られた!
原因はウラヌス。実はスピカの身体には縄が巻かれており、ウラヌスはその縄を力強く引っ張ったのだ。猛獣とも殴り合えるウラヌスの身体能力により、スピカの身体はちょっとした吐き気を催すほどの強さで引かれる。
スピカとしても苦しいところだが――――これで猛獣二体を翻弄出来るなら、安いものだろう。
「グ、グガアァアアッ!?」
「キィャアアアアアッ!?」
キマイラとヴァンパイアはスピカを追おうとして、しかし双方同時に方向転換したものだから相手を躱しきれず。互いに激突して絡まってしまう。困惑しながら大地を転がり、余波でそこに咲き誇る白い花がバラバラになりながら舞い上がった。
二体の身体には大きな衝撃が走っただろう。だがこれで死んだり気絶したりするなら、スピカ達の苦労はない。
「グゴァッ! グゥルルッ!」
「キャァアアアアアッ!」
二体は威嚇しつつも、くるりとスピカ達の方を見遣る。
激しい怒りの感情。今までなら、スピカは冷や汗の一つでも流していただろう。
だが、もうその威嚇をスピカは脅威だと思わない。
強いて言うなら、もう死んでいるのに気付いていない事に憐れみを覚える程度だ。
「あーあ、息しちゃったねぇ……私も、そこじゃずっと息を止めていたのに」
スピカの嘲笑う言葉は、決してキマイラ達には届かない。
されどまるでこの言葉を切っ掛けとするかのように、キマイラとヴァンパイアに変化が起きた。最初は身体をぴくりと強張らせた程度。しかしその強張りはやがて痙攣に変わる。
震える足では体重を支えられず、キマイラは崩れ落ちるように膝を付く。ヴァンパイアも翼を地面に付け、倒れそうになる体重を支えた。だが身体の震えは収まるどころか強くなる一方。更に白目を向き、キマイラの口からは白い泡が、ヴァンパイアは強く食い縛っているのか血が流れ出す。
劇的な異常が二体の獣を襲う。二体は自分の身に何が起きているのか、どうすれば良いのかも分からないだろう。
そして獣である以上、スピカが『種明かし』をしても理解出来ない。
「アンタ達は知らないだろうね。その植物の存在なんてさ」
もしもキマイラ達が草原に暮らしていたら、きっとこの場所には立ち入らなかっただろう。
香りを吸い込むだけで死に至る、マンドラゴラの花畑に足を踏み入れるような間抜けは、この草原では生きていけないのだから。
だが、キマイラ達の住処は此処ではない。彼等の生息地にどのような生物がいるのか、それはスピカにも分からないが……帝国内のこの草原でしか見られないマンドラゴラは生えていない可能性が高い。つまり彼等はマンドラゴラを知らない。
人間は数多の屍を築き上げて、どの生物が安全か、どの生物が危険かを学んだ。生き物達もきっと、たくさんの祖先が死んでいって、人間とは違う方法で本能的に学んでいったのだろう。そうしなければ生き残れないのだから当然だ。
何も知らないコイツらに、この地で生きる資格はない。
「グ……ギ……ギ……………!」
「キャ……ギャボッ」
キマイラは泡を吹いて倒れ、ヴァンパイアは血反吐を吐きながら突っ伏す。
傍若無人な来訪者の末路は、その土地の危険種による裁きであった。
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