異郷の獣王達6
空を見上げれば、そこには漆黒の身体が空に浮かんでいた。
体長は十五メトルほどあるだろうか。巨大なその姿にスピカのみならず、同じく天を仰いだウラヌスとキマイラも動きを止める。
瞬間、空に浮かぶモノは急降下してきた。
もしもその狙いがスピカかウラヌスだったなら、ここで二人の命はなかっただろう。しかしソイツの狙いは小さな人間達ではなく、同じぐらい巨大なキマイラ。
「グゴアッ!?」
空からの攻撃を受けたキマイラは、その巨体を仰向けにするように倒れる。巨獣を一撃で打ち倒す威力は、つまり相手がキマイラと同格の力の持ち主である事を物語っていた。
ここにきて二体目の巨大生物。一体何が現れたのか、スピカはそれを確認すべくキマイラの傍にいる姿を見遣る。
それは、一言で言うならばコウモリだった。
無論体躯は空にいた時と同じく、十五メトルの巨体だ。二本足で立っているものの、その脚は細く、蹴り技などが使えそうなものではない。腕は翼になっているが、鳥とは違い羽毛ではなく皮膜が展開されている。全身の毛は鋭く先が尖り、まるで鱗のようだ。
顔付きは豚鼻でお世辞にも愛らしくはない。開いた口には巨大な二本の牙が生えており、立派な武器である事が窺えた。黄色い目がなんとも言えない不気味さを醸し出している。耳は巨大で、それだけで長さ二メトルはあるように見えた。臀部からは長く、鞭のように細い尾が一本生えている。尾の先には硬質化した部分があり、まるで鏃のようだった。
その姿に見覚えがある訳ではない。しかし冒険家として駆け出しの頃、やたら滅多に叩き込んだ世界各地の危険生物の知識に、該当する存在が一種だけいる。
「(コイツは、まさかヴァンパイア……!?)」
ヴァンパイア。
この辺りには生息していない筈の、危険な生命体だ。帝国内に生息地はないため遠征した冒険家からの情報しかないが……曰く巨獣の血だけを飲み、生きているという。
正直眉唾物の話であるが(身体が巨大なら大量の食糧が必要だ。血だけなんて『贅沢』が出来るとは思えない)、しかし牙の鋭さを見るに肉食性なのは間違いあるまい。そしてキマイラに襲い掛かるほど獰猛か、或いは空腹か、いずれにせよ興奮状態にあるようだ。
問題は、そのぐらいしか情報がない事。
キマイラも曖昧な話しか本に載っていなかったが、ヴァンパイアは更に情報が少ない。具体的には、陽の光を浴びると灰になる等の生物としてどう考えてもおかしな話ばかりが堂々と本に載るぐらいには。なおこうして西日の中で平然と活動している事からも明らかなように、真っ赤な嘘である。
これは極めて不味い。人間が自然と対峙するためには、何はともあれ知識が必要だ。自然に対し人間が明確に勝っている点など、それこそ日頃万物の霊長だのと自慢している頭脳しかない。その頭脳を活かすための知識が、ヴァンパイアに対してはないのだ。これでは勝負にもならない。
しかし撤退も難しい。相手は飛行生物。鳥や虫が人間の全力疾走を軽々と超える速さで飛んでいくように、飛行する生物というのは動きが速いものだ。ヴァンパイアが例外的に遅いと考えるのは、死に直結する楽観だろう。
どうすべきか。何をすべきか。何が出来るのか。全くの未知を前にして、なんの手立ても思い付かない。
「ウラヌス! 何か……!」
困り果てたスピカは、ウラヌスに意見を求める。現状の打開なんて求めない。ただ何か一つ、案はないものかと縋っただけ。
「うむ! 分かっている!」
ところがどうした事か。ウラヌスから返ってきたのは、勇ましく、そして自信に満ちた言葉だ。
分かっている? 分かっているとはなんの事か? まさかヴァンパイアについて何か知っているのか――――
ウラヌスの言葉の意味が分からず、故に楽観的な考えが次々と過る。こんなの合理的ではないと頭では思うが、それでも胸の奥底で期待が湧き出す。
そんなスピカに対し、ウラヌスは堂々と話を続けた。
「コイツが、スピカの家族を殺したというワイバーンなのだろう!? 仇を討つのならば私も協力しよう!」
まるで頓珍漢な言葉を以てして。
「……は? いやいやいや!? コイツはヴァンパイア! ワイバーンじゃないから!」
「む? そうなのか? でも村人が言ってた奴とそっくりだぞ?」
「全然違うでしょ! 良い!? 村人が言っていたのはね……………」
勘違いしているウラヌスを正そうと、スピカは村人が言っていたワイバーンの特徴を思い出しつつ、ちらりとヴァンパイアを横目に見る。
まず、腕が翼になっている。そしてその腕は鳥とは違い、皮膜に覆われたもの。
長い尻尾が一本生えている。身体の長さと同じぐらいあるだろうか。
頭に角は生えていない。しかし二つの大きな耳は先が尖っていて、見ようによっては角っぽい。そして耳の後ろには毛の束のようなものが見られ、それもまた後ろ向きに生えていた。耳と合わせると、四本の角のように見えてくる。
それと瞳が黄色だ。夜には金色に光って見えそうである。
身体の大きさは目撃情報の半分しかないが、しかし人間の目視なんて殆ど当てにならない。大きさを倍も見誤る事すら、そう珍しくもないだろう。
ヴァンパイアの姿はワイバーンと瓜二つという訳ではない。されど村人が話していた情報とは一致する。考えてみれば、村人はワイバーンが来たなんて一言も言っていない。あくまでドラゴンが来たと言っただけ。勿論コウモリとドラゴンも全然違う生物だが、しかしヴァンパイアはこの辺りに生息していない種であり、おまけに目撃されたのが真夜中。勘違いしてもおかしくない。大体村人にとってワイバーンは見慣れた動物なのだから、本当にワイバーンなら「でかいワイバーンが来た」で話は終わりである。
ならば客観的に、一切の偏見なく考えてみれば、答えは明白。
コイツが村を襲った件の怪物であると。
「って、お前かぁーいっ!?」
仇と思っていた存在が全くの別物と分かり、思わずスピカは叫んでいた。
突然叫んだからか、ヴァンパイアが「え? いきなり何?」と言いたげにスピカの方を見る。その隙を突いて、起き上がったキマイラは頭突きをヴァンパイアにお見舞いした。空を飛べる程度に身体が軽いからか、ヴァンパイアの方が大柄なのに、キマイラの一撃でその身体は大仰に吹っ飛ぶ。
むくりと身体を起こしたヴァンパイアは、攻撃してきたキマイラと、攻撃を受ける要因になったスピカ達を交互に睨んだ。
……わざとじゃないんです、と言ったところでヴァンパイアには通じない。しかしそれでも、自然界で油断したアンタが悪いだろとスピカは言いたかった。言ったところで意味がないので、呆れるように天を仰ぐだけにしておく。
どうにか気持ちを落ち着かせた後、スピカは再び前を向く。
キマイラとヴァンパイアは互いに牽制しているようで、身動きが取れていない。それはスピカ達も同じであり、誰かが動けば均衡が崩れ、再び争いが起きるだろう。逆に動かなければ、誰かが痺れを切らすまで状況に変化は起きない筈だ。
今ならば、ウラヌスと話が出来る。
「……こんな時に話す事じゃないとは思うけど、一つ、聞いて良い?」
「うむ、なんだ?」
「アンタ、ヴァンパイアをワイバーンって勘違いしていた時……仇を討つなら協力しようって言ったわよね?」
「む? そうだったか? まぁ、言ったかも知れんな! もしもコイツがそうだったなら、そう答えただろう!」
尋ねれば、ウラヌスは堂々と肯定した。その言いぶりから察するに、彼女にとっては自然に出た言葉らしい。そしてそれを撤回する気もないのだと。
本能のまま出た言葉なら、分からなくもない。ちょっとばかり好戦的なものの、ウラヌスはお人好しの類に見える。咄嗟に人を助けてしまう性格ならば、反射的にそう答えるのは頷けるというものだ。
しかし改めて、考えながら答えたという事は、この言葉はウラヌスの信念から出たもの。
復讐を理解出来ないと言っていた彼女が、何故他者の復讐に手を貸すのか。スピカにはまるで分からない。
「お前は恩人だからな! お前が正々堂々戦いたいならば兎も角、倒すだけならば協力しなければ戦士の名折れというものだ!」
ましてや当然だと言わんばかりに、自分の都合で答えてくる始末。
もう、スピカにはさっぱり理解出来ない。
「ちょ、ちょっと待って。え、なんで? 復讐なんて理解出来ないのよね?」
「うむ。復讐なんて理解出来ん。我等が獣を殺すのは良くて、獣が我等を殺すのは忌むべきなど、公平でない。戦士は公平でなければな」
「なんでよ! 復讐の意味が分かんないんでしょ!? だったらどうして私の復讐を止めるどころか、手伝いが出来る訳!?」
「ん? んんー? 分からん、混乱してきたぞ?」
「なんでアンタが混乱してんのよ!?」
スピカとしてはただ問い詰めているだけなのに、何故かウラヌスが首を傾げる。一体彼女の頭の中はどうなっているのか、スピカには本当に訳が分からない。
されどスピカが思っていたのと同じように、ウラヌスもスピカの頭の中がどうなっているか訳が分からなかったに違いない。
「何故、さっきから私の考えを聞くんだ? お前の復讐なんだから、お前が決める事だろう?」
でなければ、この至極尤もな疑問が飛んでくる筈がないのだから。
何故、と問われてスピカは息を飲んだ。論理的な答えがあればすぐに答えられた。それが出来なかったという事は、つまり図星だったのである。
そうだ。理屈の上で考えれば、他人の意見など関係ない。
意見を聞くな、という意味ではない。ある目標を達成出来るかどうか判断する上で、誰かの率直な意見というのは重要な情報だ。しかし、反対されたから目的を諦めるかどうかは別の話である。
出来るからやるのではなく、やりたいからやるのであれば、人の意見など関係ない。自分の信念に従えば良いだけ。
復讐だなんだと言いながら、自分には信念がないのだとスピカは気付かされる。
「私は復讐なんてくだらないと思うが、お前がやりたいなら、私はそれを手伝う。約束したからな、護衛をすると」
その点ウラヌスは自分の考えがしっかりしている。例え気に入らない事があっても、信念があるから答えに迷わない。
阿呆だお馬鹿だと思っていたが、実際はこちらの方が余程間抜けではないか――――自覚したスピカは、その口が弛むのを止められない。
「……ふ、ふふ、ふふふふ」
「ん? どうした?」
「ふは、ふははははは! あーっははははははははは!」
突然笑い出したスピカに、ウラヌスは目を丸くする。キマイラとヴァンパイアも、『虫けら』同然の相手が見せた奇行に困惑した様子を見せた。
人間というのは、本当に不合理な生き物だ。
他の人達が復讐を支持しない。当然だ。なんの合理性もない行動を、何故全面的に肯定するというのか。彼等は至極真っ当な回答をしただけに過ぎない。
なのに拒絶されたら分かり合えないと達観し、されなかった途端相手を問い詰めて、理由に納得出来なければ見下す?
支離滅裂にも程がある。合理的に振る舞おうとしている癖に、一番要の部分がぐらぐらしているなんて……これが笑わずにいられるものか。
「ははははっ……あー、笑った。こんなに笑ったの、何時ぶりかなぁ」
「笑うのは良いが、これからどうするんだ?」
ウラヌスはそう言いながら、前を指差す。
彼女の言いたい事は、指の示す方を見ずともスピカには分かる。キマイラとヴァンパイアについてだ。
精神的な改善を果たしたスピカであるが、現状目の前には物理的な問題がそびえている。それも圧倒的な物理が。目の前で堂々と隙を晒していたスピカがキマイラ達に襲われなかったのは、キマイラとヴァンパイアが互いに牽制している結果。もしもどちらか一方しかいなかったなら、今頃スピカ達は食物連鎖という大自然の循環に加わっていただろう。
言い換えれば、この二体の猛獣は相手を強敵と認め合っている。同等の力だと考えて良い。
一撃喰らえばお終いという関係ではない。しかし『一手』遅れれば致命的。虫けらがわーわー騒ぐ事よりも、同格相手の行動を警戒しなければならない。
これは利用出来る。否、利用しなければならない。スピカが考える限り、他の手はないのだから。
「どうやっても逃げ切れる相手じゃない。だから理想を言えば両方に死んでもらう、次点で両方瀕死になってもらうしかないわね」
「うーむ。しかしひしひしと感じる気配からして、私の攻撃が通じるかも怪しいなー」
「そうね。だからコイツらを倒すのは私達じゃない」
「むむ? じゃあ誰がやるんだ?」
「そんなの決まってるでしょ」
ウラヌスの問いに、スピカは笑って見せる。
それはきっと、ウラヌスの前では初めて見せた形の笑顔だったに違いない。ウラヌスは呆けたように固まったのだから。
「大自然の偉大さを、コイツらに教えてやるのよ」
ましてやこの発言の意図を理解したとは、スピカには到底思えない。
しかしウラヌスは一瞬の間を置くと、にやりと不敵な笑みを浮かべた。ならば大丈夫だと信じているように。そして力強くキマイラ達と向き合い、構えを取る。
奇怪な行動を取る人間達をキマイラ達はこれまで警戒して見ていたが、ウラヌスが臨戦態勢を取った事で闘争心を露わにした。今までは戦う意識を見せなかったから相手にされなかっただけで、逃げようとしたり挑もうとしたりすれば見逃さないのは当然だ。二体は身体がびりびりと痺れるような、恐ろしい唸りを上げている。
それで問題ない。闘争心を露わにしている方が、色々やりやすいのだ。
こちらの思うように動かすつもりならば、尚更に。
「誘導するよ! 一度奴等の気を引いて!」
「うむ! 分かった!」
スピカの声に応え、ウラヌスが前へと走り出す。
膠着していた戦況が動き出すきっかけは、これだけで十分だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます