異郷の獣王達4

 村を破壊した獣……ワイバーンと思しき生物は、南に向かったと村人である若い男は言っていた。

 故にスピカは黙々と南に向かって歩を進める。何時もより数段早い歩みで。

 早い歩みは危険が大きい。生物の身体というのは、普通に動くのが一番楽に出来ているものだ。普通の速さで歩くのが一番消耗が少なく、疲れ難い。また早歩きだと周りを注意深く観察する暇がないため、危険を見落としやすくなる。


「むぅ。大丈夫なのか? こんな早歩きでちゃんと周り見えているのか?」


 ウラヌスからそんな懸念を出されてしまうのも、仕方ない事だろう。

 そう、仕方ない。理性では分かっている事であり、悪いのは無謀な自分の方であるとスピカも自覚している。

 だが止められない。

 胸の奥底から沸き立つ感情が、憎悪の念が、彼女の身体を突き動かすのだから。


「大して早くない。これぐらい普通よ」


「普通ではなかろう。明らかに速いぞ。私は動きを見極めるのは得意だからな!」


「だから何よ。文句があるなら一緒に来なくて良いのよ」


「それは出来ない! 恩義には報いねばならん! 我が一族の誇りに賭けて――――」 


「ああもう!」


 苛立ちを声に出し、不満を露わにする。

 突然のスピカの怒号にウラヌスは首を傾げる。あまりにも無邪気な反応は、スピカの感情を逆撫でした。

 そんなに気になるなら、教えてやろう。何故自分が『ワイバーン』を追うのかを。

 頭の中を過る考え。そしてその考えに大した嫌悪も浮かばない。最悪言い争いになる事を経験的にスピカは知っていたが……元よりウラヌスと一緒の二人旅は、スピカの望むものではない。喧嘩別れになったところで、スピカからすれば妥協で設けた期限がゼロになるだけだ。むしろ好ましいぐらいである。


「そんなに知りたいなら、教えてあげるよ……そいつはね、仇なんだ」


 迷いなく、スピカは自分の『目的』について語り出した。


「仇?」


「そ。私ね、王国の辺境にある村で生まれ育ったんだけど、今その村は何処にもないの。そいつが、全部焼き払ったから」


 目を閉じれば、スピカの瞼の裏にはあの時の光景が浮かび上がる。

 ざっと十二年前、自分が幼い子供だった頃の話。

 当時からスピカは、自然と生き物が好きな人間だった。村の近くに広がる森に棲む小さな虫や綺麗な花々、大きな熊やドラゴン、大蛇や大猿も好んでいた。勿論それらは危険な存在であり、迂闊に近付けば喰われる、或いは毒などにやられてしまう。あくまでも遠くから、そっと観察するだけ。村人達も獣達との付き合い方をよく理解していて、偶に間抜けが喰われる以外は、大した被害も出さずに『共存』していた。

 土地が痩せていたので畑作はあまり実らず、日々の暮らしは楽なものではなかった。しかしそれでも村人は誰もが前向きで、明るく、俯いてなんていない。スピカも両親と共に、辛くとも楽しい日々を過ごしていた。

 その幸せは、一夜にして終わった。

 村を『獣』が襲撃したのだ。それもただの獣ではなく、村の近隣には生息していない筈のワイバーン種。しかも記憶通りなら恐らくはあるような巨大個体だ。

 スピカの暮らしていた村も、獣の襲撃に対する備えはしていた。財産を守ろうなんてせず、一目散に逃げる。これが一番確実な方法だ。大体にして獣が村を襲う理由なんてものは、空腹か好奇心によるもの。さっさと逃げてしまえば追ってくる事はしない。

 だが、そいつは違った。

 そのワイバーンは村人を誰も逃さなかった。吐き出した炎で逃げ道を塞ぎ、風で誘導し、巨体で踏み潰す。食べる訳でもなく、遊ぶように命を奪い取っていく。

 村は壊滅した。家も、畑も、人も、全てが灰となったがために。

 生き延びたのは、夜中にこっそり家から抜け出したスピカだけ。そのスピカも当時齢十に満たない歳。一人で生きる事など出来ず、数週間と彷徨った挙句に行き倒れ。通りすがりの冒険家に助けてもらえなければ、スピカもまた死人の仲間入りを果たしていただろう。


「アイツは、私の家族を、友達も、その親や知り合いも、みんな楽しんで焼いていた。アイツはもう、野生の獣じゃない。みんなをあんな風に殺した奴が野放しなんて、絶対に許せない。だから殺す」


「……………」


「勿論、王国が討伐隊を出してくれるならそれに任せたけどね。でも奴等、なんて言ったと思う? 体長三十メトルのワイバーンなんていない、そもそもこの地域にワイバーンはいない、他の竜種の見間違えじゃないか、ですって。あれ聞いてすぐに思ったわ。やっぱり復讐は、自分でやらなきゃ駄目だって」


 嬉々とした声色で語るスピカに、ウラヌスは言い返す事をしない。

 声色は、演技している訳ではない。本当の気持ちを表しているだけ。

 故郷を焼いたワイバーンを見付け出し、どうにかして殺す。これがスピカの旅の『目的』だ。自然の中で生き、生き物達の暮らしぶりを見るのは『趣味』ではあっても、人生の目的ではない。仇を殺すために、スピカは生き続けている。

 無論、簡単な話ではない。普通のワイバーンですら、並の冒険家が十人束になっても勝てるような相手ではない。かつての記憶通り三十メトルもあるワイバーンとなれば、果たして討ち取るにはどれだけの戦力が必要となるのか。ましてや一人で挑めば、自殺行為以外の何物でもない。

 故に(その大きさを信じるかどうかは別にして)ワイバーンへの復讐についてスピカが話せば、誰もがそれを止めようとしてきた。命を無駄にするんじゃない、復讐は何も生まない……何度この言葉を聞いただろうか。

 決して悪い答えではないとスピカも思う。けれども、他人事としか思っていない気持ちがひしひしと伝わってくる言い方だ。

 勝てるから復讐をするのではない。何かを得ようとして復讐するのではない。復讐というのは過去に囚われた心を前へと進めるために行うのだ。頓珍漢な理由で止められても、怒りを通り越して呆れ返るばかりというもの。

 どうせコイツも似たような言葉を返すに決まっている。そう思いながらスピカはウラヌスの顔を覗き込む。


「……んー?」


 ウラヌスは気の抜けた声を出しながら、首を傾げていた。

 想定外の反応に、スピカも少なからず戸惑う。反発するでも、その場限りの同情をするでもない。こうも毒気のない感情を向けられた事がないものだから、どう返したら良いのか分からなくなる。

 そして分からないのは、ウラヌスも同じようだ。


「なぁ、よく分からなかったのだが、お前は何故復讐するんだ?」


「……は? いや、だから家族や友達が殺されたんだって……」


「うーん、よく分からない」


 首を傾げてばかりのウラヌス。

 家族と友達が殺された。復讐を決意するのに、これ以上の説明が必要だろうか? 一体何が分からないのか? そもそも復讐する事について尋ねた時、彼女は何も生まないとお約束な答えを返したではないか。

 スピカが戸惑っていると、ウラヌスは平然と答えた。


「私も兄上と姉上が殺されたが、別に復讐しようなんて思わなかったぞ?」


 あまりにも、スピカと異なる考えを。

 スピカは言葉を失った。次に何を言おうとしていたのかも忘れてしまい、口を喘ぐ魚のように空回りさせる事しか出来ない。


「殺された、の?」


 ようやく絞り出した言葉は、あまりにも間の抜けたもの。しかもウラヌスの発言を繰り返しただけだ。

 しかしウラヌスはその返答を嘲笑うでもなく、胸を張りながら答える。


「うむ。カリストという、我が故郷の地に棲まう大熊との死闘でな。兄上は勇猛果敢に戦い、しかし惜しくも散ったと聞く。姉上は食べ物を探していた時にやられた。どちらも腕ぐらいしか拾えなかったが、かのカリストは我が故郷でも最大の大きさを誇る獣。むしろ腕を残してくれただけ有り難いと」


「ま、待って! 待って……その……えっと……」


 ウラヌスがあまりにもなんて事もないかのように答えるものだから、スピカは酷く困惑した。

 何かが、自分と違う。違和感を覚えたスピカであったが、それをどう言葉すれば良いのか分からない。


「……家族が殺されて、アンタは、その……その熊を恨んでないの?」


 ようやく出てきた言葉は、あまりにも間が抜けたもの。


「恨む? カリストは腹を満たすために兄上達を喰らっただけだ。我等がウサギを狩るのと何も違わない。ウサギが我等を恨まないように、我等もカリストを恨まない。ただそれだけだぞ」


 その間抜けを嘲笑うでもなく、ウラヌスは平然と答えた。

 獣に人間が殺される事と、人間が獣を殺す事の違いとは何か?

 今までそれを問われた事はない。人間というのは無意識に、自分達は特別だと思いたがる生き物だからだ。故にスピカはこれまで、自身の『憎悪』について幾人にも語ってきたが、ウラヌスのような指摘は一度もされなかった。

 しかしそれはただの『感情論』。合理的に考えれば自分達も自然に対して同じ事をしている。いや、お洒落だの美食だのなんて理由で虐殺する自分達の方が余程悪辣だ。

 スピカも分かっている。だからこそウラヌスの言葉は一番言われたくないもの。心の一番脆いところを突かれて、始めて奥底まで言葉が届く。

 尤も、それが温かい言葉から兎も角――――鉄のように冷たい正論ならば、生まれるのは反発だけだが。


「……なら、やっぱりアンタには分からないでしょうね」


「むう? なんだ? どういう事だ? よく分からないからちゃんと説明してほしいぞ」


「五月蝿い。もう話すつもりはない」


 ウラヌスからの問い掛けを無視して、スピカは先にどんどん進む。ウラヌスがその後を追ってくるが、後ろを振り向かないスピカは彼女の歩幅など気にしない大股開きで前に進んでいく。

 無論、これは危険な歩き方だ。普段らしからぬ歩みをすれば、足先の感覚を正しく把握出来ない可能性が高い。毒蛇を踏み付けても気付くのが遅れる恐れがある。

 しかし胸の奥の感情が、合理的行動を取らせてくれない。感情を抑えないといけないのに、それが出来ていない。この事実が新たな苛立ちとなり、精神的な悪循環を生んでいた。

 幸いにして、今は太陽がかなり西に傾いている。間もなく夕方を迎え、そして夜になるのだ。昼間に動く生き物達は寝床へと向かう時間であり、夜行性の生き物が動き出すには早い。この時間帯は一時的に生き物の密度が下がる時であり、危険性が大きく低下する。

 とはいえ西日が眩しくて、視界が悪いという欠点もあるが。眩しい西側の草原を細めた目で確認し、それから東側を見遣り――――


「む! これはいかん!」


 どちらの方角も安全だ、とスピカが思ったところでウラヌスが声を上げた。

 なんだ、と思った時には既に遅し。スピカは背後から、冗談でなく手痛い打撃を受けた。どうやらウラヌスが体当たりを喰らわせてきたらしい。

 スライムと殴り合えるような力の(流石に加減はしているようだが)直撃を受け、スピカの身体は顔面からぶっ倒れてしまう。草のお陰で大して痛くない……と言えば聞こえは良いが、下手をすれば毒草や毒蛇に顔面から突っ込んでいたかも知れない。極めて危険な行為だ。

 一体なんのつもりだ、答えなかった事への嫌がらせか。数々の怒りがスピカの頭の中を過ぎっていく。振り向く寸前にはその言葉が喉まで登ってきていた。

 しかし完全に振り向いた時、それらの言葉は跡形もなく消え去る。

 何故なら代わりに、目の前の光景がスピカの頭の中を塗り潰したから。

 巨大な『獣』が、スピカが歩いていた場所に立っていたのだ。

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