異郷の獣王達2
自然は何時だって過酷なものだ。容赦や情けなど、一片たりとも持ち合わせていない。
しかし自然は残虐でもなければ、悪趣味でもない。例えば『母親の安否を確かめたい息子からの手紙』の配達を、「くけけ。親子の情愛なんて虫酸が走るぜ」等といって妨害してくる事もない。そんな事は、自分達にはなんにも関係ないからだ。運び手が手紙を早く届けてあげようと警戒を怠れば、獣や虫は容赦なくその命を奪うが……本質は油断した獲物を狩っているだけに過ぎない。
そうしたつまらない善意を抱かず、自分に出来る事を粛々と行えば、自然は何時も通りに振る舞うのみ。
「……そろそろ目的地の村に着くね」
特段大きな問題もなくスピカが草原を渡り、怪我一つなく村へと辿り着けたのは、普段通りの行いをしていたからと言えるだろう。
いや、この結果自体もそれなりに幸運なものだ。うっかり蛇を踏む、小さな虫に噛まれる、毒草の棘に引っ掛かる事もなかったのは十分に幸運だ。まかり間違っても自分の実力が優れているから全て上手くいったなんて、驕った考えを持ってはならない。
「おお、そうかー。もう村か! 私はもう腹ペコだぞ!」
ちなみに頼れる護衛は道中で見付けた野草を頬張りながら、村への到着を素直に喜んでいた。
相変わらず緊張感のない……とウラヌスの態度を窘めたくなるスピカだったが、開こうとした口を噤む。ウラヌスは言葉こそ緊張感に欠けているが、自然を見くびっている訳ではない。スライムと戦った時も、最初から全力で挑んでいる。そして自分の実力に自信はあっても、なんでも出来るとは言った事がない。
恐らく彼女は自然と『対等』なのだ。決して下には見ていないが、自分の力が劣るとも思っていない。六年間も故郷に帰らず自然の中に身を置いていた事で備わった考えか、はたまたゴブリン族が持つ一般的な価値観か。いずれにせよその考え方自体はスピカとしても嫌いではない。
だからそれとは別の部分に対し、スピカは窘める言葉を掛ける。
「アンタ、ほんと食べてばかりね……さっきも食べたじゃん」
「バッタの一匹二匹じゃ腹は膨れんぞ! それより肉だ! 野菜でもパンでも良いけど!」
「つまりなんでも良いんじゃん。この食いしん坊が」
「うむ! 昔からよく食べる子だと褒められた!」
同じ言葉でも意味が違う。いや、それとも実は同じ意味なのか? 一瞬混乱してしまった事でスピカはツッコミする気も失せた。
「お腹が空き過ぎて、故郷では花の蜜もよく舐めたものだぞ。あそこにある白い花みたいなやつがいっぱい咲いててなー」
そしてその意識は、ウラヌスの一言で強く引き締まる。
ウラヌスが指差す先には、確かに白い花畑があった。草原の中でもハッキリと分かるぐらい、大きな花畑が出来ている。全て白い花を咲かせていて、遠目からでも一種類の植物で出来た花畑だと分かる。
子供なら、嬉々としてあの花畑に跳び込むだろう。微笑ましい姿であるが、しかしそれが自殺行為である事をスピカは知っていた。
「念のため言っとくけど、あの花は間違いなくアンタの故郷の花とは別種よ。というか舐める前に死ぬから」
「む? 死ぬのか?」
「死ぬわね。足を踏み入れたら、どんな大男でも一瞬で。厳密には風下に立つだけで危険だし」
首を傾げるウラヌスに、スピカは迷いない言葉で断じる。
マンドラゴラ。
ウラヌスが指差した白い花の名前だ。世界広しと言えども此処帝国、それもこの草原でしか見られない種である。群生して美しい花を咲かせるが、そこから漂う香りは猛毒を秘めている。息を止めていれば居続けられるが、一呼吸すればたちまち毒素は身体を巡っていく。故に花畑に足を踏み入れた生物は残らず死ぬ……というのは嘘だが、一部の虫を除けばバタリと死んでいく。
一説には、その毒素で受粉相手である虫を守っているとか、迂闊な動物の死骸を養分にしているとか。詳しい事は分かっていないが、極めて危険な生物には違いない。
幸いにして白い花を咲かせていない時は齧らない限り無害であり、また基本的に群生するため見付けやすい。また花は自然界ではよく映える純白をしており、視覚に障害でもない限り見付けるのは容易。普通に旅をする分には蛇や毒虫の方が余程危険だ。ただ、子供のように好奇心が強いとその危険性はぐっと高くなる。
「むぅ。毒なら仕方ない。どんな戦士も毒には敵わないからな!」
ウラヌスは子供っぽいが、聞き分けは良かった。マンドラゴラの危険性を理解し、近付くのは止める。
「そうね。どんなに強くても、毒は全てを殺すわ。だからこそ便利なのよ」
「うむ。我々の村でも毒はよく使った。薬の材料でもあるからなー……昔の話をしたらまた腹が減った。早く目的地の村に着きたいものだ」
「本当に食いしん坊ねぇ。でも残念、多分アンタのお望みは叶わないわよ」
「んぁ? どーいう事だ?」
首を傾げるウラヌス。どういう事か分かっていない彼女に対し、スピカは指先をある方に向けた。
ウラヌスはスピカが示したものをよく見ようと、目を細めてじっと見つめる。スピカの指先は地平線の付近を示しており、スピカはそこに何があるか知っているから気付けたが、知らなければ余程目が良くなければろくに見えないだろう。
しかし超人的身体能力を持つウラヌスは、視力も超人的だった。地平線にあるものはちゃんと、くっきり見えたに違いない。それは続いて彼女が浮かべた、絶望に染まった間抜け面からも明らかだ。
ちなみにスピカは同じ光景を見ても絶望なんてしない。ウラヌスとは感性も違うし、何より最初から予想していた事。
元よりスピカは、猛獣に襲われた村に手紙を届けに来たのだから。
「はい、ガッカリしてないで先に進むわよ。この手紙を届けるまでが依頼なんだから」
懐から取り出した手紙を見せながら、項垂れるウラヌスを置いてスピカは自分が示した場所へと向かう。
その手紙を掴む手に、力がこもらないよう指先に強く意識を向けながら――――
……………
………
…
本来そこには、寂れた小さな村があったのだろう。旅人や冒険家、それと徴税人でもない限りは立ち寄らない集落。建てられている家は雨漏りするようなボロばかりで、風が吹いている日にはしっかり布を身体に巻かねば寒くて眠れたものではない。主要都市の交易路から外れた村なんて、何処もそんなものである。
とはいえそこに暮らす人々からすれば生活の場であり、そして故郷だ。住心地が良いとは言えずとも、ささやかな幸せを胸に暮らす人々が見られた、穏やかな地だったに違いない。
だが、今やその面影は何処にも残っていない。
建物はどれも潰れた状態になっていた。無事なものは、少なくともスピカの見える範囲には残っていない。崩れ方は建物によって違いがあるものの、いずれも人が住めるような状態ではなかった。酷いものでは「木材を積み上げている」と表現した方が良いのではないかと思うほど、ぺしゃんこになっているものまである始末。
それでいて倒れた建物は、どれも焼けた痕跡が見られない。また、倒れる向きが一方向に偏っているのも特徴だろう。
いずれにせよ酷い光景であるが、スピカは村の惨状に対しあまり強い感情は抱かなかった。何故ならばこのような村の惨事は、この世界ではまあまあ有り触れた出来事なのだから。
「んー、これぐらいの被害なら割と軽いもんかなー」
「だなー」
スピカが感想を語れば、ウラヌスも同意の言葉を返す。
『人の領域』というのは、全てが帝都のように兵士と防壁で守られている訳ではない。
むしろこの村のように、掘っ立て小屋のような家と、村の範囲を示す木製の柵があるだけの場所が大半だ。ウラヌスのような亜人の集落も恐らく似たようなものだろう。
そして生態系の頂点に君臨するような生物は、森で戦ったスライムのように絶大な力を持つ。仮にスライムがこのような村を襲えば、木の柵は勿論、木造(時には石造り)の家さえも跡形も残らないだろう。スライムほど強くなくとも、普通の人間では武装しても敵わないような生物などこの世界では珍しくもない。それらが一匹でも来れば、農民しかいない村など簡単に壊滅する。
無論、人間とてなんの対策もしていない訳ではない。村などの小さな集落は、獣達があまり近付かない場所に作られるのが基本だ。例えば水がない、土に毒が染み込んでいる、何やら怪しげな岩がある……人間は知恵と理性で獣が嫌う場所を探し、先祖代々受け継ぐ事で生活してきた。
しかし獣と一言でいっても、個体によって性格はバラバラ。中には同種が一歩と踏み込まない領域に、ズカズカと入り込む『馬鹿』もいるものだ。
そういう個体はあっさり死ぬのが自然界のお約束。近付かないのには何かしらの理由があるのだから。されどそこが人間の村となれば、そいつが将来どうなるかは別にしても、人間に大きな被害が出てしまう。そしてこの手の馬鹿は、人間を見ても分かるように、ちょくちょく出てくるもの。
結果、村が猛獣の襲撃で壊滅するという事態は、よくある出来事の一つになっていた。勿論よくあるというのは人類全体で見た時の話で、一つの群れが襲われる頻度は数十年に一度程度の出来事であるが……長生きしてれば人生で一〜二度は村の壊滅を経験する。
人生で二度も家を失う。帝都のように安全な地に暮らす人々にとっては、とても耐えられない事態であるし、あまりの不幸さに同情も集まるかも知れない。しかし辺境の人々にとっては、世代が変わる前に体験する事。経験や伝承が途切れる事はなく、このような事態への対処法は徐々に培われてきた。
逃げ方だって、ちゃんと受け継いでいる。
「んーっと……あ。あっちに煙が見えるね」
村だった場所を見渡せば、白い煙が一つだけ上がっているのが見えた。綺麗に一本、細く真っ直ぐに伸びている姿から考えるに、焚き火によるものだと考えて良いだろう。
焚き火という事は、そこに人がいる筈だ。一人か二人か、或いはもっとか、それは分からないが。
スピカは煙の方に向けて歩き、ウラヌスもその後を追う。崩落した家々が更に崩れた時巻き込まれないよう、安全な道を通ったので少々遠回りになったが……すぐに焚き火の下に辿り着く。
予想した通り、そこには人の姿があった。若い男が一人、老婆が二人。どちらも土埃で汚れた服を着ているが、見た限り身体は元気そうに見える。老婆達は焚き火の上に置かれた大きな鍋を見ており、どうやら食事を作っているようだった。
「こんにちは、帝都から来た冒険家です」
まずは自分から挨拶。スピカが声を掛けると三人はすぐにこちらを振り向き、しばしスピカを見た後、若者が笑顔で歩み寄ってきた。
「おお、冒険家の方々でしたか。ようこそ……村はこんな状態で、申し訳ありませんが」
「いえ、お気になさらずに。こちらにデネブさんはいらっしゃいますか? 息子さんからお手紙を預かっています」
懐から手紙を出すと、若者をすぐに受け取る。裏返し、宛名を確認しているようだ。
……対応こそ丁寧だが、男はスピカ達を明らかに警戒している。恐らく野盗の斥候ではないかと疑っているのだろう。
しかしそれは当然の行いだ。村を襲う危険は野生動物だけでない。野盗などの武装した無法者も村を脅かす。帝都であれば兵士のように専門的に訓練を受けた者が護衛しているが、人口五十人にもならないような村でそんな『専門家』を雇う余裕なんてない。
もしも野盗の斥候なら、戻る前に潰しておかねばならない。誤解でそうなると命の危険があるし、認められるにしても盥回しにされる場合もある。
「……デネブ婆さん! 息子さんから手紙だ!」
今回は、すんなりと認めてもらえたようだ。若者は手紙を掲げると、焚き火で料理をしていた老婆の一人がバッと音が鳴りそうな勢いで顔を上げた。
料理をもう一人の老婆に任せると、老婆デネブはスピカ達の下に駆け寄ってくる。健康で若いスピカ達ほどの速さはないが、腰の曲がった老人がここまで素早く動けるのかと思うほどの素早さだ。
青年から手紙を受け取ったデネブは、その手紙を開いて早速読む。無言で、目の動きからその読む速さが窺い知れて……やがてデネブは鼻息を吐いた。
「……手紙はこの一枚だけかい? 他の連中宛てのものは?」
「ありません。これだけです」
「ああ、そうかい……全く、手紙一枚出すのに大金なんざ払って。すっかり成金になっちまってからに」
デネブは読み終えた手紙を懐にしまうと、悪態を吐く。尤も、手紙を大事にしまう動きと、嬉しそうな笑みを見れば本心は明らかであるが。
手紙を渡したのでこれで仕事は終わり、とはならない。これだけではインチキ(手紙を野原に捨てるなど)をする輩がいるからだ。手紙の配達などの仕事であれば、ちゃんと相手に手紙を届けた旨の記録をもらうのが普通である。今回の依頼料は前払いなのでそこまで熱心に証明せずとも良いが、今後仕事を受ける際の『信用』にはなる。
スピカもデネブに依頼書を出し、名前を記してもらう。これでもやはり自分で名前を書くような姑息な詐欺は使えるが、配達であれば受取を示す証明書……返信の手紙の配達も頼むものだ。『往復料金』で依頼するのは、そうした事情もある。
「さて、手紙も受け取ったし、返信を書かないとね。ただ、少し待ってくれ。食事を作っている途中なんだ」
老婆デネブはそう語ると、鍋の下に戻っていった。
返信の手紙は簡素に書く。暗黙的なものだが、それが礼儀だ。今回の手紙も簡単なものになるだろう。
とはいえ待つ事に違いはない。別段急ぎの用事などスピカにはないが、ただ待つだけなのも退屈だ。
「(今後の旅の計画でも練ろうかな。まずは依頼の報告で帝都に戻るとして、その後は……)」
「おーい、帰ったぞー」
その暇な時間を潰そうと思考を巡らせていたところ、遠くから男の声が聞こえてきた。
振り返ると、農具やら何やらを持った人々がスピカ達の方に歩いてきていた。老若男女様々な人がおり、いずれも服はボロボロかつ汚れている。どうやらこの村の生き残り達のようだ。
彼等の手には植物や野ウサギが握られていた。植物は畑で育てていた作物で、野ウサギはそれを荒らす害獣といったところか。
「おかえり。畑はどうだった?」
「ああ、思ったより被害は小さいな。柵が壊れてて野ウサギが入り込んでいたが……そこの人達は?」
「冒険家。デネブ婆さんに手紙を届けに来たそうだ」
帰ってきた人々の一人と、スピカ達の対応をしていた若い男が話を交わす。最初こそスピカ達に怪訝な顔を向けていたが、デネブに手紙を持ってきたと伝えるとすぐに笑顔を浮かべた。
「おお、そうか。どうだい? これからウサギ鍋をするつもりだが、一緒に食べていくか?」
更には食事の誘いまでしてくれる。
とても有難い申し出だ。ウラヌスに食料を食い尽くされたスピカとしては、此処で食べ物を得られるのは助かる。
しかし支援物資を持ってきたなら兎も角、手紙しか持ってきてないのにそれを受けるのは、流石に気が引けるというもの。『合理的』に考えれば快諾一択とはいえ、人間なのだから社会常識も同じぐらい大事にせねばならない。
「おお! 良いのか!? 食べるぞ!」
だが、小さな亜人には人間の常識などないようだったが。
「こら、勝手に決めないの!」
「ははっ! 元気な嬢ちゃんだ。ウサギは山ほど獲れたから、いくらでも食べていいぞ」
「やったー!」
小さなウラヌスを見た目相応の子供と思っているのか、村人達は善意全開で提案してくる。そいつ人間の見た目をした怪物ですよと伝えたいスピカだったが、言ったところで目の当たりにするまで信じる訳もない。
このままでは村人の食べ物まで食い尽くされてしまう。どうにか話を逸らせないものかと、キョロキョロと視線を動かし……そうしていたら、ふと目に入ったものがある。
畑から帰ってきたであろう人々の中に一人、やたらガタガタと身体を震わせている者がいたのだ。それも幼い子供ではなく、中年の男である。痩せた身体を激しく震わせる様は、悲哀さよりも不気味さを纏っていた。
「……あの、あそこの男の人、大丈夫ですか? なんか随分と震えているのですが」
「ん? ああ、ベガさんですね」
スピカが尋ねると、若い男はその男の名を教えてくれる。
ただ、何故震えているのかについては、中々話し出さない。
例えば風邪だとか持病だとかであれば、そう答えてしまえば良い。分からないなら分からないと言えば話は終わりで、隠したい事情があるのならさらっと嘘を吐くだけで済む。しかし押し黙るという事は、つまりこの若い男は事情を知っていて、けれどもどうすべきか悩んでいるのだろう。
「事情を訊いてもよろしいですか?」
こういう時は話を促してしまえば良い。スピカが尋ねると、若い男は「ええ、まぁ」と答えてしばし考え込み、それからこう答える。
「あの人、見たらしいんですよ……村を襲った動物」
「はぁ。まぁ、これだけの被害ですから、相当大きな動物でしょうし、見ていてもおかしくないのでは?」
「ええ、確かに。夜だったので他の村人は見てないのですが、ベガさんは特別夜目が利くのでそこに疑いはないんです。あの人、普段は夜の見張りが仕事ですし」
何時動物達や野盗の襲撃があるか分からない小さな村では、村人が夜の見回りをするというのは珍しい事ではない。恐らくベガがその動物を見て、村人に知らせたから、こうして村の人々は元気に生きているのだろう。
だから彼の言い分を皆信じている筈だ。信じているのに、何故話そうとしないのか?
疑問がどんどん大きくなる中、やがて若い男はこう答えた。どうせ信じてもらえないだろう、そんな気持ちがありありと伝わる言い方で。
「村を襲ったのは、身の丈三十メトルのドラゴンだったそうで……流石に大き過ぎていまいち現実味がないんですよね」
さらりとそう語る。
スピカが目を見開き、息を飲むとは、彼はきっと露ほどにも思わなかっただろう――――
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