異郷の獣王達

異郷の獣王達1

 帝都の周りにある森を南に抜けると、その先には草原が現れる。

 じっとりとした森林と違い、草原の空気は爽やかなもの。流れる風があらゆる不快感を持ち去ってくれて、実に清々しい。空で輝く太陽の煌めきも、森の中で湿った身体を程良く温めてくれた。

 何より気を引くのが大地を覆う草の香り。五感に直接訴え掛けるそれは堪らなく魅力的だ。頭の中をスッキリと透き通ったものにさせてくれる。

 出来れば数日間ほどこの大自然を満喫したい。

 ……本心からそう思うスピカであったが、そうもいかない事情が二つある。


「(依頼の手紙は、まだちゃんと届けてないし)」


 一つは依頼こと、手紙の配送をまだ終えていないから。手紙はこの草原を抜けた先の村に届けなければならない。

 今回の依頼に納期などは記されていなかったが、親族の安否を確かめる手紙なのだ。届くのは早ければ早いほど良いというもの。またこう言うのも難だが、一分遅れた結果手紙が……なんて事も可能性の上ではあり得る。その事について配達人であるスピカが思い悩む必要はないが、流石にそれを目にしたら目覚めが悪いどころの話ではないだろう。

 勿論、自然界は人間の事情など汲んではくれない。油断や焦りは死を招く。よって急ごうとはしないが、寄り道や草花を愛でるのは後回しにすべきだとスピカは思う。

 これが村へ真っ直ぐ行かねばならない一つ目の理由だ。とはいえこれは倫理観だのなんだの話であり、人の心がないなら無視しても問題ない事である。それこそ野生生物なら平然と無視するだろう。しかし二つ目の理由は、どんなに人の心がなくても、例え昆虫でも決して無視は出来ない。


「おー、ついに森を抜けたなー。村では何が食べられるかなーもぐもぐ」


 二つ目の理由は超人的食いしん坊である旅の同行者・ウラヌスが、持ち込んだ食料を粗方食べ尽くしてしまった事だ。それでも足りないようで、今は食べられる野草の茎を齧る有り様。

 スピカとて考えなしに食べ物を渡した訳ではない。スライム討伐後に見た食欲を考え、道中で獣を仕留めるなどして『補給』を行っていた。野草なども積極的に採った。だというのに食料が枯渇(換金用に取り分けたスライム肉も食い尽くされた)するのだから、一体どうすれば良いのか。実際、スライムとの戦いで見せた身体能力を思えば、それだけ食べても不思議はないと思うのだが……

 ちなみにスピカと出会うまではどうしていたかと聞けば、曰く、獣を手当たり次第に襲って食べていたらしい。普通の冒険家なら「は?」という声が出てくるような無茶なやり方だ。しかし小型とはいえ森でドラゴンを食っていたぐらいなのだから、そのような無茶も通せる。尤も、スライムのような本当の『強者』と六年も出会わなかったのは、単なる幸運だろうが。


「……ところでその草、美味しいの?」


「まぁまぁ。意外と風味が良いぞー」


 スピカの質問に平然と答えるウラヌス。ウラヌスが今食べているのは、確かに食べられる野草なのだが……通常は一晩ぐつぐつ煮込んでから食べる代物。しかも煮込む理由は毒抜きなどではなく、硬くて食べられないからだ。ウラヌスの強靭さは顎でも発揮しているらしい。

 今度からコイツには携帯食料は渡さず、野草と獣で我慢させよう。そう『反省』しつつ、スピカは改めて草原に目を向ける。

 爽やかな風が流れる、爽やかな香りに満ちた草原。とても心安らぐ光景であるが、されど決して心を許してはならない。

 よく観察すれば見えてくる。

 草むらの中を動く、大柄な生き物の姿が。草に紛れていて全容は分からないが、人間程度の体重は恐らくあるだろう。ウラヌスなら返り討ちに出来るかも知れないが、スピカはそうもいかない。

 また草むらの中で特に注意すべきは、蛇の存在だ。森の中でも奴等は落ち葉などに紛れて姿を隠しているが、草原となるとその姿は全く見えない。蛇の存在を事前に発見するのはほぼ不可能であり、何かを踏ん付けたと思ったなら素早く退かねば危険だ。

 万一噛まれたら、逆に身を前に乗り出して蛇を捕まえる判断力も欠かせない。蛇毒の解毒薬をスピカは持ち合わせているが、蛇の種類によって毒が違うため薬も選ばねばならないからだ。噛んできた蛇の種類が分からなければ、どの薬を使えば良いかも分からない。全部服用した場合は副作用でのたうち回る(最悪なんやかんやで死ぬ)ので、適切な治療のためにも情報は必要不可欠である。

 他にも虫がうじゃうじゃと暮らしている。小さな虫達というのは、人間にとって驚異だ。確かに一匹一匹は指で潰せるほど弱々しいが、奴等は服の隙間から平然と入り込み、手の届かぬ位置で噛み付いてくる。痒くなる程度ならマシだが、中には身体を痺れさせるほど強力な毒虫もいる。最悪の場合、不治の病を媒介する種までいる始末。そして草むらの奥に隠れた奴等の姿は、人間には確認する事が出来ない。回避は不可能であり、虫除けなどの対策はあるにしても、最終的に無事で済むかどうかは神頼みだ。

 更には草原を形作る草さえも危険極まりない。細長い草は頑丈で、人の皮膚程度は簡単に切り裂く。切り傷が出来れば病気の下になり、また僅かでも血が流れれば獣を呼び寄せる印となるだろう。

 おまけにこの草原には棘付きの毒草が生息していた。棘に刺された場所は大きく腫れ上がって焼けるような痛みを発する。これ自体は人間を死に至らしめるようなものではないが、あまりの痛さにまともに歩けなくなる事は必須。もしも獣に襲われたなら逃げる事も出来ない。それでいてこの毒草、そこまで背丈が高くないので、周りの草に埋もれている事が多々ある。避けていこうにも何処もかしこも草だらけの草原では、草を回避するコースなどありはしない。スピカは分厚い皮の服で身を守っているが、何かの拍子に飛んできた針が顔に刺さろうものなら……

 そして、危険は空にもいる。


「キャーッ! キャッキャッ!」


 笑うような声が空から聞こえてきて、スピカはびくりと身体を震わせた。

 視線を上に向ければ、巨大な『鳥』のような生物が飛んでいる。

 いや、鳥ではない。皮膜で覆われた翼で羽ばたき、青い鱗に覆われた身体を進ませる。頭には角が生え、長く伸びた尾が左右に揺れて飛行時の体勢を保つ。

 ワイバーンだ。

 この世界で最も繫栄している動物、ドラゴン種の中でも特に成功した分類群で、様々な種が世界中に分布している。体長十五メトルにもなる大型種でもあり、性質も獰猛。今スピカ達の頭上を飛んでいる個体も、人間を食らう事もある巨大な猛禽・ロックを追い駆けていた。ロックは高速で飛べる鳥であり、ワイバーンから必死に逃げていたが……ワイバーンはぴたりとその後ろに付いている。


「キャーッ!」


 そして笑い声染みた叫びと共に口を開けるや、そこから赤い吐息が吐かれた。

 炎の吐息こと、ブレスだ。ロックは吐かれた火に包まれ、藻掻きながら墜落。ワイバーンはそれを追って降下していく。

 ワイバーンは身体が非常に大きく、故に人間のような『小動物』を襲う事はまずない。しかし腹が減っていたらその限りではない。そしてその強さは、今し方人食い怪鳥ロックを仕留めた事からも明らか。決して隙を見せてはならない相手だ。


「……あれは、違う」


 ただ、スピカはほっと息を吐いてしまうが。油断している自分に気付き、慌てて首を横に振る。

 ともあれ、草原にも危険な生物はいくらでもいるという事だ。確かに獣の襲撃など直接的な危険は森よりも少ないだろう。しかしワイバーンや怪鳥ロックのような危険種も一応は生息しており、何より人の意識の『隙間』を付いてくる狡猾さは草原の方が遥かに上だ。

 草原は爽やかな世界ではない。自然界でも有数の、狡猾で、陰湿で、姑息な環境である。


「ふふん、ここは私に任せろ。どんな獣が現れようとも、討ち取ってみせよう」


 そんな大自然に、真正面から挑もうとしている阿呆がスピカの傍にいた。


「アンタねぇ……獣は兎も角、蛇とか虫とかはどうすんの。戦う前に気付きもしないでしょ」


「うむ。それらは流石に無理だ! 我らの一族も血吸い蝿は竜より恐ろしいと言われている! だから……」


「だから?」


「気にしない!」


 あまりにも割り切った考え方に、スピカは口許を引き攣らせる。お前曲がりなりにも護衛でしょうが、という言葉が喉まで登ってきていた。

 とはいえウラヌスの言い分にも一理ある。どれだけ気にしたところで自然相手では完全には守れないのだから、ある程度は「気にしない」という形にならざるを得ない。むしろ気にし過ぎて精神を摩耗させては、訪れた危機への対応が鈍くなる恐れすらあるだろう。

 緊張感は程よく持つのが一番だ。ウラヌスの状態は、程よく、よりも数段緩んでいるように思えるが……しかし前向きな心持ちそのものは悪くない。

 そしてそんな彼女の傍にいると、つられてこちらも元気になってくる。


「……頼りになるんだかならないんだか」


「虫以外ならなんとかするぞ!」


 ぽそりと悪態を吐いてみたが、ウラヌスは全く堪えない。やれやれとばかりにスピカは肩も竦めたが、それでもウラヌスはへっちゃらだ。

 自信満々なウラヌスの横顔を見ていると、スピカも緊張した気持ちが薄れていく。

 どう言い繕ったところでこれは油断だ。そう言えば何かの書物で、人間というのは人数が増えると無意識に自分の責任を軽く見積もってしまう、という記載を見たなとスピカは思い出す。そのため同じ力量の人間が二人集まっても、労働力は二倍よりちょっと小さくなってしまうとか。

 だから二人は嫌なんだ。心の中で愚痴っても、弛む口角は変わらず。


「無駄口叩いてないで、そろそろ行くよ」


 誤魔化すように、スピカは草原に足を踏み入れるのだった。

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