君臨する軟体7
「……美味しくない」
「でしょうね」
顔を顰めているウラヌスに、スピカはくすくすと笑いながら同意した。
ウラヌスが食べているのは、スライムの肉だ。生で食べるのは危険(寄生虫がいる可能性が高い)なため、焚き火で焼いたものを食べている。スピカも小さな肉片を一口だけ食べた。初めて味わうスライム肉は、激烈な甘ったるい臭いと噛み切れないほどの弾力、微妙に苦い汁が口の中を破壊していく。亜人と人間どころか、恐らく全生命体共通でそこそこ嫌いになる味だ。
焚き火は猛獣を引き寄せるため危険だ、とスピカはウラヌスに言ったが、調理しているものがスライム肉なら話は別。この森の生物はスライムを恐れている。焼いて漂う極めて個性的 ― 食事の前には嗅ぎたくない類の ― な臭いが、猛獣達を寄せ付けないからだ。スライムの体液で作り出した粉は、帝都周辺の森限定ではあるが獣避けとして使われているほど効果覿面である。
ウラヌスは文句を言いながらも、焼いた肉に齧り付く。戦って腹が減ったのだろうか。確かにスライム戦で見せた強さを思えば、体力の消耗も激しそうである。その分食べるというのは自然なように思えた。
「(ま、どれだけ食べても良いけどね。食べ切れる大きさでもなければ、持ち帰れる大きさでもないし)」
ウラヌスの横に倒れるスライムの亡骸を横目に見ながら、スピカはスライム肉の『利用』について考える。
スライム肉は珍味中の珍味。食べた通り美味い訳ではないが、こうした変なものは貴族が『見栄』を張るのに色々と便利なものだ。加えて嘘か真か、食べると精力増強だのなんだのの効果があるとも言われている。お陰で貴族などの金持ち連中に需要があるが、当然スライムを倒せる人間など早々いない。そして供給が少なければ値は釣り上がる。払い手に金銭的余裕があれば尚更に。
スライム肉を売ればかなり良い値が付く筈だ。勿論全部持ち帰る事など出来ないが、一握り分もあれば、今請け負っている依頼である手紙の配達の依頼料と同じだけの金が得られるだろう。割に合うかどうかは別にして、予期せぬ臨時収入なのは確かだ。
「(大金が手に入ったら、しばらくは町に寄らなくても平気かな)」
スピカはあまり町に立ち寄らない。基本的には町から離れた自然の中で過ごす。
冒険家の仕事は町などの外、自然界に出て行うものばかり。それでも用もないのに危険な森の中に暮らす者はまずいない。人間が人間らしく生きていくには、町の中で暮らすのが一番良いのだから。
スピカがそうしないのは、彼女が自然の中に身を置く事を望んでいるため。
昔からそうだった。家族や村の住人に何度危険だと言われても、自然の中に身を置く事は止められなかった。確かに自然は厳しい、というよりも無慈悲だ。例え相手が無力な赤子や卵だとしても、腹が減っていれば食べてしまう。可愛い生き物の腸をぶち撒ける事も躊躇わないし、遊びで殺す事もしょっちゅう。それを咎める存在すらいない。
だが、平等だ。
そして独創的で自由である。見れば見るほどに新しい発見があり、何度同じ生き物を見ていても飽きない。何時までも一緒にいられるし、何時までも感動に浸れる。勿論危険はあるが、それ込みでスピカは自然が好きなのだ。
スピカが冒険家という仕事を選んだ理由は一つではないが、自然と触れ合えるから、というのが特に大きな理由なのは間違いない。
「む。そうだ、言い忘れていた」
さて、そのようなスピカに声を掛けてくる者がいる。
ウラヌスだ。美味しくないと言っていたスライム肉をまだ食べながら語り掛けてきた彼女に、スピカは視線だけを向ける。
「この戦いで手助けをしてくれた事、深く感謝する」
するとウラヌスは片膝と右手の拳を地面に付け、左手の拳を胸に当てた後、深々と頭を垂れた。
その仕草がどのような意味合いのものか、スピカは知らない。
だがゴブリン族にとって『敬意』や『感謝』を示すものである事は、なんとなくだが察せられた。確かに自分がウラヌスの命の恩人だというのはスピカも意識するところだが、しかしこうも仰々しい態度で言われると少し慌てる。最初は見捨てようとしていたとなれば尚更だ。
「ちょ、そんな畏まった事しなくても……」
「私は一族の掟により旅をしていた。もしもお前の助けがなければ、私は戦士となる前に死んでいただろう」
「一族の掟?」
「我らコロバスの中でも、戦士を目指す者は歳が八を迎えた日に三年の旅を行う。外の世界と
ウラヌスから語られたゴブリンの風習に、スピカは少なからず驚いた。八歳などまだまだ未熟な子供だ。ましてや過酷な自然界に放り出して生きていける年齢ではない。
スピカも不可抗力で旅を始めた時にはもう少し歳を重ねていたし、途中で行き倒れたところをとある冒険家に助けてもらったから今も生きているのだ。ゴブリン達の身体能力の高さが子供時代から発揮されるにしても、ウラヌスが言うように大部分が死んでいくだろう。
……或いはそうやって生まれた子供を『間引く』のか、はたまた優秀な血を選別しているのか。恐らく後者だとスピカは思う。人間が家畜や野菜を改良してきたように、ゴブリン達は自分自身を改良してきたのだ。あまりにも命を粗末にしたやり方で。
と、ここまで考えてふと疑問に思う。
「(なんでそんなヘンテコ民族が、人間社会じゃ全然知られてないんだろ?)」
他国どころか他人種の文化にどうこう言うものではないとスピカは思うが、しかし一般的な人間であればこう考えるだろう――――おぞましい風習だ、と。
それ故に誰もが興味を抱き、覚える筈だ。その事に対する善悪は置いておくとして、衝撃の大きさから有名になりそうなものである。
いや、そうならない理由はスピカにも想像が付く。単純に交流がないからだ。ゴブリンの存在そのものが、とある冒険家の書物でなければ載っていないような代物。ゴブリンの住処は人間の版図から遠く離れた地なのだから、当然である。
ならば何故、ウラヌスは帝都の傍までやってきたのか? それに、ウラヌスの見た目から考えるに……
「……一つ聞きたいけど、アンタ、今何歳なの?」
「うむ、十四だ」
スピカが尋ねると、ウラヌスはあっさりと答える。
しかしこの答えは、しきたり通りなら三年前には村総出で讃えられている筈の数字だ。何かがおかしい。
「それ、計算上六年も旅してる訳だけど」
「うむ……私はこう、どうにも道を覚えるのが苦手なんだ」
「ほうほう」
「気付いたら、自分が何処にいるか分からなくなって、帰ろうとしたんだが二年半ぐらい迷ってて」
「……………」
「で、半年ぐらい前に、此処に着いた」
半年間も帝都近隣をうろうろしているんかい。思わずそんな言葉が喉元まできたが、とりあえず我慢するスピカ。故郷に帰りたくても帰れない状態なのだ。それを茶化す事は、スピカには出来ない。
「まぁ、帰れない事は別に良いが」
「って、良いんかい!?」
「うむ! 長老は十年ぐらい迷っていたからな!」
尤も、どうやら気遣いは無用だったらしいが。帰還予定から三年もズレている事に無頓着なのはどうかと思うが、価値観の違いなのだろうか。それで済ませられる問題ではない気がしつつも、迷っている以上帰れと言っても出来るものではあるまい。
それでもスピカが痛む頭を片手で押さえていると、ウラヌスは話の続きを行う。
「ともあれ私はお前に助けられた。受けた恩は返すのが我らの流儀。手助けをしたい」
「え。そんなの良いよ、気にしないで」
「いや、そうはいかない。助けられたままでは戦士として、一族に顔向け出来ない」
「……じゃあハッキリ言うけど、同行者お断りなの。私は一人で旅がしたいんだから」
ウラヌスに向けて、スピカは強い口調で拒絶を告げた。
冒険は複数人で行うのが一般的だ。何故なら一人の人間に出来る事は限りがあるから。一人だけでは背後や頭上の警戒なんて出来ないし、底なし沼に足を滑らせたらどうにもならない。交代で夜の見張りも出来ず、荷物を分担して持つ事も不可能。不利な点を挙げれば切りがない。
合理的に考えれば一人旅などあり得ないが、しかしスピカはそれでも一人旅を望む。
何故なら彼女は、自由に旅をしたいから。
気の赴くままに自然を渡り歩き、時間が許す限り自然を眺めていたい。冒険家という仕事を選んだ理由の一つだ。されど冒険家の多くはそうした生活を好まない。人の助けになりたくて冒険家をしている人間は都市に居着き、金儲けを目的にした冒険家は自然を観察なんてしない。
スピカと同じ考えで冒険をする者なんて、滅多にいない。探せば見付かるかも知れないが、探す度に喧嘩や言い争いなんてしたくない。そして考えが違う相手に自分が求める事を主張しても、諍いになるだけだ。だったら最初から一人でやる方が合理的というもの。それはこれからも変えるつもりがない。
故にウラヌスとの旅も断った。
「そうはいかない! 我らの一族の名に泥を塗る訳にはいかないのだから!」
ところがどっこい、ウラヌスは諦めない。
これだけハッキリ告げてまだ諦めないのはスピカとしても想定外。呆気に取られていると、ウラヌスはスピカの身体にがっしりと組み付いてきたではないか。
何故そんな行動に出たのか、スピカには分からない。だが何を思っているのかは大体察した。
認めるまで離すつもりはない、という事だ。
「ちょ、離しなさい……というか諦めなさい!」
「諦めないぃぃ……! 我が一族の名誉と誇りにかけてぇ……!」
「アンタほんとは感謝の念とかないでしょ!?」
しがみつくウラヌスを押し退けようとするスピカだが、ウラヌスの力の方が圧倒的に強い。剥がすどころか一層身体が締め付けられていく。
肋骨がみしみしと鳴るのを感じ始めて、ようやくスピカは「あれ? これもしかしてヤバいのかしら?」と察する。どうやらこのウラヌス、必死なあまり力加減を忘れているらしい。
このままでは、割と比喩でなく大変な事になりそうな気がする。
スピカは何がなんでも一人旅をしたい。しかしそれは、旅が出来ない身体になったとしても貫くべき意思だろうか?
流石にそれは、釣り合いが取れていないというものだ。
「……ああもう! 分かったわよ!」
ついにスピカが根負けした。それと同時にしがみつくウラヌスの腕の力が弛む。
「おお! そうか!」
「ただし! あくまでも護衛として雇うだけ! 期間は一年! それと私の指示には従う事! 分かった!?」
「うむ! 戦士としての力を期待されているのなら、私としては誉れだ! 存分に使うと良い!」
妥協したスピカの答えにウラヌスは大喜び。満足気に頷く。
一人旅を好むスピカとしては、ウラヌスの同行は本気で遠慮したい事だった。ウラヌスの力で生命の危機を感じなければ、期間限定という条件すら付けたくないのが本音である。
ただウラヌスが嫌いという訳ではない。
そもそもスピカが一人旅をする理由は、自分の旅を邪魔されたくないからだ。逆に言えば、邪魔されないなら二人旅は合理的な判断だと思う。
ウラヌスは、そうした口出しをしてこない性格に見える。むしろ自分と近い性格のような印象をスピカは抱いていた。あくまでも勝手な印象であるが、第一印象が悪くない事は人付き合いの初期段階としては極めて大事なものである。
それに、彼女の力は非常に頼もしい。
ウラヌスの圧倒的な強さは、スライムとの戦いで見てきた。生物に対する知識が少ない所為で一方的にやられていたが、最終的に討伐出来たのはウラヌスの身体能力のお陰なのは間違いない。
この力と一緒ならば、或いは『アイツ』も……
「……流石に、それは高望みかな」
「? なんだ?」
「こっちの話。兎に角、一年間って期間限定だけど、これからよろしくね」
「うむ!」
元気の良い返事をするウラヌス。人間性はやはり好ましい。そこはスピカも認めるところだ。
それに何時までもうじうじと愚痴るより、『労働力』は余さず使うのが合理的というもの。早速役立ってもらおうと、スピカはそのための作業を始める事にした。
「さてと、そろそろあの部位は切り分けておくかな」
「あの部位?」
「スライムの卵巣よ。此処が一番高く売れるのよね」
スライムは基本的にどの部位も珍味として高値が付いている。しかしどの部位でも需要が変わらないなんて事はなく、一番人気があるのが卵巣だ。比較的食味が良いというのもあるが、卵巣=子沢山=精力増強という連想により、男性貴族に好まれている。本当に卵巣が精力に対して効果的なのかは不明だが、そもそもスライムが精力剤扱いなのは「なんか効きそう」だからである。誰も研究しておらず、端から理屈はどうでも良い。
スライムの体内など本でしか見た事がないが、卵巣は動物の臓器の中では分かりやすい形の器官だ。それにスライムは雌雄同体、つまり雄と雌の区別がないので、必ず卵巣は付いている。ちなみに精巣は強烈な精子臭さがあるため、流石にこれはあまり人気がない……売れない事もないのが、男性貴族達の『精力』への渇望が垣間見えてスピカ的には気持ち悪く思うが。
「らんそう? ああ、卵のやつか。ほれ」
そんな考えを巡らせていたら、ウラヌスが棒切れとその先でこんがり焼けた肉を差し出してした。
……スピカはしばしそれを見た後、スライムの腹を見ようとする。スピカが手を出す前に切られていた腹の中は、随分と綺麗になっていた。お陰で腕を突っ込んで探さずとも、ハッキリと分かる。
何処にも卵巣がないと。
「……ねぇ、アンタ。それ、どしたの?」
「うむ、何処なら食べられるか色々確かめたら、ここが一番美味かった! お前にも分けてやろう!」
強張った声で尋ねると、ウラヌスはとても素直に答える。
成程、確かに美味しかっただろう。何しろ一番食味が良くて、故に高価なのだから。
……別段卵巣が売れなかったからといって『損』する訳ではない。スライムを倒せたのはあくまでも偶然であり、そして幸運だったからだ。臨時収入が少なかった事にケチを付けるなど、それこそ『欲深』というもので、金の亡者となる考え方であろう。
しかしそれはそれ。これはこれ。人間というのは例えまだ手に入っていないものでも、予定というだけで自分のものだと思ってしまう浅はかな生き物なのだから。
「こ、このお馬鹿ぁぁぁぁぁッ!」
大声厳禁の森にスピカの怒号が響き渡る。
やがて勇者として祀られる二人の旅の始まりは、なんとも間が抜けた形から始まるのだった。
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