君臨する軟体6

「水場か! 水場に行けば良いんだな!?」


 大声でウラヌスはスピカの言葉を繰り返す。

 人間が自然に対し、有利な点は何か?

 幾つか挙げられるが、会話による仲間との意思疎通もその一つだ。鳴き声で仲間と意思疎通を行う獣も少なくないが、人間ほど細かく、複雑かつ正確な情報を扱える生物はいないだろう。

 言葉により自分の考えを相手に伝え、これからどうするつもりなのかを正確に共有する。この利点は極めて大きい。無論仲間が意図を誤認する可能性もあるが、言葉なしで意思疎通出来る等という馬鹿げた考えに比べれば遥かにマシだ。今日出会ったばかりの相手ならば尚更に。

 加えて、敵が野生動物であれば情報漏洩の心配もない。

 その強みを理解しているスピカは、ハッキリとした言葉で伝えた。


「そう! 川でも池でも良いけどそこに落とせば、アイツは倒せる! まずは水場を探さないとだけど!」


「なら任せとけ!」


 スピカが断言すると、ウラヌスは走っていた最中にぐっと膝を曲げ――――

 次の瞬間、跳躍した。

 恐るべきはその高さ。二メトルは跳んだのではないかと、真横にいたスピカが思うほどだ。その高々とした垂直跳びで目指したのは、とある樹木から伸びていた枝の一本。

 人の体重をギリギリ支えられそうなその枝に捕まるやウラヌスは身体をしならせ、ぐるんと枝を一回転……しそうな勢いで、枝の上に乗る。枝はミシミシと音を鳴らしたが、ウラヌスは既に膝を曲げ、枝をへし折るほどの脚力でまたしても跳ぶ。

 跳んでは枝に、また次の枝に。それを繰り返してものの数十秒で高い場所まで行ってしまう。スライムとまともにやり合っていた時点で身体能力は高いと考えていたが、それを差し引いても出鱈目な肉体にスピカは目を見開く。


「水の臭いがする! 私の後に来い!」


 更にウラヌスは、スピカの作戦を実行する上で一番大事なものも押さえてくれた。

 スピカの作戦には水場が欠かせない。というよりなければ話にならない。その『臭い』を探知したとなれば、値千金の情報と言えるだろう。

 強いて懸念を言うなら二つ。一つはウラヌスが気付いた水の臭いとやらが、スピカには全く感じ取れない事。とはいえ今まで見てきたウラヌスの人間離れした身体能力の数々を思えば、嗅覚も人間離れしていたとしてもおかしくない。今更彼女がこちらを騙そうとしているとも思えず、そこは信頼する。

 しかしもう一つの問題は、流石に無視出来ない。

 ウラヌスが地上から離れた事で、スライムの狙いが完全に自分へと向いてしまったのは。


「さぁて、これからどうするかな……!」


 全速力で森を駆けるスピカ。しかし音から判断するに、やはりスライムの方が遥かに速い。急速にその距離は縮まってきている。

 水場が何処にあるのかは分からないが、恐らくこのままでは間に合わない。

 ならば、不本意ながらも戦うしかないだろう。しかし打倒する必要はない。重要なのは距離と時間を稼ぐ事だ。


「っ……!」


 スピカは駆けていた足をぴたりと止め、地面を滑りながら方向転換。スライムの方へと振り向く。

 同時に、背負っていた弓矢をいよいよ手に取った。

 人類が自然に対して有利な点の二つ目。

 それは『射程距離』だ。糞や石を投げてくる生き物もいるが、身体を動かして使うそれは正確に狙えるものではない。空気の流れや抵抗により、曲がったり、最悪崩れたりしてしまう。大砲染みた威力の射撃が出来るスライムでも、その射程距離は精々五メトルと然程長くない。放った粘液が途中で崩れてしまうからだ。

 しかし人間の武器である、弓は違う。細長く加工された矢は空気の抵抗を受け流し、遥か彼方まで真っ直ぐに飛んでいく。狙えるかどうかを別にすれば、射程は五十メトルを優に超え、しかも殆どブレない。何より特殊な能力を持たない人間でも、多少の訓練を積めば誰にでも使える。

 そしてスピカのような非力な女子でも、大人の男を射殺すほどの威力を持つ。


「ふっ!」


 スピカは構えて一秒と経たずに、一本の矢を放つ。頭に当たれば、鍛え上げた男だろうと即死させる一撃だ。

 尤も此度の相手はスライム。粘液の効果により、矢は滑ってしまい相手に刺さらない。

 無論スライムの粘液について知っているスピカは、この結果については予測済みだ。故に此度使ったのは、少々特別な加工を施した矢。

 矢の先端にあるのは、鋭い金属製のやじりではない。粘土質の土を固めたものだ。勿論土塊で倒せるほどスライムは甘い敵ではない。本命は粘土に混ぜ込んだ赤黒い『薬』。

 その薬はとあるドラゴン種の体内に存在するもの。本当かどうかは不明だが、ドラゴンが火を吐く時に使う成分らしい。通称は火炎玉。屈強な冒険家が旅の道中で打ち倒した、或いは『害獣』として国に駆除された個体から取り出されたそれは、油の中で保管されて貴族や冒険家に売られていく。

 用途は主に燃料。この火炎玉は強い衝撃を受けると、それだけで『燃焼』を始める。そして少量で何十分と燃えるほど効率的だ。普通は油と混ぜて安定化させ、衝撃を加えても簡単には燃えないようにしているが……スピカの矢はこの火炎玉を丸ごと使ったもの。鏃を形作る粘土に、火炎玉を粉末にしたものを練り込んでいる。たっぷりと、燃料として使う分のざっと五十倍ぐらい。

 五十倍の燃料が、衝撃により一瞬で発火したらどうなるか?

 答えは爆発が起きる、だ。


「ブジャウウッ!?」


 滑った矢から放たれた爆発は、人間が至近距離で受ければ肉を抉るほどの威力。同時に放たれる熱は内臓を焼き、骨を焦がす。ついでに閃光も放って周りを怯ませる。スライムもこの爆発には驚いたようで、呻くような声を漏らした。

 これが『爆弾矢』。スピカお手製の、対大型生物用の切り札だ。例え身の丈五メトルはある巨獣でも、直撃すれば大きな怪我を負うであろう一撃である。

 とはいえスライムが纏う粘液の守りは強力なもの。爆発による衝撃すらも受け流し、焼けるような熱さえも防ぐ。閃光も、あまり目が良くないスライムには殆ど効果はない。動きが止まったのはほんの一瞬だけ。


「ああクソッ! これ一発いくらすると思ってんのよ! 保管も大変だし危ないし!」


 一発だけでは効果が薄い。最初からそう考えていたスピカは、悪態を吐きつつも更にもう一発の矢を放つ。

 ただし今度はスライムに当てず、スライムの一歩前ぐらいの地面に撃つ。粘土性の鏃は地面に当たった衝撃で発火・起爆する。

 当然爆発は地面で起きる。すると舞い上がった土と煙が、スライムの正面に広がった。

 人間からすれば、こんな煙幕など突っ切ってしまえば良いように感じる。だが、スライムはそう出来ないとスピカは読んでいた。

 何故ならスライムは、音と振動で獲物を探すからだ。

 嗅覚や視力が全くない訳ではないが、基本的には耳と触覚で獲物を探している。この森が『静か』だったのは、生き物達が音を出さないのは、最強の捕食者であるスライムに見付かるのを恐れての事。

 しかしあまりにも大きな音を響かせれば、それだけで『目眩まし』になる。視力に優れている人間が、眩い光で何も見えなくなるのと同じだ。地面で爆発を起こせばスピカの『足音』を掻き消せるため、逃げた方向を誤魔化す事も出来る。


「プジュ、ブジュウゥゥウゥ……!?」


 スライムは土煙の中で足を止めた。煙に包まれているため、中の様子を見る事は出来ない。

 しかしスライムに対する『知識』があれば、そこでどんな行動を取っているかは想像が付く。

 まず間違いなく、口許を地面に付けている。何故ならスライムの口許には、四本の触角があるから。この触角は地面から音や味も感じ取り、細かな情報を解析する。敏感な器官なので普段は身体の奥に引っ込んでいるが、獲物を探す時にはにょきっと生えてくる仕組みだ。

 スピカの履いている革靴の臭いから、逃げた方角はすぐに割り出されるだろう。だがこれは『好機』。スピカは腰の袋の一つから小瓶を取り出すと、煙幕目掛けて投げ付ける。

 小瓶の中身はとても苦い汁。

 とある植物から絞り出したもので、単に苦いだけで飲んでも人体に害はない。しかしもしも人間がこれを口にすれば……死ぬほど悶え苦しむ。美食家がうっかりその植物を噛んでしまい、今後二度と美味しいものを食べられなくても構わないと舌を切り落とした、なんて伝承が残るほどだ。

 スライムにとってどれだけ効き目があるかは分からない。だが、苦いものというのは、大抵の動物は嫌がる。


「プジャゥッ!?」


 煙幕の中で小瓶の割れる音がした途端、スライムが跳び跳ねた。

 上手く口許に小瓶が当たったらしい。これ幸いとばかりにスピカは再び走り出し、スライムとの距離を稼ぐ。また、更に小瓶を三つ取り出して適当に地面に叩き付ける。中の苦い汁が辺りに飛び散った。

 我に返ったスライムはまたもスピカを追おうとするが、地面に撒かれた汁に気付いて足踏み。そしてこれを回避するため大きく迂回した。いくら動きが速くとも、遠回りすればその分時間を食う。これでまた少しは距離を稼げた。

 このまま苦汁をばら撒き、時折爆弾矢で威嚇すればスピカは延々と逃げられるだろう。

 ……と言いたいところだが、生憎そうもいかない。


「(さぁ、さっきので苦汁は終わり! 爆弾矢も尽きた! 他になんか良いもん持っていたかしら!?)」


 道具というのは、限りがあるのだ。薬や爆弾のような消耗品なら尚更に。

 しかもスピカは多種多様な道具を持っている。それはあらゆる問題に、臨機応変に対処するためであるが……当然ながら種類を増やしたからといって一度に持てる荷物の総量が増える訳もない。つまり道具の種数を増やせば、その分一種当たりの量は減らさねばならないのだ。

 通る地域によって多少構成は変えるものの、基本的に爆弾矢は二本、苦水は四本まで。今回も同じで、もう備蓄は尽きた。残る道具でどうにかしなければならない。


「(つーかコイツほんっとしつこいな! スライムってみんなこんなにしつこいの!?)」


 一般的に、獣の狩りは意外と淡白だ。自分に危険や不快感が迫れば、諦める事も少なくない。というのも捕食者は万が一にも怪我をしたら、次の狩りが行えなくなってしまう。人間のように群れで暮らしていれば世話も受けられるだろうが、一匹で暮らしていたら、怪我の後に待つのは飢えと乾きだ。よって怪我だけは、なんとしても避けなければならない。

 しかも苦い汁という『不味さ』も味あわせている。苦味というのは毒を知らせる合図でもあり、不快であるのと同時に危険だ。これで食欲は相当失せている筈なのだが、スライムは諦める気配も見せない。

 余程腹ペコなのか、それとも他に理由があるのか。いずれにせよ諦めてくれない以上、やはり作戦は続行せざるを得ない。どうにかして水場まで連れて行く必要がある。


「(スライムの意識を逸らすなら、衝撃か音! 何か良いものは……!)」


 良い手はないものかと考えるスピカ。だが、考えが纏まらない。段々とスライムとの距離が狭まり、いよいよ捕まりそうになった


「ふんっ!」


 瞬間、頭上から勇ましい少女の声が聞こえてきた。

 反射的に上を見れば、そこにはウラヌスと――――彼女がぶん投げたであろう『巨木』があった。恐らく木の枝を折って手に入れたのだろうが、思いの外大きい。人に当たれば、それなりに大きな怪我となりそうなぐらいに。

 地面に落ちた時、枝はずしんっと音と振動を放つ。どうやらスライム目掛けて投げたようだが、スライムの方は素早く身を翻して直撃は避けている。それでも枝が地面を打った際の大きな音と振動は、スライムを怯ませるのに大いに役立っていた。


「このまま真っ直ぐ! 茂みを抜けた先に池だ!」


 更に目的地の場所まで教えてくれた。

 完璧な援護に感謝を、と言いたいところだが、生憎そこまでの余裕はない。そのままスピカは全力で駆け、目の前の茂みを目指す!


「プ、ブジュ、プジュゥイアアッ!」


 ウラヌスの妨害はスライムの怒りに火を付けたらしい。激しい叫びと共に、スライムは行く手を遮る大きな枝を殴り飛ばす。障害物を退かしたスライムは、これまで以上の速さで駆けてきた!

 もう今のスライムに通じる武器をスピカは持っていない。だからこそ、足止めするという選択肢はもう選ばない。全力疾走、兎にも角にも走るだけ。

 後ろも振り向かない。振り向かなくても分かる。スライムの軟体質の身体が大地を蹴り、猛然と走っている姿は。息遣いがなくとも伝わる。背中に突き刺さる食欲の意識は。

 茂みまでの道のりはあまり木々のない直線。それはスピカにとって不利だ。一気に加速したスライムは瞬く間にスピカとの距離を詰める。そして鋭い歯が何万と並んだ舌をぬらりと前に突き出した

 直後、スピカは茂みの中に突っ込んだ。

 そしてすぐに茂みを抜けた時、目の前に池が広がる。池の大きさはざっと十メトルほどあるだろうか。深さも見た目相応にありそうだ。何より茂みから池までの距離は一メトル程度しかない。

 理想的だった。


「っつあぁっ!」


 池を目にしたスピカは、真横に跳んだ。着地の事など考えない、ただ横に跳ぶため全力を尽くした動きで。

 そうでもしなければ、全力で走っている足を止める事は出来そうになかったから。

 否、これだけではきっと止まれなかった。茂みの先に池がある――――ウラヌスが教えてくれたこの情報のお陰で、池を目にしても思考が止まらなかったからだ。もしも何も知らなければ、驚きで足が止まり、最悪すっ転んでいたかも知れない。

 さて。では人間の言葉など分からない、そしてスピカ以上の速さで走っていたスライムはどうか?


「ブジュルィイイッ!?」


 驚愕に満ちた汚い叫びが、答えを如実に語っていた。

 スピカは止まれた。だがスライムは止まれない。スピカよりも大きな身体で、スピカよりも速く走っていたのだから。


「(良し! そのまま落ちろ!)」


 祈るように、命じるように、断言するように。スピカはスライムの行く末を心の中で叫び、

 スライムは池のすぐ手前で、辛うじて止まった。

 スピカは目を見開いた。そんな馬鹿な、と思わず叫びたくなる。しかし現実は、どれだけ見つめても変わらない。

 見ればスライムの身体の粘液が、心なしか厚みを増している。特に地面に接している腹側は、明らかに分厚くなっていた。どうやら粘液の粘り気で減速力を増やし、急停止を成し遂げたらしい。

 生態系の頂点というのは、小手先の策にまんまと掛かるほど甘くはないようだ。


「……やっぱ獣ってのは油断出来ないなぁ。あの速さで突っ込んできたのに、止まれるとかほんと」


 呆れるようにぼやけども、生憎皮肉はスライムには通じない。

 立ち止まったスライムは、今度は慎重な動きで躙り寄ってくる。スピカが後退りすれば、それ以上の距離を埋めてくるように。警戒こそしているが、逃がすつもりは毛頭ないようだ。

 スライムとの距離はざっと三メトル。ここまで接近されては、また逃げ出してもすぐに追い付かれ、捕まってしまう。スピカはこの後服を剥がされ、生皮の下にある脂身だけを生きたまま喰われるだろう。

 ――――あの傍迷惑な小娘がいなければ、であるが。


「ぬぅあああああっ!」


 場に轟く雄叫び。

 スピカですら怯むほどの声量で、ウラヌスが樹上から降りてきたのだ。スライムはすぐに上を見た、が、その行動は失策だった。身体をもたげた動きをしている間に、ウラヌスはスライムの真横に着地している。

 そしてウラヌスはなんの迷いもなく、スライムに体当たりを喰らわせた。

 人間ならば、スライムに体当たりしようなどという『間抜け』はいない。この怪物に人間が本気で挑んだところで、それはネズミが人間に挑むようなものなのだから。

 しかしウラヌスであれば話は違う。亜人である彼女の身体能力は、一度はあっさりやられたものの、スライムと殴り合える程度には強い。彼女の力であれば多少なりとスライムに通じる。

 それでも万全の体勢で踏ん張れば、スライムはビクともしなかっただろうが……スライムは上を見るために身体をもたげた。それは接地面積が少なからず減ってしまった状態。万全の体勢ではなく、本当の力を発揮する事が出来ない。


「ブ、ブジュィアッ……!」


 スライムも本能的に危険を察知したのか、身体に力を込める。メキメキと鳴り響く不気味な音が、その身から作り出される力の大きさを物語っていた。

 まともにぶつかれば到底勝てない力。しかしまともなぶつかり合いでない以上、虚仮威しですらもなく。

 ついにスライムの身体は、池の真上まで突き飛ばされた!


「ブ、ブジュゥウィイイアアアッ!?」


 池に落ちたスライムは、悲鳴染みた声で叫んだ。

 水飛沫が上がるほどの激しさで身体をくねらせ泳ごうとしているが、ナメクジ的体型は泳ぐのに向いていない。そもそも筋肉質な身体は重く、水に浮かぶのが困難だ。ハッキリ言って無駄な抵抗に過ぎない。

 しばらくすれば、スライムは水の底に沈んでいった。


「おお! やったぞ!」


「うん、やったね。いやー、さっきは本当に死ぬかと思ったわ……」


 はしゃぐウラヌスの横で、スピカは額の汗を拭う。走っていた距離は長くないが、しかし全速力を出し続けた。何時追い付かれるか分からない精神的圧力も感じ続けている。心身共にボロボロだ。

 だが、現実逃避はしない。


「これでアイツは溺れ死ぬんだな!」


「え? いや。そんな事ないけど」


 故にウラヌスの質問に、スピカは平然とそう答える。

 スピカからの予期せぬ答えに固まるウラヌス。そんな彼女をびくりと跳ねさせたのは、池からざぶんっと水音が鳴った時。

 音の方を見れば、そこには水から上半身を出しているスライムがいた。

 一度水底に沈んだ後、這って浅瀬まで戻ってきたのだ。それから上半身をもたげ、スピカ達を睨むように見ている。口を左右に開き、棘だらけの舌をぞりぞりと蠢かす。

 まだまだスライムの闘争心は消えておらず、スピカ達を襲う気満々だった。


「なっ、出てきたぞ!?」


「そりゃまぁ、出てくるでしょうね。この池そこまで深くなさそうだし」


「ならどうする?! これで倒せるんじゃなかったのか!?」


 問い詰めるように訊いてくるウラヌス。彼女の疑問は至極尤もだ。スピカは確かに、スライムを倒すために水場を探していた。

 その言葉に嘘はない。今も着実にその作戦は進行中だ。

 ただ、作戦の『要』をスピカはウラヌスに伝えていなかっただけである。


「ほら、よく見なさい。アイツの身体を」


「身体?」


 スピカに言われて、ウラヌスはスライムをじっと見つめる。

 池から出てきたスライムに、傷などは一つも付いていない。大きさは今までと変わりないし、色なども変わっていない。

 ただ、

 スライムの体表面を覆い、打撃や爆炎による攻撃を防いできた粘液の鎧。それが一切見当たらないのである。その事に気付いたのかウラヌスが目をパチクリさせたので、スピカは説明する事にした。


「実はね、スライムの粘液って水溶性なの」


「すいよーせー?」


「水に溶けるって事。本来なら雨季が近付いた今は、粘膜が溶けてなくなっちゃうから休眠を始める頃なのよね」


 圧倒的強者にして、頂点捕食者であるスライム。森の生物全てが逃れるために身を隠す力を持つほど危険な生物だが、ただ一つ、粘液が水に溶けるという弱点があった。

 このためスライム達は雨季になると姿を消す。地面に穴を掘り、水が入り込まないぐらい深くに身を隠すのだ。交易や政治的会合など日程を調整出来ない用事なら兎も角、手紙の配送や旅行であれば雨季に行うのが帝都住人の暗黙の規則。それだけスライムは恐れられている。

 それと同時に、スライム達も自分の粘液がどれだけ素晴らしい代物であるかを理解しているのだ。故に粘液が剥がれれば流石に逃げていく


「プジュ、ウゥウウウウゥッ……!」


 筈なのだが、どうにもこのスライム、やる気満々な様子。逃げるどころかどんどんスピカ達に接近してくる。

 一体どれだけ空腹なのか、それとも別の理由があるというのか。スピカとしてはここでもまた想定外の展開となった事に、少なからず動揺を覚える。

 そしてこれは非常に不味い。

 いくら粘液が剥がれたところで、スライムと戦うのはやはり自殺行為だからだ。スピカに向けて放った粘液射撃の威力からも分かるように、そもそもの身体能力がスライムと人間では違い過ぎる。鎧を脱いだからといって、人間が子犬に負ける事などあり得ないのと同じだ。

 また追い駆けっこになればいよいよ喰われかねない。こればかりは本当に不味い。

 ……ウラヌスがいなければ、という前置きは必要だが。


「さて、今のスライムは粘液が剥がれた。だからアンタの拳や私の弓も通じる」


「うむ。それは良い知らせだ」


「そしてもっと良い事を教えてあげると……スライム肉って珍味なのよね」


「ほほーぅ」


 スピカが情報を追加すると、ウラヌスの目の色が変わった。ギラギラと輝くそれは捕食者の瞳。

 スピカも弓を構える。爆弾は尽きて普通の矢しかなく、一人ではスライムに勝つ事は出来ないだろう。しかしウラヌスと二人ならばどうにかなりそうだ。この軟体動物は、粘液さえなければ身体は柔らかいのだから。

 二人からギラギラとした視線を向けられ、スライムもようやく自分の状況を理解したらしい。いそいそと後退りを始めた、が、もう遅い。

 力を失ったスライムに、二人の人間が襲い掛かるのだった。

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