第18話 代償

 僅かな時間だけ静けさが訪れた。

 ビャクライも私も遮蔽物に身を隠しているから、亜光の部下残り二十人だか三十人だかが出てくるのを待っている。

 私は蛭雲童に最重要任務を与えた。

 理緒を見つけ、保護する事。

 あのビャクライも凄腕の傭兵には間違いないが、リボルバー二挺で多数の人間を相手取るにも限度がある。

 ここを蛭雲童とビャクライに任せて私が理緒を助けに行っても良かった。

 でもそうなるとこの数を蛭雲童に任せて万が一蛭雲童に何かあっては私が困る。

 貴重な経理が出来る人間というのもあるけれど、蛭雲童並に信用できる人物を他所から見つけることなど出来やしないだろう。

 そしてそんな蛭雲童だからこそ、今ここで理緒の事を任すことも出来る。


「ご武運を」


 私の前で小さく一言呟いて、蛭雲童は静かに理緒の元へ向かっていった。

 クロカゼと戦ってそのままそこにいるとしたら、理緒はきっとまだ弾薬庫にいるに違いない。

 蛭雲童の背中を見送って、私は呼吸を整えた。


 ――。


 ――――。


 私は合図を待った。

 私が飛び出すのに最適なあのタイミングを。

 それはこうして装甲車の影に隠れていれば来るタイミング。


「何をしてるんや! たった三人とドローン一機に遅れを取ってどうするんや! ぶち殺してまえや!!」

「「「応ッ!!!!」」」


 兵隊たちが士気を高めている。

 私達への殺意が高まって、そして、始まった。


「グレネード!」


 今だ――!

 私は銃を握り、息を吸い終わると同時に装甲車の影から飛び出した。

 声の方に視線と銃口を向ける。

 そこにはグレネードのピンを今まさに抜いていた一人の兵隊。

 こちらに向けて投げ込もうとしていた瞬間だった。

 だが、手にしたグレネードは私には届かない。

 瞬時に狙いを定めて放った弾丸はグレネードを持った兵隊の手首を的確に撃ち抜く。


「ぐあああ!」


 痛みと衝撃でその場にグレネードを落とし、周囲は反射的に逃げ出す。

 しかし逃げている時間など無かった。

 猛烈な爆発音とともに煙と火の粉と破片が飛び散り、周囲の人間は悲鳴とともに四散した。

 慌てふためく兵隊たち。

 一斉に鳴り出す銃声は今の私にとってただのBGMでしかない。

 体の横を、上を、下を抜けていく弾丸は私がいた場所を虚しく通り過ぎるだけ。

 銃を撃つ群れの中から悲鳴にも似た声があちこちから漏れ聞こえる。


「なんなんだよこの女ァ!」

「当たれや! 当たれやこんボケェ!!」

「こいつ、踊ってやがるんか……!?」


 屈みながら、飛び上がりながら、手にした銃で敵を撃ち抜く。

 私が引き金を引けば、一秒で三人が死んだ。

 だが奴らがいくら撃っても私には当たらない。

 私が避けているというよりも、私からすれば向こうの腕が悪いのだ。

 蛭雲童よりも理緒よりも下だと断言できるほどの銃の腕とへっぴり腰。

 汚い仕事で他人を蝕んで得た金で、装備だけが一人前の軍隊。

 これで横断不能とまで言われていた西からやってきたと思うと本当かどうかも疑いたくなる。

 しかしあの亜光の人使いの荒さから見てなんとなく察した。


 きっとスピード・ディーラーはもっと規模の大きな大所帯の組織だったのではないだろうか。

 それが関東に進出する際に多くの人材と物資を失った。

 弾丸財宝を求めたのはその補填というのもあったのではないか。

 向こうの訛りがない兵隊が混じっていた。その事に私は疑問だった。

 文明崩壊後から東西が分断されて、一切往来が無かったにしてはこっちの訛りで流暢に話すなんて直ぐに出来るものなのか。

 こっちの人間を引き入れたと考えれば簡単だ。

 失った戦力を補充するために現地のブリガンドを吸収するも従わせるための資金調達がヤクの密売だけでは難しくなり、こんな連中だけではヴィレッジ強襲もままならない。

 弾丸財宝の存在を知ったのは亜音の言葉通りだろう。

 そして私を雇った。

 多分私の噂を聞いて実力があるのだと判断しての事なのだろう。

 だが、それが過ちだった。

 私は金さえ出せば最後まで従順な駒になるようなたちじゃない。

 

 装甲車の上で同じく敵を撃っているビャクライは銃を撃つ時、不安定な足場で銃による衝撃を抑えるために足を開いて立ち、肘を曲げて撃つその姿勢のまま動かない。

 仁王立ちのような状態の彼は銃を撃っている間、その場から一歩も動かないのにも関わらず、頭上のビャクライに向けて撃っても兵隊共の弾は当たらない。



「ダメだ! 女に気を取られてたらビャクライに殺られちまう!」

「あの空飛んでる奴なんなんだよ! 小さいわ速いわで当たら……グベッ」


 私が敵陣に突っ込むように戦い、私の死角はコロナのドローンが守ってくれる。

 敵を撃ちリロードする隙をビャクライが埋めてくれる。

 ビャクライの手に握られた白銀のリボルバー、その連射のマズルフラッシュは異名の通り雷のように見えた。

 私が銃を向けなくても背後の敵が呻き声を上げながら倒れていく。

 コロナとの初めての共闘、ビャクライとの即興の共闘、なのに皆の呼吸が合わさり、バタバタと敵が倒れていく。

 そんな私達を見て亜光は目を見開き、鼻水を垂らしながらクロカゼの首根っこを掴んで一番真新しい装甲車の中へ逃げ込んでいく。


「ビャクライ! 私に構わずクロカゼを助けに行って!」


 蛭雲童を行かせたが、万が一クロカゼと理緒が戦っている最中に場所を変えていたら行方が分からなくなる場合だってある。

 ここに理緒が追いついてきてない時点で、きっと理緒は何処かで身動きが取れないでいるのだろう。

 死んだなんて、思わない。

 クロカゼを捕らえて、理緒との戦いをどうしたのか問い詰めなければ……。


 私の声でビャクライは動くかと思ったが、ビャクライは自衛と私に向かう敵の背を撃ち続ける。

 銃声に掻き消されないように、ビャクライは声を荒げた。


「俺様がここに来たのはお前との勝負の続きをする前にくたばってもらっては困るからだ。砂をかけて裏切った者を助ける義理など無い!」

「正義を語る癖に狭量な奴!」

「煽った所でその手には乗らん!」


 このままでは埒が明かない。

 私がやるしかない。

 しかし戦いの中で亜光の背中を打ち抜きたかったが、動き回りながら小男の急所を狙い撃ちするのは難しい。

 破けたスーツの背中へ向けて、私は大声を上げた。


「亜光! 一人だけ逃げる気!? 今頃お前達の本拠地にバヨネットが向かってる! 何処へ行っても無駄よ!!」


 それを聞いても亜光は装甲車の扉を閉め、エンジンを掛けた。

 銃声に混じりエンジン音、そしてそれすら引き裂くように響き渡るのは装甲車に取り付けられたスピーカーから流れる亜音の怒声だった。


「じゃかあしい! 亜音を連れ戻して、後はヤクを作れる環境さえあれば何処でもやっていけるんや!」


 突如動く出した亜光の乗る装甲車は前後を別の装甲車に挟まれている状態だ。

 そんな中無理やり動かそうとして前後にぶつかりまくり、破城槌のような突起物がついた前側にあった装甲車のケツは耳障りな音と共に削れ、歪み、貫かれた。

 亜光の装甲車も後ろの装甲車にケツを掘られてガリガリと音を立てる。

 金属同士が擦れ合う音と共に地を走る振動を感じたが、私よりも振動の影響を受けた者がいた。


「チィッ!」


 大きな揺れによろめいたビャクライは体勢を崩し、装甲車に囲まれた陣の中へ頭から落下していく。


「ビャクライ!?」


 私は思わず声を上げた。

 しかし流石と言うべきか、ビャクライは即座に空中で回転。

 足から着地したかと思えば取り囲まれている状況を把握し、一番近くの兵隊の眉間に銃口を押し付けて発砲。

 撃った相手が倒れる前にそいつからアサルトライフルをひったくると、ぶんどったその勢いでライフルを振って近くの兵隊を薙ぎ払って蹌踉めかし、私に流れ弾が当たるかも等という心配をする素振りもなく周りに向かって乱射した。


「他人の心配をしてる暇があるなら一人でも殺せ!」


 ビャクライの言葉に私は反省した。

 そうだ、戦いの中で他人の心配をするなんて、私は驕っていた。

 こんな奴らに、亜光に、弾丸財宝が渡ればそれを元手に組織を拡大させ、いずれ横浜ヴィレッジや渋谷ヴィレッジだけじゃない、関東のヴィレッジ全てがSDDに汚染されてしまう。


 脳裏に浮かぶ枸杞の姿。

 薬漬けにされ、奴隷にされ、ブリガンドのオモチャにされて、身も心もボロボロにされて一度は死を経験したあの子の姿を思い出す。

 あんな事が蔓延する世界にさせるわけにはいかない。

 

 私は身を屈ませながらも遅い来る敵に銃を放つ。そして地面すれすれの視界の中で地面を転がる丸い物を見つけた。

 ビャクライの乱射で兵隊共がパニックを起こしている中で、私はそれに向かって頭を低くしながら駆けた。

 そしてそれを拾って、ビャクライの方へ放った。

 私が投げた物を見てビャクライは血相を変えて手にしたアサルトライフルを敵に投げつけ、怯んだ瞬間に転がっている死体を抱き起こした。

 地面に落ちたそれを見た兵士達は一斉に声をあげたが、もう遅い。

 放り投げたそれ、グレネードが破裂すると密集していた素人兵隊が手や顔面を血塗れにしながら吹き飛び、そして動かなくなった。

 死体を盾にして直撃を避けたビャクライは用済みの死体を放り投げ、死に損なった死体にSAAでトドメを刺していく。


「せめて合図ぐらいしろ」


 投げやりな感じに言うビャクライに私は舌を出してとぼけてみてると、ビャクライは無言ながら口角を上げて応えた。

 最早私達を囲う敵の数が半分もいない。

 それでもまだ十人そこらはいる。

 徒党を組んで、連携がしっかりされていたら危うかったと思う。

 だがここまで来たらもう終わりだ。

 TMPで薙ぎ払うように撃ち、振り抜いた腕の動きとシンクロするように兵隊が被弾の衝撃で仰け反りながら、回転しながらバタバタと倒れていく。

 亜光を止めなければと装甲車の方に目を向けてみれば、ぐりぐりと装甲車を動かして車体をずらしてこちらを向いていた。

 いや、私の方を向いているのではない、装甲車で作られた陣で唯一の隙間、出入り口の方を向いているのだ。

 そしてその道を真っすぐ行けば公園から出られる。

 一人で逃げる気か……!


「待ちなさい!」

「どけぇぇぇぇぇぇ!!!!」


 スピーカーから放たれる大音量の声に空気が震える。

 肌に、鼓膜に走る振動。その声の気迫に一瞬体が痺れた。

 突っ込んでくる装甲車に私は車線から逃げようと無理やり足を動かした。

 亜光はアクセルを踏み込み、真っ直ぐ出口に向かう。

 真正面に自分の部下がいるにも関わらず。

 迫る装甲車に部下達は腰を抜かして悲鳴を上げた。


「お、親父ィ! 助けてぇ!!」

「待ってくれ……! 待ってくれぇぇぇぇぇ!!」


 その声は亜光には届かない。

 悲鳴を上げていた部下は次の瞬間に装甲車に轢き殺されていく。

 肉の潰れる湿った音、骨の折れる乾いた音、それがエンジン音に混じって聞こえ、生理的嫌悪感で血の気が引く。


「ひ、ひぃ……!」


 その惨状を目の当たりにした轢き殺されなかった兵隊は顔を引きつらせ、鼻水と涙まみれになりながら走り抜ける装甲車を目で追っていた。

 なんて、なんて酷い……。

 装甲車を避けて周囲を見渡す。

 残された兵隊は自分のボスの醜態を見て流石に戦い続ける気力を失ったようで、私のこともビャクライの事も置いて停めている装甲車で逃げ出そうと走り出していた。

 だが、誰一人として逃がすつもりは無い。

 同情しない。私を殺そうと銃を向けた。その時点で自分が殺される覚悟も無かったじゃ済まない。

 逃げ出そうと銃を投げ捨て逃げる敵の背に、私は銃を向けた。


来世つぎは良い上司に恵まれると言いわね」


 私の声に、逃げる兵隊は慌てて振り返る。


「待て! 降参だ! こうさぁぁぁぁん!!」

「先に逝って、ボスのお迎えの準備でもしてなさい」


 一発の銃弾で眉間を打ち抜き、引導を渡す。

 ビャクライも他の逃げる兵隊を次々と撃ち抜いていく。

 しかし一台の装甲車がエンジンを掛け始め、その音に私とビャクライは弾かれたように走り出した。

 逃げようと車を動かした奴は慌てて車に乗り込んだのだろう、装甲車の扉が開いていた。

 開きっぱなしの扉を目指し、私達は走り出す。

 走り出す私を見て、私の背後にいた兵隊が私に向かって銃を向けるのを視界端に捉えたが、その瞬間に突然頭から血を滴らせ地に伏した。

 走りながら背後の空を見る。

 森と空の間に舞う唯一の人工物。

 戦いの混乱と、エンジン音に存在が掻き消されていたコロナのドローンだった。

 ドローンは機体の下部にあるマニピュレーターで握った銃のマガジンをぽとりと落とした。

 弾切れだ。

 コロナの援護もここまで、私は背後のドローンに見えるように親指を立てて感謝を示した。

 正面を向き、開かれた扉に飛び込む。

 乗り込んだ装甲車の中は外見よりも狭く、外見は四トントラック程の大型車なのにも関わらず十人も入れるかどうかの広さだった。

 薄暗く、天井の照明が弱々しい。

 壁際は窓の前以外が折りたたみベッドや装備がネジで留められた収納ボックスが置かれている。

 私が装甲車に乗った瞬間、車が突然走り始める。

 運転席を見ると死体が二つ通路に投げ出されていた。

 ハンドルを握っていたビャクライが慣れた手つきでギアチェンジをしながらどんどん速度を上げていく。


「追いつかせる。捕まってろ」


 私の返事を待たず、ビャクライはどんどん速度を高めていった。

 装甲車に乗り込んですぐ、私に続いてドローンが開きっぱなしの扉から飛び込んできた。


「コロナ!?」


 動く車の中で滞空するという器用な真似をしたかと思うと慎重に床に着陸した。

 動かなくなったドローンに近づき、拾い上げようと近づくとドローンの手が動き、私がさっきしたように親指を立ててみせた。

 その姿に思わず頬が緩んでしまった。

 けどまだ戦いは終わっていない。

 亜光を止めねば。



******




 亜光の車を追う私達だったが、公園の狭い道を進んでいくと左右の木々が傷ついていたり、折れているのが見えた。

 亜光の運転はそこまで上手くないようで狭い道を木々にぶつかりながら進んでいたようだ。

 逆に、ビャクライの運転は上手く、スピードを出しながらも綺麗に木々にぶつからぬように公園を進んでいく。

 ビャクライは愛馬を駆っていたが、車の運転もできるようだ。

 そういえば、私が撃たれて気絶した時に横浜ヴィレッジに車で運んでくれたのもビャクライだったか。

 そんな事を思っていると前方から凄まじい衝撃音が聞こえた。

 分厚い装甲に覆われた車の中でもハッキリ聞こえるほどの音は爆発音にも近く、亜光が何かを破壊したのは明らかだった。

 何をしかけてくるか分からない、私は銃を抜いて扉から上半身を出して応戦できるかと様子をうかがう。

 木々が作るトンネルで出来た暗闇を抜け、視界が開ける。

 そこには公園の入口と、その側の石造りの塀が破壊されていた。

 十中八九運転を誤って亜光が突っ込んだのだろう。

 公園を出て、道なりに進むと直ぐに亜光の車の背面を視界に捉えることが出来た。


「追いつける?」

「同型車だ。このまま障害物も何もなければ何時まで経っても追いつけん。変な所に入られたらお前の部下との合流もしにくくなるぞ」


 分かっている。

 だから今直ぐなにか手を打たねば……!

 ひたすら真っすぐ道を進む亜光の車のケツを何時まで経っても近寄れる様子がない。

 試しに銃でタイヤを狙ってみる。

 距離は遠すぎず、五十メートルも離れていない。

 これなら普通にタイヤを狙い撃てる。

 しっかりと狙いを定め、私は引き金を引いた。

 連射し放たれた弾丸は何発か、確実にタイヤに当たったが動きが止まるどころか鈍る様子もない。


「ランフラットタイヤ……!?」


 別名戦闘用タイヤとも言われる、そう簡単にパンクせずパンクした所で何キロも走行可能とかいう魔法のような技術で作られた物だ。

 実物を見た事が無く、初めて見てその性能を実感し私は驚きを隠せなかった。


「くっ……!」


 どうしたら良い……?

 そう思っていた時、コートの裾が引っ張られる感覚がして後ろを向いた。

 コロナだ。コロナのドローンがその手で私のコートを引っ張っていた。

 こんな時に、なんだ……?

 ドローンを見つめると私がちゃんと見ているのと確認するとドローンはまるで片手の人間が這いずるように手の引く力で移動すると、車に固定された収納ボックスの近くまで行って箱を指差した。

 箱の中、何かあるのだろうか。

 コロナを信じてボックスと開ける。そして直ぐに目に留まった物を反射的に手に取ってしまった。

 そして直ぐに踵を返し、車から体を出し、再び前を行く亜光の装甲車に狙いを定めた。

 私の足首がドローンの手に掴まれる感覚が伝わる。

 あまり意味はないのに、反動で外に放り出されないようにしてくれているのだろう。

 ……優しい子。

 私は足元のドローンを一瞥し、微笑む。

 そして前に向き直ると亜光がまさに丁字路で曲がろうとしている瞬間だった。

 今だ!

 私は手にした無反動砲カールグスタフを曲がりだした車のタイヤに向けて発射した。

 バックブラストと共に飛び出した対戦車榴弾は超高速で打ち出され、ビャクライは榴弾を目視することはなかった。

 時間にして一秒もなく、私の放った榴弾は装甲車のタイヤを無残にも吹き飛ばし灰色の煙を巻き上げ、その衝撃で装甲車は丁字路を曲がりきれず塀を突き壊して民家に突っ込み、そして止まった。

 榴弾の爆発を見てビャクライは直ぐにブレーキをかける。

 程なくして車は止まり、私とビャクライはアスファルトの上に立った。


「撃つなら撃つと言え」


 ぼやくビャクライに軽くすまないわねと言うと即座に冗談だと言い返される。

 冗談を言うような奴だったのかと驚きはしたが、そもそも冗談にしてはわかりにくすぎて、やはりこの男はユーモアセンスが無いのだと確信した。

 その不器用な振る舞いに、クロカゼが愛想を尽かすのも少し分かる気がした。

 分かっていても、裏切ることも弓をひくことも肯定しないが。

 爆発した場所の道路は抉れ、黒い痕が残っており、その向こうで亜光の車が完全に動きを止めている。

 タイヤは無残にも破裂し、仮に再び走って逃げようとしても本来の速度は出せないだろう。

 向こうの車に乗り込むのは不意打ちされる恐れがある。

 それをビャクライも理解しているのか私とビャクライは銃を抜いた状態で装甲車の前で待ち構えた。


 扉が開かれる。

 私もビャクライも手に力が入った。

 最初に出てきたのは、黒風だった。

 しかしその体は擦り傷だらけで、防弾法衣も着ていなければずっと身につけていた赤いマフラーもしていない。

 裾の広い濃紺の半ズボンに、よれよれでほつれが目立つタンクトップ姿はその痩せた体を強調している。

 爆発と衝突の衝撃で、全身擦り傷だらけになっていて肩は打撲したようで腫れている。

 細い首に赤いマフラーの代わりに巻き付くのは青い袖の腕だった。


「おめぇら……動くんやないで」


 額から血を流している亜光がクロカゼを盾に現れる。

 防弾法衣は亜光が脱がせたのだろう。こっちが撃ってクロカゼに当たれば無事では済まないように。

 ゲス野郎……と声が漏れかける。

 クロカゼの蟀谷こめかみにはマカロフに見える黒光りした拳銃が押し付けられていた。

 少年であるクロカゼよりも背の低い小男である亜光との身長差は二十センチも差があった。

 背後から首を絞められながら、膝を曲げさせられている。


「悪あがきはやめなさい。子供を盾にするなんて組織のボスとしてのプライドはないの?」


 亜光は血混じりの唾を地面に吐きつけた。


「プライドだけで生きてられん……それが人生やろが。泥水啜ってでも、ガキを利用しようとも生き延びたる! お前ステアーも同じやろが!」

「私の周りの子達は自分の意志で危険に飛び込む決意があって私についてきてくれている。そして私は自分自身が危機に陥っても、仲間を盾になんかしないわ。一緒にしないで」


 私は即答した。

 一緒にするなと。

 人を道具のように扱う人間と私は違う。


「俺様が子供を撃てないと思っているのか?」


 隣りにいたビャクライが一歩前に出た。

 それを見て亜光はじりじりとこの場から逃げようとすり足で下がっていく。

 挑発的に前に出たビャクライの肩を掴んで止めた。


「待ってビャクライ」

「そうやでビャクライ。仮にもお前の仲間やったガキや。ここで死んだらお前の正義とやらに傷がつくんちゃうんかぁ~?」

「……」


 ビャクライは肩を掴んだ私の手を見て、そして私の目をじろりと睨んだ。


「正義とは、子供だから守るべきだとか、弱みに付け込む悪に大人しく負けを認めるようなものではない。お前にも分かるだろう。信念がなんたるかを」


 私達と亜光の距離は四十メートル程度。

 この距離、私ならクロカゼの影に隠れる亜光の頭を正確に撃ち抜ける自信はある。だがビャクライほどの早撃ちは出来ない。

 私が銃を構えれば、亜光はクロカゼを盾にして身を隠しながら何かしらアクションを起こすだろう。

 ビャクライは早撃ちこそ見事だけど、その狙いは正確ではない。それでも腕利きで間違いはないのだけれど。

 最悪ビャクライが撃った弾がクロカゼに当たる可能性がある。

 ビャクライの早撃ちと私の狙いの正確性が同時にあったらと思うが、無いものを今考えても仕方がない。

 どうしたらクロカゼを亜光から引きはがせる……?

 どうしたら――。


 考えている中。

 一瞬、ビャクライの肩が揺れた。

 そして空気が割けた。

 銃声だった。

 火薬が爆ぜる音が空へと溶けていく。

 私は息を呑む。

 一瞬にして三発の弾丸が放たれ、そして防具も何もつけていないクロカゼと亜光の体から血が飛び散った。


「ば、馬鹿な……! や、やりおった……!」


 撃たれた衝撃でクロカゼを首絞めながら地面に倒れ込む。

 それを見て私は走り出していた。


「クロカゼ!!」


 駆け寄ると弾の一発がクロカゼの胸を貫いていた。

 肺を貫かれたクロカゼは口の端から血を流し、苦しそうに空を見ている。

 私は医者ではない。

 この場で何かしてやる事もできない。

 このまま渋谷ヴィレッジまで運んでも間に合わない事は分かっていた。

 亜光は銃を持っていた腕と脇腹を撃たれ、急所を外しているようだったが怪我の痛みとクロカゼに体の大半を覆われて身動きが取れずにいた。

 私はやり場のない怒りを亜光の眉間に向けた。


「こ、こんな所で死にとうない……! 嫌や、嫌や嫌や嫌や……!」


 歯をカチカチ鳴らしながら全身を震わせる亜光の額に脂汗が浮かぶ。


「何故や、何故こんな事に……! か、金をやる! 拠点に溜め込んでる財産好きなだけやる! 今度は嘘やない! どや、悪い話ちゃうやろぉ!?」

「アンタの死因はただひとつ、。それだけよ」

「嫌やあああああああああああああ!!」


 泣き叫ぶ亜光に向けて、引き金を引いた。

 眉間を撃ち抜かれ、泣き叫ぶ声は直ぐに収まり、辺りは静かになった。

 私の後ろにビャクライが立つ。


「クロカゼ、裏切った代償は高くつくと分かっていたはずだ。何故悪に加担した」


 もう虫の息のクロカゼを、私はもう見ていられずビャクライの後ろへ下がった。

 私が下がったのを見てビャクライは倒れるクロカゼの側で顔を覗き込むようにしゃがんだ。

 急に辺りに風が吹き始め肌寒い。

 何処からか運ばれてきた枯れ葉がクロカゼの体にまとまりつくと、ビャクライはそれをゆっくりとした手つきで払い除けた。

 クロカゼはか細く苦しそうに口で息をしながら震えた口調で答えた。


「まだ、悪とか、正義とか、言ってるのな……。は、そんなもの、どうでも良かった……」


 どんどん声が小さくなっていって、その声はもう、風の吹く音で掻き消されそうなほどだった。


「行動した結果だけじゃなくて、ぼく自身を、見て欲しかった……。でも、誰もぼくを愛してくれなかった……」

「……!」


 クロカゼのその言葉に、ビャクライは体をビクリと震わせた。

 ビャクライの腕は冷たくなりかけのクロカゼの体を抱き上げる。

 唇を震わせながら、ビャクライはつぶやく。


「何故、それをもっと早く言わなかったんだ……!」


 そんなビャクライに、クロカゼは鼻で笑った。


「言えるわけ、ないだろ。……男なんだから」

「……そう、だな」


 クロカゼの最期の言葉だった。

 物言わぬクロカゼの体をビャクライは強く抱きしめた。

 コートが血まみれになっても気にすることなく、ビャクライは肩を揺らし、私に背を向けてぼそりと言葉を漏らした。


「俺様は……こんな子供の心の一つも読み取れず、裏切ったという理由で撃ち殺してしまったのか」

「……そうね」

「最初に裏切ったのは、俺様だったのか……。クロカゼの期待を、裏切ったんだ……!」


 私に背を向けて、顔を隠しているが分かる。

 ビャクライは涙していた。

 ぶるぶると唇を痙攣させてなんとか泣き声を出さないように堪えているような声に、私の目頭もつられて熱くなってしまう。

 大人の男が泣くなんて情けないと、普段なら言っていたかもしれない。

 けれど、お互いのすれ違いから取り返しのつかない別れ方をしてしまった男に、そんな言葉を紡げるほど無神経にはなれなかった。

 こんな二人を見たくはなかった。


「ビャクライ……」


 私は流石に心配になり、地面にしゃがみ込み背中を丸めながら落涙する男の背中に声をかける。

 事切れたクロカゼを横にして、足と背中を抱えながら立ち上がるとゆっくりとこちらに振り返る。

 ビャクライは、もう涙していなかった。

 ただ頬に残った痕が痛々しい。


「お前の部下を追わなくていいのか」

「え……」

「俺様は、コイツをちゃんとした墓に入れてやりたい。こんな所で野ざらしにはできん……こんな事で償いになるとは思わないがな」


 そう言いながらビャクライはクロカゼの白くなった顔を見つめ、溜め息を漏らした。

 ふと、風の中から何かが近づいてくる音がした。

 ……蹄だ。

 ビャクライの愛馬、コフィンがゆっくりとした足取りで現れ、ビャクライの側に寄る。

 大きな黒目がビャクライの顔を覗き込み、鼻っ面でビャクライの頭を小突く。

 動物は人間が思っている以上に人間の感情を察する事ができると聞く。

 コフィンは飼い主の深い悲しみを感じ取り、心配しているのだろう。

 その姿はまるで本当の家族のようで、少し羨ましくも感じてしまう程だった。

 ビャクライはコフィンの背中にクロカゼを乗せ、そして自分自身も背に飛び乗った。


「いつか、また合う事があったらお互い加減無しの勝負の続きだ。忘れるなよ」

「まだそんな事を……!」


 言い返そうとする私の言葉を聞かず、ビャクライは急ぐようにコフィンを走らせ、吹き付ける強い風の中、黒い残像を残して去ってしまった。


「……もう、会いたくないわね」


 思わず漏らした自分の言葉に、人に感情移入しすぎだなと少し呆れてしまった。

 こんな事では、この世界じゃ生きにくいだけだ。

 分かってる。

 でも、そんな自分を変えられる気がしなかった。

 ビャクライに言われた通り、私も蛭雲童と合流しなくちゃ。

 理緒とも合流して、そしてみんなで帰るんだ。

 様子を伺っていたコロナのドローンが飛んでくる。

 カメラのレンズに私の顔が写り込んでいた。

 酷い顔だ。しっかりしなければ。


「行きましょう。コロナ」


 宙に浮くドローンは頷くような動きを見せると、私達はもと来た道を戻って蛭雲童と合流すべく弾薬庫に向けて歩き出した。



******



 うるさいと感じるほどの木々のざわめきを横に、弾薬庫まで戻る道。

 壊された公園の塀やアスファルトに刻まれたタイヤ痕。

 戦いの後の静けさに、胸がチクリと痛んだ。

 弾薬庫が隠された学校の門を通る。

 そこには蛭雲童と、亜音の姿があった。


「あ、姐さん!!」

「蛭雲童!? それに亜音、なんのつもり?」


 亜音は拳銃を蛭雲童の背中に押し付けているらしく、蛭雲童は両腕を真上に上げた状態でこちらを向いていた。

 校舎に入る為の入口の側で、亜音は蛭雲童に銃を突きつけたまま、私を待っていたようだ。


「よくぞ兄を始末してくれました。感謝しますよ」

「どうしてそれを?」


 なぜ亜音がさっきまでの出来事を知っている? 聞くと亜音は口角を上げながら自身の耳元を指差した。

 よく見れば、亜音の片耳には何かイヤホンのようなものが付いており、指先でそれをコンコンとつついて見せているようだった。

 その動きで察した。

 盗聴だ。恐らく、亜光の服にでも仕込んでいたのだろう。

 だから亜光が死ぬ事が分かったのだ。


「私も仕事の現場に顔を出さないと心配な性格でしてね。ちゃんと働いてくれるか気になってたんですよ」

「私の仲間に銃を向けて待っているなんて、感謝する態度には見えないわね」

「ええ、本当に感謝するのはこの後、もうひと仕事して頂いてからですね」


 淡々と話す亜音になんだか怒りが込み上げてきた。

 兄弟揃ってクソ野郎だったという事に、私は苛立っていた。

 それと同時に、コロナに申し訳なくも感じてしまった。

 コロナは最初から亜音も疑っていた。

 結果的に、コロナが正しかったということに、私はあの時にコロナと一緒に疑ってかかれば良かったと、そう思ってしまった。


「仲間を人質に仕事をしろね……散々兄を悪者にしておいて似たもの兄弟だったなんて、同族嫌悪かしら?」

「口を謹んでくださいねステアーさん。貴方も貴重な人材を失うのは嫌でしょう。

「……どういう意味?」


 亜音は私が聞く耳を持ったと思ったようで、不気味なほどの営業スマイルで私に語りかけた。

 それは飲むことの出来ない、命令だった。


「そこのドローンを飛ばして、〝今直ぐ私の組織を襲おうとしているバヨネットを止めてください〟」


 亜音の言葉に、私は確信した。

 こいつも結局、亜光と同じだ。

 まともな組織など作る気がない、外道だと。

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