第16話 信じる心

 ステアーの焼け焦げたポニーテールの毛先と切り落とされたコートの裾を見つめる。

 痛々しい後ろ姿を見送って、それが通路の奥へ、地上の方へ消えていく。

 その後姿が消えていく通路と僕の間に、防弾法衣の紺色が入ってくる。

 埃の臭いの中に感じる血の臭い。どこまで行っても追いかけてくるような執念を宿した暗い灰色の瞳。

 目の前の敵に、僕はクロスボウを構えた。

 百地……かつて一緒の孤児院で育った仲間。

 憎まれ口ばかり叩いて先輩風を吹かせてばかりの嫌味な奴だったが、今なら分かる。


「さあ、始めようか。此処はお前の死に場所に丁度いい。地下暮らしモグラのお前にはな」


 黙ってれば女子みたいな顔を醜く歪ませ、口角を釣り上げ、クソ野郎ブリガンドみたいな笑みを浮かべる百地に、僕は怯んだりしない。

 そう、今までの僕ならば目の前のコイツのように虚勢を張りながら内心ビビっていたに違いない。

 なぜ今まで気づかなかったのか。

 僕らは短い時間だったけれど同じ環境の中で過ごした。

 そして別れた後も、その環境に違いはあれど大人たちに混じって大人と同じ働きをしなければならないという生活に身を置いていた。

 百地の姿を見て、その言葉と行動を見て感じた違和感。どうしてそう強がるのか。分かった気がする。いや分かる。

 認めて貰いたいんだ。仲間に。

 でも、アスンプトは野心の為なら誰でも良かった。ビャクライも自分の正義に酔っているように見える。少しあった程度でそう思うのだから、百地はそれをもっと近い距離で感じ取っていたはずだ。

 百地が振り向いて欲しい相手は尽く別の物を見ていて、百地が働いてもそのだけを評価し、百地自体を見ていなかったんだ。

 僕と百地の決定的違いはそこだ。

 その違いが無かったら、きっと、僕も百地のようになっていたかもしれない。

 虚勢を張り、周りを妬み恨み見下して、誰も寄せ付けず、認めてもらえないかもしれないという妄想に怯え他人を突き放すような人間になっていたかもしれない。


「……同情はしないぞ。百地」

「何言ってんだ? お前がするのは絶望だけさ」


 その言葉に僕は自分の故郷がブリガンドに滅ぼされ、親を殺された記憶が蘇る。


「絶望はもうしたさ。お前にしてやる分は無いね」

「するさ。賭けてもいい」


 言いながら大苦無を逆手に腰を落として構える百地。


「何を賭けるつもりだ?」


 その構えに応じるようにクロスボウを構え直し、そのやじりを百地の眉間に向ける。

 目と目が合わさり、緊張感が手に伝いそうになるのを堪える。


タマ取りに行くんだ。命以外ないだろ」

「生きる事に執着してきたお前がそう軽々しく命を賭けるだなんて、どういう心境の変化だ? なんでもいいけど、賭けたのならその命、僕が貰う」


 何を考えているか知らないし、お前の何が僕に執着してるかなんて考えたくもない。

 けれど、こんな状況でもそれを考えてしまう自分がいる。

 ステアーだったら、きっと戦いになれば相手の事なんて考えずに、この指を躊躇わずに動かせるんだろうな。

 僕はやっぱり、戦いには向いていないかもしれない。


「……おい」


 僕を睨みつけながら百地は突然構えを解くと腰に手を当て、何故かため息をついた。

 片手に握った大苦無はそのままに、腕も下ろしている。

 まるで興が削がれたとでも言いたげだ。

 だが、騙されない。手にしたクロスボウを下ろすことなく返事をする。


「なんだ?」

「オレをナメてるにしても、すね当てのベルトぐらい締め直したらどうだ。負けた時の言い訳にされたくないんだよねぇ」


 そう言いながら僕の足を指差す百地。

 余りの緊張にブーツに巻いていたすね当ての違和感も感じなくなっていたらしい。

 クソッ、馬鹿にしてるのはどっちだ……!

 苛立ちを覚えながらもわざわざ待っている百地の気が変わらない内にさっさと結び直そう。

 そう思って視線を足元に向けた、その瞬間だった。


「ぐっ……!」


 突如鈍い音と共に頬に痛みが走る。ぐらりと揺らぐ視界。

 僕がブーツを見て視線をそらした瞬間に、大苦無を握った拳で殴られたらしい。

 とんでもない俊足。五メートル以上は離れていたはず、それを

 百地の笑みが視界の端に入る。その表情から何を考えているか直ぐに分かった。


(引っかかったな!)


 一瞬でもこいつにまともに勝負する心があると思った僕が馬鹿だったのか……!

 殴られながらも腹部に蹴りを入れようと咄嗟に崩れた姿勢のまま足を短く振りかぶり、百地の追撃が入る前に蹴りを放つ――しかし、それは向こうの想定内だったらしい。

 僕の足は百地の脇腹に突き刺さったかのように見えた。

 だがその足を抱え込むように百地が腕と体で挟み込み、蹴りの勢いが殺されてしまった。


「馬鹿正直な攻撃、お前の性格を表してるようだ……なっ!!」


 掴まれた足をそのまま勢いよく持ち上げられ、そして押し付けられるように放り投げられる。

 一気に崩れる体勢。宙に浮く体。それでも、もう視線は逸らさない。

 片足のつま先が地面に触れた感触から直ぐに床を蹴飛ばし、百地と距離を離しながら自分のペースで着地し、素早くクロスボウを百地へ向け引き金を引く。

 ガスン――! という低く重い音が駐車場内に響く。

 百地はクロスボウから放たれた矢をひらりとかわし、百地がいた空間を虚しく通過した矢は駐車され放置された装甲車の正面装甲を傷つけ弾んだ。

 最初の不意打ちから十秒足らず。

 互いにまた睨み合う。


「この前よりマシな動きになったじゃん」


 嘲笑混じりの百地の言葉に、僕はなぜだか怒りが湧いてこなかった。

 多分、本当にマシになったからだろう。


「今の環境のおかげだ」

「……ハァ?」


 百地はきっと、本心からそう言った訳じゃないんだろう。

 けれど僕自身は確実に動きが良くなったという確信があった。

 横浜で百地と戦った時からそう間隔も空いてなければ、鍛え直してもいない。

 でも、あの時より僕は確実に〝恐れ〟は無い。

 迷いが無いわけじゃない。けれど、火野さんの言葉が脳裏に過る。


『怖いのか? 失敗するのが』

『そのままだと本当に恐れていることが現実になるぞ。恐れは今みたいに考えにも出れば、行動にも出る』


 そうだ。悩みや迷いなんてそう直ぐにどうにかできたりしない。

 恐れもそうだけど、でも、恐れがあるから迷い、悩むんだ。

 僕は男だ。例え傷つくのが怖くても、誰かが傷つくのが怖くても、耐えて、乗り越えるんだ!


「行くぞ百地!」


 肩に掛けたスリングを勢いよく外し、クロスボウを百地に向けて投げ飛ばす。


「なっ……!?」


 唐突な暴挙に流石の百地も驚いたようだがそう甘くない。簡単に投げたクロスボウを払いのけられてしまう。

 そこまではいい。

 百地にクロスボウを放り投げたと同時に、僕は腰の拳銃トーラスTCPを素早く抜き、百地に向けて放った。

 一発、二発――。

 クロスボウを払い除けて大苦無を手に突進してくる百地。

 一発は外し、一発は当たったはずなのだが防弾法衣によって大したダメージにならなかったようで、怯むことなく突っ込んでくる。

 百地の大苦無が構えた銃の前にまで近づいて来るのが一瞬のように感じるほど速い。

 だけどこの速さより速いものを僕は味わっている。

 横浜でのバヨネットの動き……あれは今でもありえないスピードだったと思う。

 少し無謀だけど、自分より速い相手と戦うには、読むしか無い。

 百地の動きの先を読んで、攻撃を置く感覚だ。


「そんな小口径まめでっぽうでオレ達の防弾法衣が貫けると思ってるのか!」


 左右にジグザグと動きながら赤い残像を残しながら飛び込んでくる百地にまた銃を撃つ。

 今度は百地の動きよりも先に弾が届くように……!

 パァン――! と地下駐車場の中に銃声が響く。

 その中に細かい砂が撒かれたような音が混じった。

 弾がコンクリートの支柱を抉り、はらりと欠片が散る音。


「外したっ!」

「甘いよねぇ!」


 付け焼き刃の偏差射撃が一発で成功するわけもなく、弾は百地の首に撒かれた赤いマフラーの余りの部分を貫いただけで百地には全く当たらない。

 目で追えない速さではない。それでもその動きに合わせることが……。

 首元に伸びる大苦無を間一髪で避けるも、大苦無を横に凪ぐ勢いのまま体を回転させて放ってくる回し蹴り。

 視界の外から飛んでくるかかとを咄嗟に腕で受け止めようとするも間に合わず、三角筋と上腕二頭筋の間を斜め下からカチ上げるように叩き込まれた蹴りの衝撃に腕が痺れる。


「ぐああ!」


 痛みに思わず情けない声が出てしまう。

 その声に、百地は目を見開きながら唇を左右に大きく引き伸ばし舌舐めずりをしながら嗤う。


「クククククッ! もっと聞かせろよ……お前の情けない悲鳴をさぁ!」


 耳にこびりつくような甲高い嘲笑を上げたと思えば、その次の瞬間には百地は途端に眉間に皺を寄せ、その見開かれた目は座り、白い歯を見せながら舌打ちを鳴らす。

 元から激情家な奴だと思っていたが、ここまでくると情緒不安定なんてレベルじゃない。


「何が環境だ、笑わせんじゃねえよ!」


 仰け反って飛び退いて、なんとか距離を取ったのも束の間、百地は何処からともなく取り出した小苦無を指に挟み投げ放つ。

 こっちに休ませる暇も与えないつもりらしい。

 真っ直ぐ飛んでくる小苦無を素早く回避する。動きすぎないように、隙を作らないように、冷静に――。


「僕には仲間がいる。認めてくれる人たちが、支えてくれる人達が! 他人を値踏みして、勝手に見限って裏切るようなお前には分からないだろう!」

「地下でぬくぬく過ごしてたお坊ちゃんが! 地上いまを生きる為なら何でもする。あたり前の事だろうが!」

「人は独りでは生きていけない……。でも、他人を利用するだけして切り捨てる事と、認め合い信じ合って共存する事は違う! お前は利用するために誰かといても結局お前は独りなんだよ!」

「独りで生きることもままならない、戦えないような奴は死ぬ時代なんだよ! 今はなぁ!」


 距離を詰めてくる百地に銃で牽制するもやはり当たらない。しかし全部が全部当たるはずもないと向こうは思っていないようで時折駐車場の支柱や装甲車の影に身を潜める。

 その間に距離を取ろうとするが一度動き出した時の百地のスピードは凄まじく、最早この駐車場の中ではまともに射撃戦に持っていけない。

 格闘戦では悔しいけど向こうの方が一枚上手。だけどなんとか左手に銃を持ち替え、利き手でナイフを抜く事は出来た。

 

「そもそもテメェなんかが孤児院に現れなければ……」


 唸るように恨み言を吐き捨てる百地に僕は当時の事を思い出す。

 あれはどうにもならなかった事だ。

 ブリガンドに襲われ滅んだ川崎ヴィレッジ、自分といるより横浜ヴィレッジにいる方が安全だと旅についていかせてくれなかったステアー、そして引き取ると申し出たアスンプト……。


「あれは偶然――」


 言いかけた矢先に百地が怒声を被せる。


「お前に才能があるだのなんだの言ったんだろ? あんなもんは嘘さ! お前は乗せられただけなんだよ!」


 機敏な動きから一変、突然立ち止まったかと思えば、ゆらり、ゆらりと、頭と腕をだらんと垂らし、揺らしている。

 弱い照明の真下。その姿はまるで幽霊のように不気味で一瞬背筋に冷たいものが走った。


「アスンプト、あのホモ野郎は、最初からお前の顔とそのでけぇケツにしか興味なかったんだよ……。お前が上手く仕事をこなせていたのは、アスンプトがお前をその気にさせるために簡単な任務だけ与えていたに過ぎない。お前は最初から、甘やかされてたんだよ、地下暮らしのお坊ちゃんには地上で真っ当に生きるのは無理だろうってなぁ……!」


 その言葉に僕は体が固まってしまった。

 嘘だ。そんな事は。

 百地が僕を動揺させるためのハッタリ……!


「そんなの、嘘だ!」

「お前は一人で〝アスンプトの計画に乗らないブリガンド共の本拠地に忍び込んで皆殺しにしてこい〟とか言われたことあるか? 〝誰にもバレないように教会内の不穏分子を口封じするように〟とは? 〝ひと月も娼館へ働きに行って股を開きながらヴィレッジの裏社会の情報を探ってこい〟とか言われたことないだろ! あぁ!?」


 とんでもない言葉の圧力に、僕は時間を忘れていた――。

 僕が現実に戻ってきた時、突然足に鋭い痛みが走った。


「うっ……!?」


 百地の言葉に圧倒され、一瞬の隙が出来てしまった瞬間。

 小苦無が僕の左の太ももに突き刺さっていた。

 

「くっ……くぅ……!」


 痛みに耐えながら百地に銃を向けて撃ち、それと同時に支柱の影に身を隠す。

 向こうも銃弾を躱すために支柱に隠れ、お互いに様子を伺いつつ呼吸を整える。

 素早く銃のマガジンを交換し、足の傷を見る。

 幸い深々と突き刺さったわけではない。しかし小苦無とはいえ刃物の中でもそれなりに厚みのある刃が突き刺さっている状態だ。

 抜けば相当の出血は免れない。かといって刺さったまま戦えるわけもない。

 物音を立てぬよう、静かに腰の医療道具入れから包帯とガーゼを取り出す。

 そんな中、幾つか離れた支柱の方から百地の声が聞こえてきた。


「お前は観賞用のオモチャだったんだよ。簡単な仕事でも殺しってだけで良心が痛んで苦しむ、お前を見て楽しむためのな。あのままアスンプトが教会を乗っ取ってさえいれば、オレもお前も食いっぱぐれる事もなく、あの野郎と寝てるだけで暮らしていけたってえのによ」


 向こうも息切れしていたのか、話で時間を稼ぐつもりか。

 乗るしかない。

 できるだけ静かに丁寧に、素早く包帯を巻いて包帯をナイフで切る。


「そんな事僕はしない」


 僕の返事に百地は鼻で笑う。


「今更カマトトぶってんじゃねえよ。お前だって体売るフリして標的を殺せなんて事やってただろうが。その様子じゃ実際にヤった開いたことは無いだろうけどな」

「なにを……」

「ヴィレッジ警備隊の汚職警備員を人知れず裁くことで秩序を保つとかテキトー言われたんだろうが、そんなもの正義感の強いお前に対して言った建前。本当の狙いは突然の幹部の死亡による組織の混乱。アスンプトが教会の乗っ取りをしたタイミングでブリガンドがヴィレッジの外から攻めやすくする為のな」


 僕がやって来たことはアスンプトの都合の良い行動だったということは、頭では理解していたつもりだった。

 でも、僕のしていたことが結果としてヴィレッジ住民を危険に晒すことだったなんて、思ってもいなかった。

 〝正しい〟と信じ込んでいたから。

 そうだ。そうだそうだそうだ。

 なんで僕は、アスンプトのやり方に間違っていると言って反抗したにも関わらず、そのアスンプトに言われて行っただけ〝正しい〟ものだと思っていたんだ?


「僕はどうしようも無かった……。従うしかなかった……」

「だろうねぇ! オレはお前が気に食わなかった。ビャクライもだ。アスンプトもハッキリ言って、革命家気取りのクソ野郎だと思ってた。どいつもこいつも正義だ使命だ世の為人の為……どいつもこいつも、自分の利益の為、都合の為に動いているくせに、綺麗事を抜かして自分を正当化してるのが最高にムカつくんだよ!」


 そう、僕は、自分の行動は正しいと思っていた。

 僕以外の、どの人も……。

 そうか、そういう事か。

 百地の言葉で、やっと理解した。

 百地が見てきた人間は確かにそんな人間だったかもしれない。

 でも、僕が出会ってきた人は違う。


 人の為に戦うステアー――。

 自分の欠点を知り、自分に出来ることを探すコロナ――。

 純粋に人の為に手伝いを買って出る枸杞――。

 仲間を信じ、送り出す蛭雲童――。

 仲間の仇を探すバヨネット――。

 仲間の分も生きようとする火野さん――。

 悔しい思いをしながらも人に意志を託すタツ――。

 人を愛し人を導くシスター・アイクチ――。


 ……みんなそんな綺麗事が霞むくらいの眩しくて、カッコいい共通点があった。


「世の中は金と暴力と権力! どんだけ高尚な事をほざこうが、それが真理! オレは、それを掴む!!」


 ジャリッという靴が地面を蹴る音が聞こえ、僕も釣られるように立ち上がる。

 無意識に止血の為にもキツめに縛った包帯のつっぱる感覚と傷の痛みでなんとか正気を取り戻す。

 来る、僕を今度こそ殺しに来る。

 支柱から飛び出し、声のした方を向くとそこには既に駆け出し始めていた百地の姿があった。

 トドメを刺すために、苦無を逆手に持ち、柄に手の平を添えて突っ込んで来る。

 僕はその距離、速度、切っ先を見て――目蓋を閉じた。


「死ねぇ! 理緒ぉぉぉぉぉ!!!!」


 その切っ先が胸を貫こうとする寸前――即座に真横に回り込む。


「なっ!?」


 両手で苦無を構えていてがら空きだった腹部に右足でしっかり体重を乗せ、あえて左足で膝蹴りを見舞い、前かがみになった所に力強く握り込んだナイフの柄を後頭部に叩きつけ、百地に膝をつかせる。

 回避行動から僅か一秒と少し。

 百地は何が起きたのか分からないといった表情で固まっている。

 バヨネットが僕にした技だ。

 お前の速さを利用させてもらった。

 僕はバヨネットほど速く動けないけど、百地は僕よりも速い。

 前のめりに突っ込んできてくれたおかげでなんとか決められた。


「僕はあの時、確かにアスンプトに従うしかない一つの駒でしかなかった。お前の言うように、過去は変えられない。……でも、未来は変えられる」


 四つん這いになって膝や苦無を握った拳に擦り傷を作った百地。

 膝をつく百地の脇腹に蹴りを入れて吹き飛ばす。


「ぐっ! テメェ……!」


 冷たいコンクリートに転がされながらも悪態をつく百地だが、流石の忍者みたいな身体能力だろうが鳩尾と後頭部と脇腹にダメージを終えば直ぐには立ち上がれないらしい。

 その額に、銃口を押し付けた。


「百地、僕の勝ちだ」

「……っ!」


 声にならない怒りを表す言葉が見つからないのか、歯を食いしばり、まるで獣のような唸り声を鳴らしながら僕を見上げ、睨みつける百地。

 だがその姿に最早恐ろしさは感じない。

 引き金に指をかける。

 ……そこで、僕は思ってしまった。


「お前もやり直そうと思えばやり直せる筈だ。一緒に来ないか」


 自分でも何を言ってるんだと思った。

 けど、ここで百地を殺したら、百地の言った言葉を受け入れてしまう気がして――。


「ハ……ハァ? 馬鹿じゃねえのか? 誰がお前なんかと……」


 あまりに突拍子もない言葉に驚きと呆れの声を漏らす百地。

 そらそうだ。僕だって同じ立場だったら何言ってんだこの馬鹿はと思ってしまうだろう。

 でも僕はあえて銃を下ろした。


「お前の意地、大人を見返したいという思いも、のし上がりたいという野心も分かった。だが、お前のやり方は間違ってる。今こうして僕がお前を殺す寸前まで追い込んだ事が証拠だ」

「ふざけるな!」


 怒鳴りながら決死の思いで投げつけてきただろう手にしていた大苦無の投擲。

 それももう、お見通しだった。

 避けることなくナイフで叩き落とす。

 甲高い音を響かせ地面に落ちた大苦無は既にヒビが入っていたのか、コンクリートに叩きつけられた衝撃でポッキリと折れてしまった。

 それは苦し紛れの攻撃すらも返され、自分の僅か十三年という人生を否定された百地の心を表しているようで。

 目の前の百地は砕けた苦無に視線を落とし、青ざめていた……。


「お前も苦しんでいたんだな。僕の知らない所で、ずっと汚れ役を……」

「ふざけんな! テメェなんかに同情されるために言ったんじゃねえ!」


 優しく声をかけてあげたつもりが、百地にはそれが逆に不愉快だったらしく失われていた怒りを蘇らせてしまった。

 忌々しげに僕を睨みつけてくる百地だったが、しかし襲ってくる様子はない。


「自惚れんじゃねえよ……テメェが如何に甘やかされて育ってきたかを言ってやったまでだ。現実を知って惨めな思いをさせてやろうって思ってたのに――」


 語気がどんどん弱まっていく。


「――なぜ、こうも上手くいかない……」


 両手と膝を床につけ、跪きながら項垂れる。

 目の前で頭を垂れる百地を見て、なぜだろう、僕は泣きそうになっていた。


「百地、お前は他人に執着することで生きてきた。そうだろう?」


 問いかけるけど、答えが返って来ないのは分かってるし、既に確信があった。


「僕も執着、とまではいかないけど……色んな人の背中を見てきた。その中に百地、お前もいたんだぞ」

「なんだと……?」

「僕は確かにお前の言う地下暮らしモグラさ。だからずっとステアーの背中ばかりみて育ってきた。あんな風に強くなれたらいいなって。だけど〝思うだけ〟だったんだ。けど、地上で暮らすことになって、僕自身戦わなければならない環境に置かれて、その時に思ってたんだ、お前みたいになれたらって……」

「温室育ちのお坊ちゃんが……なれるわけないだろうが……ッ!」


 百地は唸るように、吐き捨てるように言葉を零しながら床を睨みつける。

 そうだよ。その通りなんだよ百地。


「そうだ」


 そう言って頷く。百地はそんな僕を見て口を半開きにしながら眉をひそめた。

 多分、見苦しいと思われたんだろう。

 なんてったって戦いに勝ったにも関わらず、倒した相手を前に泣くのを必死で堪えながら大粒の涙を零している奴を目の前にしているのだから。

 下唇を噛んだり、舌で口内の上部分硬口蓋を擦ったりしてボロ泣きしないように必死だ。

 でもどう頑張っても一度涙が頬を伝いだすと声が震えてしまう。


「僕はお前みたいに戦いを楽しめないし、ステアーみたいに曲芸みたいな銃の才能がある訳でもない。バヨネットみたいな尋常じゃない剣捌きもできないし、蛭雲童みたいにすぐに新しい人間関係に馴染めるわけでもない。……僕は自分の出来ることをやってくしかないんだ」

「それがなんだってんだ」

「僕はムキになってたんだよ。孤児院にいた時はアスンプトやお前に認められたいって思って頑張った」

「オレに……だと……?」


 もう一度頷く。


「ああそうだ。そして今は事務所の皆に、ステアーに認められたいからって無理を通してた――」


 そのおかげでこの仕事について行けたんだけどね。

 正直辛かったけど、今は後悔してない。


「――でも、この仕事をステアーと一緒に行動して、色んな人に出会って気付いたんだ。〝認められたい〟という執着は、逆に僕をダメにするって」


 百地に歩み寄り、しゃがみ込んで視線を合わせる。

 顔を合わせて数センチ。

 間近で眺める百地の顔は負けたばかりの人とは思えないぐらい凛々しく見えて、泣き顔の自分が恥ずかしくなってくる。

 顔を近づける僕を見て百地は戸惑いながら跪いた体勢から半身を起こし、そのまま尻餅をつくように尻から座り込んだ。


「何を……」

「無理して事を成したって、本当の自分を見てくれはしないんだよ百地。それに気付いたんだ。僕は僕の出来る範囲の事をする。もちろん成長できるように頑張る。成長した姿をしっかり見せて、気付いた人はきっと認めてくれる」

「知るかよ。……お前がどうしようとオレには関係ねえ」


 まるで不貞腐れた子供のような言い草でそっぽを向こうとする百地の頬にそっと手を添えて、こっちを見るように促す。

 僕が力を入れなくても、百地はまたこっちを向いてくれた。


「あるよ!」

「……!?」

「僕だから分かる。お前は、人に認められようと無理をし続けて何処かで壊れてしまった僕だ。僕が孤児院に居続けて、ステアーと再会しなかったらきっと、お前みたいになってたんだと思う。だから分かる」


 立ち上がり、銃もナイフもしまい込む。

 そして、まだ座ったままの百地に手を差し伸べる。


「僕と行こう。今までの事を無かった事にはしてやれないけど。これからやり直すことは出来る。あっちこっち居場所を変えなくたっていいんだ」


 差し伸べた手を百地は見つめ、そのまま動かない。

 僕の顔と手を交互に見て口元が震える百地。その心中を僕には読めなかった。

 お互い沈黙したまま、目と目を合わせたままたっぷり一分。


「クッ……クククッ……」


 突如百地はくつくつと笑い出す。


「何がおかしい?」

「技でも、心でも勝てないか……ここでオレがついていけば、オレのプライドも圧し折れてお前は満足ってわけだ」


 百地は一人でゆっくりと立ち上がり、僕の差し伸べた手を力無く払いのける。


「ち、違う! そんなんじゃ――」

「お前とは行かない」


 その言葉の力の無さに、もう戦う気力が無いと悟る。

 しかし、じゃあ今更どうする気なんだ。

 ビャクライを裏切って、亜光に黙って僕達の邪魔をした挙げ句僕一人に返り討ちにされただなんて、此処へ向かってる亜光が今の百地の姿を見れば簡単に察するだろう。

 そうなれば、百地が言う金と暴力と権力の世界である亜光の所には居場所が無くなってしまうだろう。


「今からまた別の居場所を探すつもりか?」

「……」

「それでまた期待外れだったら裏切るのか?」

「……」


 黙ったまま、俯く百地。


「……百地!」

「うるせぇよ! 今更、今更お前と一緒なんて……あっ」


 突然顔を上げ、殴りかかろうと百地が拳を振りかぶるが足がもつれて倒れかかってしまう。

 そんな情けない姿の百地に、僕は咄嗟に前に出て、百地を抱きかかえて支えた。

 密着する距離になって初めて気付いた。

 百地の法衣、ボロボロだ……。

 裾とかが解れたり破れたりしてなくて、そのシルエットからは分からなかったけど、こう間近で見ると分かる。

 表面の繊維がかなり痛んでいる。昨日今日の物じゃない。

 ああ、本当に、本当に百地は厳しすぎる世界で生きてきたんだな……。

 引っ張り込んで、百地の体を抱きしめる形になると耳の近くで百地の唇が震えた。


「なあ、理緒」

「なんだ?」

「お前の姉ちゃんステアー、オレの事なんか言ってたか? 散々色々言っちまったし……」

「いや、なんも。ステアーはそんな事いちいち気にしちゃいないよ」

「……そっか」


 抱きしめてみると、自分よりも小柄の百地は腰も折れてしまいそうな程に細い。

 百地はなんだかんだ、人に言った暴言とか気にしていたのか。

 一切気にしない奴かと思ってた。

 でも、そんな事を言ってくれたって事は少しは心を開いてくれたんだろうか……?

 そんな事を思っていた時、耳元で百地が小さく息を吸った。


「フッ……」


 それは不気味な、嫌な予感のする笑みだった。


「えっ……」


 腹部が、熱い――。

 百地が笑んだ瞬間、腹に異物感が走った。

 ゆっくりと、百地から拳一つ離れてお腹を見る。


 苦無だった。

 袖に隠していたのだろう小苦無が、防弾法衣を貫通して腹に突き刺さっていた。

 それを視認した途端、一気に痛みが込み上がってきて、僕は背中から倒れた。

 百地の方を見ようとして頭を上げていたから頭を打つことはなかった。

 けれど痛みで起き上がることすらままならない。


「な、なんで、法衣が……」


 防弾法衣の防御力を無視して容易く苦無を捩じ込んできた百地に驚愕しながら、足と腹の痛みに視界が霞む。

 血を流しながらずりずりと後ずさる僕を見下ろし、嗜虐的な笑みを浮かべる百地の顔。

 しかし何故だろう、どこか悲しさや虚しさといった色も見え隠れする。

 なんで、こんな状況でそんな顔をしてるんだよ、百地……。


「オレ達の着ている防弾法衣は点の衝撃に対して一瞬でその繊維が衝撃を吸収するように圧縮されて弾を防ぐ特殊素材だ。並の弾丸やナイフの一突きじゃ服を通さない。だが、一撃目を布に添えるようにしてゆっくり捩じ込んでしまえば簡単に刃物は通してしまうんだよ」


 その言葉に覇気はない。

 突然背を向け、一人地上へ向かおうと歩き出す百地。

 その背中が遠くなる前に理緒は慌てながらに声をかける。

 止めなきゃ、折角分かりあえそうだったのに……!


「今更亜光の所に戻ってなんになる! お前が見てきた、生きてきた世界に戻ったって百地が言うように所詮傭兵上がりって雑な扱いされるだけだ! ビャクライの所にもあんな事したならもう戻れやしないぞ!」


 百地は理緒の言葉を聞きながらも歩みを止めることも振り返ることもない。


「理緒、お前には負けた。だがオレはお前に従う気も無いしこの生き方を今更変えられもしねぇ!」

「そ、そんな……。まだ間に合う、間に合うから考え直せ。、百地……!」

「……理緒。精々、オレみたいにならないようにな」

「えっ……!?」


 〝お前の勝ちだ〟とは言わない百地にひとかけらのプライドを感じ取り、言葉が出てこない。

 僕を殺せる状況だったにも関わらず見逃し、更に忠告までして消えていく百地。

 もしかして、口ではああ言ったけど少しは百地を変えることが出来たのか?



******



 いくら声をかけても、百地はもう言葉を返してくれなかった。


「くっ……! 痛ってぇ……!」


 痛みを我慢しながらウエストポーチに入れてあった医療道具を取り出し、呼吸を整える。


「ハァ……ハァ……」


 すう、と一気に息を吸って止める。

 息を止めながらガーゼを手に、刺さったままの苦無を引き抜く。


「~~~~っ!!」


 唇を千切れそうになるほど噛み締めながら痛みに耐える。

 ガーゼをすぐに当て、法衣の上から腹に包帯を巻く。

 時間をかけ、全ての応急手当が済んだが……。


「ふぅ……」


 息を吐いた途端、緊張や疲れや、色んな感覚が抜けていってしまった。

 体力を使い果たしてしまったみたいだ。

 駐車場に停まったままの車に背を預ける。


「百地……。きっと、大丈夫、だよ……な……」


 足の包帯の締め付けだけを少しだけ緩め終わったのを確認できたが、目蓋が重くて仕方がない。

 ごめんよステアー、ちょっと、ちょっとだけ休ませて……?

 急に来た猛烈な眠気に抗える気力は既になく、車にもたれ掛かったまま、目蓋を閉じる。

 百地、お前にも知って欲しいんだ。

 僕の周りにいる人達はみんな強くて、カッコよくて、そして人を信じる事ができる人達なんだぜ。


 もう指も動かない。

 足も、頭も動かない。

 でも体は軽い。

 一日中運動して疲れ切った日の夜にベッドに転がったら感じるあの感覚だ。

 大丈夫、少し、少し休むだけだから……。


 意識が、遠く、沈んで――。

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