第13話 飛び込みの依頼
車の振動というのを今日ほど鬱陶しく感じたことはなかった。
理緒には黙っていた。撃たれた傷はまだかなり痛む。
タイヤがアスファルトの上の瓦礫やゴミを乗り越える度に全身に痛みが走る気がした。
表情にも態度にも出さないように努めていたが、多分大丈夫だったと思う。
眠ることなく、クロスボウを胸に抱えて外を見続けていた理緒の横顔はいつもより凛々しくて、長いまつ毛は陽の光を浴びて煌めいた。
車を運転していなければずっと眺めていたかった。
ほんの数日しか空けていなかったのに、事務所兼我が家に帰ってくるのが凄く久々に感じてしまう。
事務所のドアには休業中の看板。
鍵を開け、扉を開ければ見慣れたオフィスがお出迎え。
「おお、お帰りなせぇ姐さん」
ソファで足を組みながらライフルのバレルを磨いていた蛭雲童がそこにいた。
私の顔を見るなり急に組んでいた足を正して席を立つと仰々しく腰から頭を下げた。
「いちいちそんな
「そういう訳にはいきやせん。上下関係をしっかりしておくというのは今の時代で組織を維持するには大事な事ですから!」
元・ブリガンドというならず者とはいえ集団の中で生きてきた蛭雲童がそういうのだからそうなのかもしれないが、どうもそういうのは苦手だ。
「じゃあ僕は上ね」
そう言いながら私の横をすり抜けて理緒も入ってくる。
理緒はドアに鍵をしてから荷物を持てるだけ持って蛭雲童の向かいのソファに腰掛ける。
「理緒きゅんは前に旦那呼び嫌がったからなー」
「その呼び方よりマシなんだけど!」
「じゃあ旦那で」
「普通に呼ぶって選択肢は無いのかよ……」
そう言いながら理緒は荷物をテーブルの上に出し始める。帰ってきて早々帳簿をつけようというのだ。
真面目だな……と思いつつまずは休んでからで良いと言おうとした。その時だった。
帳簿を取ろうと腰を上げた理緒に声をかけたのは蛭雲童だった。
「ああ、帳簿は俺がやっとくから、自分の荷物だけ部屋に置いて風呂にでも入りな」
「えっ……良いの?」
「良いの良いの。ほら、姐さんも突っ立ってないで荷物置いてきたらどうです? そんな所に立ちっぱなしじゃ冷えますぜ」
気を利かせて帰宅して直ぐの私達を休ませようとしてくれる蛭雲童。
度々思うがこいつ本当にブリガンドだったのか……? いや、寧ろこういう処世術がないとブリガンドの中で成り上がるなんて出来ないのか。
「ありがとう。先に上に行って休ませてもらうわ」
お礼を言って早々に上へ上がろうとすると、階段の上から下に降りてくる足音がした。
固いブーツの軽い足音。コロナだ。
足音がして直ぐに見えた水色の髪に青紫の瞳はまさしくコロナだった。
見たことのない赤いフレームの片眼鏡をしていてどこか慌てた様子で降りてくる。
片眼鏡といってもはるか昔の白黒写真で偉そうな人間がつけているような丸いレンズとフレームのモノクルとは大分形は違う。
「ステアーおかえり」
スクエア型のレンズとテンプル部分がくっついている辺に少し厚めの赤いフレームがついている変わった物だ。殆どリムレスとかいうのに近い。
よく見てみればフレームには緑のLEDのようなパーツが付いており、フレームの中に何か機械が埋め込んであるように見える。
「ただいま。どうしたのソレ」
赤い片眼鏡を指差して言うとコロナは外すのを忘れていたのか、私に言われて片眼鏡を外して胸ポケットに差し込む。
よく見れば少し顔に疲れが見える。寝不足なんだろうか。
「この前見せたドローン。カメラの映像を直接頭の中で見ることが出来たんだけど結構疲れちゃってね。眼鏡のレンズにカメラ映像を映すようにしたんだ。度は入ってない」
私がいない間にそんな物を作っていたなんて、機械を弄らせたらかなりのものなのかもしれない。
そういえば私と初めてであった時も機械を弄ってたっけ。
学んだとは言ってたけど、好きじゃなければ自分からやろうとは思わないだろうし、もしかしたら好きなのか。
「それが活躍出来るのを楽しみにしてるわ」
「任せておいてよ」
自信満々に答えるコロナの頭を撫で、上に行こうとする。
「待ってください姐さん」
背後から呼び止めてきたのは蛭雲童だった。
振り向くと蛭雲童の表情は険しく、私の顔を見ている。
「なに?」
「姐さん、怪我してますね?」
突然言われて驚くも、平然を装う。
「まぁ大したこと無いわ」
「大した怪我じゃないのに歩いた時の衝撃を抑えるために変な歩き方になったりはしませんぜ」
「え、ステアー、そんな大怪我してるの?」
不安そうに見上げてくるコロナ。
蛭雲童も人の動きをよく見ている。いや、気遣いが上手く、ブリガンドなんて争い事がしょっちゅうな環境で生きてきた奴だ。きっと日常の中にあるちょっとした違和感に気づきやすいのだろう。
それとも、血の臭いでも嗅ぎ分けたのか。
「後で見せてくださいよ。これでも多少撃たれたり切られたりした部下の面倒見たこともあるんでね。……手に負えなかったら医者行きますよ」
ここ渋谷ヴィレッジは元々軍の病院の地下にあるシェルターから始まったヴィレッジだ。
その為か横浜ヴィレッジ以上に優秀な医療施設と技術、医者に恵まれている。
それ目当てに来てそのまま治療してもらった恩義からヴィレッジに貢献するために残ったという人々が増えて東京周辺でも有数の大型ヴィレッジに発展したなんて噂も聞いたことがある。
真偽の程は分からないが、そんな噂が立つほどの場所だということだ。
怪我の経過を見てもらうなら探せば良い医者が見つかるだろう。
「ええ、後でね」
「ねえステアー、本当に大丈夫なの?」
心配で尋ねてくるコロナがなんだか可愛く見えてまた頭をそっと撫でた。
「大丈夫。死ぬ程のものじゃないわ」
「そう……ならいいけど」
私は足早に上に上がっていく。
車に揺られたせいか本当の所は痛みがぶり返しててさっさと横になりたかった。
三人分の心配そうな視線に押されるように、階段を上がると私は部屋に入り、慎重にベッドに座り込むとそのまま横になった。
痛みで眠れないかと思ったがそんな事はなく、慣れた寝具に転がってみれば痛みよりも疲れの方が強くて――。
******
コンコン――。
部屋の扉のノック音で目が覚めた。
窓の外はまだ明るい。大して眠ってなかったようだ。
「ステアー起きてる?」
コロナの声だ。その声は扉越しだがちょっと困ったような声色だと分かる。
何かあったのだろうか。
「ん、ええ。どうしたの?」
「いや、休みの看板置いてたのにどうしてもステアーに会いたいって人が来てて」
「亜光……ではないわね。分かった、降りるから待たせておいて」
「分かった」
足音が扉から離れていくのを聞きながら体を起こす。
やれやれ、休んでいる暇もない。
ゆっくり起き上がると腹部の痛みはほぼほぼ無くなっていた。
私に会いたい人とは誰なのだろう。そこまで親しい人間は外の世界にいない。
親しかった人達は既にブリガンドに殺されている。生き残りも今は横浜ヴィレッジに流れてそこから交流は無い。
そもそも最近始めたばかりのこの傭兵事務所、知人に教えた事はなかった。
このご時世、身内価格等と言って値切ろうとする奴はどこにでもいる。そういうのにいちいち対応して気疲れしたくなかったからだ。
単純に私の噂を聞いて来ただけの依頼人だったら変な難癖をつけられないように丁重にお帰り願おう……。
階段を降りながら、なんで蛭雲童がさっさと追い返さなかったのか不思議に思った。
蛭雲童が大抵の接客を勤める。私はなんというか、無愛想で愛想笑いも下手糞な女だし、理緒やコロナだと相手によってはナメてかかられる事もある。
普段碌に顔を出さないバヨネットは論外。となると人前で笑顔が作れて交渉も出来る蛭雲童が出るのが適任になってしまう。
アレを事務所の顔にするのはどうなのかと思ってしまうが、自分がやれないのだから文句は言えない。
仕事場である一階に降りてきてみれば、一人の男がソファに座っていた。
蛭雲童は丁度その男にお茶を出している所だった。
理緒もコロナも枸杞も、セバンもいないようだ。外に出ているのだろうか。
「貴女がステアーさん? 魔都から生還した傭兵の?」
少しだけ掠れた低い声の男は一人、少しボロながら一般人では入手が難しそうな良いスーツに身を包んでいる。
良いスーツだと思ったのは自身の体に合わせて服を調整しあるからだろう。
髪型も手櫛では無理なくらい綺麗に整えられている上に腰に提げた銃もホルスターも手入れが行き届いていて美しい。
しかしどこか見た事ある顔だ。どこかで会っただろうか?
「私がステアーです。今は別の依頼をお受けしていて新しい依頼はまだ受け付けていないのです」
「存じております。私の兄からの依頼ですから」
兄か。つまりこの人は亜光の弟さん。なるほど通りで見た事あるなと思った。
顔自体は亜光程の醜男ではないのだが、骨格が似ているとでもいうべきか。
亜光からニキビのクレーターを無くしてヒゲを剃ったらこんな顔になるだろうかといった感じだ。
しかし兄と違って喋りにあの独特な訛りは無いようだ。
それに身長も私と同じくらい高い。兄弟で身長差が五十センチ以上はありそうだ。
いや、矯正しているというか、頑張って標準語を話している感じでどことなくイントネーションに違和感がある。
「依頼人、亜光さんの代わりに経過報告を聞きにいらしたんですか?」
「それもありますが、すいませんが私からも依頼を一つ、受けて頂きたいのです!」
突然声を大きくし、亜光の弟さんは鋭い視線を私に向けると突然懐から小瓶を取り出し、机に置いた。
その小瓶には見覚えがあった。
「そ、それはSDD……!? 一体どこでそれを」
「
その言葉で反射的に銃を抜いて顔に向けてしまった。しかし引くわけにもいかない。
「どういう事?」
銃を抜いた私を見て亜光の弟はなんのつもりかこの状況で安堵の笑みを浮かべている。
一体、コイツは何しに来たんだ? 売り込みだったらぶん殴ってそのままバヨネットの前に突き出してやるが。
亜光の弟は出した小瓶を再び懐にしまうとゆっくりと語りだした。
私の様子から蛭雲童も只事ではないのを直ぐに理解したようで退室する事なく何時でも銃を抜けるように構えながら私に流れ弾が当たらないように移動するとジッと弟の動きを見張っている。
「私の名前は〝亜音〟兄の亜光はやはり身の上を語らなかったようですね。当然ですけど」
「アンタ達、関西から移住してきて川崎ヴィレッジを拠点にしてるって……」
「それは事実です。しかしタダのヴィレッジではありません。私達は市場を広げるためにやってきたんですよ。スピード・ディーラーのボスである私の兄は強欲で、より儲けられる土地を探していたのです」
「それを私達に言って。アンタは何を考えているの?」
私の質問に、亜音はそれは……と言いつつもゆっくりと頭を下げる。
神妙な面持ちで、頭を上げながら深く深呼吸する亜音は言葉を詰まらせている。
「その、兄の依頼を受けた貴女にこれを頼むのはどうかと思っているのですが――」
目を泳がせ、自分の手元や蛭雲童や私を何度も見つめ、そして深くため息をつく。
この男は何を考えているのか今の所分からない。
何かに怯えているような素振りを見てているが私達の悪事を暴露する辺り、多分この事は亜光達にはこの事は秘密なのだろう。
そこまで考えて私は一つの予想を立てた。そしてその予想は……。
「――ステアーさん、私は兄の亜光の
予想は当たった。そうでもなきゃ部下も連れずに会いに来て自分達の秘密を暴露したりしないだろう。
しかし何故なのか。何故今なのかが分からない。そして私に依頼する意味も分からない。
蛭雲童の方を見てみると蛭雲童も何言ってんだコイツ……と思っていそうな顔で亜音を見ている。
「なぜそれを私に?」
「貴女が兄から依頼を受けているのは分かっています。だからこそ、貴女に依頼したい!」
亜音は立ち上がるとソファから離れ、突然床に膝をつくと私に向かって土下座をしだした。
額を床に擦り付け、お願いします! と大声で言ったまま動かなくなる亜音。
しんと静まり返る事務所。この状況で子供たちがやってこない辺りやはりみんなは外か。
にしてもこの空気、どうしたものか。
この状態で帰れなんて言った日には秘密を守るためにとかなんとか言って兵隊を送り込まれたりしかねないし。
なるほど、先に自分たちの正体を暴露したのは断りにくくするためか。回りくどい脅しだ。
私がどうするか考えていると亜音は頭を下げたまま喋りだす。
「私はずっと兄に脅されて働かされていました。……私達の父は所謂
「亜光はその研究の手伝いはしてなかったの?」
「兄はその……日頃遊び呆けていて、時折遊ぶ金欲しさに父に小遣いをせびるような感じで」
それだけ聞いてだらしない奴だということが分かった。しかもいざという時に身内すら売るような外道というのも。
亜音の言うことが本当だとするとそんな奴のために仕事をして腹を痛めた事になる。
ふと、ビャクライの言葉が頭に過ぎる。
『貴様が悪に加担するならば正義の名において罰せなければならんのだ』
あいつは、亜光の素性を知っていたのか。商売敵全てを悪と言うとかでないならば奴は知っていたのだろう。
だから戦う前にわざわざ仕事を降りろと言ってきた。そう思えば納得がいく。
どこから
いずれビャクライとは弾丸財宝の噂を追っていればまた会う事になるだろうし、その時にでも聞くことにしよう。
亜音の話を聞いて蛭雲童が気の抜けた様子で息をつくと私の隣に座って湯呑に手をかけ舌を濡らした。
「つまりなんだ、弟のアンタはめちゃくちゃやる愚兄に無理やり働かされて逃げ込んできたって訳だ」
「ただ働かされるだけなら耐えられたでしょう。しかし、あなた達にお話した通り、やらされているのは人を破壊する薬物の製造です。兄は私を利用し、ブリガンドの稼ぎ頭の地位を築くとそのおこぼれを貰おうとした連中と独立して新しい組織を立ち上げました」
「それが、スピード・ディーラー……」
「はい。しかし独立した手前関西エリアは混沌としており、ブリガンド同士での縄張り争いが続く狭い土地でした。限られた縄張りの中での稼ぎだけでは兄は満足できず、組織も大きくなって養うのが難しくなってきた為にこっちにやって来たという訳です。しかし既に薬の売上に満足してなかった兄は新しい金策手段を考えました。兄がマトモな仕事をする筈もなく、目をつけたのが貴女に依頼した弾丸財宝です」
「噂通りのお宝が実際にあれば確かにすげえ儲けになるだろうけどよ。あまりにも博打が過ぎねえか? 組織の頭やってるくせによぉ」
奴隷商人の
組織の責任者の経験がなくともいい加減な奴だなとは思う。
それは亜音も承知らしく自分の事のように恥じている様で、一度だけ頭を上げて私をジッと見ると更に深々と土下座をした。
あまりにも見苦しいのでとりあえず椅子に座れと言ってやると渋々と亜音は体を起こし、トボトボと自分の座っていた場所に戻る。
「こんな事を言いたくはないのですが、そもそも今の部下もあくまで兄から支払われる金やビジネスについて来ただけであって、元から誰かの上に立つような人間ではないんですよ兄は。良いスーツを来て部下を引き連れ、私の作った薬で得た金で女遊び。自分は楽をして甘い汁だけ啜りたいという性根は子供の頃から変わってません。私はスピード・ディーラーを解体し、父の遺志をついで正しく医療に貢献し、ヴィレッジの発展に協力できるような組織へと作り変えたいのです。それにはブリガンドではない強力な戦力を味方にしたい。つまり、ステアーさん。貴女が適任なんです」
「事情は分かったわ。けど依頼人の任務の放棄及び殺害だなんて世間に知れたらそれこそ私達の終わりよ。信用問題に繋がるわ。二度と傭兵業どころかどんな仕事でも雇ってもらえなくなるでしょうね。そこの所はどう考えてるのかしら?」
「貴女は守秘義務を持って兄からの依頼を受けたことは公言していませんね?」
「それはそうよ」
「兄も貴女に依頼した事を私や側近にしか話していません。つまりはかなり限られた人しか知りようのない事なんですよ」
僅かに口角を上げて語る亜音に私は片眉を上げる。
「……つまり?」
「貴女と兄の繋がりを知っている人間全てを消してしまえば良い。知っている人間は全てブリガンドです。私の依頼を受ければどの道戦う羽目になる筈。世間体は守られます」
こいつもこいつでとんでもない事を言う。
ブリガンドの社会に揉まれて考えることが過激になってると言えばそれまでだろうが、兄の素行の悪さを聞くとそれだけかと疑いたくもなる。
そして私と亜光の繋がりを知るのはこの場にいる人と亜光の周りだけではないのだ。
「私の仕事のことを知ってる傭兵が私の邪魔をしてきたわ。情報が漏れているんじゃなくて?」
「その傭兵とはもしかしてカウボーイ風の男と変わったコートを来た子供の二人組ですか?」
当然知るわけのない蛭雲童は私の隣でお茶を飲みながら話を聞いていたが私は亜音の言葉に思わず腰を浮かせてしまった。
「何故それを知ってるの?」
極めて冷静に聞いたつもりだが身を乗り出した時点で私が動揺したのは周りには丸わかりだろう。
亜音も蛭雲童も不思議そうに私を見つめる。
咳払いを一つ、ゆっくりと腰を戻す。
「弾丸財宝の弾薬庫を探すために最初に仕事を依頼したのが実はその二人なのです」
「ビャクライとクロカゼ……」
「知ってるんですか姐さん?」
置いてけぼりの蛭雲童には話しておかなければ。どうせ傷の話をする時には話さなければならないと思っていた。
「ええ、ビャクライには仕事の邪魔をされたわ。この傷も奴につけられた」
私の言葉が言い終わる頃には蛭雲童は席から立ち上がり、握りこぶしを作って鼻息を荒くしていた。
ここに済んでからはなんだかんだ声を荒げる事は無かった蛭雲童は心の底から憤慨しているようだった。
「姐さんを傷物にするとは……許せませんぜ! ぶっ殺しましょう!」
「いずれそうするけど今は話を聞きましょう」
過保護な父親かと突っ込みたかったがそれを言ってしまえば自分が親父で良いんですか? なんて変な勘違いをしそうなので黙ってることにした。
話の腰を折ってしまった事に平謝りして続けてと言うと蛭雲童も亜音に失礼しましたと苦笑いしながら席につく。
その様子を見て亜音は少しだけ緊張が解れたようで蛭雲童に釣られて苦笑いする程度の余裕は生まれたようだ。
「すいません。最初は引き受けてくれたのですが子供の方が私達の身辺調査を行っていたらしく、子供は報酬に期待できると乗り気でしたが男の方が汚い金など受け取れない等癇癪を起こして前金として渡した弾を私達の目の前で突き返すと一方的に契約を破棄してきたのです。兄は口封じに部下を差し向けようとしましたが、その子供、クロカゼだけ戻って来てビャクライが話を漏らさないように説得するから自分だけ雇ってくれと言ってビャクライに渡した前金をそのまま独り占めして帰っていきました」
「つまり、クロカゼだけはビャクライに黙って弾丸財宝を追っている……?」
という事はビャクライは純粋に私にこの件から降りろと警告しに、クロカゼは自分の取り分を取られない為に邪魔しに来たって事か。
しかしビャクライが私との再戦を優先したために私と理緒を始末するのに失敗した。
クロカゼは理緒に対し恨みを抱いているようだし、やろうと思えばアイゴのような殺し方もあっただろうにやらなかった。
きっと理緒を殺すために直接殺しに来るだろう。その時ビャクライも一緒に現れる可能性は高い。
弾薬庫に行けばきっと戦いは避けられない。そして確実にその時は殺しに来るだろう。
理緒を、このまま連れて行って良いのだろうか……。
「なんだかややこしい事になってやすね……」
「ええ全く。最初から全貌が分かってれば絶対こんな仕事引き受けてなかったわ」
ソファの低い背もたれに腕を回して天井を見上げる。
突然の来訪者、叩き込まれる情報の多さに目眩がしそうだ。
どうしたもんかと考えているとそんな私を見て蛭雲童はう~んと唸りを上げる。
「しかし依頼もそうだが亜音さんの依頼を受けたとして? そのビャクライって野郎を早めに始末しねぇとソイツが他の奴らにヤクの売人と
「ビャクライはわざわざ他人の評判を落とすような触れ込みをする程せこい真似をする奴じゃないわ」
きっぱりと言うと蛭雲童は目をパチクリさせて何で? と言いたげだ。
亜音の方は黙って私達を見たまま動かない。
「随分そのビャクライとかいう奴を信用してるんすねぇ。姐さん撃ったのもソイツなんでしょう?」
「殺すのが目的なら背中から撃てば良いものをわざわざ決闘を挑んできて私が決闘を半端に終わらせてしまったのに、私を生かそうと医者を呼びに行ったのもその男よ。そんな奴が人の悪評をベラベラ言いふらすとは思えないでしょう?」
「そりゃあまぁ……しかしそう聞くと本当に変な奴ですねぇ」
「ええ全く」
「まるで姐さんみたいっすね」
突然予想もしてなかった言葉が放たれて思わずもたれ掛かっていた体を起こしてしまった。何言ってんだこの男は。
「どこがよ」
「さあ、どこがでしょうねぇ~」
「アンタねぇ……」
私が呆れていると亜音は少し食い気味に話に入ってくる。
「ビャクライの方は分かりませんが、あのクロカゼとかいう子供の方は何するか分かりませんよ。自分はスピード・ディーラーから仕事を受けた事を隠しながら貴女達の妨害をする為に尾ひれを付けた悪評などを流布しかねない。実際、相棒であろうビャクライには黙って兄の仕事を受けている。少なくとも金の為に手段を選ばない狡猾さはあるように思えます」
その通りだ、ビャクライは野放しにしててもいずれ向こうから決着をつけに来るだろうが、時間をかけていてはクロカゼの方が何してくるか分からない。
私達に直接関係の無いヴィレッジ住民を口封じの為に毒殺するような残忍さと警備隊の規模が大きいヴィレッジ内で殺人を行える大胆さは敵だと驚異としかいえない。
しかもアイゴ相手には人畜無害な子供を装い毒入りの酒を置いていき、正義に拘っているビャクライ相手に従順な相棒をいう仮面を被り、ギャングとつるむ演技力もある。
あの子供は子供と思って侮っていては危険だ。場合によってはビャクライよりも先にどうにかする必要があるかもしれない。
ビャクライもずっと黙ったままでいてくれるかは分からない。私が姿を表さないのに痺れを切らしてなにかしてくるかもしれない。
二人が何処にいるかは分からないが、早い内に倒そうと思うのなら結局亜光の仕事を受けてこのまま弾薬庫に向かうのが一番だろう。
クロカゼは情報を揉み消せたと思っているかもしれないが、ビャクライは恐らく私が弾薬庫に行き着くと踏んでいる。決着をつけたがっている男は多分私を待ち構えている可能性は十分にある。
だが、このまま亜光の仕事を進めていくには嫌な話を聞いてしまった。真偽がどうであれだ。
「私は自分の故郷だった地に勝手に居座った挙げ句にこの地に薬物をばら撒いている貴方達を許せないわ。依頼主に素性も偽って仕事をさせた罪もね。でもそれもひっくるめて全部貴方の言うことを信用する訳にもいかないわ」
私が姿勢を正してそう言うと亜音は途端に立ち上がった。
その表情は驚きと焦りで満ちている。
「この期に及んで何をそんな悠長な事を……!」
唾を飛ばしながら血相かく亜音の顔を見上げつつ、私は次の言葉を選ぶ。
そう、これは仕事の話だ。
既に受けている仕事をクライアント以外の言葉を聞いてじゃあ辞めますなんて仕事をする人間の判断ではない。
「いいかしら亜音さん。こういう言い方は私の好みじゃない。でもこれしか言葉が思いつかないから言わせてもらうわ。今の状況、言ってしまえばクライアントから受けた仕事を自称クライアントの身内だという人間がやってきて中止しろと言ってその上今のクライアントを抹殺する仕事を受けろと言ってきているのよ。それを承知しましたやりましょうって二つ返事で言う程お人好しじゃないし、貴方も信用される肩書きがないわ。身分を証明できたとしても、それで一度引き受けた仕事を部外者からの言葉で中止するようないい加減な仕事をしてないの」
私の言葉に亜音は直ぐに言い返す言葉が出ないのか口を開けたまま固まってしまった。
確かに初対面で亜光は胡散臭かった。しかしそれだけでその人間をどんな人物か判断してしまうのは早計だろう。
「くっ……! しかし……!」
食い下がれないようで亜音は顔を赤くしながらなんとか私に動いて貰うための言葉を考えているようだ。
そりゃあ彼からしたらどんな理由であれ、自分の兄とその取り巻きを殺してくれと言っているんだ。
ここでそれは無理だ帰れなんて言われて帰されたらたまったものではない。
しかし仮に亜光がギャングのボスで、亜音がその弟であるならば単なる権力争いのコマにされているという可能性だって否定できない。
だが本当に亜音は今の環境をどうにかして抜け出したいと思っている被害者だったら、それを信じずに見殺しにしたとなっては胸糞が悪い。
「でもね。私が私の判断でコイツとは仕事できないと思った時は当然契約を破棄する。貴方の兄が、本当に貴方の言う外道であるならばそんなものずっと隠していられる筈もないわ。性格というのは偽っていてもボロが出るというものよ」
仕事を請け負った以上、その最中もその後も責任を持たなければいけない。
だからもし、私の行った仕事が過ちだったとしたら分かった時点でその過ちを正す方向に動けばいい。
過ちは放っておけば当然悪い方へしか発展しない。しかし正すことは出来る。
今私がやっている事について正しいのか、間違っているのかで不安になっていてはそれこそ上手くいく筈もなく、不安が大きくなればいつか動けなくなってしまう。
私が動かなければ、何も変わらない。
「では、貴女の前で兄が尻尾を出したら、その時は私の言うことを信じると?」
「ええ。それまでは亜音さんから聞いた情報は伏せて、今日の事も黙ったまま仕事を続行するわ。そうすればビャクライとクロカゼとも絶対にぶつかる。仕事を終わらせてから亜光の身辺を自分で探って黒だったら貴方の仕事を引き受ける。これならどう? 今までずっとなんとかやってきたのなら、もう数日、耐えられないかしら」
腕を組みながらカチカチと空気を噛む亜音。
しばらく立ったまま考えを巡らせているのを私と蛭雲童が見守る。
勝手に暴走しなければいいのだけど……。そう思っていると床を睨みつけたまま動かなかった亜音はゆっくりと顔を上げた。
「……分かりました。その時はお願いします。前金をご用意することは今の私には出来ませんが、仕事が終わった暁には弾薬庫の中から得た弾を好きなだけ持っていてください」
報酬の話をしている亜音の表情はここに来た時から今に至るまでの中で一番落ち着きのある表情で、眉間の皺も幾分照明に当たっても影が出来ない程度には浅くなっていた。
亜音の言葉を聞くなり隣の蛭雲童は目を輝かせる。
「好きなだけって、マジで良いんですかい?」
「ええ、一回で持っていける分ならいくらでも持っていって良いです。噂通りの場所ならば車いっぱいに積んでも問題ないでしょう」
「……どうしやす姐さん?」
にこやかに笑顔を浮かべながら私の方を見つめる蛭雲童。
まったく、現金な奴だ。
「急に乗り気になったわね。まあ良いわ。亜音さん。次会うことがあればその時が初対面。今日会った事はくれぐれも内密に。貴方の為にもね」
「分かりました。ありがとうございます。それでは私も長居していると
「気をつけて。なんなら裏から出ても良いわ」
「ありがとうございます。それではそうさせて頂きます」
ありがとうございますの言葉と同時に深く頭を下げる亜音。
私はそんな亜音の身を案じつつ蛭雲童に顎で指示を出す。
「蛭雲童、お見送りお願い」
「へい。では裏口に案内しやすね」
蛭雲童が歩きだして亜音もついて歩く。
彼らの背を見送っていると亜音は一度だけこちらを振り向いた。
「ステアーさん。また会いましょう」
「ええ、それまで無事で」
背中に手を回されゆっくりと事務所の裏へと歩いていく亜音の姿を見送りながら私も腰を上げた。
もう一眠りしよう。こっちに滞在中の亜光には明日報告してその足で弾薬庫に向かえば良い。
今はできるだけ休んでおこう。そう思って階段へ足を向けた時、玄関の扉が開かれた。
鍵が開けられる音からしてそれは子供たちの帰宅を意味していた。
「ただいまー」
そう言ってまず入って来たのは理緒だった。
後ろにコロナと枸杞とセバンも続く。
ぞろぞろと中に入ってきた皆はそれぞれ
「おかえりみんな。そんなに買い込んでどうしたの?」
「コロナに帰ってきたらご馳走作ってやるって言ったしね。後肉は燻製にしたり、魚は干して保存しておくんだよ」
そう言いながら白い歯を見せながらニコニコ顔で厨房に籠を運んでいく理緒を見て私は嬉しくなった。
クロカゼの一件からトゲトゲした様子の理緒を少し心配していたから。
しかしよく見ると理緒の頬が少しだけ腫れているような……?
そう思っているとコロナはどさりと事務所のテーブルの上に食料たっぷりの籠を置いてふうを息をついた。
理緒がやや早足で厨房に消えていくとそれを見てからコロナは声を潜める。
「……ステアーが撃たれたって聞いて、ついカッとなって、理緒を殴っちゃったんだ」
「え……?」
「君がいながらなんて不甲斐ないって。でも、そう思ったらそもそもステアーの側にいることも出来なかった僕はなんなんだって思って、直ぐ謝ったんだよ――」
そう言いながらゆっくりとソファに腰掛けるコロナ。セバンは事務所の扉に鍵をかけるとその場の空気を読んだのか枸杞の肩を優しく撫でて「理緒君の所に籠を持っていきましょう」と促し、二人は理緒のいる厨房へ荷物を運び込んで行った。
広間兼オフィスに私とコロナで二人きり。
「――理緒は泣いてた。というか涙だけ流してた。でも直ぐに涙を拭うとさっきみたいに笑顔作ってごめんなって言われちゃって。それで分かったんだよ。ボクよりもきっと理緒の方が傷ついてるって」
「そう……」
コロナの言葉を聞いてその場の状況がなんとなく想像できる。
理緒は明るくて元気であっけらかんとした子に見えるけど、年相応の繊細さもある。その事を忘れそうになる。
けどここの誰よりも明るい男の子なのは間違いない。そしてそれは誰よりも心が強いという事だ。
「コロナ、コロナはそうやって理緒の気持ちに気付けただけで偉いわ。成長したじゃない」
「そうかな」
「そうよ。少し前のコロナだったら相手のそういう隠している気持ちとかには気づけなかったんじゃない?」
「確かに、そうかも……。ありがとうステアー」
そう言うとコロナは腰を上げてテーブルに置いた籠をまた抱え上げる。
一瞬籠で見えなくなった表情が、次見た時には曇りが消え、いつもの涼し気な微笑みを浮かべていた。
大人びた笑みを見せつつ、透き通るボーイソプラノでそっと囁く。
「いつか、誰よりも強い人間になってみせるよ」
それだけ言ってコロナも厨房へ走っていった。
一人になった室内でコロナの囁いた言葉を反芻する。
誰よりも強い人間に、か……。
もしかして、私の心を読んだのだろうか? いやまさかね。
そう思っていたら亜音を見送っていた蛭雲童がコロナがいなくなったのを見計らっていたようなタイミングで戻ってきた。
「まったく、コロナ君はマセちゃってまぁ~生意気な。でもああいうスカした態度も悪くないっすけどね」
「あんた……話聞いてたの」
「へへっ。黙っておきますよぉ、そこまでデリシャスの無い人間じゃないっすから」
「デリカシーね」
「こりゃ失敬!」
色々面倒な事が続くけれど、生き抜いていけたらきっと、ここの未来は明るいと思う。
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