第12話 生還者
「おい、どうなってんだこりゃあ……!」
声を殺しながらも驚きの声を漏らすバヨネット。
その前には義足の男。苦悶の表情のまま硬直した顔は青白く、瞳は濁っている。
死んでいるのだ。
他人の死自体はバヨネットなんて飽きるほど見ている筈なのだが今回は状況が状況だった。
バヨネットの後ろで一歩引いて一部始終を見ていた私も理緒も驚きのあまり声も出ない。
「バヨネット、一体何を……」
「俺は何もしてねえぞ。聞く事聞く前に殺すかよ」
******
時は少し前に遡る。
義足の男が通う屋台のマスターに初対面で交渉困難な雰囲気になってしまった為、バヨネットに情報収集を任せていた。
バヨネットとの約束の場所で待ち、そして合流後直ぐに行動を開始した。
空を見上げればもう夜だった。
雲が無ければ満天の星空が拝めただろうに、今は曇り空。月が雲越しにぼんやりと見える。
外を歩く人の数も減ってきて、道を行く警備隊の顔ぶれも夜勤の人間に変わっていた。
「よくあの頑固そうな店主から情報を引き出せたわね」
私の言葉に隣を歩くバヨネットは横目で私を見る。その顔には思いっきり〝呆れた〟と書かれている。
「お前、あの程度のジジイから情報の一つも引っこ抜けないとか今までどうやって生きてきたんだ?」
「……人助け?」
「お前を見てるとブリガンド相手にも仕事して食ってきた自分が馬鹿に思えてきてクソムカつくぜ……」
思いっきり舌打ちするバヨネットに理緒はフッと鼻で笑う。
「道から外れたような連中に手を貸すからまともな生活が出来なかったんじゃないの?」
「人殺しに道を外れるもクソもあるか。俺もお前もステアーも真っ当な人間の道からは外れてンだよ。テメェだけマトモみたいな事言ってんじゃねえ」
「僕やステアーは人の為に戦ってるんだ」
「ククッ……誰かの為になら人を殺しても良いってのか。ご立派な
「っ……!」
「二人共こんな所で言い争いしないで。バヨネット、大人気ないわよ」
ああ言えばこう言うという感じの二人の間に文字通り入っていたのでやめさせようと口を出したがその言葉にバヨネットは苦笑してみせる。
冷たい視線が私を見下ろす。
「理緒を一人前と認めてるんだったら俺だけに言うのは結局
「売り言葉をわざわざ買うのがガキだって言ってるのよ……それより情報、早く教えなさいよ」
仕方ねえなとバヨネットは煙草を取り出し一本を口に咥え、オイルライターで火を点けた。
夜の帳の中を白い煙が上って溶けていく。
一度煙を吐き出すとバヨネットは話し始めた。
「義足男の名前はアイゴ。羽振りの良い義足の男はあの店の常連だったが義足になったのも羽振りがよくなったのもここ最近の話で、それまではツケで飲むぐらいの貧乏傭兵だったらしい」
「傭兵だったの? じゃあバヨネットはそいつの知ってるの?」
「俺ぁ別に業界の情報通って訳でもねぇぞ。でもまぁ横浜ヴィレッジは長く滞在していた方だが一度もそんな名前聞いたことねぇし、傭兵って言っても
バヨネットがそこまで言った所で理緒は首をかしげた。
「その程度の奴が急に羽振りがよくなったの?」
「ああ、ある日急に店にやってきて『今までのツケを全部払った後これで大手を振って飲みに来れるぜ』とか言ってその場で酒も飲んで帰ったぐらいだから衝撃的だったってジジイが言ってた」
「もしかしてそのツケの支払いも……?」
「妙に綺麗な銃の弾だったそうだ。しかもどれもライフルに使うようなやつで弾種も統一されてたと。その時には既に義足だったらしい。突然どうしたとジジイが聞いたら『仕事で弾丸財宝の在り処を探して見つけてきた』と言ったんだとよ。その時はこの事は内緒にって話だったらしいが」
「自分が酔っ払って言いふらしたと」
「馬鹿な話だよなぁ」
珍しく理緒とバヨネットは顔を見合わせ笑っている。
普段からその位仲良くしてくれればいいんだが。
「弾丸財宝の噂に出てくる弾薬庫を見つけてそこから取ってきた物なら色々話は聞けそうね。ところでバヨネットは何故あの場所に?」
「この前あった時に話した薬物の事は覚えているか? あれを追ってたらどうやらその義足男が売人をやってた事があると聞いてな。あそこの常連らしいから覗きに行ってみたらお前らがいたってだけの話だ」
「私にとってもバヨネットにとっても重要な情報源って事ね」
「ああ、たっぷりと絞り出させてやるさ。薬物売ってるようなクソ野郎だ。どうやって情報を吐き出させようが文句はねぇよなぁ?」
「売人をやってた事実が本当ならね」
私がそういうとバヨネットはゆっくり煙を吐き出し、茶髪をかき上げた。
「お前が手荒な聴取を許可するとはな。漸く地上でのやり方ってのが分かってきたか」
「別に私は平和主義者ではないわ。必要だと思ったら殴りもするわ」
「……そうかい」
何か含みのある言い方だったがまあいい。
バヨネットの歩く方向について歩けば、何処にでもあるようなオンボロの建物の前に辿り着いた。
鉄板や木材の端切れを組み合わせ、鉄パイプと紐で組み上げた平屋。
申し訳程度に暗く艶のない青色に塗装されて統一感だけはあるように装っている。少し大きいが、何処にでもある建物だ。
急に羽振りが良くなったとしてもその住まいは急に変わらないか。
建物の外側を観察しているとバヨネットはずんずんと前へ出ていき、玄関扉に手をかける。
「いるのは分かってんだぞ。鍵を開けて歓迎してくれるってんなら殺しはしねぇ」
「ちょっ、いきなりそんなんじゃ開けてくれるわけ……」
理緒が思わず声を出すがバヨネットは振り向くこと無く「マジで殺すわけねえだろ。脅しだ脅し」と声を抑えながら言うと、音も無く懐から銃剣を抜く。
銃剣を手に、空いている手でドアノブに手をかけると鍵がかかっているのを確認すると私が交渉するのも待たずに閉ざされた扉を思い切り蹴破った。
木製の扉はいとも容易く吹き飛び、蝶番が歪んで壁の一部と一緒に床に倒れ込んだ。
「な、なんなんだテメェ!」
扉が破壊されたと同時に家の中から叫び声がした。男の声。アイゴだろうか。
バヨネットは倒れた扉を踏みつけながらどんどん中へ入っていく。
「邪魔するぜ」
「ふざけんなテメェ!」
私と理緒も急いで中へ入った。
その時、部屋の奥にいた男は既に銃を抜いていた。
反射的に私も銃に手をかけたが既に銃を抜いて構えている人間より早く撃てるわけもなく、男は怒りの表情でバヨネットに向かって引き金を引いた。
ダンッ――!
一発の銃声と同時に聞こえたのは耳障りな金属音だった。
バヨネットは傷一つ無く、何事もなかったかのように男ににじり寄る。
男の放った銃弾はバヨネットに届く前に銃剣によって叩き落され地面にめり込んでいた。
恐ろしく速い銃剣捌きと無駄のない動き。バヨネットの動きはまるで片手で銃剣を構え直しただけのようだった。
つまりもしまた撃たれても直ぐに弾き返せる状態にあるという事。
私も以前バヨネットと戦った中でこのありえない動きで銃撃を尽く防がれた事があったなと妙に懐かしさを覚えた。
銃を持つ男はガラクタの寄せ集めではないオーダーメイドの義足をつけていた。そりゃ義足が特徴になるはずだ。こんな良い物を付けてる奴なんてそういない。
右足のヒザ下から綺麗なモスグリーンに塗装を施された義足は本物の足のような流線型で、しっかりと
この男はアイゴに間違いない。
エラが張った台形頭の男は義足だけがやたら立派で、身なりはとてもじゃないが裕福な人間とは言えないものだった。
無精髭の間に剃りをミスった傷跡がいくつも見え、髪はボサボサでフケが積もっている。さっきも銃を撃った衝撃でフケがそこらで舞っていた。
黒いジャケットはヴィレッジから支給される物で見慣れた物だが袖や裾がほつれ、穴の空いた場所から綿が見え隠れしている。
「なんなんだテメェらは!」
「話を聞きに来ただけだ。殺しはしねぇよ……だが、次また撃ってくるようならもう一本義足が必要な体にしてやるが」
「ヒッ……」
バヨネットがアイゴに恫喝に周囲を見渡す。
噂の弾薬庫から大量の弾薬を持ち出したのなら、
薄暗い部屋だ。さっき寄った……なんて店だったか、ソテツの店よりは広い。
広い部屋の中央にタイヤと板を重ねただけのテーブル。その上に乗ったランタンは部屋の隅まで明かりを届けられていない。
ランタンの明かりで幾つもの酒瓶が影を作って、暗い部屋をより暗くしている。
私は酒に詳しくないがソテツの店のような場末の飲み屋に未だに通ってるようだし質より量なのだろう。
「よ、よく見たらアンタ、バヨネット! 神奈川で最悪の傭兵!」
「神奈川で? そんな狭い中に収まると思われてるってんならナメられたもんだな。なぁオイ」
「クソッ、今日は意味分かんねえ奴ばっか来やがる! なんなんだクソが!」
「ごちゃごちゃうるせえ。こっちの質問に答えたらさっさと帰ってやるよ」
「わ、わかったわかった……」
アイゴが大人しく話をする気になったらしい。その流れで私が前に出る。
「まずは私からよ。いいわね」
「順番なんてどうでもいいから良いがさっさと済ませろよ」
バヨネットの視線を背に受けながら、私はアイゴに話しかけた。
アイゴは赤錆まみれのパイプ椅子に腰掛けるとテーブルの上の未開封のボトルに手を付けた。
コップなどもなく、栓を抜くと直接口をつけてグビグビと飲みだす。
「お前も飲むか?」
「いや、私は飲まない。それより貴方が弾丸財宝の噂に出てくる弾薬庫を見つけたと聞いたわ」
それを聞くなりアイゴはやっぱりかと言いたげな様子で嫌そうな顔をする。
「お前もか。内緒にしておくつもりが、飲んだ勢いでポロッと一回漏らしちまったらこれだ」
深くため息をつくとよれよれの煙草に火を点けると口の端から煙を逃した。
話し方も慣れてますってよりも言い疲れてうんざりって感じだ。
「どいつもこいつも、俺が金を持ってると分かった途端奢れだなんだとたかりやがる。……でもお前、なんか奢れって感じじゃねぇな」
「ええ、私は直接弾薬庫の場所を知る必要があるの」
「……おめぇ、乗り込む気か? やめとけやめとけ。俺みたいになるぞ」
言いながら義足を指差すアイゴ。
「その足、弾薬庫に何があったの?」
「警備システムがまだ生きてやがったのさ。あの機械音声の気味悪さは今でも覚えてるぜ。『不法侵入につき排除します』だとかなんとか。あれのせいで機械全般が嫌いになっちまったぜ。全く何が不法だ守る法律なんざもうねぇだろうがよ」
「場所は?」
「タダで情報やると思ってんのか?」
まぁ、そう来ると思った。
しかし手持ちもそんなに無い。
「情報が本当なら中から手に入れた弾を分けてあげる。その足じゃもう一度忍び込むなんて無理でしょ。話が本当だったら分け前をあげるわ」
「お前、マジか?」
「報酬の話で嘘はつかないわ。傭兵事務所の信用もあるし。私がバックレたら分け前も渡さない事務所だと言いふらして構わないわ」
ほーんと言いながら顎髭を撫で、思案しながら宙を眺める。
場所の情報がいくらするのかの金勘定だろうか。
あまりにもぼったくるようなら手を考えないといけないかもしれない。
そして私の顔をジッと見据えると黄ばんだ歯を見せながらニヤリと笑った。
嫌な予感しかない。
「よぅ見たらお前中々良いツラしてんなぁ、一発かましてみてぇくらいによぉ……くくくっ」
「な、なんですって……」
「俺は気の強そうな女が好きでなぁ。そのキリッとした眉毛、人を射殺すような迫力のある青い瞳。たまらねぇぜ……決めた。金はいらねえから今晩――」
アイゴが言い切る前に突然背後から銃声が鳴り、テーブルの上に置かれたアイゴが開けたばかりの酒瓶が砕け散った。
反射的に振り返るとそこには拳銃を抜いた理緒の姿があった。手にした銃からは硝煙が上っている。
銃口はアイゴの方に向けている。
「調子に乗ると、次はお前の頭が酒瓶と同じようになるぞ……」
声変わりもまだな少年にも関わらず低く唸るような声には私も迫力を感じさせた。
あの理緒が、割と本気でキレている……。
あまりの豹変ぶりにバヨネットはまるで他人事のように口笛を吹いた。その顔には見直したと書いてある。
アイゴは弾けた酒瓶の中身が服に引っかかってびしょ濡れになっている。しかし銃口を突きつけられ椅子に座ったまま服を拭いもせず固まっている。
「金は出すと言ってるんだ。ついでに今の酒の金も乗っけてやるからさっさと言え」
「だってよ。ガキに殺されたってんじゃ死んだ上に横浜中の笑い者確定だなぁ」
くつくつと肩を震わせ笑うバヨネット。
今の時点で私の前で男の
アイゴの方を見ると悔しそうに下唇を噛み締めている。今にも噛みちぎりそうだ。
「わあったっよ! だが
亜光から貰った依頼の前金の倍……随分ふっかけてくるが、致し方ない。ここでケチったら詰みにもなりかねない。
「ええ、良いわ。で、場所は?」
「〝新宿〟さ。新宿駅の近くに公園がある。デカい公園で側には軍の学校があるから行けば分かる。その公園の地下に旧文明弾薬庫が今でも弾の保管を続けている」
「三世紀も弾を保管できるものなのかしら……?」
「ちょっと待ってろ」
アイゴはそう言い立ち上がると部屋の隅にあるベッドに近づき、その下から黒いケースを持ってきた。それをテーブルの上に慎重に乗せる。
自然と理緒もバヨネットもテーブルの周りに集まってきた。
テーブルに置かれた黒いケースは縦三〇センチ、横三〇センチ、奥行き五〇センチ程度の大きな箱で、表面はなんのプリントもされておらずのっぺりとしており、上には取っ手がついている。
その取っ手はケースに埋め込むように付けられており、恐らく積み上げても安定するような作りなのだろう。
アイゴは取っ手を掴むと時計回りに捻り、上に持ち上げると蓋部分が動き出し、その中身が明らかになった。
「これが、弾薬庫の中にあった弾薬箱……」
息を呑み、覗き込む。
中は外見より狭く、ケース自体が厚みのある箱だというのが分かった。
三センチ程度の厚みがあり、まだ手のつけてない弾が半分程詰まっている。
「最初は衝撃吸収材でも仕込んであるのかと思ったんだが、どうやらそうでもないらしい。蓋を締めると自動でなんらかの仕組みで中身を長期保存できる仕組みらしい」
形は違えどこの長期保存の技術はシェルター型ヴィレッジや軍用施設の保管庫等で見たことがある。食料品等も保存できる技術だ。
開け閉めが簡単で、中に物を入れて蓋すると自動的に保存機能が働く仕組みだ。
ここまで飾り気のなく外見で何が入ってるか分からない物を見るのは初めてだった。
「一箱で数え切れねえほどの弾が詰まってやがった。その辺にある奴をひっつかんで命からがら逃げて来たわけだが、こんなのがあそこには何千何万とあった、間違いねぇ」
「間違いないわね?」
「自分の足失った事をわざわざ嘘ついたりしねえ。俺だって片足無くなっただけで済んだのは奇跡みてぇなもんだったんだ」
「どんな場所だったのよ……」
「人間が機械で地獄を再現したらああなったって感じだ。依頼人と俺と同じ雇われた連中で乗り込んでいって、助かったのは俺だけ。真っ先に乗り込んでいった奴が目の前で肉片も残さず赤い霧になって消えちまった時はマジで死ぬかと思った」
ケースに蓋をして、再びベッド下にケースをしまうと椅子に腰掛け、嫌な記憶を思い出すように苦い顔をしながら自分の義足を撫でている。
「おいステアー、もういいだろ。俺の番だ」
バヨネットが前に出る。ドカドカとアイゴの前まで詰め寄ると抜いていた銃剣を目の前に突きつけた。
「お前、この辺で最近出回りだしたSDDとかいうヤクの売人やってるって話を聞いたんだが?」
「あ? エスなんだって?」
アイゴはとぼけて見せているが私にも、きっとバヨネットにも分かってる。絶対に何か知ってるって態度だ。
明らかに目を逸らし、話し方もなんだか歯切れが悪い。
今までの流れで私達がその程度の演技で逃れられると思ったのだろうか。
そう思っていた矢先にバヨネットは突然銃剣を逆手に握り、椅子に座っていたアイゴの膝に突然突き刺した。
「ぐっ! ぐあああああ!?」
「バヨネット!?」
「下手なウソはやめろ」
銃剣を引き抜くと血がべっとりついた刃をアイゴに見せつけるように向けた。
「お前が刃物に血を吸わせる趣味があるなら手伝ってやるが?」
「わ、わかった。そうだよ! 金が欲しくてやった!」
あっさり白状するアイゴにバヨネットは軽蔑を込めて鼻で笑う。
「何処の誰から頼まれた? SDDとはなんだ?」
「あんたら、〝スピード・ディーラー〟って連中知ってるか? ヤクが欲しい奴に素早く届けるっていうのがモットーなドラッグの製造販売を行っているギャングだよ」
「ギャング……ブリガンドと違うのか」
「似たようなもんだが、もっと組織化されてる。頭が良い頭がいて、自力でヤクを作れる施設と技術を持ってる。そして秘密主義な連中だ、俺だって連中の詳細は知らねえ」
それを聞いてバヨネットは大きな舌打ちをすると刃をチラつかせる。
あまりの殺気に見ていた私の背筋がぞくりと冷えた。
ただ彼の背を見ているだけなのに、迸る怒りが伝わってくる。
「ま、待て待て。知ってることは全部話す! SDDってのはスピード・ディーラー・ドラッグが本当の名前だ! それも売る相手には教えねえ。だからエス・ディー・ディーって呼び方が一般的な物になって、売る側もスピード・ディーラーを名乗らないし、買う側も相手がそんな組織の連中だと分からねえ。売る役は俺みたいな何処にでもいるような金を欲してる貧乏人を雇うからな! つまり組織内の情報は一切知らねえ。これは本当だ!」
「じゃあ組織についてはお前を雇った奴から聞く。お前を雇った奴は何処のどいつだ」
「そ、それは――」
アイゴは流石にそこまで話せないのか言い淀む。しかしそれも僅か五秒かそこら。
五秒も待てずにバヨネットはアイゴの胸倉を乱暴に掴み上げる。
「早く言え。横浜中のSDDを回収してテメェの体に詰め込むぞ」
「――くっ、わ、分かった! そう急くな! 俺を雇ったのは……」
話し始めたアイゴ。しかし急にアイゴは目を見開き、吐血した。
「ゴハッ……!?」
「な、なんだオイ!」
「なんなの!?」
「え? え?」
慌てて胸ぐらを掴んだ手を話すバヨネット。
アイゴは苦しそうに自分の胸を掻き毟り、地面に倒れるとバタバタと足をバタつかせて血の泡を吹く。
何が起きている……?
目の前で突然血を吐き、もがき苦しむアイゴを私達三人はただ呆然と見ているしか出来なかった。
「コッ……コオッ……!!」
何かを言いかけているも最早意味のない声にしかならず、ゲッ! と大きな声を漏らしたアイゴは動かなくなった。
静けさが戻った家の中、バヨネットがアイゴに近づき、しゃがみ込むと手首を握り脈を計る。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
「死にやがった……」
力なくぼそりと呟いたバヨネットはこちらに振り向く。
表情は固く、無表情に近い。しかし動揺しているのは分かる。きっと私も似た表情をしているのだろう。
「おい、どうなってんだこりゃあ……!」
声を殺しながらも驚きの声を漏らすバヨネット。
他人の死自体はバヨネットなんて飽きるほど見ている筈なのだが今回は状況が状況だった。
バヨネットの後ろで一歩引いて一部始終を見ていた私も理緒も驚きのあまり声も出ないようだ。
「バヨネット、一体何を……」
「俺は何もしてねえぞ。聞く事聞く前に殺すかよ」
確かに、あの苦しみようは銃剣で刺されてするものではない。
私とバヨネットが困惑したまま見つめ合っているとその横を理緒が通っていく。
無言のまま、膝立ちになると死体となったアイゴの顔や体を調べている。
「理緒……?」
「この死に方、知ってる」
ハッキリとそう言い切った理緒は険しい目つきで死体を見下ろす。
ゆっくり立ち上がるとわなわなと握りこぶしを震わせている。
「少年部隊にいた頃に使われてたやつだ。キルヘビっていう毒蛇の毒液を幾つかの薬草で臭いや味を取り去って飲み物とかに混ぜてターゲットを殺す……」
そう言いながら理緒はテーブルの上の銃で撃ち抜いて砕いた酒瓶を見つめる。
そういえばアイゴは言っていた。〝今日は意味分かんねえ奴ばっか来やがる〟と……。
私達が来る前に誰かがアイゴに会いに来ていたのだ。そして、多分だが私達のように情報を聞き出し、そしてその情報代として酒を渡した。
その酒に仕込んでいたということか。私達のような後続に情報を渡さないように。
「その毒の作り方は理緒のいた所にしか伝わってないの?」
「多分。暗殺の技術は外に漏らさない決まりになっていたから。そして今、僕らの邪魔をするそういう奴と言えば、一人しかいない」
「クロカゼ……」
あの少年。とんでもなく厄介ね。他人に情報を渡さないために平気で他人を殺すような奴を追いかける形になるのね。
趣味じゃないけど、また戦うことがあったら容赦は出来ない。
「クソが……」
唸るように吐き捨てたのはバヨネットだ。
そりゃ言いたくもなる。情報を吐かせる前に情報提供者が血を吐いて死なれてしまっては捜査も振り出しだ。
少し前の私達と同じように。
******
アイゴの家から出て、真っ直ぐ警備隊の詰め所にアイゴの件を話すと担当はやる気なさげに対応し、私達は疑われることもなく簡単な聴取だけ受けてそのまま開放された。
ヴィレッジの住人とは言え、スラム地区の一人の貧民が死んだ位では警備隊もいちいち真面目に対応する気はないという事だろう。
もしくはバヨネットの顔を見て手に負えないと判断したか。どっちにしろ警備隊の怠慢はどうかと思うが今回はそれに救われた。
「お前らの邪魔をするつもりだったらしいが、結果的には俺の邪魔をしたわけだ」
誰が見てもイライラしてるのが分かる程に眉間に皺を寄せ、咥えた煙草を噛み潰しそうな形相のバヨネット。
埃の臭いがする風に吹かれ、闇夜の中に光るバヨネットの瞳。まるで狩りをする前の狼のようだ。
「出会うことがあったらたっぷり躾してやらねぇとな……」
「あいつは自分が得をするためならどんな卑怯な手を使う。もし戦うことがあったら注意した方が良いよ」
忠告する理緒にバヨネットは顔に作った皺を緩めるとフッと笑いながら煙を吐き出した。
「卑怯な手とやらを使わせる前に、殺っちまえばいいんだろ?」
簡単に言ってのける彼だが直接戦った私なら分かる。
この男は以前仕事と勝負を分けて考えているような事を言っていた。
私がバヨネットと初めて出会った時はいきなりの戦闘だった。それなのにこの男は次会った時には平気な顔をして私に話しかけてきて個人的な因縁が無ければ殺り合わないとドライな態度をとっていた。
つまり、殺そうと決めたならどんな相手だろうと絶対に殺すだろう。その力をこのバヨネットという男は持っている。
「私達と一緒に来る? そうすればいずれクロカゼとは出会えると思うわ」
「そのクソガキには殺すが、お前らの仕事に付き合うつもりはねえよ。それに東京周辺の寒々しい空気も好かねえしな」
「好き嫌いで行く行かないを決めるのかよ」
「お前らが受けた仕事ぐらいお前らだけでどうにかしろ。……じゃあな」
突き放すようにバヨネットがそう言うと一人、夜の街へ消えていった。
コートを靡かせ歩くその後ろ姿を見送って私は少し残念だと思っていた。
たちの悪い方の人間である事は間違いないが戦いでは頼りになるのは間違いないからだ。
でも私の隣にいる理緒はそこまで残念がっていないようで、口をへの字にしながら腕を胸の前で組んでいる。その目はもう見えなくなったバヨネットの背を見ているようだ。
「もう遅いし、今夜は何処かに泊まって一度事務所に帰りましょ」
進展があった上、そろそろ途中経過を依頼主の亜光に報告した方が良いだろう。
なんの連絡もなくサボってると思われても癪だ。
私が声をかけると理緒は振り向いて漸く強張った表情を緩めてくれた。
「それなら教会に行こう。シスター・アイクチに話せばきっと空き部屋くらい貸してくれると思うし」
「迷惑にならないかしら」
「そこらの防犯対策がちゃんとしてるかも怪しい宿に泊ったり車の中で寝るよりはシスターに頼み込んで泊めて貰った方が良いと思うなー。それともバヨネットや火野さんの家に転がり込む? 安全ではあると思うけど」
「……教会、行きましょ」
「うん」
歩き出した私の手を理緒が握る。
私の顔を見上げる理緒の瞳からはもう怒りや憎しみは消えていた。
まだ柔らかな理緒の手を握り返し、私達は夜の横浜ヴィレッジを歩く。
月も雲に隠れがちの夜だというのに、教会のビルはところどころ明かりが点いていてその高さも相まって昼よりも目立って見えた。
人通りも少なくなり、夜の空気が涼しいとぬるいの間を行き来する。
そんな中で確かな温もりを手に感じ、今日もなんとか生き延びた事を実感することが出来た。
「まだ痛むでしょ」
「痛いけど平気よ。それに、いざって時は守ってくれるんでしょ?」
私が理緒にそう言うと、理緒はきゅっと握る手の力を強めた。
「うん」
それは短くて小さな返事だった。
けれどその言葉が、今どんな言葉よりも頼もしく感じた。
理緒、ありがとう。
でもね、私はもう倒れない。
そう決めたから。
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