第11話 口伝を辿って

 目覚めた時、そこは見慣れているようで知らない天井だった。

 文明崩壊前に建設された超大型核シェルター〝ヴィレッジ〟は一つの企業の持つ言わば商品名みたいなものだった。

 それがいつしかシェルターであるなし関係なく集まった人間の生存圏全てを指すようになった。本来の使われ方に戻ったと言うべきか。

 一つの企業が作った量産型シェルターだから、何処に行ってもその内装のデザインは殆ど同じ。

 だから、一瞬ここは川崎ヴィレッジなのではないかなどという幻想を抱いてしまった。

 そして現実を直視し、ああ、違うのか……と手の甲を額に当てて深く息を吐いた。


「ステアー……?」


 声がしたので頭だけ動かして声の方を向けばそこには理緒の姿があった。

 良かった。目立った怪我はないようだ。

 その声に応えるためにゆっくり上体を起こそうとして、お腹に痛みが走った。


「理緒。無事だったのね。……っ!」

「大丈夫!? 無理しないで寝てて。ステアー撃たれたんだから」

「そうか、私……」


 ああ、そういや撃たれたんだっけ。

 じゃあなんで私は生きているのだろう。まあ、そんな事考えていても仕方ないか。

 生きているなら、まだ生きれるという事だ。

 思わず口元が緩んだ。生きているならまだ生きれるってなんだそれ。


「ステアー、笑ってるの?」


 心配そうな顔をして顔を覗き込んでくる理緒。私は今出来る限りの笑みを浮かべながらそっと手を伸ばし、その茶髪を撫でた。


「理緒の顔を見て安心しただけ。私は大丈夫よ」


 大昔、ヨーロッパの方で機関砲に足を吹き飛ばされたにも関わらず即座に戦線に戻ろうとするほど勇猛な軍人がいたという。

 爆撃機のパイロットだったその軍人は何度撃墜されても這い上がって帰還し、再び戦場へ戻っていったらしい。

 そんな人間もいるのなら、急所から外れた弾を一発食らっただけで死んでられない。

 理緒やコロナ、枸杞を置いて先に死ねない。蛭雲童は……ああ見えて強かだし大丈夫だろう。バヨネットは……心配するまでもないか。

 本当は死ぬかと思って私はあの時何故あんな事をしたんだろうと後悔した。

 でも、それが理緒を救う事に繋がった。そして私は生きている。

 ならもうそれでいい。生きているなら前に進める。


「ねぇ、ステアー」


 理緒は浮かない声で私を呼ぶ。

 眉をハの字にさせしょぼくれた表情と弱々しい視線が私の目を見つめる。


「なに?」

「えっと、その……」


 声をかけながら手招き。理緒はおずおずとベッドの横までやってくる。

 靴の先で床をぐりぐりして足首を回すような仕草。

 それは川崎ヴィレッジに住んでいた頃によく見た姿だった。

 いつも元気で、明るい理緒だけど、人に頼ったりするのが苦手で、相談事もあまりしてこなかった。

 どうしてもって時でも、こうして申し訳無さそうにしながら言い淀んでしまう。

 だから私は言うんだ。


「大丈夫よ。困ってる時は私に頼りなさい。……悩みは抱えてる時間の分だけ損するわ」

「う、うん……! だけど、僕いつもステアーに助けられてばかりで」


 それは違う。私みたいな人間には理緒の存在は大切で、いてくれるだけで助けられてる。

 でも今それを言ってもきっと理緒にはよく分からないと思う。この思いは、言わなくても良いだろう。

 父の言葉を思い出す。好きに生きろという言葉。でも私自身に大きな野望や野心は無かった。

 生きるだけで必死。そんな中で何かを成したいという志を抱く余裕なんて無かったから。

 私は気づけば〝誰かの為〟じゃないと動けなくなっていた。

 だから理緒、貴方は私に生きる意味を与えてくれる。

 こんな事、重いだけだから言いはしないけどね。


「理緒。心を鬼にして言うけど、私も意味もなく助けてるわけじゃないのよ」

「……どういう事?」

「私達は今までは家族みたいなもの、姉と弟みたいな。そして今は同じ仕事をする仲間。命を預ける仲間がいざって時に悩みで手元が狂ってしまったら困るわ」

「う、そ、そうだね……」


 それっぽい事を言ってみただけだが、実際そうでもある。

 理緒が話す気になるのが重要だ。


「そ、その……ステアーが眠ってる間に火野って人に会って」

「火野……ああ、あの狙撃手スナイパーね」


 川崎ヴィレッジを襲ったブリガンドを一掃する時に手伝ってくれた男だ。

 あまり話した事はなかったが、歯に衣着せぬ話し方をする奴だったと思う。

 きっと手厳しい事でも言われたのだろう。


「私も少し話したことあるわ。それでどうしたの?」

「その、今ステアーが言ったことと同じ。クロカゼって名乗ってたアイツ、アイツとは孤児院にいた頃からちょっと色々あって、アイツと会ったせいか色々思い出しちゃって」

「色々……?」


 理緒は私と分かれ孤児院に預けられていた時に起こった事をぽつりぽつりと話してくれた。

 将来のためにと銃の扱いや格闘、戦い方を教わった事。暮らしの中でのクロカゼとの関係やアスンプトの野望、反逆、最期……。

 理緒はブリガンドをヴィレッジに迎え入れてヴィレッジの壁を崩し、文明崩壊前の法と秩序を取り戻す運動とかいうのに参加してそういう世の中を目指せばこうして戦って金を稼ぐ仕事をしなくて済むのではという事だった。

 もしこれを蛭雲童とかが言い出してたら何言ってんだ馬鹿とでも言って一蹴してやる所だけれど、相手は十三歳の繊細な心の持ち主だ。

 私の口からそういう言葉を投げても余計悩ませるだけ。正しいか間違っているかは問題ではないんだ。

 理緒は今〝答え〟を欲しがっている。私の口から。

 不安げな眼差しで見つめる理緒の顔を見ながら、私は今出来る限りの言葉を探す。

 

「なるほど。つまり文明崩壊前の秩序をアスンプトと一緒に強行して取り戻していたら私なんかの傭兵が戦わずに生きる道もあったんじゃないかって事で悩んでいるのね。自分の過去の選択が過ちだったのではないかって」

「うん……そしたらステアーも傷つくこともなくなるのかなって」


 あくまで自分がじゃなく、私がなのね。


「本当にそんな秩序ある世の中になるとしてもそんなの直ぐになるわけじゃない。横浜ヴィレッジ周辺だけでもそういう風な社会にするだけでも何年もかかるようなものだと思うわだから今回の事はどう転んでも起きた事だと思うわよ。だから理緒は後悔しなくていい」

「そう、かな……」

「そうよ。それにね、きっとそういう多くの人が武器を持たなくていい争いの少ない世の中になったとしても、私はきっと警備隊か何かをやってると思うわ」

「なんで?」

「その道しか知らないからよ」


 本当にそうなのだ。理緒は料理の腕がある。それこそ店と従業員がいればそのまま開業してもいいレベルの腕だ。

 蛭雲童も元ブリガンドとはいえ奴隷商人をしていた時の交渉スキルがある。のらりくらりやっていけるだろう。

 でも私やバヨネットは違う。バヨネットはどうか知らないけれど私は幼い頃から銃の扱いと過酷な環境でも生き抜く方法だけを教わり、銃を一人で撃てるようになったら直ぐにヴィレッジの探索隊や警備隊に混じって仕事の手伝いをさせられてずっと何かと戦う事だけで生きてきた。

 だから、今更他の生き方をするっていうのは難しい。


「そんな……」

「私が怪我するのがそんなに辛い?」


 そう聞くなり理緒は頬を膨らませた。


「当たり前だろ!? ステアーは僕にとって大切な人なんだ! 傷つくのも死にかけるのも嫌だよ!」


 少し意地悪だったか。

 理緒は本気で心配してくれているのに私は余計に心配させるような事を言ってしまった。

 痛いくらいに伝わる理緒の想いは私なりに分かっているつもり。

 でも、私は私の生き方がある。


「じゃあ、次からは怪我をしないようにしないとね」

「え……?」


 まだ腹の傷が痛むが寝っぱなしでいるわけにもいかない。改めて自分の病室を見渡し、ベッドから出て立ち上がる。


「ちょ、ステアーまだ寝てた方が」

「ずっと寝ていたら体がなまっちゃうわ。私の服はどこかしら」


 起きて直ぐ理緒の事で意識してなかったがよくよく自分の姿を確認する。

 服は引っ剥がされ、綺麗な包帯と寝間着に着替えさせられていたがこのまま外に出るわけにもいかない。

 とりあえずベッド横の引き出しやクローゼットを開けて服を見つけ手にかける。

 後ろで理緒があわあわしているけど理緒の言うことを聞いて寝てたらいつ動けるか分からないし、少し無理を通すぐらいで丁度いい。

 服を手に取り、部屋干しの臭いが染み付いた寝間着を脱ぎ捨てベッドに放り投げるとその瞬間、理緒が小さく悲鳴を上げた。


「ちょ! 急に着替えださないでよ! 出てくから!」


 慌てた様子でバタバタと部屋から飛び出していく理緒。

 その背中を見て思わず笑ってしまった。


「今更着替えくらいで大げさね。ふふっ」

「だー! うるさいな! さっさと着替えてよね!」


 口ぶりから察するにもう止める気は無さそうだ。


「ねぇ、理緒」

「な、なんだよ……」


 呼ばれて背を向けたまま立ち止まる理緒。

 その背中に問いかける。


「貸してくれた銃、まだ持ってる?」

「うん。あれは父さんの形見だからね」


 あの時の謎の感覚が手の平に蘇る。

 私が理緒の危機を察知したのは自分の直感だけじゃないと、私は思う。

 じゃあ何なのか、私には分からないし、私に分からなければ他の人間が分かる筈もない。

 ただ、分かることは一つ。


「……その銃、大事にしなさい。それがきっと理緒を守ってくれるわ」


 私の言葉に理緒は少しだけ黙っていたが、うんと頷いた。

 その声は少し静かで、何かを察したような、私の思考を読んでいたような雰囲気で――。



******



 着替えついでに包帯も換えて、外に出る前に担当医に挨拶だけ済ませたが担当医曰く昏睡状態から回復して即退院してった女なんて見たことがないらしい。

 私だってゆっくり眠ってていいならそうしたい所だ。傷だって痛くないわけがない。一歩一歩、足を動かす度に鈍い痛みが走る。

 外に出てみれば昼下がり。真上から差す日光に目を細めた。


「私、どのくらい寝てたのかしら……」


 ぼんやり呟くと後ろからついてきた理緒もまた日光に当たって手で目元に影を作る。


「夕方に運ばれてそのまま丸一日かな」

「寝過ぎたわね」

四五口径フォーティーファイブを腹に食らって一日寝ただけでピンピンしてるだけでも凄いと思うよ……」


 少し呆れ気味に言う理緒を見て思わず私も私自身に呆れて苦笑する。


「確かにね。我ながら運が良いのか体力がありすぎるのか分からないわ」

「多分、両方じゃない?」


 笑いながら理緒が言う。良かった。少しは元気になったみたい。

 そうかもねと返して改めて周囲を見渡す。

 地下街から外へ出てまず目に入るのはごった返す人々と元々駅前のロータリーだった場所にできた商店街だ。その向こうには廃車を積み上げたヴィレッジと外を隔てる壁。

 灰色や茶色、鉄パイプと木の板とビニールで出来た小屋や屋台、タイヤが外れた大型バスを使った家、色あせた景色の中で黄色や赤色等に染色された人の髪の方が鮮やかだ。

 ライフルを手に巡回する警備隊員の姿がボロ布を纏う一般人の波の中で浮いて見えた。


「教会内にブリガンドと通じてた人間がいたから警備が強化されたみたいようだね」


 隣で理緒が日差しで目蓋を細めながら言うと道を行く警備隊員を目で追う。


「おい、あの話マジかよ」


 雑踏の中でふと聞こえてきた男の声。理緒の様子を見るに理緒は聞こえてないようだ。

 声の方へ視線を向けるが行き交う人々しか見えない。


「弾丸財宝の噂、どうやらマジらしい……」

「お前そんなもん信じてるのか? ホラだろホラ」

「それがよぉいつもん所に入り浸ってる飲兵衛いるだろ?」


 何の話だ……? 私は理緒の肩を軽く叩いて行くぞと合図すると理緒も私の顔を見て察したのか私の後に直ぐについて歩く。

 声の主は駅ビルの入り口にいた。二人の男。どちらも色あせて擦り切れたシャツにジーパン姿の何処にでもいそうな風貌で武器の類も持ってなさそうだ。持っていたとしてもナイフ位のものか。

 壁に寄り掛かって私から見て正面を向いている方は分からないが、そいつと話している私に背を向けた男の方は腰回りに武器は確認できない。

 それとなく声が聞こえる距離で話をする男に習い自然な動きで壁に背を預け、腕を組んで空を見上げる。理緒も私に続く。


「ああ、なんだっけ、あの飲んだくれの義足のおっさんだろ? あれがどうしたんだ――」


 義足のおっさん……。義足もピンキリあるが今どき珍しいものではない。わざわざ義足を特徴としてあげるということは、良い物を使ってるのだろうか。

 それにソテツとはなんだろう。ソテツの所という事はそいつの家か、もしくは店か。

 理緒は未だに私が何をしてるのか分かっていないようで、私の顔を不思議そうに覗き込む。


「ねぇ、なにかあったの?」


 ぼそりと小声で聞いてくる理緒に私も小声でぼそりと、弾丸財宝の噂を話してる奴がいるとだけ言う。

 理緒は少し目を大きく見開くと声を上げることもなく平静を装って腕を組みながら欠伸をするなど演技し始めた。

 どこで学んだかは聞くまでもないだろう。突然目の前で風景に紛れ込み、気配を消してみせた理緒に思わず感心してしまう。

 私は再び噂話する二人の方へ聞き耳を立てた。


「――それでよぉ、ソイツが『おれぁ弾丸財宝を見つけたんだ! ウソじゃねぇ!』って呂律が回ってない口でほざきやがんのよ!」

「酒とヤクのやりすぎで変な幻覚でも見たんじゃねえの? ギャハハ!」

「かもなぁ! ハハハハハ!」


 義足の男が酔っ払って言った事でそこまで噂になることはないと思うのだけど。

 私がそう思った時、話を聞いてた男もそれに気付いたようだ。


「でもそんな酔っ払いの話なんて信用ならねえだろ。なんでそんなのが本当かもって話になったんだよ」

「いやぁそれなんだが、そいつが店主に支払ってる物がネジや釘じゃなくて弾なんだってよ。しかもピッカピカの」


 ピカピカの弾丸を支払う飲んだくれ……。ソテツと言うのは店の名前のようだ。

 その店に言って店主の話を聞くのもいいかもしれない。どうせ捜査は振り出しなんだし。

 もし本当に噂の弾薬庫から持ち出された本物だっていうのなら、これほど運の良いことはない。

 義足で、しかも支払いがよく新品同様の弾薬で毎回支払いをしている常連客となれば店主も分かってくれるだろう。

 店の場所を聞くか悩んだが世の中情報を聞き出すのにタダでというのはありえない。残念ながら今直ぐ袖の下を通すには物が無い。車まで取りに行かない……と。

 そういえば、私の車はどうしたんだ?

 思わず理緒の顔を見る。勢いよく振り向いた私を見て理緒は驚いた様子で見つめ返してきた。

 きっと私の表情は強張っているだろう。


「理緒、私達の車は?」

「あのビャクライとかいうおっさんが運転してくれて、今はキャラバン隊の駐車場の所に停めてもらってる」

「あいつ、そんな事を……」


 何故だ? そんな事を思っていると理緒は服から車のキーを取り出し渡してくれた。


「荷物取りに行く?」

「いや、そんな事をしていたら見失って――」


 言いながら男たちの方へ視線を送る。すると既にそこには男たちの姿は無かった。

 やってしまった……。ソテツという店を探さなければ。

 飲み屋なのだから酒の匂いを漂わせている人間に聞いていけばいずれたどり着くだろうか。


「――行ってしまったようね。なんとかして噂の飲んだくれが通う店を探さないと」

「店か……」


 理緒は何か考える仕草をして直ぐにハッと何かを閃いた様子で口を開いた。


「教会へ行こう。シスター・アイクチならこのヴィレッジの事を何でも知ってるはず」

「シスター・アイクチ?」


 合口あいくちといえば鍔の無い短刀の事だ。凄い名前だ。人の事は言えないけど。

 刃物の名前と思うとどうもバヨネットの顔が脳裏にチラつく。一体どんな人なのか。

 孤児院の子供に戦い方を教えるような所の刃物の名前のシスター……。


「今の教会を仕切ってる人だよ。僕もお世話になった人だから、きっと会えるよ!」


 理緒がそう言うなら、行ってみる価値はある。

 少なくともその辺にいる人間一人一人に聞き込みながら身銭を切るよりは良い。


「よし、行ってみましょ」

「うん!」


 教会はここから見える所にあるのだが、それでも理緒は自信に満ちた笑顔を弾けさせ私の手を引く。

 役に立てる事に喜んでいるのだろう。私は理緒に身を任せ、手を引かれるままに歩き出した。

 理緒の纏う青い防弾法衣を見るやいなやヴィレッジ住民は道を開けてくれる。まるでモーセの海割りだ。

 教会の方へ真っ直ぐ進んでいく私達を人々は物珍しげに見送っている。

 きっと人々には防弾法衣を纏った教会の人間が一人の女を連行しているように見えているのかもしれない。

 それはそれで恥ずかしくなってきて、理緒の手を放そうか悩んだがその悩みは目の前で元気良く歩く理緒の揺れる茶髪を見て消えた。


 理緒に連れられ、教会の中へ入る。相変わらず広々としたエントランスホールだ。

 石造りの支柱にボロボロだがカーペットまで敷いてある高い天井の空間に老若男女が数は少ないが出入りしている。

 無人の受付には呼び鈴が置いてありカウンターの前まで行ってそれを鳴らす。

 短くチンッと音がなると受付の奥から小さく「はぁーい」と声がして、その声の主を待った。


「お待たせしました。横浜ヴィレッジ教会へようこそ」


 受付に立ったのは私よりも年下に見える背が低く瞳の大きな笑顔の眩しいシスターだった。

 随分若いシスターだなと思ったが、理緒の話を思い出した。

 確かアスンプトの反乱で配下にいた少年部隊によって多くの聖職者達が殺されたと。

 つまり、人手が足りないのか。この少女も少し前までは見習いか孤児院にいた者だったのかもしれない。

 私は努めて冷静に受付のシスターに声をかける。下手に語気を強めたりして警戒させても仕方ない。


「シスター・アイクチという方はいらっしゃいますか? 孤児院でお世話になった理緒の紹介で来たのですが……」


 そう私が言うと理緒は合わせるように受付のシスターに頭を下げるとシスターも理緒の服を見て納得したようだった。


「ではコチラにご記入お願いします」


 受付のシスターは笑顔を崩さずに紙とペンを私の前に差し出す。入館記録だ。

 私はそれに名前と職業と住所を記入するとそれを見て受付のシスターが口を開いた。


「傭兵さんですか?」

「え、ええ……まぁ。因みに貴女はソテツって店はご存知かしら?」


 私の質問にシスターは首を横に振る。


「いえ、分かりませんね。ここで少々お待ち下さい。シスター・アイクチはご多忙ですので、呼びに行きますが会えない可能性もございます。ご了承ください」

「お願いします」


 丁寧に一礼して去っていくシスターの背中を見送り、私達はしばらく待たされる事になった。


「理緒、そのアイクチってどんな人なの?」

「うーん。優しい人だよ。おっかないけど」

「……?」



******



 どのくらい経ったか。五分かそこらか。石柱に背を預け、理緒が大きく欠伸をして伸びをしていると「お待たせしました」という声が聞こえた。

 声のする方を向くと先程の受付のシスターが同じ黒い修道服を纏った女性を連れてきた。

 首から下は他のシスター同様の漆黒のワンピースのような修道服が足首まで体を隠している。しかし他のシスターと違い、白く大きな頭巾を被り、白い布地が肩を覆い、首を覆い、頭巾から顔だけを出している。なんとなく日本の尼僧のような雰囲気だ。

 一重で切れ長の黒い目、それでいて威圧感は無い。私を見ているようで、私を透かして遠くを見るような視線もどことなく愛や信仰を説く宣教師というよりも悟りを目指す修行僧といったような印象を強めた。

 白い肌の中に溶けるような淡く薄い唇と温和そうなアーチを描く眉が清楚な雰囲気も相まって彼女を大和撫子だと思わせるに十分だった。


「ありがとう。戻って良いわ」


 落ち着きのある柔らかな声でシスター・アイクチは受付のシスターに声をかけると私達に向かって微笑みを投げてきた。

 それがどこか、怖かった。何故だろうか。初対面の人間と会って邪気の無さ過ぎる笑顔を向けられた事が初めてだったからだろうか。

 それとも、笑みに恐怖を感じたのではなく、同時にこっちに向かって歩き出した時にあまりにも肩も腕も動かず、足音もしない歩き方に本能が警鐘を鳴らしたのか。

 少なくとも、一瞬で只者ではないことが私にはわかった。

 慄いている私をよそに理緒は笑顔でシスター・アイクチを呼んだ。


「シスター、お久しぶりです!」

「あらあら理緒君お久しぶりですね。元気にしてましたか?」

「はい! シスターは相変わらずそうですね」

「うふふ、体力には自信ありますからね」


 理緒がシスター・アイクチと再会の挨拶を済ますと私は早速本題に入った。


「突然呼びつけてしまってすいませんアイクチさん」

「いえいえ。わたくしを呼ぶ声があれば出向くのが務めです。貴女がステアーさんですか?」

「え、あ、はい」


 私の名前を知っていたようで、私がステアーだと分かった途端、アイクチさんはあらー! と静かながら感動の声を漏らして突然握手を求めてきた。

 いざ目の前に立たれると私より背が低く、理緒一五一センチより少しあるかないか。

 口調や見た目に反した隙の無いちぐはぐな存在が目の前にいる。


「理緒君から時折お話を聞かせて頂いてたんです。とても頼りになる方でブリガンドを一網打尽にできる方だと……!」

「わー! わー! 恥ずかしいからやめてくださいシスター!」


 恥ずかしいのは私なんだが。


「理緒、一体私のいない所でどんな話をしてるのかしら……?」

「別に変な事は言ってないよお!!」

「ふーん……」


 アイクチさんの握手を求める手に応えて手を取ると思いの外固い手に驚いた。手の皮が厚く、マメだらけ。

 綺麗な服を着てお祈りに一日を潰してそうな見た目に反して、実際は自分でヴィレッジの外にゴミを拾いに行ったり畑で土弄りでもしているのだろうか?

 手のひらの太陽丘だとか土星丘だとかいう指の付け根のところにある膨らみの所がゴツゴツしている。

 日頃から何かを握り込み何かをしている人間じゃないと出来ないマメだ。畑仕事ならくわすきといったところだろうが、この人の名前から察するに別の物も振るっているだろうなと勝手な想像をしてしまう。

 手の感触を確かめるように握手していたのは向こうもだったらしく、両手で私の手を包み込むとアイクチさんは黒い瞳を輝かせて私を見上げる。


「強い女性に出会えてわたくしとても嬉しいです」

「ここの人は皆強いというイメージがあったんですが」

「そんな事ありませんわ。私達わたくしたち修道女に戦える方はいません」


 〝私以外〟って言葉がついてそうな含みのある言い方をするアイクチさんは元々笑顔だったが更に砕けた子供のような笑みを浮かべていたが急にハッと目を見開き、ゆっくり手を放してくれた。

 右手の平も甲もまだじんわり温かい。


「すいませんステアーさん。わたくしにどのような件でいらっしゃったのですか?」

「ええと、理緒に貴女ならここ一帯の事について詳しいと聞いて。ソテツというお店が横浜ヴィレッジ内にあると思うのですが場所を知ってたら教えて頂けませんか」

「ソテツさんのお店ですね。知ってますよ」


 なんとあっさり。

 しかし教会とはいえロハでは教えてくれないだろう。


「いくらで教えてくださるんですか? 手持ちで足りなければ取ってきます」


 そう言う私にアイクチさんはウフフと笑ってみせると摺り足のような独特な歩き方で受付のカウンターに向かうと紙とペンを取り出した。


「この程度の情報でお金を得よう等とは致しませんよ。大丈夫です。理緒君の新しい御家族の為ならお安い御用……今地図を描きますね」

「ありがとうございます。……すいません」


 何故謝ってしまったのか分からなかった。反射的に頭を下げてしまった。

 相手は聖職者、直球にいくら払えばいいかなんて聞いた所で相手が金額を提示するわけがない。表面上は慈善事業をしてるような組織の面子に関わるだろうし。

 そっと手渡しするなり後から受付のシスターを呼び出して渡してしまうとかなんかすればよかった。

 今更金を置いていく訳にもいかない。

 等と後悔している内にアイクチさんは地図を描いた紙を折りたたみ私に手渡してくれた。


「フフッ、理緒君の慕ってる方がこんな素敵な方で良かったです」

「え……?」


 アイクチさんはおもむろに理緒の頭を軽く撫でると理緒はこっ恥ずかしそうに顔を赤らめて何かを言いそうになったが口をつぐんでしまった。

 どうやら理緒の扱いに慣れているらしい。


「また遊びに来てくださいね。用事がなくても。お茶菓子をご用意してお待ちしてますわ」


 にこやかな笑みを浮かべ、アイクチさんはそれだけ言うと「これにて失礼致します」と深いお辞儀をして去っていく。

 教会のエントランスに残された私と理緒はお互いに顔を合わせる。


「なんというか、変わった人だったわね……」

「なんというか、凄い人でしょ……」

「……うん」


 アイクチさんのぐいぐい来る謎の空気に圧倒された余韻が残る教会から私達は足早に退散した。

 そして貰った地図を確認しながらソテツの店へと向かう。

 変な疲れを引きずったまま外に出て改めて折りたたまれた地図を広げた。


「うっ……」


 思わず変な声が出てしまった。

 絵が、下手すぎる……。



******



 地図が見れないんで描き直してくださいだなんて言えるはずもなく、私達はなんとか奇妙な図形の集合体とにらめっこしながら漸くそれっぽい店を見つけた。

 地図に〝青い小屋〟〝頭痛がしてから本番〟等と意味不明な言葉が書いてあったのだがその場所に来てみればその意味がわかった。

 横浜ヴィレッジは帷子川と呼ばれるコンクリートで川岸を固められた川に囲まれたような場所に位置する。

 ソテツの店は横浜ヴィレッジ南西の川沿いに建てられたちっぽけで青く塗装された木造で正方形の小屋だった。

 そしてその入口である引き戸に書いてあるのだ。頭痛がしてから本番と。

 白いペンキで書き殴ったような文字を見て私達は呆然としていた。


「コレが、店名なの……?」

「通りで噂してた奴らもソテツの所って言って店の名前を言わないはずだわ。これが店名なら言いにくいもの」


 よく見れば店名の下に営業時間が書いてある。夕方からのようでまだ日は明るい。

 私達は時間を潰し、そして開店時間になった頃に再び店に訪れた。


 店は窓がない。扉も閉まっている。パッと見、外からでは開店しているのかが分からない。

 少しためらいがちに引き戸に手をかける。……重い。

 ガタガタの引き戸を動かすと隙間から光が漏れてきたことで一応中に人がいるのを確信して扉を開け放ち中へ入った。


『DJケルベロスの~? オールデーイニッポーン!!』


 出迎えたのはやかましいラジオDJの声だった。

 店内は四畳程度の狭さで部屋の中央に大きなテーブルと、四角い鍋のような物が置かれており中には何かが煮込まれているようだ。

 テーブルの向こうには店主、ソテツらしき壮年の男が椅子に座ってこちらを見ていた。


「いらっしゃい。まあ座りな」

『最近また噂になり始めた弾丸財宝の噂! 若い子はなんじゃそりゃって感じだよなぁ? 流行ったのは俺も生まれてない昔の話だ。』


 私は軽く会釈をすると理緒も続けて店に入り、扉を閉めようとした、その時だった。


「おい待ちな。ここは酒とおでんの店だ。ガキは帰んな」

「ちょ、僕はもう立派に働いてる大人だ!」


 反射的に言い返す理緒に私は思わず自分の顔を片手で覆った。

 そんな返しじゃ子供だと認めてるようなものだ。


「保護者同伴でも駄目だ。姉ちゃんもソイツを家に置いてから来るんだな」

「待って。長居はしないわ。ここに通い詰めてる義足の男を知らない? 毎回綺麗な弾で支払いをしてると思うのだけど」


 私の言葉にソテツは鼻で笑う。とてもじゃないが友好的な様子では無さそうだ。


「ここは情報屋じゃねえ。飲み屋だ。聞こえなかったのか? 食って飲んでが目的じゃねえなら帰んな」


 静かにだが、低くドスの利いた声で言い放つソテツ。

 これでは話を聞き出せない……。

 どう交渉すべきか考えていると再び店の扉が開かれ、背後で理緒が声を上げた。


「あっ!」

「あ? なんだお前ら。ここで何してる」


 聞き覚えのある声に振り向くとそこにはバヨネットの姿があった。


「バヨネット……!? あなたこそこんな所で何してるのよ」

「お前らには関係ねえよ」


 私は直ぐに立ち上がるとバヨネットと理緒の袖を掴み店から飛び出した。


「お前、なんなんだ?」

「ステアー?」

「バヨネット、良い所に来たわ。あの店主から情報を引き出して欲しいの」


 私の言葉にバヨネットはハァ? と声を漏らすも直ぐに表情を緩ませた。いや緩ませたというよりも何か変なことを考えてそうな嫌な笑みだ。


「飲み代と情報を引き出すために使う金は経費で落ちるのか?」

「……! 馬鹿高いのはやめてよね」

「で、何をあのジジイから引き出すんだ?」

「あの店に通い詰めている義足の男。飲んだくれで、でも羽振りは良いらしく新品同様の弾丸を支払いに使ってるらしいの。そいつの名前、出来たら居所を調べて欲しい」


 そういうとバヨネットの顔色が再び変わる。

 表情は真剣そのもの、青紫の鋭い瞳が夕焼けに照らされギラギラと煌めいている。


「もしかしたらソイツは俺も探してる奴かもしれねえ。チッ、まあいい。話を聞いてきてやるからテメェらは駅ビルの食堂で飯でも食ってろ。後で行く」


 やや早口バヨネットはそう言うと道を塞いでた理緒の肩を掴みそっとどかすとズカズカと店の中へ戻っていった。

 引き戸が締められる直前、中からラジオDJの言葉が聞こえてきた。


『しかし本当にそんな財宝あるのかねぇ? 夢のある話でもあるが、銃弾が延々と量産され続けている文明崩壊前の施設なんざ俺はおっかなくて近づきたくねえなあ!』

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