第9話 闇の中の理緒

「お前、モグラ地下暮らしなんだって?」


 半年ぐらい前の事。それが出会って最初にかけられた言葉だった。

 ハスキートーンの透明感のある声で放たれる汚い言葉遣いのちぐはぐさが気持ち悪かった。

 モグラというのは地上生まれ地上育ちの人間がシェルター生まれの人間に対して言う蔑称のようなものだ。

 シェルター型のヴィレッジは文明崩壊前から存在する核シェルターがそのまま使われている所が殆どで、その場合シェルターの中には水の濾過ろか装置や発電機、空気清浄機等の設備が充実しているから地上のヴィレッジよりも生きやすい。

 そういった恵まれた環境で生活していた人間に対するやっかみ。


「なんだと……?」


 普段なら聞き流せるものだったけど、故郷や親を失い、ステアーも横浜から去ってしまった僕にそんな余裕は無かった。

 孤児院の中では暴力沙汰は厳禁。だがそれを守ってるお行儀の良い孤児は少ない。

 院の責任者であるアスンプト神父も、些細な事であれば見逃している節もあるくらい小突き合いは日常茶飯事なんだと気付いたのは割と直ぐだった。

 人をモグラ呼ばわりしてきた生意気そうな少年の、首に巻かれた赤いマフラーに掴みかかろうと手をのばす。

 しかし僕の手は空を掴む。

 音もなく飛び退いてみせた赤マフラーは通路の壁に走る手すりに肘をかけながら空気を掴む僕を見て鼻で笑った。


「トロい動きだなぁ。喧嘩もした事ありません~って感じがモロに出てるぜ」

「急になんなんだよお前は!」

「アスンプトさんが目をつけた奴って聞いたから見に来たけど……なるほど及第点だな」


 さっきから失礼なやつだ。勝手に人の顔に点数をつけやがって。

 空を掴んだ拳に力が入るが、悔しいが風のように動くコイツに指一本触れられる気がしないのは事実だ。

 教会兼孤児院のこのビルの中は元々ホテルだったらしく、各階にいくつもの部屋があり、廊下は四角を描いている。

 そんな廊下なのにも関わらずこの階に僕とこの生意気な奴以外いないような静けさに包まれていた。

 最低限の照明に照らされた薄暗い廊下でお互いに視線を逸らせない嫌な空気が流れる。


「目をつけたってなんの事だよ……それに人の顔を及第点とか言うお前は何なんだ」

「俺は百地ナガト。まぁこれも神父達が勝手に決めた名前だけど――」


 百地と名乗った赤マフラーは亜麻色の長髪を揺らし、眉間に皺を寄せた。与えられた名前が不服のようだ。断ることとか出来なかったのだろうか。


「――目をつけたってのはそのまんまの意味さ。お前の体つきを見て育てたら使えるって思ったんだろうよ」

「使える……?」


 自分の体を見てみる。うーん、正直同い年の奴と比べたら筋肉もそんなについてないし運動神経に自信は無い。

 一般的に僕ぐらいの歳の子はみんな探索隊や警備隊なんかの肉体労働する部署に新人として入れられる。

 簡単な仕事からやらされ、一人前になったら大人の仲間入りって感じで、ある程度物分りが良くなってきたらヴィレッジでは仕事を与えられていた。

 僕はその仕事をする前に既に料理の手伝いとかやらされてたから、戦闘訓練なんてする事なくヴィレッジではずっと厨房に立っていた。

 そんな自分が外の世界で使えると思われるとは思ってもみなかった。

 唖然としている僕に百地は続ける。


「その辺は嫌でもここに住んでれば分かるようになるさ。モグラは体も鈍ければ頭も鈍いのかあ?」

「この野郎……っ!」


 今度は胸ぐらを掴むなんて脅しはしない。ぶっ飛ばしてやる!

 力強く踏み込んで顔面を狙った殴打。ぶん、と風を切った拳が伸び切った時には百地はいつの間にか避けていて――。


「素人がオレを殴れると思ってるのかよ? ハハッ!」


 突き出した拳を簡単に払い除けられると突然目の前でパンッ! と音が鳴って思わず目を閉じてしまう。

 それが猫騙しだと気付いた時にはすでに遅く、胸を押され突き飛ばされる。

 あまりにも簡単に体が浮いてしまった僕はそのまま廊下の床に尻餅をついてしまった。


「うっ、ぅ……」

「ギャハハ! だっせーなぁ! ハハハハハ!」


 わざとらしく腹を抱えて笑う百地。

 クソッこんな奴に……!


「おや? こんな所で二人で何をなさっているのですか?」


 突然声がしてその方に向くと廊下の曲がり角からカソックを着た男が一人、こっちに向かって歩いてきた。

 少し紫の入った黒髪をかき上げながら現れた男はツリ目を緩ませ僕たちを見つめている。

 確か……この人がアスンプト神父だっけ。

 ブリガンドに襲われて殺された川崎ヴィレッジの皆のために祈りを捧げてくれた人……。

 アスンプト神父の姿を見た途端に百地はいきなり僕の腕を掴むと強引に僕のことを立ち上がらせた。

 急なことで僕はされるがまま起こされる。


「あはは、なにもない所でこの子が転んでたのでぼくが駆け寄ったところだったんです~」

「えっ、はっ?」


 少し低めだった声が急に高くなったと思いきや〝ぼく〟ときたもんだ。

 なんか勝手に僕が転んだ間抜けにされてるし。こいつ、大人の前では猫被ってるのか。

 増々気に入らねえ……!

 媚び媚びの声を吐息混じりに話す百地を見てあまりのギャップに流石にこんなの馬鹿でも芝居だってわかるだろと思ったが、アスンプト神父はそうなのですかと普通に言葉を聞き入れてしまっている。

 そうか、大人の前で常にそういう風に振る舞っているならコイツがそういう性格なんだと思い込んでしまってるからおかしさに気づかないのか……。


「理緒君。すいませんね。この建物も比較的保存の良い方なのですがそれでも足場が悪くなっている所は多いのです」

「あ、ああいや、そんな……」

「ぼくは用事があるのでこれで失礼しますね~。ではでは~」


 そう言いながらそそくさと退散する百地の背中に手を伸ばす。


「あ、おい待てこの……!」


 しかし百地は僕の声に振り向きもせずさっさと駆け出してしまった。

 追いかけようとしたがまさに風のように静かに素早く去っていく姿は忍者を連想させる。

 言いたいことだけ言って去っていった百地に時間差でイライラしてきた。


「なんなんだよ、あいつ……」

「彼は忙しない子ですが、その力は少年部隊の中でも最も優秀な子なのです」


 百地が駆け抜けていった廊下の方を眺めながらアスンプト神父は呟く。


「少年、部隊?」

「はい。孤児院の子供達の中で見込みのある子を教育してブリガンド相手にも通用する兵士を育成しているのですよ。孤児院にいる間は少年部隊として私の訓練と指示に従い、院を出たら傭兵や警備隊などの仕事に就けるようにという一種の職業訓練のようなものです。訓練と言っても本格的にヴィレッジの外のブリガンドやヴィレッジ内の治安を脅かす犯罪者を罰する実戦をしてもらってますがね」


 孤児院と聞いててっきり養子として人に引き取られるまで座学をしながら教会で暮らすみたいなものかと思っていたけど、そんな食わせるだけって訳にもいかないか。

 子供でも働かされる時代でここだけが例外なんてのはありえないことだろうし。

 教会って言っても布教して信者からのお布施だけで切り盛りなんて出来るはずがないと思う。

 何かしらヴィレッジの為に活動しているんだろうなと思ってたけど……。


「理緒くん。君にはいくつかの選択肢があります」

「選択肢、ですか?」


 アスンプト神父はこちらに振り向くと膝を曲げ、僕と目線を合わせながら僕の肩に手を置いた。

 両肩に僅かな重みを感じる。

 真っ直ぐ見つめてくる視線は穏やかで微笑みを浮かべた顔が近い。


「君はブリガンドに両親を殺されてしまった」

「っ!!……はい。そうですけど」

「私にはわかります。貴方は内心忘れようとしながらも悔しさも感じている。復讐心とでもいいましょうか。その心をどう昇華するのか――」


 両肩に乗る神父の手に少し力が入る。

 なぜ僕にこんな話をと思った。

 百地が言っていた。神父が僕に目をつけたと。そういうことか?


「――このまま孤児院で勉学に励みつつ、ヴィレッジの管理部等から依頼される炊き出しの手伝い等の雑多なをしながら過去を忘れ新しい人生を生きるか、それとも、ブリガンドや世の中の悪人を許さないというその〝復讐心〟を〝正義の心〟へと変えて辛く厳しい戦いに身を投じながらもヴィレッジの〝英雄〟となるか。君には選ぶ自由があります」

「僕が、本当に戦えるようになれるんですか?」


 半信半疑だった。

 川崎にいた頃、厨房に立っていた時に同年代の探索隊やキャラバン隊に混じってた奴からよくからかわれていたから。戦えない、弱っちい奴と。

 その場にたまたまステアーがいると、代わりにステアーがそんな奴らを追っ払っていたのを僕は頼もしく思えた。そして、黙ってみてることしか出来なかったんだ。

 ブリガンドがヴィレッジを襲った時に、戦える人間はみんな駆り出された。だから、僕を馬鹿にしていた奴らも皆死んだ。

 家族を殺された悔しさや憎しみの裏で僕はあろうことか、僕を馬鹿にしてた奴らの死を喜んでいた。

 そんな僕が、正義だとかそういった気持ちで戦う資格なんて無いと思う。


「理緒君次第です。今のままでは無理です。ですが理緒君のやる気と、鍛え方次第ではブリガンドにも、あのナガト君にも負けない戦士になれるでしょう」

「え、あ……もしかしてさっきの見てたんですか」

「どのタイミングで止めるか考えてました。彼は心に問題がありますが、それはあの子に限った話ではありません。勿論、孤児院にいる子に限った事でもありません。理緒君。君のように物分りがよく、人当たりの良い素直な子供というのはこの時代では珍しい。素晴らしく美しい心だと思います」

「そんな、美しいなんてことは……」

「謙遜しなくていいのですよ。誰もが理緒くんのようであれば、争いも少しは減ることでしょう。しかし、過酷な環境で生きるには。君のような子は今の時代では生き辛いはずです」

「うっ……」


 生き辛いという単語に身に覚えがありすぎて何も言えず言葉が詰まって何も言えない。

 綺麗な言い方をすれば、結構やんちゃしてるような奴らの方が直ぐに大人の社会に溶け込んでいた気がする。

 僕も食堂の厨房で大人に混ざって可愛がられていたと思うけど、それでもなんというか何処か遠慮がちというか、結局の所大人の仲間としては見られなかった気がする。僕の勝手な想像だけど。


「普段の生活では色々我慢する事が多いでしょうが、今は理緒くんの本心を聞きたいのです」

「本心……?」

「私はね、君のような子を何人も見てきたのです。ブリガンドに親を殺されここにやって来た子達の大半はここに馴染むためにいい子になろうとします。しかしそういう子はどこかで溜め込んでた思いが破裂してしまうのです。私はそれが心配なのですよ」

「破裂、ですか」

「孤児院では模範的な暮らしをしていた子が孤児院を出てから暴力沙汰を起こして警備隊に逮捕されたり、落ちぶれてブリガンドとなって悪事に手を染めるなんて事が時折報告されるのですよ。なので聞いておきたいのです。本当は何をしたいのか。何になりたいのかを」


 僕の本当にしたい事……。


「ちょっと、付き合ってもらえますか?」


 神父がそう言い立ち上がると歩き出し、こちらを向いて小さく手招きする。

 こんな話をしておいて途中でぶった切られても困る。

 僕はその手招きに誘われ、神父の背中に着いていった。



******



 テーブルの向こうにアスンプト神父。多分本名じゃない。でも周りの人間はそうこの人をそう呼ぶのだからそう呼ぶしか無い。

 横から濃紺の法衣に身を包んだ僕と同じくらいの子供が僕と神父の前に紅茶を置くと無言のまま一礼して部屋から出ていく。

 部屋の中にミントの香りが漂い始める。

 カップに口をつけるアスンプト神父を見て、それに倣う。

 恐ろしく苦い味が広がって、ミントの香りがぼんやりしていた頭を殴りつけた。

 止まっていた思考が動き出す。


 孤児院に持ってきた物は殆ど無かった。

 ちょっとした調理器具に友達がくれた自作漫画、小さい頃から使っていた布団代わりのタオルケット、家族写真が記録された投影機能付きデジカメ。

 それと、お父さんの銃……。

 ポケットに入るくらいの小さな銃。でもすぐに没収されてしまった。

 形見の品とはいえ銃は許されなかった。

 外から差す陽の光を背に神父は笑顔を崩さず席を立つ。

 背にある自分の作業机だろうデスクから何かを取り出し、再び席につくとソレをテーブルの上に置く。


「これは……」


 神父がテーブルに置いたソレは没収されたお父さんの銃だった。


「文明が崩壊する前、古い銃のモデルのリバイバルブームが起きていたそうです。これはそのブームの中で生まれたレアな物ですね。……お父さんは物好きだったようだ」

「……そういう神父さんもそういう事よく知ってますね。争いの道具とかには疎いものかと思ってました」

「平和を望むには、平和を守るには知識と言うのは大事なものです。危険なものがどういう物か理解しているかどうかで考え方も動き方も洗練されていくのですよ」

「そんな、もんですか……」


 僕の目は手が届きそうで届かないお父さんの銃に釘付けになっていた。

 今神父がどんな顔をしているか分からないけど、なんとなく顔を見ても意味がない。そんな気がした。


「理緒くん。貴方は悔しいですか?」

「……」


 思わず顔を上げる。

 悔しくないと言えば嘘になる。

 あの時僕に戦う力があれば、せめてお父さんやお母さんだけでも守れたかもしれない。

 僕みたいな子供に何が出来るんだって自分でも思うけど、僕と同じ年でキャラバン隊や警備隊に加わって戦ってる奴だっている。

 というか普通の男の子は力仕事に大体割り振られていたんだ。けど僕は、母譲りの料理の才能を見出された。

 僕が皆に混ざって訓練や戦闘の経験をしていれば……。


「顔を見れば分かります。悔しいでしょう。自分にもっと力があれば、あんな奴らに負けはしなかった。父が亡くなられた時、この銃を使いこなせていれば一矢報いる事ができたかもしれない」


 ズバズバと思っていた事を言い当てていく神父に僕は開いた口が塞がらなかった。

 まるでブリガンドが襲ってきたあの時に一緒にいたかのように、僕の心を読んでいく。


「この孤児院はただ保護する為だけの施設ではありません。成長し大人になった時に、荒廃した外の世界でも生きていけるように知恵も力も鍛えて自立出来るように教育する場です」

「……つまり、ブリガンドと戦えるように鍛えてくれる、と?」


 静かに頷く神父は次の瞬間、神父の瞳が鋭く光った気がした。

 その服装や物腰から優男に見えるけどさっきの銃知識といい悔しさや怒りを肯定するような発言、本当に聖職者なのか疑ってしまう。

 ふと思えばこの教会の教義とか何を信仰してるとか知らないんだよな。


「孤児院にいる普通の子供達には最低限の体力づくりしか教えていませんが、私直属の少年部隊に入り、働く事を希望すれば貴方にブリガンドを倒すだけの技術と体力をつけさせましょう。銃の所持も許可します」

「さっきの子もその部隊の?」

「ええ、私の教え子は皆戦いの術を身に着け、将来的にはヴィレッジの警備隊やこの教会の私兵としての将来を約束されていたりするので、過酷ですが自ら希望する子もいます」


 一瞬で詳しくは分からなかったが、さっきのお茶を出してくれた子供は確かに腰に何か武器を持っていた気がする。

 この人自身も何人もの子供を兵士として育て上げたのだろう、優しく、迷いの無い言葉に自信を感じさせる。


「僕にも、僕にもアイツ等を倒せる力がつくんですか……?」

「それは貴方次第です」


 にこりと笑む神父。

 人を殺せるかどうかの話をしている顔ではない。

 僕と神父では話の重みが違うのだろうか。

 不気味なくらい静かに淡々と語る神父を見て僕は少し怖かった。

 信用して良いのだろうか。

 どちらにせよ、僕には行く場所もないし、復讐だってしたい。それに……。

 お父さんの銃を見つめる。


「……やります。やらせてください」


 僕のその言葉に神父はよろしいと一言だけ言うとお父さんの銃を手渡してくれた。


「新しい名前はいりますか?」


 銃を受け取った僕に神父は問いかける。

 何やら過去を忘れるために生まれ変わるために新たな名前を使いたがる孤児が多かったために新しい名前をつけるか聞いているんだそうな。


「僕は、僕は両親から貰った名前を無かったことになんて出来ません」



******



 僕はアスンプト神父の誘いに乗り、少年部隊に入った。

 孤児院の座学を終えた後に部隊員だけは特別授業と称した訓練を行い、そして二ヶ月も経てば実戦に駆り出された。

 訓練期間の間に色々あった。後輩が入ったり、その中にいた枸杞の面倒を見るようになったり、ステアーの舎弟を自称する蛭雲童とかいうオッサンが訪ねてきたり。

 僕がいない時に半分廃人みたいになってる枸杞の面倒を見る為という名目でと如何にもな理由を教会側に言って蛭雲童も僕の部屋いついていた。


 今思えばこの頃ぐらいに周りから舐められないようにと百地を真似て自分のことをオレって言ってたっけ……。


 実戦、つまりこの手で人を殺す事。

 支給された折りたたみのクロスボウ、初めて使った時はその感覚が不思議だった。

 手元から離れたボルトがブリガンドを貫いた時、手に貫いたという感触を感じるあの変な感じ。

 これがよくいう手応えってやつなのかと手を震わせながら思った。

 ナイフを使った時はあんまり抵抗がなかった。

 殺すか殺されるかという極限状態の中で、怖いとか思っていられず振り抜いたナイフが敵の体を切り裂いた時は料理してた時の感覚が手に伝ってきて逆に冷静になれた。

 動物をシメる感覚で敵を殺した。

 でも、そうやって実戦を重ねていく内に僕の心が軋んでいた。


「手合わせ用意……始め!」


 号令と共に目の前の相手が懐に飛び込もうと駆け寄ってくる少年の姿をした暗殺者。

 聖職者を装った殺し屋。大昔にも信奉者の少年達によって構成された組織があったと聞いたことがあった。それがどんな活躍をしたかは、ド忘れした。

 日差しの下で一斉に始まったいつもの訓練。武器は無し、降参した方の負け。シンプルな近接格闘の訓練だ。

 何度もやって来たことだ。最初は何度も色んな奴に倒され、砂の味を覚えさせられた。でも、そんな日々もひと月で終わった。


「うおおっ!」


 気合を込めた声が耳に響く。

 胸元のケープを掴もうと伸びる手を見て――。


「遅いな」


 少し前なら目で追うことすら出来なかった動きを、今では容易に見切れる。

 それとも戦いの中で相手した中でこいつが弱いだけなのか。

 胸元へ伸ばされた手を掴み、自分の体を回して相手を振り回し背後を取って腕を捻り上げ、相手の後頭部を鷲掴みにした。


「ひっ……!」

「こんな事で、ビビるな!」


 膝裏に膝蹴りを入れ、後頭部を掴んだ手に力を込め、力ずくで地面へ倒す。

 うげっと呻く手合わせ相手の腕を更に曲げ、肩が外れるギリギリまで追い込む。

 相手は体を揺らして抵抗するがそれ以上のことは出来ない。出来なくさせているのだから当然だが。


「ま、参った! 降参だ! 手を放してくれ!」

「……オレが相手だったからいいものの、他の奴ならこのまま怪我させられてたかもしれないぞ」


 そう言いながら手を放してしまう自分も十分甘いんだが、これ以上追い打ちをかけても仕方ない。降参と言った時点で僕の勝ちは決まったのだから。


「ほら、次の相手探しに行け」

「あ、ああ……」


 小走りで去っていく奴の背を見送る。僕も次の相手を探すか。

 そう思って周囲を見渡し歩き出す。自分の所が早かったようで、周囲はまだ取っ組み合いを続けている。

 広場の端へ行き、試合が終わる奴を待つ。

 そこで訓練の合図をした後からアスンプト神父の姿が無いことに気付いた。一体何処に……?


「降参だ! 降参する!」


 試合が終わったか。声が聞こえてそっちの方へ向く。

 そこには地面に倒れている奴と……。


「この程度で降参だぁ? 聞き間違いだよなぁ!」

「百地……!」


 百地だ。あろうことか同じ孤児院の仲間であり少年部隊の仲間でもある相手に、負けを認めた相手に蹴りを食らわせている。あの野郎……。


「おら立てよぉ~! 立たねえと俺が弱い者イジメしてるみてぇじゃねえかよお!」

「か、勘弁してくれっ!」

「あぁ~? 俺に恥かかせる気か? 立てよオラァ!」


 倒れた相手の胸ぐらを掴んで無理矢理引き起こすと、百地は拳を振り上げる。


「や、やめてくれぇ!」

「おい、止めろ。決着はついただろ」

「なに……?」


 僕に腕を掴まれ振り向いた百地はニタリと笑った。

 負けた相手の胸ぐらを掴んでいた手を放す。今度は僕に狙いを定めたということだろう。

 周りで手合わせしていた連中も異様な状況に気付いたらしく、皆手も足も止めて僕たちを見つめる。


「これはこれは、理緒くんじゃないか。ちょっと仕事でブリガンドを殺せるようになったからって調子ぶっこいてるんですかー?」

「なんだと……。オレは意味も無く他人を傷つけんなって言いたいだけだ!」

「それを調子ぶっこいてるって言うんだよ!」


 僕が掴んだ腕を素早く振りほどくと突然足に鈍い痛みが走る。

 死角からの蹴りだった。素早いローキックに僕は反応できなかったらしく体がよろめく。


「くっ! この!」


 体勢を素早く直して反撃しようと構える。しかし、速い!

 いつの間にか百地は背後に回り込んでいて横腹に蹴りを入れてくる。

 痛みに耐えながら百地に後ろ蹴りを入れようとするも軽やかに視界の外へ逃げていく。


「ちょっと技術を身に着けたからって、俺に勝てると思ってんの? 身の程を教えてやるよモグラ野郎! クククッ!!」

「いつまでモグラ呼ばわりする気だ。もうオレは十分地上の人間だ!」

「自分の名前も捨てられず、親の仇と言わんばかりにブリガンドを殺して、地下暮らしに未練たらたら、思い出ずるずる引きずってて何言ってんだ? ちゃんちゃらおかしいぜ!」

「お前には関係のないことだろうが!」


 なんとかこっちの距離に引き込もうと法衣の袖やケープを掴もうと腕を振るが、相変わらず風のように動く百地に僕は空気しか掴めない。

 おちょくるように攻撃せず僕の攻撃を避ける百地。本当、人を馬鹿にして……!

 気づけば百地を追いかける状況になり、やがて周りの皆が観客となって僕たちに向かって「そこだやれ!」「やっちまえ!」などと言葉が飛び交い賑やかになってくると百地も気が大きくなってきたのかようやくまともに戦う気になったのか腰を落として拳を構えだす。

 僕はそれを待っていた。いつまでも、孤児院に来た時のままだと思うなよ百地。


「顎に一発で、決めてやるよ! 気絶すんなよ理緒くんよぉ!」


 調子に乗って攻撃する場所を宣言して拳を下から上へ放つ百地。

 そうだ、この瞬間を待っていた。

 拳を払い除けながら腕を絡ませて手前へ引き込む。


「余裕こきすぎたな!」

「なっ、てめぇ!」


 言っても遅い。百地を引き寄せ、顔面に一発重いのを叩き込む。

 鈍い音と共に拳に鼻っ面をぶっ飛ばした感触が伝わる。初めて百地に一発当てた瞬間だった。

 もう一発、そう思った瞬間、視界の端に鈍く光る物を見て僕は慌てて百地を突き飛ばした。

 よく見れば百地は左手にナイフを手にしている。


「お前……武器は無しだろ!」

「俺の顔によくも……ぶっ殺してやる!」


 僕の声など届いていないようだった。

 百地の表情は余裕を見せていたのと一変、今まで見た事ないような怒りの表情でこちらを睨みつけている。

 まるで体から湯気でも出ているかのような錯覚に陥るほどの凄まじい殺気を放ち、目は血走り、亜麻色の毛が逆立っている。

 向かい打とうと身構えた、その時だった。


「そこまでですよ、お二人共」


 アスンプト神父だった。傍らにはさっき百地にいいようにされていた子が。

 どうやら僕が百地とやり合いだした時に神父を探しに行っていたらしい。僕は神父に言われ素直に腕を下ろした。

 百地も冷静さを取り戻したのか慌ててナイフを袖の中に隠す。しかしそんなもの今更隠しても無駄だ。

 訓練時間は終わり、百地は一人残された。きっと神父からお説教を食らったのだろう。いい気味だ。

 教会のあるビルへ戻る時、ふと百地の方を見る。

 僕を見つめるその目は真っ直ぐ僕を見ていた。その姿は法衣を纏った子供の皮を被った悪魔のような形相。

 執拗に獲物を狙う狡猾な獣のようだった。



****** 



 百地との一悶着があってそんなに日も経ってない時の事だ。あの日を迎えたのは。

 ブリガンドにキャラバン隊の輸送路の情報を売っていた汚職警備隊員を捕まえ、始末する。そんな仕事だった。

 表面上は真面目を装ってる中年オヤジが実は裏でブリガンドから奴隷を買って地下で毎晩楽しんでやがるホモ野郎。三日張り付いて分かった事はそれだけだったが、それで十分だ。

 仕事帰りの所を待ち伏せして男娼を装い自宅に入り、地下室に閉じ込められていた奴隷の隣に並ばされるまで茶番に付き合ってやった。

 そして汚職警備員を自分の体から出た血溜まりの中で溺死させてやると奴隷の少年と素早く家の裏手から飛び出した。

 煌々と夜空に満月が輝く雲ひとつ無い夜。寒空の下を闇に紛れて帰路につく。

 監禁されていた奴隷の少年が一人そのまま野に出たって生きられやしない。少年を連れて教会で保護してもらおう。そんな事を思いながら歩いていた。


「あ、ありがとう……」

「気にするな。早く行くぞ。傷が痛むだろうけどしっかりついて来いよ」

「うん」


 自分よりも年下っぽい幼い男の子。服もなく首輪だけつけられた姿でベッドに貼り付けられていた所を見た時は本当にこんな事するやつがいたのかと反吐が出そうだった。

 いつから監禁されてたのか分からないが、あまり良い物を食わせて貰ってなかったようで体も痩せ細っていて体中の生傷が痛々しい。

 物陰に隠しておいた防弾法衣とクロスボウを回収して身につける。

 教会で男娼に変装すればと思ったが、仕事の寸前まで法衣は着ておかないと、子供一人だけで外に出れば人権はない。

 身に纏う布一枚で、人は扱われ方が変わる。

 地上ではろくにまともな服も手に入れられないというのに。

 でもまあ、そのお陰で服一枚で身分も偽る事ができるんだけど。

 裸のままじゃ風邪ひくぞと着ていたボロを裸の少年に押し付けて歩みを続ける。


 少年を連れ教会ビルの目の前まで着いた、その瞬間だった。


 突然の爆発音。そして黒煙だった。

 夜空に上り闇の中へ消えていく煙と流星のように風に吹かれ飛ぶ火の粉。

 宙を舞うガラス片を見て体が固まってしまった。


「お、お兄ちゃん?」

「何がどうなってる……!」


 石造りの円柱に挟まれた教会の入り口から悲鳴を上げながら飛び出してきたのは孤児院の子供達と戦えないシスター達。

 そして僕を見つけるなりシスターは怯えた表情で腰を抜かす。


「いや、殺さないで!」

「何言ってるんですか。そんな事するわけないでしょ! 説明してください!」

「あ、貴方はアスンプトに従ってるわけじゃないんですね……?」

「……? 一体、どういう……?」


 息切れしながらもシスターは僕が留守の間に起きた事を話してくれた。

 アスンプト神父が時折教会を抜け出してガラの悪い連中と会っているというのを誰かが教会の司教様に密告したらしい。

 その真偽を確かめるべく司教が他の神父等を集めた場にてアスンプト神父を問い詰めた。そしてその場に集まった神父も司祭様も全てアスンプト神父の直属の部下である少年部隊に殺されてしまったのだとか。

 なんでそんな暴挙に……。

 教会の上階はほぼアスンプトと少年部隊に占拠されてしまったらしく、今は武装した神父隊が少年部隊と交戦中らしい。


「戦えない人は皆避難したんですか!?」

「い、いや……貴方の部屋にいる枸杞とあの元ブリガンド蛭雲童がまだ中にいるかも。見かけなかったわ」

「なんだって――」

「ここにいやすぜ旦那ァ!」


 僕が驚きの声をあげた瞬間、教会から蛭雲童が飛び出してきた。片手にレバーアクションライフル、空いた方の腕で枸杞を米俵のように担いでいる。

 どう考えても僕の歳の倍はありそうなガタイの良いオッサンに旦那と言われるのには違和感があったが、何度訂正させようとしても直さないのでもう突っ込むのもやめていた。 

 相変わらず僕を旦那呼びする蛭雲童はわざとらしく大股で駆け寄ってくる。しかし、そんな蛭雲童の背後から現れた防弾法衣を纏った子供を見て思わず声をあげてしまう。


「理緒の旦那ァ! 無事だったんすね!」

「そんな事はいい! 後ろ!」

「ええい! 舐めんじゃねぇぞガキがゴラァ!!」


 蛭雲童は枸杞を片腕で担ぎながら振り向きざまに背後の少年部隊をレバーアクションライフルで撃ち抜く。

 防弾法衣といえど近距離でライフル弾を受ければ無事では済まない。胸を撃ち抜かれた少年は撃たれた反動で後ろへ転がっていく。

 一人撃ち抜いて即座に蛭雲童はスピンコックで次弾を装填するともう一発、ビルの中へと発砲した。僕の方から見ると死角になる所にもう一人いたらしい。

 再びライフルをぐるりと回してコッキングすると僕の前まで来て枸杞を足の方からゆっくりと下ろした。

 地に足つけた途端、枸杞は直ぐに僕に抱きつく。突然の事に転びそうになって慌てて踏みとどまる。


「理緒! 理緒! 怖かったよお!」

「よしよし、もう大丈夫だよ。大丈夫……」


 普段声が小さくあまりハッキリものを言わない枸杞が僕の胸を濡らしながら大声で泣いている。余程怖かったのだろう。

 背中を丸めて抱きついてきた枸杞の色が落ちかけたピンク髪を優しく撫でてなんとか落ち着かせる。


 どのくらい経ったのか。多分一分も経っていないだろうが枸杞をなんとか大泣きからグズりのレベルまで大人しくさせるとゆっくりと体から引き剥がす。

 赤い瞳を更に真っ赤に泣き腫らす枸杞をよしよししながら蛭雲童の方を見ると蛭雲童は逃げてきた子供やシスターにヴィレッジ警備隊の詰め所へ行くように指示していた。

 慌てているように見えて、どこか余裕を感じられる蛭雲童の手際の良い指示出し、そしてビルから出てきた少年部隊を右手にレバーアクションライフル、左手にハンドガンを持って一人残らず、躊躇なく撃ち殺していく。

 流石元ブリガンドと言うべきか、殺すのに一切の躊躇もない。僕は、僕だったら知った顔にきっと躊躇してしまって逆に殺られてたかもしれない。


「旦那はこんな事になるって聞かされてなかったんですかい!? 旦那もクソガキ部隊に入ってるんでしょう!?」

「クソガキ言うな! 聞かされてないよこんな事!」

「最初から旦那は数に含まれてなかったって事っすか。まぁ短い付き合いだけど旦那って顔なじみを殺してまでやる権力争いなんて加担するタマじゃないのは分かるしそりゃそうか」


 なんか人柄を褒められてるようで嬉しいような、付き合い短いオッサンに性格を見抜かれてるのがなんか気に食わなくてムカつくような複雑な思いだが今はそんなのはどうでもいい。

 多分、僕に色々教えて育てている間に命令に従うよう教育でもしようとしたんだろうが、僕は今までもこれからも慕ってる人はステアーだけだ。

 どんな崇高な理念があっての教会乗っ取りだろうと、血を流すやり方を取る時点で僕は絶対にそんなものを良しとしないし許さない。


「オッサン! シスター達に着いてってあげれる? それで警備隊に教会の状況を教えるんだ!」

「せめてお兄さんって呼んで欲しいなあ! 別にそんなんお安い御用ですが、旦那はどうするんで?」

「お前もその呼び方止めろ。僕……オレは上に行く」

「ハァ? そんなんしたって旦那になんの得も無いでしょう! 一緒に避難して、警備隊の連中に任せやしょう?」

「得なんて無い! でも、許せないんだよ! 枸杞や他の奴を脅かし、面倒を見てくれた神父さんや司祭様を殺して……こんなのブリガンドと変わらない!」


 話してるのも惜しくなってたまらず僕はビルの中へと駆け込む。

 ホテルを改装して教会にしているビルに入ってすぐはかなり広いエントランス。そこには数人の死体が転がり、火薬と汗と血の臭いが漂っている。


「旦那!」


 後ろで呼び止める蛭雲童の声。振り向いて見ると蛭雲童はニッと笑いながら何かを投げてよこす。宙を舞うそれを見て僕は慌ててキャッチした。

 ステアーの銃だった。蛭雲童が教会ここにやってきた時に身分証明の品として持ってきた物。数回しか手にしたことのない銃を手にしてみるとこんなに軽かったかと銃身を指でなぞる。

 マガジンを抜くとしっかりと中には弾がみっちり詰まっていた。


「廊下とかで殺り合う状況とかになったら旦那のクロスボウは取り回し悪いでしょう? 持ってってくだせえ! ソイツだって旦那の手元にいた方が嬉しいでしょう!」

「……ああ、ありがとう!」

「そういう素直な所がやっぱ旦那の良いところですぜぇ」

「うるさい気持ち悪い! ……行ってくる!」


 背にしたクロスボウを床に置き、ステアーの銃を握る。グリップとフォアグリップを握りしめる。

 行くぞ川手理緒。理屈じゃないんだ。僕の感情の行く道が、正義でありますように……!

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