第6話 震える手

 幼い手。

 新しい傷しかない手。

 血に濡れた、真っ赤な手。


 仰向けに倒れる男に跨ったまま、少年はその青い服を血に染めて――。


「理緒……?」


 逆手に握りしめたナイフを男の胸に突き刺したまま、苦悶の表情で固まった男の顔を見下ろしている。

 呼び声に数秒の間を置いて、理緒はゆっくりこちらを向いた。青ざめ、瞬きもせず私を見つめる無表情の彼の顔はまるで人形のよう。

 私の知らない理緒がそこにいた。




 ――時間を少し遡る。

 私達二人は車を走らせ、亜光が話していた輸送車の下にたどり着くことが出来た。

 もう日が傾きかけ、視界が悪くなりかけていた頃に私達は三ツ沢にある公園に車を停めていた。

 坂道だらけの横浜の地の中でも急な斜面の多い土地の高台に広がる公園。

 異常成長した植物の天然の生け垣の間を抜ければ、中には大きな遊歩道と夢の中に出てくるような今にも全身に絡みついてきそうな背の高い草が生い茂っていた。

 理緒が「こんな所に入るの?」と周りを見渡して少しばかり不安がっていた。怖いのかと聞けば理緒は直ぐに違うと否定してみせる。

 広大な廃墟の中で物を隠しながら夜を過ごすにはうってつけの場所――。


 人々がここ一帯に住んでいた頃は子供達が友達同士で遊んだり、家族連れが幼子を遊ばせながらそれを暖かく見守るような、そういうあたたかな光景が広がっていたのだろう。

 今となってはいろんな品種が混ざり合い、歪な姿へ変わった花々が一斉に光を求めて車のフロントライトに顔を向ける。

 巨大な木々から伸びる枝と葉が、僅かな陽の光さえ閉ざしてまるで深夜の森を行くようで。


「なんだなんだ!」


 そこには先客がいた。

 突然開けた場所に出たと思えばそこは人の手により広い空間が作られていた。壁も天井も植物で出来た家のような密閉感。

 焚き火の跡、纏められた僅かな物資。その持ち主は車の前で腰を抜かしていた。継ぎ接ぎだらけの色褪せたコートを纏った、土と埃で汚れた男。

 車から降りて男を見れば、どこかで見た顔だなと思った。しかし、男の方が早く私を思い出したようだ。


「あ、あんた! 前に南の方で俺を撃たないでくれた嬢ちゃんじゃねえか!」

「貴方は……罠猟のおじさん!」


 男は知り合いだった。名前も知らない男ではあったが、地上で様々な土地を行けば様々な出会いがある。彼もその一人だった。

 一夜限りの付き合いなんてものは大体忘れてしまうもの。しかし彼が私を呼んだ時、声と容姿が合わさったその時、私の記憶が蘇る。


「知り合い?」


 理緒も車を降りて私の隣に立つ。


「ええ、旅先で助けてくれた恩人よ」

「恩人なんて大したもんじゃねぇさ。寝る場所に困ってたようだから泊めてやっただけ!」


 歯抜けの大口を開けながらガハハと笑ってみせると男は自分のテリトリーに入ることを歓迎してくれた。



******



 探している輸送車を前に、夜明けを待つ。

 きっと朝であろうと薄暗いこの空間の中で外が夜になるのは腹具合で分かった。

 少し風の強い夜だった。植物に囲まれたこの場所は吹き抜ける風に視界全てが揺れて見えて不気味だった。

 草木が風に揺れる音がこんなに重なると最早騒音だ。更に蝉の鳴き声のおまけ付き。

 新しい薪を焚べて点けられた火を三人で囲う。


「しかしまぁ生きてるとこんな事もあるんだなぁ、えぇ?」


 元気そうな声を出しているが、少し疲れを感じさせる少し乾いた声が年齢を感じさせる。

 男は自前の薄汚れたペットボトルで水を口に含むと咀嚼してから飲み込み、焚き火に両手をかざす。


「こんな所で貴方は何を? 住まいは別の所にあるんじゃ?」

「おいおい嬢ちゃん、別に人間はひとつしか家を持っちゃいけないなんて決まりは無いんだぜ」


 ひとつしか家を持っちゃいけないなんて決まりは無い、か……。

 男は向かいに座る理緒を見てニヤリと下品な笑みを浮かべ、顎髭を撫でながらこちらを見る。

 目を細め、三日月状に歪めた男の表情は一言で言ってしまうとスケベジジイのそれだ。


「ふーん。逢い引きにしちゃあ若いなぁ」

「ちょ、そんなんじゃないわ」


 理緒は意味が分からなかったようで「粗挽きがどうかしたの?」とか言うものだから私だけ過剰反応した感じになって妙に恥ずかしかった。

 あまりにも天然が過ぎても問題だなと思いつつもなんと言ったらいいのか分からず、デートかって聞かれたのよと言うと理緒は顔を真っ赤にしたまま黙ってしまった。

 そんな理緒の姿を見てウブだねぇとニヤニヤ笑う男だったが、私に対してもそう思ったのだろう。悔しいがその顔に向かって違うと言えない。

 実際、私はそういう経験など一度もない。それで困る事などないと今まで思ってきたが、こういう時なんだなと少しばかり後悔した……。


 焚き火を囲んで夜。何もしないわけもなく、自然に食事の流れになり私達は車の荷台から米と飯盒を出し、男は罠猟で確保した獲物を運んできた。

 肉と米があればそれはもうご馳走だ。少しばかり青野菜が加われば文句無しだが出先のキャンプでそれは贅沢な話だ。


「お前達はこんな所に何しに来たんだ? この辺はヴィレッジも無ければ、すぐ近くの軍の輸送基地もとっくに漁られつくされてなんも残っちゃいねえぞ?」


 この近くには軍の施設があることは知っていたが、特別行きにくい場所ではない。男が言った通り施設自体はもぬけの殻だというのは分かっていた。

 正直ちょっと何か残っていたら良いなと思っていた。しかし軍施設から目と鼻の先にある公園で野営を構えているような男が下手な嘘をつくとは思えない。

 私も男に下手な嘘をついても仕方ない。


「弾丸財宝の噂を探りに」


 そういうと男は目を丸くして少し黙った後、突然膝を叩きながら笑い出した。まさに噴き出すような笑いの後ケラケラと声を挙げる。


「あんなごっつい車で二人旅して何してるかと思ったら。あんなホラ話にマジになってるのか? ガハハハハ!」

「私だって本気にしてないわ。でも仕事でね」

「俺だったらテキトーに仕事したことにしてンなもん無かったって言っちまうね」


 蛭雲童と同じことを言う。やはり普通はそうするのだろうか。

 ありもしない物を探しに行けと言われているわけだし。となると、私は私が気付かない部分で期待してしまっているのだろうか……?


「おじさんはこんな所で何してるのさ。ブリガンドでもないのにヴィレッジの外に住んでるなんて」

「ブリガンド以外の人間もヴィレッジの外にいくらでもいるさ。お前も今後外を出歩くようなら俺みたいな奴をいくらでも見るようになる」


 そう言いながら男は懐から牛刀包丁を取り出し、背後から狩ってきた犬の肉を捌き始める。

 刃渡り二十五センチくらいだろうか。刃全体に不思議な模様が走っている珍しい刃のそれは錆知らずなのかと思うほど美しい。

 既に血抜きも済ませられていた肉を切っていくその手つきは迷いがなく、プロの動きだ。

 ヴィレッジの外で生きる男の体は貧相に見えたが、脂肪の少ない引き締まった体だっただけらしい。

 腕捲りして見えた男の腕のくっきりと膨らんだ筋肉と浮き上がった血管。環境に適応するために進化した生命の神秘を感じずにいられない。


「あの時のお礼と思ったのにまたご馳走になるわね」

「ハハハ、良いって事よ。こんな生活してりゃ米なんて滅多に食わねえし、ありがたいぜまったく」

「おじさん。肉切るの手伝おうか?」

「なんだおめえ、こういうの得意なのか」

「まあね。なんてたって僕は川……渋谷ヴィレッジ一番の料理人だからね!」


 理緒が腰に手を当て得意げに返すと、その言葉を聞いた男の手にした刃がキラリと光った。男の持ち物にしてはやたら小綺麗で、切れ味も実際によく、まるで漫画に出てくるような妖刀の類のようだった。

 その牛刀が相当な代物である事に理緒は気付いていたようだ。まるで餌を前にした飼い犬のように目で追って顔も動いていた。

 流石の男もそれに気づき、理緒に牛刀を向けた。


「こいつが気になるか? ボウズ」

「ボウズじゃない。理緒だよ」

「よし理緒、ひとつ話をしてやろう。つまんねぇ話だが、まぁ聞け」


 男はそう言うとくるりと牛刀を回して膝上に置くとコートの内側から革で出来た鞘を取り出して刃を収めた。

 鞘に収められた牛刀を赤子を持つように持つ男の姿を見ていると、それ程にも大事なものなんだということを直感で理解させられた。

 一瞬の事だった。男が本当に赤子を抱いているように見えたからだ。

 それまで周囲で騒がしかった草の音が急に静まった。風が止んだらしい。

 風が止み、静かになるのを待っていたように猫背気味になって火を眺めていた男は語りだした。


「俺はよ、昔フリーの料理人をやってたのさ。屋台を引いてヴィレッジからヴィレッジへ渡り歩いてたのさ。そりゃあもう、一度訪れたヴィレッジに再び訪れれば常連が行列ができるくらいに売れた。でもよ、段々とヴィレッジの規模が大きくなってヴィレッジの中の人間が店を出すようになったら、俺みたいな余所者の店よりもヴィレッジに最初からある店の方が信頼されていってな。気付いたらどこへ行っても売れなくなって、どんどん貧乏になって、最後は屋台まで手放して――」


 焚き火を見つめる男の目は涙で溢れていた。

 鼻をすする男を見て理緒は他人事に思えなかったのだろう。同情してしまったのか自分の太ももを掴み、感情を抑えつけながら聞いていた。

 語り部の声が震えだす。まるで昨日あった事のように語るそれは、世界の復興と逆行して転落していく人生だった。


「――俺は世間を恨んだ。ろくな料理も作れないお前らに美味いものを食わせてやってきたのに、そんな俺を追い出した。ブリガンドの数も武力もヴィレッジを破壊できる程の規模になってきた頃、とうとう俺はヴィレッジに入ることすら許されなくなったのさ」

「酷い……」


 そう返す理緒の声も震えていた。私は言葉が出てこなかった。


「理緒、お前が着てるその服。横浜の教会出身の孤児だろ」


 男の視線が理緒の青い防弾法衣に向けられる。

 ただの教会が一体どこから防弾繊維の技術を手に入れてきたのかは知らないが、拾ってきた子供を荒野の中でも生きていけるようにという建前で戦闘訓練を施しているような所だ。頑丈な服故に孤児院から出た後もずっと着る人もいるらしく男もそれを知っていたようだった。


「そ、そうだけど」

「ヴィレッジ生まれはそれだけで恵まれている。生まれた時から守ってくれる人と家と壁と社会がある。どう悔しがっても俺はこの時代の生まれながらの敗北者。だが俺は魂まで負けるつもりはねえ」


 そこまで言って、男は鞘に収められた牛刀をコートから取り出す。

 止まっていた風がまた少し吹きはじめ、私達の間を抜けていく。

 男の視線は理緒の手元に向いていた。瞳にはまだ熱いものを湛えながら。その瞳を見て私は確信する。この男は一見すればボロを纏い、ゴミを漁っては一日を生き抜くだけで必至という、疲れ切った中年のそれだ。

 しかし、その目には他の人間にはない生気と言うべきだろうか、輝きのようなものが見えたような気がした。

 焚き火の明かりが目に反射しただけというつまらない勘違いなんかでは決してない。私の今までの経験から来る勘のようなものだった。勘というのも曖昧なものだがそれしかいいようがなかった。


「――理緒、もう一度聞くぜ。こういうのは得意か?」

「もちろん」

「よし、言ったな? じゃあコイツをお前にくれてやるよ」


 男は立ち上がると牛刀を理緒に差し出した。突然の事に理緒は面食らっていたが男は構わずに続ける。


「……なにかの縁だ。普通に生きてりゃ、同じ顔を二度見ることなんかヴィレッジの外じゃほとんどねえ。嬢ちゃんの連れなら安心して俺の魂を託せるってもんだ」

「買いかぶり過ぎよ」

「ンなこたぁねえさ。もし出会ってたのが嬢ちゃんじゃなかったら今頃俺は全身ひん剥かれてたり殺されて食人趣味な連中の腹ン中に収まってたかもしれねえ。今どきヴィレッジの外の人間に対等に接してくれる奴なんて、物好きか世間知らずか、マジもんの女神様か……」


 理緒が立ち上がると男の差し出した牛刀を手に取る。

 まじまじと手の中にあるそれを眺めながら、その牛刀に込められた思いを感じ取る。


「僕でいいの? 魂だなんて」

「良いんだ。俺が持っていても、もう宝の持ち腐れだ。ボロボロになるまで使い倒せよ。それが物にとって最高の使われ方だ」


 鞘からゆっくり引き抜かれた牛刀。

 刃が焚き火の明かりを反射しギラリとその鋭利さを主張すると、理緒はその美しさに息を呑んだ。


「ありがとうおじさん。えっと、こんな大事なものを受け取った相手の名前を知らないってのもなんか変だな」


 名前。そうだ名前だ。私は今に至るまで男の名前を知らなかったのだ。

 私も気になり男の顔を覗くと男はバツの悪そうな顔をしながら頭を掻いた。

 火の粉と灰が舞い上がる中で白い頭垢が地面に落ちていく。


「忘れちまったよ。自分の名前なんて。使い道もねえしなぁ」


 まさかの言葉に私も理緒も固まってしまった。

 本気で言っているのかとぼけてるのか……。


「名前無いの?」

「あったんだろうけどなぁ」


 理緒も男を真似て頭を掻きながら何かを考えていると、何かを閃いたらしく瞳を輝かせた。


「じゃあ僕が名前つけるよ!」

「はぁ? いやつけて貰ってもそう使わねえし」

「使うよ! これからずっと使うんだよ!」


 興奮しながら言う理緒。私は理緒が何を思いついたのかまだ読めずにいた。

 理緒は前のめりになりながら男に提案する。

 私が一瞬でも考えなかった提案を。


「これから名前を持って、そんで僕達と一緒に渋谷ヴィレッジに入って住んじゃえばいいじゃん!」


 その言葉に男は口をぽかんと開けてしまった。唖然だ。


「ちょっと、理緒。そうしようとしても守衛に止められるわ」

「仕事柄取り調べる必要があるから事務所に連れて行くって言って通ればいいよ。そんで事務所で散髪とひげ剃りして新しい服でも着ればバレやしないさ! ヴィレッジの住民の名前全部を看守もヴィレッジ管理部も覚えてやしないって!」

「で、でもよぉ。服なんてどっから調達するんだ?」

「キャラバン隊の持ってきた物資かヴィレッジの店に行けばあるよ! 防弾チョッキとかアーマーとかじゃなきゃそんな高くないさ!」


 最初は驚いていたが、男の方もそれを聞く辺りまんざらでもないようだ。

 私は上手くいく気がせず、乗り気ではなかった。

 だが理緒が折角やりたい事を言いだしたのを無理だといきなり突っぱねるのは気が引けた。

 色々考えた末の提案を、何も考えずに否定するのは相手に失礼だろう。


「名前はどうするの?」


 うーんと悩む理緒はふと手元を見て少し寄り目になりながら牛刀を凝視した。

 焚き火の中の薪が折れてバサリと音を立てると火の粉が舞い上がる。蛍のように舞うそれらの一つが切っ先に触れ、ふたつに割れる。

 乾燥した目を何度も瞬きしながら、牛刀の刃を明かりに当てて様々な角度で眺めているとボソリと呟く。


「この包丁、銘が入ってる」

「どれ?」


 理緒の側に寄ってその視線の先を追う。

 なるほど確かに。その牛刀の刃を改めて見ると刃全体に走る波紋のような模様で見づらいが根本に〝龍〟と書かれている。


「龍って書いてあるようだけど」

「それ文字だったのか。俺が若い頃に拾ってずっと使っていたんだが、俺は文字が読めなかったから分からなかったな」


 銘を見て理緒はハッと顔を上げると男の顔を指差した。


「〝タツ〟だ! タツにしよう!」


 どうやら名前が決まったらしい。

 男もそれを理解したのかフフフッと満更でもない笑みを浮かべた。


「タツかぁ悪かねえな。よし、じゃあ俺は今日からタツだ」


 タツがそういった後さり気なく私に向かってウィンクする。それで察した。

 きっとなんでも良かったのだろうと。

 名前が決まった所で理緒は牛刀を鞘に収めると、何故かそれをタツに差し出した。

 目の前に出された牛刀を見てタツも肩をすくめた。


「一緒に来るならまだ使うでしょ。返すよ」

「何言ってやがんだ。一度人に上げたものを受け取れるかよ」

「でも……」


 言い淀む理緒にタツは大きく、ゆっくり首を横に振った。


「老人よりも若いやつが良い物を持つべきなんだよ。老い先短いやつはいつ何処で死ぬか分からん。その時に都合よくお前が側にいるかわからんだろ?」

「死ぬってそんな……」

「ヴィレッジに住んだって死から逃れられるわけでもない。それにヴィレッジの中にだってスリや恐喝、強盗が無い訳じゃない。お前にあげたい物をどこの誰かも分からんクソ野郎に奪われる可能性はどこに行こうがつきまとってくる。だったらもう受け取ってくれた方が俺も安心できるってもんだ。……わかったか?」


 説得され、こくりと頷いた理緒はどこか納得いかない様子だったが、ここまで言われてそれでも突っ返すというのが理緒には出来なかったらしい。

 大人しく牛刀を腰に差して再び顔を上げた理緒はどこか引き締まった表情をしていた。

 そんな理緒を見てタツは改めて地面に座り込むと切っている途中の肉を理緒に向けて放り投げた。


「ほらよ。未来明るいコックさんの腕前、見せてもらおうか!?」

「……! まっかせろぉ!」


 理緒は放り投げられた肉を受け取りに力強く握りこぶしを作って突き上げてみせた。

 今からやることは獲物の解体ショーなのだが笑顔で拳を突き上げる姿は無邪気な子供そのものだった。


 料理ができる人間二人に十分な食材と調味料。

 それがあれば出先の食事も華やかになるというもの。

 食事の間も私達は笑顔が絶えず、宝石のように輝く米と塩味の効いた犬肉の串焼きはしっかり筋が取られていて柔らかく、串から外してご飯と食べれば肉汁がソースとなって米を濡らす。

 三人で舌鼓を打つと明日はタツも同行する約束をして眠りについた。



******



 目が覚めてしまった。

 ジープ型の車の荷台にはキャラバン隊が使っていたと思う寝袋が五、六枚はあったから荷台で三人、川の字で寝ていた筈だったが……。


「理緒……? タツ……?」


 目が覚めた原因は二人が起きたからではない。

 銃声がしたのだ。

 草木に阻まれその音は小さかったが、体がそれを銃声と認識して起きてしまったらしい。

 無意識に起き上がった半身。隣を見れば寝袋だけが二枚。

 手を伸ばしそれぞれの寝袋に触れる。


「まだあたたかい……」


 夜も少し蒸し暑い中でも寝袋に人のぬくもりが微かに感じ取れると考えるより早く車から飛び出していた。

 地面に着地した途端、また銃声が聞こえた。


「っ……!」


 広場の出口付近に倒れている人影が見えてしまい体が硬直する。

 銃を抜きながらゆっくりとその影に近づいた。

 地面がまた血を吸っていない。闇夜の中、腹を押さえながらうずくまるように倒れているその人を見て私の心臓が警鐘を鳴らした。


「タツ!」


 駆け寄り傷口を見れば、その傷が深いものだと気付く。

 だがタツには微かに息があった。

 直ぐに立ち上がり車から救急箱を取りに行こうとするが、その足を止めたのはタツだった。


「ま、待て……」

「タツ……?」

「俺のことなんかいい……理緒を、ブリガンドとやりあって」

「なんですって……!?」


 息も絶え絶えのタツを放っても置けない。タツの言葉を聞きつつも、私は全力で走って救急箱を取るとタツの元へ戻り、ガーゼと腹部にあてがうとタツの手を持ってガーゼを押さえさせた。


「貴方は理緒が外の世界で作った大事な友人なの。死んではダメよ! 私は理緒を追う!」

「友達か、ヘヘッ。そんな風に思われたのは初めてだぜ……」


 タツが引きつった笑い声を上げた瞬間、再び遠くで銃声が響いた。

 弾かれたように私の足は自然とその方向へ走り出す。


「すぐに戻る!」


 それだけを背後のタツに言い残して。


 私は走った。車で一度通った道。しかし夜明かりのない中を走るのは思ったよりも速度が出せずじれったい。

 走っている間にも銃声は何度も聞こえた。

 理緒の主な武器はクロスボウだ。太ももに仕込んだ拳銃を使う時があるとすればクロスボウが使えない時か不意打ちをしたい時ぐらいだろう。

 銃声は十中八九ブリガンドのものだ。理緒にもしなにかあったら……。

 胸の奥底から何か熱くドロドロしたものが染み出して全身を侵食してくような感覚がした。

 その熱を帯びたものをなんと例えていいか分からないが、このねっとりとした熱が全身に回った時、私は私でなくなりそうで恐ろしくなる。

 普段なら近くにブリガンドがいるなら殺していく足音も今は余裕なく、周囲には土を蹴る音が響いた。


 公園を出た瞬間、目の前を銃弾が抜けていった。

 外の通りは開けていない。一戸建ての廃屋が目の前に並び、通りは背の低い廃車がぽつぽつとあるだけだ。


「やめろ!!」


 私は叫びと同時に弾の飛んできた方へぶっ放した。

 腕を振り切る前に気が急いて引いたトリガー。地面や電柱を跳ねる銃弾。

 乱雑に飛び散る弾だったがそれでもブリガンドは逃さなかった。


「ぐぅ……!」


 暗闇の中で視界の隅に光ったマズルフラッシュを私は逃さなかった。

 苦痛に耐えるような声を挙げたブリガンドにはまだ立っているだけの力が残っていたようだ。トドメを刺す。

 銃をそのまま撃って苦しむブリガンドを撃ち抜くと今度こそ一人仕留めることが出来た。

 ブリガンドが銃を撃った方向へ駆ける。

 その時初めて小雨が降っていることに気づいた。

 周りが見えていない。私は走りながらも私は自分に冷静になれと心の中で言い聞かす。


 雨雲で月の光すら遮られた夜空の下を駆けているとブリガンドの死体が一つ、二つ……。

 どれも胸や首、足に矢が突き刺さっている。


「理緒!」


 声を張り上げ名前を呼ぶ。

 しかしその呼び声に応えたのは別の声だった。


「や、やめ、やめろぉ!!」


 怯えきった男の声。

 声がした方を見れば暗闇の中で太ももに矢の刺さった男が腰を抜かして倒れていた。

 ズリズリと片足だけで後ずさろうとしている。その男に近寄る闇に溶けるような濃紺のコート。

 理緒だ。


 銃を構えながら近寄るも理緒は私の事に気づいていないようで真っ直ぐ戦意喪失したブリガンドへ向かっていく。


「ヒィィィィ!!」


 金切り声を上げ体を俯せにし、這って逃げようとするブリガンド。

 しかし理緒は無言でそのブリガンドの肩を掴むと無理矢理振り向かせ、仰向けの状態にするとそのまま男の腹の上に跨った。

 手には鈍く光るナイフ。逆手持ちにしたナイフは殺意が宿っていた。


「理緒! どうせ放っておいてもソイツは死ぬ!」


 私が手を伸ばしながら言ったがそれは遅かった。

 振り下ろされた刃は男の胸を抉る。


「ぎぃ……あっ」


 刺された反動で出たものか、弱々しく出た叫びは理緒の耳には届いていないようだった。

 引き抜いたナイフを再び男に振り下ろす。

 何度も何度も振り下ろされるナイフはどこかを狙っているということもなく、男の胸や首、肩、顔を乱雑に刺していく。滅多刺しだ。

 飛び散る鮮血に防弾法衣が黒く染まっていく。理緒の髪や顔にも返り血が張り付く。

 あまりの光景に私はそれを黙ってみているしか出来なかった。


 肩で息をしながら、とっくに息絶えていた男を見下ろして固まっている理緒。

 だらんと重力に従って垂れ下がった腕にはまだナイフが握りしめられたままだ。


「理緒……?」


 私の声が聞こえたのか、理緒はピクリと体を揺らす。

 しばらくしてゆっくり振り向いた理緒の顔は青ざめていた。

 青ざめた肌と真っ赤な返り血の中で感情のない瞳がジッと私を見つめている。

 息を飲みながら、私は理緒に歩み寄る。どう声をかけるべきか色々考えてみても適切な言葉が思いつかない。


「もう、もう大丈夫よ。……終わったわ」

「あ……う……」


 理緒は何か言いたげだったが唇が尋常じゃないほどに震えて言葉にならない。

 私は考えるのをやめた。

 駆け寄って、理緒をただ抱きしめた。


「大丈夫よ。大丈夫……」

「う……うわああぁぁぁぁぁあぁぁぁああぁぁああ」


 緊張の糸が切れたのか、安堵したのか、理緒は私の耳元で突然大泣きした。

 戦闘訓練を受けたとはいえ、実戦慣れしていなかったのだろう。

 それに、タツの事もある。

 こんな時、恐らく男なんだから泣くなくらい言うべきなのかもしれない。

 けれど私にその言葉は出てこなかった。私にそれを言える資格はないと思ったからだ。


「う、うぅ……ぐすっ……」


 嗚咽混じりに大粒の涙を流して泣く理緒の背中をそっと撫でる。

 そしてゆっくり理緒の肩を掴んで泣き腫らした目を見つめた。


「タツの所に戻りましょう。立てる?」

「……うん」


 理緒と手を繋ぎながら、夜道を歩く。

 転がるブリガンドの死体から矢を回収するのは朝になってからでいいだろう。

 そんな事よりタツの元へ戻らなければ。



******



 どさり。

 土の上に落ちたのは理緒の両膝だった。

 私達が戻った時。タツはもう地面に寝そべったまま息絶えていた。


「嘘だ……そんな……」


 理緒は倒れたタツのそばで膝をついて項垂れる。全身が震えていて、悲しみに包まれたその背中を見るだけで私の胸も苦しくなった。

 タツの体を見ると、どこか奇妙だった。

 どこかを指差したまま倒れている。片手で腹に当てたガーゼを押さえながら、もう片方の手が何処かへ向けて伸び、人差し指が何かを指している。

 泣きじゃくる理緒を背に、その指差す方へ歩いてみる。


「タツが、一人で出ていこうとしたんだ……」


 後ろで理緒が呟く。震えた声で。


「トイレに起きて車から出たら丁度そこに出くわして……。何処に行くんだって聞いたけど答えてくれないから、それでどんどん先に行っちゃうタツを追いかけて公園の外に出たらブリガンドに襲われて。タツが、タツが連中に刺されて。僕が奴らの相手をしている内にタツは戻って治療してもらえって言ったんだ……」

「……そう、だったの」

「タツを抱えて一緒に戻っていれば、僕が早くステアーに助けを求めていれば、こんな……こんな……っ!」


 きっと、自分も戦えることを示したかったんだろう。

 タツの状態によってはそれで良かったと思う。けれど、元々タツは高齢で、体力は無かったんだろう。若しくは毒の塗られた刃物で刺されたのかもしれない。

 どちらにしろ、タツは間に合わなかった。

 理緒は悪くないって言えば理緒は気が休まるだろうか? いや、きっとそれはないだろう。

 こういう事はいつ起こってもおかしくない。だからといって、こういう事は今後も何度もあるから今の内に慣れておけと今言ってしまうのは残酷過ぎる。


「タツは、もういい歳だったのよ。だから貴方に包丁を託したの」

「分かってるよ……分かってるけど……!」


 私はタツの示した所で見つけたものを手に、理緒の元に戻る。


「理緒。タツはこれも貴方に託すそうよ」


 しゃがみ込んで、理緒にタツの遺した物を差し出すと理緒はようやく顔を上げた。


「これは……」


 地面に座り、理緒の手に渡ったソレを理緒は呆然と見つめる。

 握りの部分を手に、表面の金属の冷たさを確かめるように指でなぞる。


「スキレットじゃないか」

「タツの物でしょうね。良いものなの?」


 私は使えれば何でも使うから、あまり物の質とかを気にしたことはなかった。

 料理も作れれば何でも良いという考えだったから調理器具に気を遣ったことはない。

 だが理緒は違う。調味料や器具等、川崎で暮らしていた時からずっと気にしていたのだから物の良さは分かるはずだ。


「ヒビも歪みもない……。こんな綺麗な状態の物は中々見つからないよ。僕が使ってる物でも良いものだけど、それでもちょっと歪んでるのに……」


 凄い……と感嘆の声を漏らす理緒の瞳は涙と感動で煌めいていた。

 しかし、直ぐに理緒は伏目がちになりタツの方を見る。


「……このままなのも可哀想だよ。ステアー」

「……そうね」


 タツの荷物の中から大きなシャベルを取る。理緒はまだ眉をハの字に曲げてすぐにでも泣きそうな顔をしていたがグッと堪えていた。

 流石男の子だ。

 改めてこの場を見渡す。明らかに一人では運びきれない量の荷物や、年寄りのスカベンジャーでは行動範囲的に無理のある収集物が目につく。

 用途不明の欠けた石像や誰が描いたのかも分からない絵画、使えるか怪しい銃がいくつも。

 ふと、タツの言っていたことが脳裏に浮かぶ。周りの施設は全て漁られた後だ、と。

 ならなぜ、ブリガンドがこんな所に?

 嫌な予感がして、私は広場の隅に積まれた多くの積荷に手を伸ばした。


「ステアー? 何してるの?」


 麻袋の中身や腐りかけの木箱を見ては放り投げていく。

 そして……見つけてしまった。


「こんな物の為に……」

「ステアー?」


 背後から理緒が駆け寄ってくる。

 そして、私の手の上にある物を見て理緒も流石に察したようだ。


「それって……」

「ええ、SDD……バヨネットが探ってる薬物。ここはブリガンドにとっても物の隠し場所になってたようね……それを知らずにやって来た者は運が悪ければ殺される」

「コイツをやる為に奴らが……クソッ!」


 私も理緒もやるせない気持ちでそれ以上言葉が出なかった。

 沈黙が支配する中、タツを埋めてあげた。手頃な長さの枝を折り、墓標とすると、生前着ていたコートを結んであげた。

 墓を作って弔うなんて今日日出来ない世の中で、今私達が出来る事はこれしかない。

 タツの墓を見て、私の隣で理緒はまた涙を流していた。

 私が死ぬ時は、墓の中で眠れるのだろうか……。


 どっちにしろ今は死ねない。

 任務もあれば仲間もいる。それにこんな下らないヤクの出回ってるこの世の中をそのままにしてたら安心して眠ることも出来ない。

 明日、夜が明けたら任務に戻る。一眠りしたら理緒の心も少し落ち着いてることを願って、私は泣きじゃくる理緒の背中を擦りながら車に戻っていった。

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