第4話 持っていくもの、置いていくもの

 事務所に置いていかれた、弾丸財宝へ繋がるかもしれない地図。

 照明に照らされた雑に折りたたまれた跡が残るそれはまるでひっくり返った虫のように折り跡に沿って歪んでいる。

 それを手に取り、蛭雲童がなるべく平たくなるように地図を伸ばし、私の机の上に置いた。


「しかしまぁこんな昔ばなしにマジになるやつが本当にいたんッスねぇ」

「なに、蛭雲童はこの噂知ってたの」

「知ってたっていうかなんつーか、昔同僚からちょっと聞かされたのをさっきの依頼で思い出しただけですぜ。その弾薬庫を見つけたらヴィレッジひとつ牛耳れるくらいの富が得られるだの、本物の金で作られた銃弾が保管されているだの、その地は呪われていて弾薬庫の中の物を持ち出したものは死ぬだの……。元の噂がなんであれ、あからさまな尾ひれがつきまくった噂だったんで? 俺ァ全然信じてなくて忘れてやしたねぇ……。噂を話してたソイツ自体も、こんな噂信じる馬鹿いねーよってゲラゲラ笑った覚えがありやすし」


 ブリガンド時代の記憶を呼び起こし、懐かしそうにうんうんと頷きながら語る蛭雲童。彼も知っていたとなると、やはり地上で長年暮らしている人の間で広がっていった噂のようだ。

 少なくとも私がシェルター暮らしだった時にそんな噂は聞かなかったと思う。人が集まる食堂で働いてた理緒すら知らなかったようだし。

 そして、あくまでその噂はほとんどの人間が信じていないという事も分かった。あの酒場のマスター、タカハシも信じていなかったようだし、ブリガンドの間でも御伽噺の類だと思われているらしい。


「その程度の噂を、関西から来たあの男は本気で信じているのね……」

「みたいッスねぇ~しかしまぁあのチビ野郎――」


 チビ野郎。本来なら依頼人を悪くは言いたくないが蛭雲童は出迎えたのを露骨に無視されたり睨まれたりと、とてもじゃないが依頼人が仕事を頼むような態度じゃなかったし仕方ないか。


「――理緒きゅんやコロナ君よりもちっさかったッスね~。プライドだけは高そうだっだッスけど」


 理緒もコロナも百五十くらいだ。


「蛭雲童、本人がいないからって控えなさい」


 さっきまでいた理緒はキッチンの方に引っ込んでいる。枸杞もコロナもまだ上にいる。それを確認し、蛭雲童に「お前の真似をするようになったらかなわないわ」と言うと蛭雲童は後頭部を掻きながら「ヘヘヘ、気をつけやす」と薄ら笑い。言いたくなる気持ちもわかるけれどね。と付け加えると蛭雲童もやっぱりそうかと言いたげな顔をしたが、それ以上は言わなかった。


 改めて机に置かれた地図を見る。

 手書きで描かれた地図はかなり汚かったが、書かれている地名や道路名、方角などを手がかりに地図帳と照らし合わせて例の輸送車の場所を把握すると、その場所は横浜の三ツ沢という土地にある元軍輸送隊の基地がある場所の近くだった。その周辺で例の輸送車があるようだ。それだけ分かれば十分。

 新たに自作した地図をタブレットで撮影する。地図を持ったまま席を立ち、ソファーの方へ移動する。


「ライター持ってる?」

「え? ああはい。吸うんで?」


 いや、と一度だけ言い、差し出されたライターを受け取ると新しい地図に火を点けてテーブルの上の灰皿に放った。

 それを見て「えっ」と声を漏らしたのは蛭雲童。声は出したものの灰皿の上で燃えながら黒い灰へと変わりゆく紙をただ見守っている。


「燃やしちゃって良いんですかぃ?」


 亜光から貰った方の地図を蛭雲童の前に置き席を立つ。


「心配ならそれを他人にわからない所に保管するか、複製してから燃やして。いいわね?」

「へい。姐さんはこれから何を?」


 蛭雲童の声に階段を上がりながら応える。


「部屋で休むわ。私を指定する依頼が来たら断っておいて」


 狭い階段を手すりに捕まりながら上がってく。その背後で蛭雲童のお疲れ様っすーという気の抜けた声を聞きながら。

 自室に戻り、付けていた装備を放りコートを椅子の背もたれにかけ、ブーツを指で引っ掛け途中まで脱いだ後は足を振る勢いで背後に飛ばす。脱いだブーツは放物線を描いて床を跳ねた。

 窓から差す外の光に当てられたベッドに顔から突っ込む。何日ぶりかの私の寝床。こころなしか家を出る前より綺麗になっている気がする。


「はぁ……」


 お世辞にも柔らかいとはいえないベッドであったが、上等だ。地べたや寝袋での野宿に比べたら天国のよう。

 あたたかい布団を握りしめると、自然と抱き枕のように細く纏めて抱いた。薄っぺらい掛け布団ではあるがそれでもぎゅっと固めれば柔らかいクッションのようになりまるで大きなぬいぐるみを抱いているような感覚。ふと、昔は父が拾ってきたクマのぬいぐるみを抱いて寝ていた事を思い出す。それで少し恥ずかしくなったが、何故だが布団を抱く腕の力はより強まった――。




 ――いつの間にか、寝ていたらしい。

 小さく欠伸をしながら起き上がる。私が起きたタイミングで一階の玄関が閉まる音がすると、小さくカタン、と営業終了の看板を出す音がして結構な時間を寝てしまっていたと気づく。

 事務所は営業終了とともにリビングとなる。一階の事務所、二階の個室という境界線がなくなり、急に部屋の空気が一変、一階も二階も私達の〝家〟となる。

 傭兵という仕事次第では死と隣り合わせという重く冷たい空気から、気心知れた友人たちのシェアハウスに似た暖かな居住スペースとなって私を含め皆の顔から緊張の色が消えていく。あの看板が出されると、私はようやく休みを感じることが出来た。寝たことよりも疲れが抜けていく気さえする。

 太陽が東へ沈みこみ、夕焼けとともに外の空気が生温くなってくる夏空を二階の自室から眺めていると、一階のキッチンの換気扇からのぼってくるネギと塩の香りから夕飯を想像して楽しんでいると、今この場所だけ外界の理不尽な暴力や喧騒から隔離された楽園なのではと錯覚する。

 階段の方から「飯だぞお前らー!」という理緒の通りの良い声を聞いて隣の部屋の枸杞がバタバタと部屋から出て階段を降りていく足音が聞こえてくると自然と笑みが溢れた。

 遅れて隣の部屋からもう一つの足音が廊下に出ると私の部屋の前で止まり、コンコンと足音の主がノックする。


「ステアー。ご飯できたって」

「今行くわ」


 コロナだ。静かで、まるで鳥のさえずりのような美しい声はドアに阻まれ少しくぐもっていた。それでも透き通るような個性的な声は心地よい風が耳から入って体の中の黒いものを浄化してくれるようだった。

 声変わりを迎えることのない、永遠の中性的な美声というのはただ言葉を発するだけで人の心を掴むものなのか。これが一種のカリスマなのか。

 しばらく扉を見ているとどうやら扉の向こうでコロナは待っているようで足音がしなかった。

 もう少し魔都の防壁の向こうに消えゆく夕日を眺めていたかったが私は扉の向こうの太陽に会うため、自室の窓を閉めた。



******



 日を跨ぎ、十分に睡眠をとって早朝。仕事に向かう人々の足音や朝っぱらから乱闘騒ぎしている連中の罵声や殴る蹴るの音で目が覚めた。ここに住み始めてからは朝はいつもこうだ。

 しかし所詮他人事。私の家を壊したり助けて欲しいと泣きついてこない限り、ああいう厄介事全てに首を突っ込んでは身が持たない。というのもここに住み始めてから学んだことだった。


 

 朝降りて行くと既に他の仲間は起きていてそれぞれの朝の日課を済ませていた。

 枸杞とコロナは給仕アンドロイド……名前はセバンだったか。彼に身だしなみをチェックさせられており、それをソファーに腰掛けている蛭雲童が回覧板と交互に眺めている。

 理緒は朝食を作っているのだろう。姿はないがキッチンの方から味噌の香りが漂ってきている。微かにだが食器を運ぶ音や何かが煮えているぐつぐつという音が聞こえると急にお腹が空いてきた。


「おはよう」


 私が欠伸混じりに言いながらソファーに座ると部屋中の皆が一斉におはようと返す。しかし蛭雲童とセバンだけは相変わらず「おはようございます」だ。


「蛭雲童、セバン。一緒に済んでいるんだし別に主従って関係じゃないんだからもっと気軽に話していいのよ」


 そう言うと蛭雲童もセバンも同時に首を横に振った。


「俺ぁこれでも気軽なつもりですぜ? これは敬意ってやつです。俺は姐さんを慕って着いてきた身ですから!」

「ボクはコロナ様に仕えるアンドロイドです。コロナ様のご家族にもお仕えするのは従者として当然です。お気遣い感謝致します」


 似たような事を言っていてもここまで口調が違うと面白いなと思った。二人とも自分の立ち位置を自分で決めているのだから私がどうこう言うのはこれ以上不毛か。無理強いは望まない。

 変に気を遣わせているのではと思っていたが今までなんとなく言い出せずにいたけれど、まぁ特別気を遣っているという感じでも無さそうだしこのままでいいのだろう。

 特にセバンはそういうプログラムのようだし、私が口頭で設定に反する事を言っても聞き入れはしないだろう。

 そんな事を思っていたら蛭雲童がわざとらしくソファーに座ったまま伸びをして背もたれに体をあずけると、これまたわざとらしい口調で文句を垂れる。


「お仕えするって言う割にはセバン君は俺の命令は聞かないよなぁ~!?」

「私にはストリップ等の機能は備わっておりませんので」


 音声ソフトから形成される合成音声にも関わらず、肉声と違わぬ滑らかな声で話すセバンはまるで感情があるかのようでたまに私は人間と同じような存在だと思ってしまいそうになる。

 そんな流暢で感情すら感じさせるセバンから凄まじく感情のない冷たい反応で返される蛭雲童を見てくつくつと思わず笑ってしまった。というか私のいない間になんて命令をしているんだこの男は。


「アンドロイドにそういうプログラムを仕込んだ男が過去にいたんだけど、その男最期どうなったか教えてあげようか」


 コロナが蛭雲童をまるで生ゴミにたかるコバエを見るような嫌悪を殺気が合わさったような視線を送る。ビシビシとその視線を受ける蛭雲童は「サーセン」と小さく言って苦笑い。

 しかし蛭雲童は微妙に気になったようだ。


「……どうなったんだ?」

「違法改造の他、限られた物資の私物化などなど様々な罪状が重なって空気汚染の深刻な地域に防護服無しで追放。ミュータントの餌になるか体が有害物質に耐えきれずに死ぬかの二択だったろうけど、楽には死ななかったろうね」

「ヒエッ……」


 蛭雲童は冗談だろ? と言わんばかりにとぼけたビビり方をしているが、コロナの口ぶりから察するに本当にそうなったのだろう。

 しかしどうあれ蛭雲童にアンドロイドのプログラムを弄るなんて芸当は無理だろう。

 話しながらコロナと枸杞はセバンから開放され私と同じソファーに腰掛け、見計らったかのようにキッチンから理緒が器用に両手両腕に皿を乗せて零すことなく私達の前に朝食を並べていく。


「今日はネギの味噌汁とうなぎの白焼きだよ」


 木彫りのお椀によそわれた味噌汁と炊きたての白米。木皿の上に更に大きな葉が敷かれ、その上に人数分の白焼きが白い湯気を出している。

 毎度の事ながら、理緒はシェルター暮らしの時から食堂のキッチンに立っていたとはいえ、明らかに設備がシェルターの食堂以下な事務所のキッチンでまともな食事を用意してくれる事に驚きを隠せない。

 私が料理を任されていたら、きっと年中水洗いしただけの野菜をサラダと言い張り、肉は捌いて塩をかけて焼いただけというワイルドとも言い難いなにかになっていただろう。


「いただきます」


 私とコロナが手を合わせてそういうと理緒も続き、地上生まれ地上育ちの枸杞と蛭雲童はそんな私達を見て訳がわからないがとりあえずやっておくかという様子で私達を真似た。

 文明崩壊以前はどうだったか知る由もないがネギとかいう萎びた枝っきれのような野菜も理緒が味噌汁などの汁物に入れて使うまではまさか食べれるものとは思わなかったし、荒川の方でコロニーを作っているうなぎとかいう蛇の親戚みたいなものも、初めて触った時の気持ち悪いぬめりから食わず嫌いでいたが今では抵抗もなくすんなり受け入れられるようになっていった。

 今では理緒がちょっと贅沢して調味料だの商材だのを仕入れたいと言っても誰も止める者はいない。完全に事務所全員の胃袋を掴んでしまっていた。



******



 朝食を済ませ、仕事の準備をする。といっても装備はいつもと変わらない。

 武器に弾、薬に、最低限のサバイバル道具と、情報収集する際の賄賂用を含む少し多めの金。いつも纏めて部屋の隅に放り投げていた。そして仕事に行く時にまとめて持ち出す。

 新調したブーツの履き心地を確かめると自室から出る。


「あら」


 綺麗な茶髪が目に入った。

 理緒だった。絶対についていくと頑なな理緒は朝食の後、私よりも早く装備の準備を済ませ、私が自室で準備を終えた時には部屋の前で待ち構えていたのだ。


「ステアーおそーい」


 肩にクロスボウを掛けた理緒。後腰に矢筒、背中にはワンショルダーバッグと荷物は最低限で急な戦闘でも動けるような装備だ。

 白い歯を見せて笑顔を振りまく理緒の姿は漫画によくある放射状の後光が出ているようで、その様子を擬音で表すならば正しく〝パァァ……!〟であり、それ以外に例えようがなかった。

 よっぽど私と一緒に仕事できるのが楽しみらしい。


「随分乗り気ね。武器はそれだけ?」


 クロスボウに視線を向けて言う。軽装でいることは大事だが、武器が一つではそれを失った時に保険が効かない。多少鍛えているのだろうがそれでも子供。素手で戦うのはリーチも筋力も不安がある。

 理緒曰く、柔術的なことも習ったと言っているがそれをやっている様子を見たことがないので実際どのくらいのものか分からない。こんな事になるなら何処かのタイミングで仕事の様子をこっそり見に行ったりすればよかったななんて。


「まさか。しっかり仕込んでるよ」


 私がほんのり後悔しているのを尻目に理緒は私の質問に対し、唐突にコートの裾を捲り上げた。

 濃紺のカーテンが開かれるとそこには一分丈のスボンから伸びる健康的な二つの美脚。その足に巻き付いているのはレッグホルスターとレッグポーチ。ブーツにはナイフが差してある。綺麗な曲線を描く腿、そして膝というくびれから脹脛。その曲線はさながらモデル体型の人体の縮図。



 六歳程度しか違わない、十代同士だというのに私のとは全く違う足は私の中の女の部分を引き出すのには十分で、筋肉によって凹凸が目立つ私のものと比べてしまうと少し妬いてしまう。

 銃もナイフも持って装備は十分というのを見せたかっただけなのだろうが、余計なものまで目についてしまった。


「準備万端ね。行きましょ」

「あ、ちょ、待ってよー」


 そそくさと先に下へ降り、外へ出る。

 二階三階と積み上がった積み木のように歪な形の掘っ立て小屋の不揃いな屋根の縁や、滅茶苦茶に張り巡らされた電線の間を縫って差す陽の光の柱。遠くの方から聞こえてくるスモッグ警報のサイレン。

 ここでは珍しい晴れの日の朝の珍しい光景の中に一人、コロナが立っていた。昨日はしていなかった赤い縁のメガネをかけている。

 広い所に出ればいいのに、ジッと真剣な眼差しで狭い空を見上げている。


「コロナ……?」


 私の声でようやく私に気付いたらしく、頭は空に向いたまま、目だけ私を見た。「待って」とだけ言うと再び視線は上を向く。その様に私も釣られて空を見る。

 電線の網の向こうには原色のような真っ青と空色のグラデーションが眩しい。雲ひとつ無い空だというのに、手前の物が邪魔過ぎる。

 そんな事を思いながら見ていると、青い空の中に黒い物が動いているのが見えた。それは徐々に大きくなっていく。いや、近づいてきた。

 形がはっきり見える距離にまで来るとそれが何なのかすぐにわかった。丸い胴体に、四方に取り付けられたプロペラ。ドローンだ。

 それが真っ直ぐコロナの方へ向かって降りてくる。コロナの手元を見るもリモコンどころか何も持っていない。しかし電線の網を掻い潜り、縦横十センチ程のドローンはまるでパイロットでも乗っているかのような見事な飛行を行い、コロナの手のひらの上へ無事着陸した。


「え、なにそれスゴ……!」


 いつの間にか私の後ろにいた理緒が声を上げる。私と同じものを見ていたようだ。

 ドローンを手にして得意げにニコッと微笑むコロナ。


「ボクの脳波を受信して自由に動くドローンさ。カメラも内蔵していて、このメガネはそのカメラの映像を映してくれるのさ」


 そう言いながらメガネの縁をとんとんと指で叩いてみせる。よく見ると縁は少し分厚く、片方の耳はヘッドセットのようなカバーがついている。さながらモノラルヘッドセットとメガネが合体したような、そんな珍妙な機械だった。


「こんなものいつの間に……」

「材料と道具があれば作れるさ。本当は静音スラスターとかつけて高速移動出来る物にしたかったんだけど、それやると燃費も悪いし大型化してしまうから結局古いタイプのドローンを真似してみたんだ」


 コロナはそこまで言うと少し躊躇いながら、体をもじもじと揺らしつつ上目遣いで私を見つめる。


「これで遠くでなにかあった時でもボクもサポートできるかもって……。一緒にいるのにボク自身は戦えないし、役に立てないから」


 私はその気持ちだけでも嬉しかった。

 今じゃ子供でも働かねば生きていけないような厳しい世の中で、私は出来る限りコロナや理緒、枸杞は楽な生活をして欲しい。そう思って仕事をしてきた。

 しかしその考えは私の独り善がりなのだと昨日今日で思い知る。

 誰が楽をしたいと言った? 誰が守られたまま暮らしたいと言った? 今、目の前にいるのはただの子供ではない。自ら戦うことを選んだ戦士だ。その意志の前では私の庇護欲なんてちっぽけなものだ。


「コロナ――」


 膝を曲げて視線の高さを合わし、空色の癖毛を撫でた。陽の光で少しだけあたたかい。

 触れた頬はいつもよりも熱くなっていた。


「――ありがとう。頼りにしてる」

「あ……。な、何かあったら連絡してよ。ソレだってボクが直して回線も用意したんだから。活用してね」

「ええ、わかってる。じゃあ、行ってくるわ」


 立ち上がり、理緒の方を向くとスモッグ警報を聞いていたのか既にフィルター付きマスクを装着していた。

 理緒がコロナの肩に手を乗せるともう片方の拳の親指を立ててみせた。目元だけでニヤッと笑っているのが分かる。二人の顔がやたら近い。


「期待してるからな。でもま、今回は僕が活躍しちゃうから。そいつを磨いて待ってな」


 コロナの眉がぴくりと動いた。


「ボクは君がステアーの足引っ張らないか心配だよ。功を急いでいると変な所でミスを犯すよ」

「べ、別にそんなつもりはないけど」

「本当ー?」


 私も気になっていたことをハッキリと言ったコロナ。同年代だと言いやすい事もあるのだろうか。

 人には同じ意味を持つ言葉であっても、言った相手によって受け止め方が変わる事がある。私や蛭雲童が今コロナが言ったことを言ってもまた違った意味に思ってしまう事もあれば、同じ意味と思っても言った者の立場や普段から相手に対して思っている評価によっては素直に受け止められるか否か変わってしまうだろう。

 特に、私と理緒は同郷の幼馴染。年の差があったとしてもその付き合いの長さから逆に言いにくいこと、言ったとしてもちゃんと伝わらないというのもありえる。

 コロナの指摘に図星を隠せずにいた理緒だが、一度咳払いすると腕組みしながらコロナに真剣な眼差しを向けた。


「お前はさっき役に立たないって言ったけど。無線を直すとか、その機械作ったりとかで、普通にスゲーよ。古い機械のスクラップも少し見ただけでなんだか分かるしおまけに修理も出来る。お前はお前の才能ややった事の大きさに気付いてないだけだ。お前はずっと今まで役に立ってるんだぜ」

「それを言ったら理緒、君だってそうでしょ。君は周りの人間が焼いただけの肉や野菜を食べているような原始的な生活をしている中で店を開けるレベルの料理を作れるという、ボクにはない特技があるじゃないか。セバンだって料理プログラムはあるけど、そのプログラムの中にある料理が今ある食材で作れるか分からない。ハッキリ言わせてもらうよ。ボクは君がいない間の事務所のご飯が不安で仕方がない」


 饒舌に語るコロナの瞳が陽光を反射し宝石のように煌めく。謙遜と卑屈は受け手の解釈になってしまうが、言っている側からしたら言った言葉が本人の真実なのだ。

 自分の心というフィルターによって他者の評価を見えにくくしてしまう事はよくある事で、そのフィルターを取ることは難しい。

 しかし、今この二人はお互いが抱いていた相手への思いを仕事の前という状況で告白することで、自己評価の低さという壁を〝認め合う〟というハンマーで破壊したようだ。

 マスク越しでも理緒の表情から焦りが抜けていくのがわかる。

 そして、お互いが言いたいことを勢いに任せ言ってしまった事に気づき。二人は同時に視線を逸らした。


「ま、まぁ? そんなに僕の料理が良かったんなら? 帰ってからとっておきのを作ってやるよ」


 つま先で地面を突きながら話す理緒のしおらしいこと。

 逆に言いたいことを言えたからかコロナの方はスッキリした表情でフフッと可愛らしく笑う余裕が出たようだ。

 コロナは言いたいことを全部言えたからか事務所の方に戻っていく。扉を開けながら、風を切るように振り向いた。白い歯を光らせて彼は笑う。


「行ってらっしゃい二人とも。でもボクは大人しく待ってるつもりはないからね」


 それだけ言うと事務所の扉は閉まった。

 最後の言葉がちょっと気になったが、理緒も落ち着きを取り戻したようで良かった。

 コロナが帰っていった所を見て胸を撫で下ろすと理緒が袖を引っ張った。


「ほら。さっさと行こ。ステアーは大丈夫だろうけどスモッグ来ちゃう」


 そう言われた時には二度目のサイレンが遠くで鳴っているのが聞こえた。


「ええ、そうね。行きましょ」


 私が歩きだすと理緒は先に外出届けを出しにヴィレッジの出口に向けて駆け出した。

 ふわりと舞う防弾法衣の隙間から覗く白い足を見送りながら。てくてくとついて行く私に理緒は走りながら声を上げる。


「はーやーくー!」

「そんなにはしゃいでたらこの先もたないわよ」

「大丈夫大丈夫ー! ほらこっちー!」


 両腕を広げ片足でくるりと一回転し、手招きしながら先を行く理緒。軽やかにステップしながら進む背中を追う私の足も自然と軽くなる。

 少しだけ長旅になる。途中、横浜ヴィレッジに立ち寄るのもいいだろう。

 新しくなったという川崎ヴィレッジは……まぁ、いいか。今更あそこに戻っても、得られるものなど何もない。あんな場所……というのは今住んでいる人々に失礼か。

 色んな思い出がある。でも、それ以上に辛い記憶がのしかかる。あの近くは出来たらこれからも近づきたくない。

 理緒は、どう思っているだろうか。私と理緒が再会して一緒に住み始めてからは一度も故郷の話はしていない。彼はブリガンドにヴィレッジが襲われた時、そこにいたから。きっと私よりも怖い思いをしているはずだ。その時に両親も殺されている。トラウマにでもなっているかもしれない。表面化していないだけで。


「なに俯いてるのさ?」

「えっ……」


 いつの間にか目の前に立っていた理緒が俯いていた私の顔を覗き込んでいた。少しだけ背伸びをして、顔を近づけてくる。少しツリ目の大きな二つの眼が私を見つめている。

 その時、一瞬その顔が酷く恐ろしいものに見えた。いや顔が恐ろしいのではない。ヴィレッジが襲撃され破壊された時の理緒の絶望に打ちひしがれたあの時の表情を私の中の恐怖心が今の理緒に重ねて見せた幻だ。

 ……トラウマになっているのは、私の方なのかもしれない。


「どうしたんだよ。辛気臭い顔して。置いてっちゃうぞー?」

「あ、ああ。大丈夫。……行きましょ」

「よーし、レッツゴー!」


 私の手を取って走り出す理緒。

 そうだ。仕事は始まったばかり。私がこんな気持ちでいてどうする。

 行かねば。悩むのは一旦中止。こんなことでは私が理緒の足を引っ張りかねない。それだけはできない。


 理緒に手を引かれながら、私も駆ける。

 スモッグが近づき白くなりかけた空の下を。仕事に出る人、炊き出しの受け取りをしに行く人、武装した警備隊、客引きのために商品片手に声を張る商人、多くの人々の間を抜けてゆく。

 雑踏の騒がしさの中へ、私の中の雑念を置いていく。

 ヴィレッジの門で守衛に外出届けを書いて提出すると、はしゃぐ理緒の姿を見た守衛に「息子さん?」などと言われ苦笑しながら仕事仲間ですと答えて渋谷ヴィレッジから出る。

 何度も仕事で出入りする金髪の銃を持った女は流石に覚えられやすいのか、気づけば門周辺のヴィレッジ警備隊に顔を覚えられていたようで、私と理緒はなんだか家族に見送られるような穏やかな空気の中、私達二人は目的の地、三ツ沢へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る