第3話 絶対について行く!

 外はまだ昼前なのにも関わらず、窓のない事務所の部屋で重苦しい空気。

 私と蛭雲童。依頼人らしき小男に武装した男が二人。雰囲気的には深夜にギャングが事務所に集まって会議といった感じだ。

 カバーもついていないLEDの明かりが少し乱暴に事務所の中を照らす中、依頼人の小男は片手を上げて壁際に立つ部下の一人に合図を出すとアタッシュケースを持った部下がテーブルの上にケースを静かに置いた。

 部下は何も言わず、スッと前に出てきてまた同じ位置に戻る。


 依頼人の小男はソファーに座ると、足が床につかず宙で組み如何にも偉そうな態度で鼻を鳴らした。

 温和そうな笑みを浮かべてはいるものの、どうも端々に上から見るような雰囲気を感じる。


「これ前金です。噂の傭兵さんならそれなりの物がいる思いましてな」


 最初は聞き違いかと思ったが、どうも聞き慣れない言葉遣いだ。日本語には違いないようだが。

 少しイントネーションが違うくらいならよく聞いていたし、なんなら地上生まれと地下生まれでも少し違ったりするものだからあまり訛りに関して気にしたことはなかった。

 この男はどこからやって来たのだろう。


「ちょっと待って。そもそも受けるとは言っていないし、どこの誰かも分からない人間の仕事を安々受けたりしないわ」


 事務所にドカドカ上がりこんできて名乗りもせずいきなり意味不明な依頼をしてきて、私がハイわかりましたなんて言う人間だとでも思ったのだろうか?

 私の言葉に小男、忘れてたと言いたげにわざとらしく目を見開いて見せると乾いた笑い声をあげた。


「いや失礼しました。あまり部下以外の人間と話すことが無いもんで……」


 男は続ける。


「私、速攻会っちゅう組織の頭をさせてもらっています〝亜光〟いいます」


 亜光と名乗った男の言う速攻会という組織に私は聞き覚えがなかった。と言っても私自身、地上生活を始めて一年も経っていない。

 私の知らない事がまだ地上には多くあるだろうし、頻繁に活動が話題になっていない組織なら耳に入ってこないってことも十分にありえる。


「この辺じゃ聞かない名前の組織ね」

「せやろうなあ。ウチらは元々関西の方で活動してまして」

「関西?」


 関西といえばここからずっと西の土地の事だ。

 向こうも向こうで荒廃しており、文明崩壊後どうなっているかまるで分からない状態だと聞いたことがあった。

 昔は新幹線という高速で移動する乗り物が走っていたという線路を伝って行く以外はブリガンドとミュータントが跋扈する廃墟群や一度入れば出られる保証のない山々を抜ける必要があり、そんな危険地帯を抜けてまで西に渡る理由も余裕も無いということで、私が生まれる前から西への開拓はどのヴィレッジも頓挫したと。

 関西ではどの程度復興が進んでいるのだろう? ふとした疑問が浮かんだが、質問する前に亜光は自ら私の浮かんだ疑問の答えを語ってくれた。


「関西の方はもうなんちゅうか滅茶苦茶な感じでしてなぁ。ここみたいなヴィレッジなんて気の利いたものも無くて、奪い合い殺し合いは当たり前。もうやってられんって訳で、一か八か地元の着いて来たい連中連れてこっち来たっちゅうわけですわ。どいつもみんなこのままやったら死ぬって分かってましたからなぁ」


 私が思っていたよりも向こうは酷いことになっているらしい。このまま関西に居続けたら死ぬと思って逃げてきた人々の集まりにしては名前が物騒な気がするが、恐らく向こうで活動してた時の名残なのだろう。組織名自体で威嚇するというのは聞いたことある。それが効いたって話は聞いたことがないけれど。

 逃げてきたということは、つまりそういうことなのだろう。

 ふと、視界の隅で蛭雲童がもぞもぞとなにかしているのでそちらを見てみると亜光の言ったことをメモっている。元ブリガンドとはいえ、商売人でもあったからかマメだなと思った。

 感心してないで私も見習わなければ。と思うも別に覚えてるし、最悪蛭雲童にメモを見せてもらえばいいかなんて思ってしまうのは流石にガサツすぎか。


「今は何処に? 大勢で渡ってきたならヴィレッジも受け入れてくれないでしょ?」


 そう。ただコチラに渡ってきても何処かで野営でも張るしかない。ヴィレッジの外は至る所に小中規模のブリガンドの組織が拠点を構え、ブリガンド同士でも縄張り争いをしているような中でいきなり西からぞろぞろと新参がやってきても住める場所がない。ヴィレッジもそんな人数を受け入れられる余裕なんてないだろう。

 ここに部下まで連れてやってこれるとするならば、拠点に置いてる部下も合わせれば相当数の人間がどこかに住み着かないとならないはず。

 亜光は私の質問に簡単に答える。


「川崎に無人のヴィレッジの跡地があったんでそれを……」

「なんですって?」


 私は思わず腰を上げてしまった。

 川崎ヴィレッジは私の故郷で、ブリガンドの襲撃で崩壊したのだ。


「……どうしたんです? 川崎になにか?」


 私が立ち上がったことで周囲の空気が凍りついた気がした。

 亜光の部下も身動きしなかったものの、冷たい視線を私に送ってくる。

 蛭雲童も鳩が豆鉄砲を食ったような顔で私と亜光を交互に見ている。その手は亜光に見えない所で腰に差したナイフのグリップを撫でている。私の語気が強くなったことで即座に亜光を敵だと判断したようだ。そんな蛭雲童に大丈夫という意味を込めて小さく首を振ると分かったらしく僅かに頷いて応える。

 少しの逡巡。この空気をなんとかしようと私はゆっくり椅子に座り直した。


「いえ、私の住んでた所だっただけよ。ブリガンドにやられて、ね」

「なるほど。確かにえらい破壊されとったねぇ。地下シェルターの防護扉なんて修復不可能な程破壊されてました。しかし今は発電機も直しまてんし、医療施設や食堂も機能したので、新生川崎ヴィレッジとしていつか関東ヴィレッジに名を連ねていきたいところですねん」


 亜光が言い終えた所で、キッチンに籠もっていた理緒と枸杞が出てくる。その手にはお盆に水の入ったコップ。

 私の後ろを通って枸杞が蛭雲童に、理緒が私と亜光にどうぞと水を出すとニコリと笑顔を作り、二人とも二階に上がっていってしまった。


「今の子供は?」

「幼馴染の子と、色々あって引き取った子よ。他にもう一人いて、みんな手伝ってくれるのよ」


 それを聞いて亜光は下品な笑みを浮かべる。それはまるで嘲笑のようだった。


「まるで託児所やな」


 亜光の言葉に私は物申したくなったが、それを遮ったのは以外にも蛭雲童。


「いやぁさっきの青い服の子なんて料理の達人。赤目の子はまだお茶汲みだけですがなにかしたいという健気さに癒やされますし、上にいる子なんて神童と言っていいくらい頭のいいキレ者で、ハイテク機器を扱わせれば右に出るものはいません。彼らも立派な事務所の一員なんスよ」


 明らかに子供が嫌いで嫌味を言ったような相手に対し、彼らも事務所の一員だと言う蛭雲童。

 そう言われたら相手も何も言えない。そう分かって言ったのだろう。流石はブリガンド相手に商売をしてた男。口の上手さに私は開きかけた口を塞ぐしか無かった。

 大切な仲間を指して事もあろうに今から仕事を頼む傭兵事務所を託児所呼ばわりするこの失礼極まりない男の売ってきた喧嘩を、まともに買いかけた私は蛭雲童の言葉で冷静さを取り戻す。

 亜光も蛭雲童の言葉に何も言い返せなかったのか、鼻で笑うしかないようだ。

 そんな亜光に向けて蛭雲童は続ける。


「特にあの青い服の子、見ました? あの綺麗な髪と長いまつげ、そしてむっちりした太ももと短パン。あんな可愛い子の為だったら仕事も捗るってもんですわぁ~!」

「ハ、ハハ……。見てへんかったなぁ」


 私の感動を返せ。

 蛭雲童の少年趣味に亜光も若干引いたようで笑顔が引きつっている。当の蛭雲童は引かれている事に気付いていないようで、鼻の下を伸ばしながらヘラヘラと笑っている。

 溜息を漏らしながら私は脱線した話を元に戻すことにした。

 このまま蛭雲童の性癖公開ショーが始まっても困る。


「コホン……。貴方の素性は分かったわ。それで依頼のことだけど」

「そうそう。弾丸財宝の噂を追ってほしいんですわ」

「それ本気で言ってるの? あれはただの噂でしょう」


 ただの噂。そうタカハシが言っていたのを思い出す。

 その時、亜光の目の奥に自信に満ちた光が見えた気がした。ニヤリと笑った亜光は先程前金と言った机の上のアタッシュケースに手を付け、その場で開けて見せた。

 そこにあった物。それは大量の弾丸だった。そしてそれがただの弾丸でないこともその輝きで分かる。私も蛭雲童もそれを見て思わず立ち上がる。蛭雲童に至っては食い入るように前のめりになっている。


「な、なんだこの弾……! 新品同様のピッカピカ!」


 蛭雲童が驚いていると亜光は上階にも聞こえるくらいに得意げに笑い声をあげた。


「ガハハハハ! 凄いやろ? 噂の弾薬庫はこれがもう想像できんくらいごっつ山のようにあるっちゅう話やねん。そしてそこが出処くさいブツがここにある。全くなんにもないよか現実味を感じるやろ?」


 それは再利用された薬莢や弾頭で作られたようなリサイクル品や今の技術で作られるような粗末な弾薬ではない弾丸だった。

 汚れ一つ無い銃弾が黒いスポンジのようなもの、恐らく緩衝材の一種と一緒にアタッシュケースの中に収まっており、雷管がずらりと並んでいる。それはかつて資料で見た事ある文明崩壊前に使われていた円硬貨のように見えた。

 私もたまに綺麗な弾を見かけるが、一度にここまでの数を見たことはない。


「前金で百発。成功報酬として、見つけた弾薬庫から両手に持てるだけ持って行ってええって言うのはどうや」


 通貨の代わりに使われているスクラップや弾薬というのは大体の価値が決まってはいるが、その保存状態で価値が上下することもある。そして新品の弾薬というのはその希少性から相当高価な物として扱われている。そんなものを百発となれば相当遊べるどころか、高価過ぎて使える場所も限られるレベルだ。武器の新調だったり、使用可能な家電製品を買うことだって出来るだろう。

 しかしそんな事よりも疑問が浮かぶ。どこから聞くべきか……。


「こんな物をどこで?」

「たまたまこちらでの入植地を探している時に発見した輸送車から。保存状態が良かった物を掻き集めたらそれの五倍は出てきましたね。その輸送車、明らかに民間企業や警察の物じゃ無かった」

「……軍用?」

「ただの軍用でも無さそうやったね。長旅の中でも関西の方でも見たことのない型でしたから」


 軍用だろうけど、見たことのない型の輸送車。

 私が魔都に入った時の事を思い出す。魔都の中には特別なヴィレッジが存在していて、そこには文明崩壊前から存在していた秘密結社が子孫によって存続されていた。彼らはオーバーテクノロジーともいえる多くの技術を有していた。高性能で人間に見間違えるほどに精巧なアンドロイドを執事や兵士にし、遺伝子操作で意図的に様々な才能を持つ人間を造り出していた。

 そんな彼らももう今は存在しない。しかし彼らが今いなくとも彼らや彼らの先祖が暗躍していたその残り香が噂の正体ならば、ただの噂だと笑ってはいられなかった。

 彼らが関係していた場所の輸送車なのか、それとも似たような別のものか。

 ……急にきな臭くなってきた。


「その輸送車と弾薬がその噂の根拠って事かしら?」

「その通り」


 そう言いつつ亜光はアタッシュケースをゆっくり閉じて再びソファーに座ると出された水をぐいっと飲み干した。


「輸送車が何処からやってきたのか突き止めれば、噂の真相にたどり着くと思います」

「……もし何も見つからなくてただの噂だったら?」

「前金は返さなくて結構。ただ、ウチらも色々探しましたが一度に割ける人員も限られていますし、まぁ正直何も情報が得られてません。ですがこれだけは渡しておきます」


 亜光は一枚のメモを机の上に置いた。


「輸送車があった場所を記してあります。依頼を受けるなら、ここに置いていきますが……」


 魔都に潜んでいた連中の技術は本物だった。仮に噂が本物だとして本当に今でも動いている工場と弾薬庫があるなら、それはもう今の地上の経済を握ることも出来るような大発見となるだろう。

 そこから作られる弾が地上に出回るようになれば、少しはヴィレッジの人々の生活も豊かになるかもしれない。危険な状況でも銃弾をケチるなんて事もしなくて済む可能性だってある。

 ただの噂と言われていたものにこんだけの大金を前金に寄越すとなるとこの男も本気なのだろう。それに……。

 私は蛭雲童の方を見る。蛭雲童の顔には受けるだけ受けちまえよ! と顔に書いてあった。


「ここいらで今一番話題の傭兵と聞いてきたんで遥々廃墟を超えてやって来たんや。良い返事、聞きたいなあ?」


 にこやかに言ってはいるが、亜光の目は一切笑っていない。それどころかさっさと受けろやこのノロマがとでも言いたげな鋭い眼光を放っている。

 この場で決めなければ他所に行くと言いたげだ。

 断る理由も無い。相手の素性と最低限の情報が聞けたのならこれより先は私の仕事だ。



******



 バタン――。

 亜光とその部下達はアタッシュケースと輸送車のメモを置いて事務所を出て行った。

 私はやっぱり嫌な予感がするなと思いつつも、結局物欲に負けてしまった。


「ハァ……」


 大きなため息が思わず出てしまった。机に突っ伏す私を見て蛭雲童は首を傾げつつニヤニヤとだらしのない笑顔でアタッシュケースを胸に抱えている。


「いやぁヤバいっすね姐さん。こんな前金見た事ねぇや。つーか普通の成功報酬含む依頼料でもこんなの今まで無かったじゃないですかぁ!」

「だからなんか胡散臭いのよ……」

「そらぁ疑いすぎですぜ! 確かになんかムカつく態度のチビ野郎でしたがね。こんな依頼。仕事してるフリしてテキトーやって噂は噂でしか無かったって帰しちまえば良いんですよ」


 蛭雲童のとんでもない発言に私は顔を上げた。


「それは私の流儀に反するわ。サボってたのがバレたら看板にも傷がつく」

「相変わらず真面目っすねぇ~。姐さんをご指名でしたし、やるんだったら俺ァ留守番してますよ」


 蛭雲童は最初から受けるだけ受けて前金を貰ったら仕事をせずに依頼人に失敗報告だけする予定だったらしくやる気はないようだ。まぁやる気があったにせよ私が動くとなれば蛭雲童か理緒かどっちかには留守番をしてもらわないといけなかったしいいか……。

 そんな事を思っているとドタドタと階段を降りる音がした。足音からして理緒だった。

 階段の方を見ると理緒が少し興奮した様子で私の前にやってくる。


「話。筒抜けだったから聞いちゃった」

「……なんだか嬉しそうね?」


 私がそう聞くと理緒はニッコリと満面の笑みを浮かべる。あまりにもニコニコしすぎて逆に怪しいくらいだ。


「僕も一緒に行くからね」

「ダメよ」


 即答した。

 確かに理緒はここ最近戦う術を学んできたみたいだし、私に認めて貰いたいのか隙あらば良い所を見せようとする。そこが逆に連れて行きたくない理由だとも知らずに。

 今の理緒は見栄を張る傾向がある。私と一緒に行動すれば身の丈以上の問題に突っ込んだりしそうで、なんだか危なっかしいのだ。

 私が即答したのが不満なのか頬を膨らませながら更に距離を詰めてきた。

 背後に回り込んで私の背中と椅子の背中の間に無理矢理体を収めると手も足も使って抱きついてくる。


「いーやーだー! 僕も行くー!!」

「理緒には理緒の仕事があるでしょ。どうしたのよ」

「そう言うと思ってました! これで文句は言えないでしょ!」


 理緒は背後で得意げに言うとゴソゴソとポケットを弄り机の上にタブレットを置いた。まるで宿題をやったかと親に問われて言われる前に済ませていた子供の様。

 その画面には理緒が受けた仕事の内容が書いてあり、全て完了しているようだった。中には私が知らない仕事もあった。


「人身売買をするブリガンドの暗殺、依頼人の家族を殺した犯人への仇討ち、ヴィレッジ警備隊の警備業務への助っ人……なにこれ」

「蛭雲童にはちゃんと報告してるし報酬もちゃんと記録してもらってるからね。ステアーは僕に戦いをさせたくないみたいだけど、僕だって地上で色んな経験をしてきてるんだよ! だからいい加減一緒にやらせてよ! 絶対役に立つから!」


 そんな事を言いつつも背後から子供のように抱きついて離れない理緒。

 私はどうしたらいいのか分からず蛭雲童に助けを求めようと視線を向けるが、蛭雲童は私に向かって羨ましげな視線でジッと睨み返してきた。理緒に抱きつかれているのが相当羨ましいらしい。

 これは味方には出来ないなと確信を得ると私はまたため息が出てしまった。


「無茶しない?」

「しない!」

「勝手な行動はしない?」

「しーまーせーんー!」


 あーもう。そう言われてしまっては疑うわけにもいくまい。

 背後で駄々っ子の如く足をバタつかせて私の言葉を待つ理緒に、私は根負けした。


「……分かったわ。何かあった時は私の指示通りにね。いい?」

「わーい! 頑張るからね!」


 仕事は明日から始めるとしよう。

 高額の依頼だ。たとえどんな内容でも、貰った額分の働きはする。それが私のやり方。

 理緒の実力を認めていないわけではないけれど、どれだけ頑張っても、私にとって理緒は可愛い弟のような存在なのだ。

 だから正直、殺しとかそういう事には手を染めて欲しくなかった。

 ヴィレッジの中だろうと外だろうと盗みや殺しが横行する世の中で、それを願うのは無理だっただろうか。そういう世界を知っていなければ逆に危ないということもある。

 私は、過保護すぎなのだろうか……?

 こんな事を考えている私よりも、もしかしたら理緒の方が大分大人なのかもしれない。


「てかさ」


 理緒がトントンと肩を叩く。

 振り向いた瞬間、柔らかいものが頬に当たった。理緒の指だった。細くしなやかだけど、毎日料理や傭兵業で調理器具や銃を使う手は少しマメが出来ていた。

 私の頬を突きながら理緒は不満げに唇を尖らせている。


「……なによ?」

「外でスリに合ったの、流石に不用心すぎない?」


 帰り際に移民街でスリにあった時の事を言っているようだ。そんな事もあったなと思いつつ、理緒が納得する言い訳を考える。

 実際の所、物陰に潜んでいるスリには気付いていた。緊張の息遣いさえ感じていたが、私はそのスリの姿を見た時にわざと盗まれても良いやと思った。それで他の誰かが被害にあわずに

 あまりにもみすぼらしかったのだ。今ここで少しでも金を得なければそこらへんで野垂れ死ぬ。そんな様子だった。私の金を盗もうと伸ばした手を掴んでひねり上げればそのまま腕が折れてしまいそうなほど貧弱そうな男。

 私の小遣いの使い道は別にここでもいいか。なんて思っていたのだ。上手く盗んでくれたら見逃してやる。そう思っていた。結局、しくじった訳だが。


「……試したのよ」

「僕を?」


 理緒は自分が試されていたと思ったらしい。話の流れ的に自然ではあるし、そういう事にしよう。

 両腕を肩に回して顔を近づけてくる理緒。長いまつ毛が頬をかすめる距離で、触れてもいないのに頬のあたたかさを感じた気がした。

 チラリと蛭雲童の方を見ると歯を噛み締めたまま唇だけ開けた奇妙な顔をして私の顔をジッと見ている。めちゃくちゃ目をかっぴらいて。

 直視しにくい蛭雲童の変顔から目を逸らし、顔を近づけてきた理緒の方に顔を寄せる。


「え、ええ。あれくらい見逃さずに捕らえてくれないとね」

「えー、じゃあステアーはあのスリのこと分かってたのかー」


 理緒は少しがっかりした面持ちで足をぶらつかせている。私が気付かなかったことを自分は気付けたと思っていたのだろう。悪いことを言ってしまっただろうか。


「なんだ、そっか……。でも、それじゃあ僕のことちゃんと認めてくれたんだよね?」


 そもそも理緒を未熟者だとは思っていない。そう思っていたらそもそも事務所で料理以外の仕事をさせていない。

 いや、最初はダメと言ったのだけど、思っていたより理緒の押しが強かったから結局今みたいに根負けしてしまった。

 結局仕事はしっかりこなしているようだったし、許したのを後悔してはいない。だから今は理緒を認めてはいるつもり。

 ただ幼馴染が危ない仕事をするのは嫌だなと思っただけ。もしかしたら理緒もそう思っていたのかもしれない。


「理緒にはいつも助かってるわ。お昼も期待しちゃおうかしら?」


 私がそういうとパンッと蛭雲童が自身の膝を叩いた。


「さあ、理緒きゅんの駄々っ子攻撃に姐さんが完敗した所でメシにしましょうや」


 蛭雲童が悔しさ混じりに下唇を噛み締めながら言うと、理緒は突然机の上に置いていた鉛筆をむんずと掴むと勢いよく蛭雲童にぶん投げた。

 咄嗟に避ける蛭雲童。ヒエッとわざとらしく言って余裕の表情だが、蛭雲童の背後で鉛筆が音を立てて壁に突き刺さっていたのを見逃さなかった。

 背後でチッと小さな舌打ちが聞こえた。


「その気持ち悪い呼び方やめろよなオッサン!」

「オッサンじゃない蛭雲童お兄さんだ!」

「なぁにがお兄さんだ!僕より十も年上ならもうオッサンだ!」


 変えられようもない年の差による醜い言い争い。

 私は別に十も離れていないしと無関係を装っていたが、一つの椅子に二人が無理矢理座ってる不安定な姿勢のまま実質蛭雲童と理緒の間に位置する私。口喧嘩というには幼稚過ぎる言葉のじゃれ合いをするなら私を挟まないでやって欲しい。


「理緒きゅんは可愛いから理緒きゅんで良いんでーす!」

「ハァー!? 何言ってるわけ? だったらコロナや枸杞にもそうやって呼ぶんだろうな!?」

「枸杞君は無垢過ぎるしコロナ君はちょっと、美しすぎて怖い」

「何真面目に評価してんのよ……」


 呆れて思わず突っ込んでしまった。

 そしてその評価を理緒はお気に召さなかったようだ。


「ふーん。じゃあなにか。僕は身近にいそうな丁度いいやつみたいな。そーいう感じなわけ?」

「違うんだなーこれが。まぁ理緒きゅんは自覚無いだろうけど、理緒きゅんのその顔と太ももはマニア受けするんだよぉ!」


 直接言われたわけでもないのに私ですらちょっとイラッとくる蛭雲童の甲高い変声で放たれるおちょくり言葉に憤慨する理緒。

 真っ直ぐに蛭雲童に指さして理緒は最強の呪文を唱えた。


「言わせておけばキモいこと言いやがって……お前だけメシ抜きにすんぞ!」

「……すんません」


 ガチトーンで謝罪する蛭雲童に私は笑いを堪えきれなかった。

 心の底から笑えたのは久しぶりだ。

 依頼をこなすためにも、今日はゆっくり羽根を休めよう。

 明日からの仕事に未だ不安は拭いきれないが、今はなるべく考えないようにしようと思う。どう考えようが今からやれる事なんて殆どないのだから。

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