第2話 新たな仕事は宝探し

「弾丸財宝って知ってるかい?」


 雨上がり、厚い雲間から差し込む日差しが一日の始まりを告げていた。

 私とタカハシは雨上がりのアスファルトの上を歩いている。そんな中で荷車を引きながら唐突にタカハシが口にした言葉に私の思考が一瞬止まった。

 タカハシが口にした言葉に聞き覚えがなく、思わず聞き返す。


「え? なにそれ。金銀財宝じゃなくて?」

「その様子だと知らないようだね。まぁあまりにも嘘くさくて子どもの間でしか語られないような話さ」


 そう言うと自分で嘘くさいと言いながらも楽しげに語りだす。

 どこを見渡しても面白みもない、倒壊した建物の間を歩くだけの退屈を紛らわすには丁度いい。私は邪魔をせずその子供騙しのおはなしを聞くことにした。


「かつての日本はあらゆるものがここ、首都圏に集中していたらしい。それも千年以上もね。だから多くの人間を収容しておくシェルターなんかも多く存在してる。噂では国会議事堂の地下には政府要人を収容できる大型のシェルターがあって、非常時はそこから政治を行っていたとか」

「……へぇ」

「渋谷ヴィレッジは元は軍の中央病院地下にあった核シェルターに住んでいた人々が地上に再入植したのが始まりだけど、そんな感じで軍や政府に縁のある土地の地下には色々埋まっていて、その中には大量の軍の装備が保管されたまま埋もれてしまった施設もあるって話さ。そんな埋もれた施設の中にまだ設備が機能していて、新品同様の弾薬を製造と保管をする弾薬庫があるんだとか」


 製造の難しいネジや釘、ナットといった金具はその携帯性と価値の高さから新たな通貨として使われている。弾薬もその条件に合致しており、特に軍や警察、その他の武装組織や軍需工場のサルベージにより日本でも銃がありふれた物になってしまった今は弾薬すらも取引の通貨。基準は曖昧だが、どれも質が良ければより価値が上がるのだ。つまり弾薬、それも新品の物が大量に保管されている場所となったらそれは宝の山と言える。弾丸財宝。見つけられたら相当な遊んで暮らすどころか、やろうと思えば権力者としてこの廃世に君臨することも出来るかもしれない。独占せずにばら撒けば、手作りの質の悪い弾薬の存在が淘汰され皆が皆正規品の弾を使えると。なるほど夢のある話だ。


「でも動かせる状態で放置されているならともかく、何百年も動き続ける工場と弾薬庫なんてあるのかしら」

「まぁ無いだろうね。だからあくまで噂なのさ。噂が広まった頃は本気でその弾薬庫を探そうとした人は多かったそうだよ。僕の祖父の生きていた時代らしいから当時の様子は僕にも分からないが、世代が移り変わろうとも夢がある話って言うのは誰かが語って、それが受け継がれていくんだと思う」

「今回は貴方が私に話してその番が回ってきたって事ね」


 私の言葉にタカハシは笑いながら、そんな大それた意味は無いと言うと少しだけ歩む速度を落とした。

 荷車に積んだ家具や商売道具が重いのか、手伝おうと手を伸ばしたがタカハシは曖昧な笑みを浮かべながらやんわりと断るように手のひらを前に出す。


「単なる退屈しのぎさ。そんな話もあったなくらいに覚えてたら、誰かと話す時のネタになるよ。仕事柄、変な噂話は沢山聞けてね……また会うことがあれば他の話もしようかな?」

「ええ、その時は客として店に行くわね」


 仕事の帰りにまたひと仕事。ひょんな事から飲み屋の引っ越しの手伝いまで請け負うことになってしまったけど、一晩泊めてもらった恩もある。それに依頼料は払うと言われてしまっては断るのも悪い。とはいえ、仕事帰りにまた仕事を受けるなんて毎回やっていてはまたどやされてしまうかな。

 通りかかるキャラバンに同行してヴィレッジに向かえば良いのにと言ったが、思い立ったが吉日だとか。私に依頼されたのはヴィレッジまでの護衛、といってもあの高架下の店からなら歩いて一時間もかからない距離……の筈なのだがこの分では昼になってしまいそうだ。


「すまないね。本当は真っ直ぐ帰る予定だったんだろう?」


 背後のタカハシが荷車を引きながらついてくる。少し痩せてるなと思っていたが、案の定その足取りは重く、語りかけてくる声も疲れを隠せていない。歩く度に荒い息遣いが聞こえている。


「どうせ行く場所は同じよ。それに、一旦受けると言ったら結果がどうなろうと最後まで請け負うのが信条よ。……例外はあるけど」

「例外って?」


 そう言われてみると、改めてちゃんと考えたことがなかった。大抵の場合、何かをやって欲しいと言われ、私がいくらでやると言って相手が出せばそれをやって終わるからだ。

 イレギュラーが発生したことはそんなにない。全く無いわけではないけれど。


「うーん……」

「あんまりそういう例外に出くわしたことがないって顔だね」

「そうね。でも、強いて言えば――」


 どんな仕事も大きい小さい関係なく最後までやる。大抵暴力を伴う仕事だがブリガンドみたいな勝手に暴れまわる連中と違って、私の仕事は人の代わりに何かを行う事だ。それは大抵その人がやりたくでも出来なかった事を代わりにしてあげるという事。大げさだけど、大体はそうだ。今もただの短距離の護衛の仕事だけど、私は彼には出来ないことをしている。万人が自分の身を自分で守ることが出来るならば私みたいな人間はいらない。「アイツならやってのける」「アイツなら投げ出さずにやる」そういう口コミが、私の次の仕事を作る。

 でも、だからこそ相手も信用や責任を負って貰わねばならない。ホストがクライアントの全てを鵜呑みにしてイエスマンとなるのは古すぎる。

 そんなものは奴隷と変わらない。ホストはクライアントの下僕ではない。

 つまり、私の思う例外とは……。


「――最初の依頼以上の事を追加報酬無して言ってきた時、依頼がヴィレッジの秩序を乱すような内容だった時、仕事する上で致命的な嘘をついた時、つまりは〝私を裏切った時〟そんな所かしらね」

「ハハハ、君の信用を損ねてしまった場合どうなるか怖いね」


 苦笑交じりにタカハシ。私は真面目に答えたつもりなのだけれど。思ったよりも真面目過ぎる答えで反応に困ってしまったのかもしれない。トボトボと廃墟の中を行く中でのちょっとした雑談のつもりが、これじゃ雑談に花を咲かすなんて空気ではない。私のコミュニケーション能力の低さに後悔したが、直せる気はしない。

 二人して黙ったまま歩き続けていると、渋谷ヴィレッジの警備隊の姿がちらほら見える所まで辿り着いた。まだヴィレッジの中ではないが、ここまで来たら警備隊がタカハシを守ってくれるだろう。

 視線を少し上に向けてみればヴィレッジを囲う防壁が見えていた。地面から八メートル程の巨大な防壁が、中央病院のある駐屯地から渋谷駅までの数キロに渡ってぐねぐねと増改築を繰り返し細長く伸びている。

 その向こうには空を隠すほど高くそびえる巨大な壁が見える。千代田区の殆どと永田町、新宿区の一部を囲う文明崩壊前の超巨大防壁だ。円を描く防壁の内側は今や大気汚染と酷く醜く凶暴なミュータントが跋扈する〝魔都〟と呼ばれている。

 渋谷ヴィレッジは魔都を囲う防壁に近いヴィレッジではあるが、魔都の防壁が内側に満ちた驚異を外に出さないように守ってくれている。きっとその昔は逆に政府要人等を外から守るための物だったのだろう。それが今では私達生き延びた一般人を守る為の壁として機能している。かつての魔都で何が起きたのかは気になるところだけれど、それを知るすべはきっともう無いのだろう。

 私と同じものを見ていたのだろう、タカハシがふと呟いた。


「魔都を囲う壁、首都圏ならどこからでも見えるあんなでかい物を作ったご先祖様達はこの世界をどう思ってるんだろうね……」

「……さあ、私達の事なんかより、あの世でもなんかやらかしてここみたいにあの世も滅茶苦茶にしてるんじゃないかしら」

「そうだったら、自分たちが行く時には復興は済ませておいて欲しいね」

「そうね」


 クスクスと二人して笑い合う。そうこうしている内に短い護衛の旅は終わろうとしていた。

 駐屯地に隣接した広い公園を西側のヴィレッジ入り口として開かれている。野球もサッカーも出来る広い運動場はキャラバン隊の交易所として使われ、遠くからでも炊き出しの白い煙が上がっているのが見え、味噌汁の匂いが風に乗って漂ってくる気さえしてくる。


「久々に近くで見るけど壮観だね、ヴィレッジの壁は。もっと早くこっちに住めば良かった」


 いつの間にか私の横を歩いていたタカハシが白い息を吐きながら微笑んでいた。私とタカハシが目にしている渋谷ヴィレッジの防壁は首都圏に点在するヴィレッジの中でも横浜ヴィレッジと並ぶ堅牢さで、一月前も当時関東一の戦力を有するブリガンド集団の部隊による侵攻を防ぎきった実績を持っている。何層にも重ねた鉄板と木材の防壁は迫撃砲でも使わない限り破壊するのは困難。堅牢な壁はヴィレッジの中で文化的な生活をしようとしている住民にとって守ってくれる頼れる壁。私にとっても、そしてこれからはタカハシにとってもそうなるだろう。


「住める場所が見つかるといいわね。この辺じゃ一番安全って噂で住みたい人は多いから」


 瓦礫の海に浮かぶ船のように見える旧駐屯地の軍事施設は防壁の奥で威圧感を放っていた。東西二つに分かれている渋谷ヴィレッジでも大型地下シェルター、所謂本部があり、駐屯地や訓練所、ハイテク機器の研究施設など、軍事施設を中心に発展した西部渋谷ヴィレッジは首都圏のヴィレッジでは秋葉原ヴィレッジや市ヶ谷ヴィレッジと並び三大ヴィレッジと呼ばれるほど規模も物資も潤沢で警備隊もキャラバン隊も練度が高く、安全面において多くの人間が住みたがる所だ。ただ、いくら規模が大きくても受け入れられる人数には限りがある。移住したくても門前払いされる事はザラだ。私はそれが少し不安だった。金だけ貰って後は知らないとさっぱり見限るというのは、まだ私には難しい。

 しかし、私の不安を他所にタカハシはまた愛想のいい笑顔を作って見せた。


「ご忠告どうも。一応知り合いが何人かいるし、融通利かせてくれないか聞いてみるさ」


 まぁ、それならと私もそれ以上言うのをやめた。


「それならそこまで世話を焼く必要は無さそうね。もう一仕事貰えるかと思ったけど」

「いくら君が傭兵とはいえ、帰り際の人間にそこまで面倒かけれないよ」


 灰色の雲混じりの空の下、少しずつ見慣れた場所が見え始めて私達は手にした荷物とは逆に気持ちは軽くなっていった。



******



 西渋谷ヴィレッジ入口前の公園に辿り着いた私達を出迎えたのは古ぼけて朽ちた大きな噴水と、その噴水に見向きもせず行き交う武装した人々。枯れた草木にひび割れた赤茶げた道。奥にそびえ立つ黒い壁。

 色褪せた景色の中で一際鮮やかな青色が目に入った。それは私に気づき、私の方へ駆け寄ってくる。


「ステアー!」


 まだ声変わりも迎えていない元気で透き通った声が私に向けられる。聖職者の着るシスター服やカソックに似たシルエットの鮮やかな青の防弾法衣をはためかせ、短く切られた綺麗な茶髪が風に揺れ、少年は私に真っ直ぐ駆け寄り、そして飛び込むように私に抱きついてきた。

 強く抱きしめてくるその腕の力は私が思っていたよりも少し強く感じられた。

 目の前で繰り広げられる如何にも感動の再会みたいな展開に、私の横にいたタカハシは呆気にとられていた。


「え、えっと……?」


 どういう状況か教えて欲しそうに私に視線を送るタカハシに気づき私は抱きしめてきた少年の手をゆっくり解いた。

 艷やかな茶色いストレートを撫でてくしゃりと乱してやると少年は満更でもなさそうに頬を赤らめた。


「この子は〝理緒〟っていうの。私と一緒に暮らしてる」

「あー、弟さんかい?」



 私は厳密には違うと言いかけたが、弟という響きに理緒が反応しタカハシを値踏みするように足先から髪先まで眺めるとフフンと鼻を鳴らしながら白い鼻腔テープを指でなぞる。


「別に弟じゃないけど、こう見えて僕も傭兵事務所のメンバーだからね。お前みたいなひょろっちい男だったら一発で昇天させられるんだからな」


 どうやらタカハシの弟と思われたのは舐められたのだと勘違いしているようだ。思わず私はハァ、と溜息が漏れた。


「理緒、自分の実力は言葉で示すものじゃないわ。それに彼は私の依頼人よ」

「無理言って護衛をお願いしたんだ。勿論支払いは済ませたしそれ以上でも以下でもないよ」


 私の言葉に補足するようにタカハシが付け加える。そう、彼とは出会いこそ偶然ではあったがここまでの道のりの中で彼は私の依頼人であり、それ以外に例える言葉は無い。

 タカハシの言葉を聞いて理緒は納得しつつも、今度は私に向けて眉を吊り上げた。


「まぁたステアーは、仕事帰りにまた別の仕事引き受けたなぁー! 別に心配はしちゃいないけど情に流されてホイホイ安請け合いしてたらいつか痛い目見るから!」

「別に安請け合いしてはいな……」

「そういう事じゃない!」


 むぅ、と頬を膨らまして怒る理緒。理緒と私は幼馴染で、同じヴィレッジで育った。大きな地下シェルターの中で生きていた。ブリガンド集団の手によって故郷が陥落してしまった時に私と理緒はしばらく離れ離れに暮らしていたが、その間に孤児を暗殺者として育てていた教会で殺しの腕を叩き込まれたという。今着ている青い法衣はその時からの物らしい。色々あって逞しくなったのは分かる。でも、私の中ではやっぱり理緒は可愛い弟のようなものだ。目の前で怒ってみせる理緒の顔を見てもやっぱり可愛さの方が勝ってしまって迫力を感じなかった。

 そもそも私よりも長いまつ毛で大きく綺麗な瞳に整った顔つき、髪が伸びたら美少女と間違えそうな子が目の前で頬を膨らませて上目遣いで怒っていたら殆どの人は怖さを感じないと思う。


「はぁーあ……。もう良いけどさー。ここにいるって事はもうその仕事も終わりのようだし」


 私が怖がっていないのがあからさまだったのが理緒の怒りを萎えさせたようで、長時間お説教コースを免れたことに私は内心安堵した。

 それに実際、タカハシの護衛は終わりだ。ここまで来たらもう私は必要ないだろう。この土地に知り合いもいるようだし。

 タカハシの方に向き直る。


「さて、私はこれで。何かあったら事務所に来て。渋谷ヴィレッジの中ではそこそこ名が売れているからその辺の人に聞けば事務所の場所は分かるはずよ」


 私が歩き出した時、タカハシは「あ」と声を上げて私を引き止めると突然小さな巾着袋を差し出してきた。


「これ、受け取ってくれ。少ししかないけど……」

「……? なんのつもり?」


 見れば分かる。中身は金となるスクラップでも入っているのだろう。しかし既に護衛料は貰っている。もう新しい仕事でも依頼するのかと思ったが、それは違った。


「店でブリガンドから守ってくれただろう? あの時何も渡せなかったから」

「あれは私が邪魔だと思って連中に喧嘩売ったのよ。仕事じゃない」

「いや、でも……」


 なんとか受け取って貰おうと巾着袋を更にずいと押し付けてきたが、私はその手を掴んで引っ込まさせた。


「私は仕事の押し売りはしない。あれは私が勝手に始めたことなのよ」


 よく稼ぎの悪い傭兵なんかが勝手に他人の護衛をして仕事を押し売りするという方法で力のない人間から金を巻き上げるという。私は地上で生きると決めた時に傭兵の仕事を始めようと思った。でもそれはそんな卑怯な事をして私腹を肥やしたいからではない。私はこれを受け取るわけにはいかない。

 目を細め、真剣な眼差しをタカハシに向ける。すると流石に手にした金を自ら引っ込めて荷車を引いて歩き始めた。顔をしかめつつも、ハハハ、とまた愛想笑いをして。


「やっぱり変わった人だね。君みたいな人がこの世界にもっといたら良いのにって思うよ。……それではね」


 重たそうに荷車を引くタカハシの背中が雑踏の中に消えるまで見送ると、私は理緒の肩を軽く叩いた。


「帰るわよ」

「うん! 皆待ってるしね!」


 数日ぶりの事務所兼自宅に向けて歩き出す。理緒に手を引かれながら。



******



 たかだか数日空けていただけなのにもう年単位で留守にしていたような気さえしてくる。

 ようやく厚い雲が頭上からどいてくれて少しばかり暖かくなってきた頃、ようやく家が見えてきた。

 大昔は駐屯地の駐車場であったであろう広い空き地はテントやあばら家がひしめき、軍用の大型車も住居として使われ、渋谷ヴィレッジ出身ではない外から来た入植者たちの住まいになっている。私も元は川崎ヴィレッジから流れてきた人間。

 天を掴むほどとはいかないが、ガラクタを建材に二階、三階と無理矢理家を積み重ねたような混沌とした建物がおしくらまんじゅうをしているかのように連なり、見上げれば空は狭く、臭いも酷い。鼻血が逆流して口に広がった時の臭いと雨水を吸った布の臭いと腐ったタマネギの臭いを合わせて濃縮させたような最悪の臭いが風の強さで濃くなったり薄くなったり。

 ここに住みだして一ヶ月、この悪臭が自分にも染み付いていないかと不安になる。一緒に住んでいる理緒はともかく、タカハシが何も言わなかったのは臭いがしなかったからか、気を遣ってか……。


「さっさと行こ」


 鼻をつまみながら理緒が私の袖を引く。一刻も早くこんな場所から離れたい、とでも言いたげだ。

 私もこんな場所に留まっているつもりはない。さっさと抜けてしまおう。

 そう思っていた矢先だった。


「おっと、ごめんよ」


 建物の影から出てきたヨレヨレのボロを纏った男が私に軽くぶつかった。私は特になんともなかったがぶつかった衝撃で相手がよろけると謝りながら私の横を抜けていく。

 私の返答を待たずして通り抜けようとする男。しかし理緒がそんな男の腕を掴んで足を止めさせた。


「待てよこの野郎」

「グッ! ぐえっ!?」


 理緒は抑揚のない声を出し一気に掴んでいた腕を引き寄せると、男の脇の下へ向けて鋭い殴打を加えた。

 男の呻き声からして相当効いたようで、咄嗟に男は掴まれていないもう片方の手で殴られた脇をさすった。

 その時だ。ぽとり、と何かが砂利の地面に落ちた。いきなりの出来事で慌てたのか、男が殴られた脇をさするために手にしていた物を落としたらしい。

 反射的にその落ちた物に視線がいく。


「私の財布……」


 迂闊だった。男はスリだったようだ。どのタイミングでか知らないが、私のコートのポケットからナットを纏めて入れていた袋を掠め取っていったようだ。多分紐でもポケットから出ていたのを抜き取ったのだろう。

 理緒はその瞬間を見逃さなかったらしい。男がぶつかった瞬間から警戒していたのだろうか。


「盗む相手は選ぶんだな、オッサン」


 掴んだ腕を引き寄せ、理緒は男の鳩尾にもう一発拳を叩き込むと男は息も絶え絶えに地面に転がった。

 動けなくなった男が起き上がってこないのを見て理緒は落ちた袋を拾い上げた。


「ステアー、ほらこれ。気をつけてよねー」

「ああ、ありがとう。理緒も強くなったわね」

「へへへっ……」


 袋を受け取ると今度はしっかりとポケットの奥に押し込んだ。

 理緒の方を向くとかっこつけようと両腕を組んで笑顔を作っていたが、その頬も口元も緩みきっていてかっこいいとは程遠い。

 強くなったと思ったのは本心。でも、まだまだ子供なんだなと思った。そしてなぜだろう、そう思えたことが少しだけ私を安心させた。

 私がいない間に地上での生活で大変な生活をしてきたのは確実だ。地下の安全なシェルター生活から一変して過酷な地上で、それも暗殺者として鍛えられたというのなら普通に生きていればしなくてもいい苦労だってしてきた筈だ。そんな地上生活の荒波に揉まれて、私の知っている理緒ではなくなってしまったのではないか? という不安が再会した後も心のどこかで感じていて……。

 でも、こうして私の前で曇りのない瞳で笑顔を見せる理緒を見て私は安心している。私の不安は杞憂なのだと思わせてくれる。

 私も理緒の笑顔を見て釣られて笑みがこぼれた。


「さ、もうすぐ家だし急ぎましょ」

「はーい!」


 私より先に駆け出す理緒。私はそんな彼の背中を追って走り出した。



******



 事務所の前につくと入り口のそばで子供が二人と大人が一人、しゃがみ込んで地面を見つめていた。

 三人揃って背を向けて、何かボソボソと喋りながら地面を見ているようだ。その背中が見慣れた背中だった。


「お前達なにしてるの?」


 私の声に三人とも弾かれたように顔を上げてこちらに振り向く。

 一際目立つ水色の髪の少年が駆け寄ってくると、さっきの理緒みたいに腰に手を回して抱きついてきた。遺伝子操作によって作られた青紫色の瞳が神秘的に煌めき、私の顔を覗き込んでいる。人間離れした宝石のような二つの瞳が私を見る。見つめ返すと吸い込まれそうになる。陶器のような白い肌と薄紅色の唇。まるで人形だ。こんな綺麗な人形なんてどんな場所を探しても見つからないだろう。

 黙っていれば人形のような少年の口が開く。


「ステアー、おかえり」

「ええ、ただいま。コロナ」


 ぎゅっと私を抱きしめたと思ったら急に離れて、平静を装いながらおかえりと一言。クールぶって流し目を送ってくるが、どっちかというと帰りが遅くて不機嫌になってるといった感じに見えてしまう。少年、コロナの大人ぶろうとする姿が逆に微笑ましい。

 そんなコロナを見て一緒にしゃがんでいた男がヘラヘラと笑いながら頭を掻きつつ立ち上がる。


「ヘヘッ姐さんおかえりなせぇ」

「蛭雲童、なに枸杞とコロナになにしてたの」


 私の言葉に分厚い革ジャンに鉢巻き姿の大男、蛭雲童はギザ歯をカチカチ鳴らしながら大慌てですぐ隣にいる枸杞の頭を撫で回す。


「そんな! なんもワリィことなんざしてませんぜ! 枸杞と一緒にコロナに文字の読み書きを習ってたんでさぁ! な、なぁ枸杞ぉ!」

「う、うん」


 赤い瞳の少年、枸杞が蛭雲童の言葉に小さく頷いてみせる。身寄りがなくひょんな事から私が引き取ることに決めた元奴隷少年。長らく働かされるだけで勉強なんてさせてもらって無かったようで、その点私よりも頭のいいコロナに教育を一任してしていたのだ。それにしても……。


「なんで蛭雲童も混ざってるのよ」

「お、俺もそりゃあ元ブリガンドでそれなりに読み書きはできますがね? そんなん食う、寝る、殺す、あと金勘定くらいしか知らねぇですからねぇ――」


 そう言いながらコロナの頭もくしゃり。癖毛が撫でられてよりくしゃくしゃになり、コロナは子供扱いするなと言いながら不機嫌そうに蛭雲童の手を払った。


「――コロナは政府? に育てられた生まれながらのエリート。地上でガキの頃から生きるためにゴミ漁りや恐喝、密売なんかに明け暮れてた野郎なんかよりオツムがしっかりしていやすし、なにより可愛い……ぐふぅ!」


 最後の方は言った瞬間にコロナに腹パンを食らって言い切れなかった。笑顔のままだが引きつっている。鍛えてるだけあり、理緒と違って普通の少年の腕力であるコロナのパンチでは大した痛みはないようだ。思いっきり痛そうにしているように見えて、それが逆にわざとらしい。蛭雲童はツッコミが入るまで想定済みだったようで殴られてから痛がるまでの流れが自然すぎた。

 可愛いと言われておかんむりのコロナは枸杞の腕を掴むと先に事務所の扉を開いた。


「馬鹿言ってないで、中入るよ。枸杞行こう」

「うん……あ、ステアーお姉ちゃん」


 コロナに手を引かれながら、私の顔を見て、枸杞は口角を少しだけ上げた。


「おかえりなさい」

「……ええ、ただいま」


 それはとても小さな声だったが、私にははっきりと聞こえた気がした。感情が希薄な子だったが、事務所のメンバーとのふれあいで少しずつ笑顔を見せるようになってきた。

 ああ、今回も帰ってこれて良かった。

 ふと三人がしゃがんでいた地面を見た。そこには細く短い鉄パイプが三本転がっていた。地面にはひらがなと簡単な漢字がいくつか書かれている。綺麗な文字はコロナのものだろうか。漢字は蛭雲童に教えていたのだろう。自分の漢字だけは書けるのか、他の文字よりやたら大きく書かれた〝蛭雲童〟の文字。きっと「俺の名前ぐらい漢字で書けるぜ! どうだ!」「それだけ書けでもしょうがないでしょ。ほら真似して書いてよ」「へいへい……」みたいなやり取りでもしてたのだろう。

 書いてある文字から色々想像が膨らむ。


「ふふっ」


 思わず声が漏れた。

 恥ずかしながら、事務所を構えて多くの仲間と住み始めて気持ちが楽になったなと自分で分かる。

 住む場所もなく仲間もおらず荒野を歩いていた頃と比べたら、今の暮らしは楽園のようだった。不便なことなんていくらでもあるけど、それでも、楽しいと思えるだけ十分だ。


「僕たちも入ろう、ステアー」

「そうね」


 開かれたままの事務所の扉。

 理緒が先を行き手招きするのを見て私もそれについていく。事務所兼我が家。新築のボロ屋。私の城に、ようやく帰還した。



******



 日を空けて見る事務所はなんと言ったらいいのか。事務所というよりも小さな展覧会や倉庫といったような雰囲気だった。

 いつか見た観光地のお土産屋を思い出す。壁一面によくわからない物が並び、木刀だの用途不明の仮面やペナントなんかでいっぱいの空間。

 あちこち仕事で旅している内に私や仲間たちが拾ったり貰ったりしてきた物を、何も考えずに飾り始めたのがすべての始まり。

 これはどこに飾ろう? これはあそこに飾ったら見栄え良さそう。年季の入った狙撃銃を貰ったから机の後ろに飾れば箔が付くだろう。綺麗な日本国旗を見つけたから珍しいし飾っちゃおう。

 そんな事を続けていればヴィレッジ管理部の温情で貰えた二十畳もの広さの事務所もあっという間に混沌とした空間に早変わり。


 蛭雲童は部屋の真ん中の机を囲んだソファーの端にドカッと腰掛けながら帳簿に視線を落としている。

 コロナは二階の居住スペースへ上がっていく。給仕アンドロイドの様子を見に行ったのだろう。

 理緒は事務所奥の理緒の仕事場、キッチンへ引っ込んでいるのだろう。手伝いをしたいのか枸杞がキッチンに向かっていくのが見えた。


 みんなが各々のやれる事をする。私は私の事務机に着くと稼ぎと出費を確認する。これだけ済ませて今日はもう休もう。

 そう思って作業をし始めた矢先だった。


 ギィィィ――。


 ああ、依頼か……。

 少しガッカリ。事務所の扉が開かれ、やたら背の小さな男と護衛であろうガタイの良い男が二人、入ってきてすぐに足を止めた。タイミング的に、私が帰ってくるのを待っていたようだ。

 だからガッカリした。内容が内容なら蛭雲童に仕事を任せて私は非番にしておこうと思ったし、恐らく蛭雲童もそう思っていたのか来客の来たタイミングを考えて私の方に視線を送り困った顔をしている。

 私に直接の依頼の可能性が高い。


「傭兵事務所、ストレンジ・サバイバーにようこそ」


 蛭雲童が強面の顔を全力で崩した営業スマイルと営業ボイスで来客を迎える。

 しかし入ってきた三人とも顔色一つ変えることなく、背の低い男が一歩前に出た。

 背の低い男はパッと見、身長百二十くらいか。異様に小さい。そんな体でどこから見つけたのか、それとも作ったのか、異様に綺麗な深い青のスーツに明らかにセットの物ではないだろう真っ赤なフェドラハットを被った男の顔は眉間にシワが刻まれ、鼻の下に手入れされた髭。五十代くらいだろうか。このご時世、そこまで長生きできて、綺麗な服を着ており、身奇麗に出来ている。それなりに地位のある人間だろうことは直ぐにわかる。

 恐らく後ろの二人もここに来る為に雇った護衛なんてものではなく、長らく連れ従えた部下といったところだろう。百六十前後程度の二人の護衛は都市迷彩柄のシャツの上に防弾チョッキを着込み、ショルダーホルスターに拳銃、肩の向こうに木製のストックが見える。一人はその手に黒いアタッシュケース。荷物が少ない様子から恐らく外には荷物持ちだったり他にも人がいるのだろう。

 青スーツの小男が六十センチ以上も大きい蛭雲童をじろりと睨みつけると盛大に舌打ちしてみせてから口を開いた。


「仕事を頼みたいんや。できるだけ急ぎで」


 ガラガラした酒焼けしているような声だ。その言葉を発した時、小男の視線は私の方を向いていた。


「どのような内容で?」


 私が問うと青スーツの小男は蛭雲童の足の横を通り抜け、ソファーに腰掛けると再び私の方を向く。その表情はさっきとは打って変わって柔和な笑みへと変わっていた。恐らく、自分よりも圧倒的に背の高い蛭雲童に露骨に嫌悪感を抱いたのだろう。

 小男に続いて男たちも部屋の中央へと進むと席に着かず、小男の後ろで背筋を伸ばした。

 蛭雲童は額に青筋を浮かべながらもなんとか笑顔は崩さずに小男に向かい合う形で席に着く。それを待っていたのか小男は依頼内容を簡潔に述べる。


「〝弾丸財宝の噂〟を知ってます?」


 その言葉に私は目を丸くした。

 まさか、さっき聞いたばかりの噂をここでまた聞くことになるとは思わなかった。

 そしてそれをこの場で言うということは恐らくそういう事だろう。

 酒場のマスターが子ども騙しの、それでも夢のある話だなんて笑っていた噂話をこの小男は至って冷静な口調で私に聞いてきたのだ。

 私の顔を見て知っていると判断したのか小男はニヤリと口角を上げて話を続ける。


「魔都に入っていって無事生還したっちゅう噂の傭兵に是非〝宝探し〟をお願いしたいんですわ」


 ああ、今回の仕事は面倒なことになりそうだ――。

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