弾丸財宝の噂~世紀末傭兵譚~

夢想曲

第1話 雨宿り

 世界が燃えるとはどういうものなのだろう。

 この世の終わりを知る者はいない。掘り起こされた書物や記憶媒体にも、直接の原因になるような物事の情報は見つかっていない。ただ分かっているのは地上で繁栄を極めていた私達のご先祖様は多くの文化、技術、権力と共に炎で焼かれ灰の下に埋もれていったということだ。

 文明崩壊後も生き延びた人類は三世紀の年月を荒廃し変わり果てた地を彷徨いながら地上に再入植を始めた。ガラクタの中から使えるものをかき集め、それを代わりの通貨として使い、ネジ一本、ナット一個を廃墟や荒野の中から探し、濾過された水や酒で一日の疲れを癒やす。そんな日々を過ごしていた。

 大地が焼かれ、ビルが倒れ、文明が灰の下に埋もれた世界。神が廃棄した世界、人々はこの世界を廃世はいせと呼ぶ。それも専らお偉いさんが使うだけで、今この過酷な世界で世の中がどーのとか考えていられるほど余裕がある人間なんて殆どいない。


『そっち今どの辺ー?』


 無線から聞こえる少年の声に、ただ歩くだけの体に意識が戻るのを感じた。

 そこまで長旅ではなかった。しかし仕事の緊張状態から脱した体は比較的ミュータントの少ない道を歩く中で少しずつ意識が薄まっていき、何日にも渡る徒歩による移動を帰巣本能に委ねていた。

 声から少し遅れてコートに引っ掛けた無線を手に取る。


「もうすぐ渋谷に着くところよ。でも――」


 少し遠くの空を見て足を止めた。

 空を狭くする廃墟ビルの間から顔を出しているそれは顔を真赤にした雲の妖怪。

 他の雲と違う分厚く赤錆まじりの水を吸った巨大な綿が空中を滞留しているようだ。


「――そこからでも見える?」

『あー……あの雲はマズいかもね。赤い雨が降るかも』


 赤い雨。稀に降る雨はその名前ほど真っ赤な雨じゃない。

 内容物は定かではないが、時によっては赤錆びのような赤茶げた色をしていたり、乾いた血のような赤黒さだったりする。本当に稀に降るため雨雲を見る度に警戒する程ではないのだが、一度赤い雨に打たれれば皮膚が爛れるのは序の口、死者も出ていると聞く。


『まぁステアーは平気だろうし、早く帰ってきてよねー』

「りょーかい。本当に降ってきたら外には出ないようにね」

『わかってるよ。ヴィレッジは雨対策もそれなりにしっかりしてるから心配しなくていいよ。……それよりブリガンドとかに襲われないか僕は心配だな』


 様々な場所で私達人類は外敵から身を守るためにヴィレッジと呼ばれる拠点を築いてきた。

 ヴィレッジの中の秩序や規則といったものに縛られたくないと飛び出した者は一人、または徒党を組んで他者を襲い、物を奪い、殺す。彼らブリガンドは冷酷な無法者で略奪者で殺人鬼だ。血も涙もないブリガンドはヴィレッジという共同体から爪弾きにされた者も多く、そしてそんな連中は逆恨みや弱い者から安全に略奪する為に旅や出稼ぎ中の力無いヴィレッジ住民を襲う。


「あいつらに殺られる程やわじゃないわ。でも、ありがとう」

『へへっ……。依頼の報酬は現地で貰えたんでしょ? 結構貰えた?』


 仕事。今回はブリガンドに拐われた娘を取り返して欲しいという依頼で依頼主と一緒にブリガンドの基地に乗り込んで救い出す仕事だった。

 依頼料自体はそれなり。ネジや釘がパンパンに入ったプラケース二つ。それよりも、全滅させたブリガンドの基地から得た銃の弾や薬の方が大分儲けた気がする。

 傭兵業なんてやっていると大体そう。依頼主からの報酬より、仕事先で色々拾ってきた方が儲けになったりする。そういう状況になるほど危ない橋も渡る羽目になるけど、こんな世界で生きていれば死と隣り合わせになるなんて日常茶飯事。もうすっかり慣れてしまった。


「ええ、それなりに。持って帰れるだけ頂くものも頂いたしね。真っ直ぐ帰るわ」


 私の言葉に無線機の向こうの声はわざとらしく『ほんとぉ~?』と食い気味に迫る。


『真っ直ぐに帰ってくることなんて殆どないじゃん。まぁ毎回ちゃんと帰っては来るけどさー。あんまり無茶しないでよね』

「ふふっ、分かってる。じゃあ、また後でね」

『はーい。じゃあね!』


 元気な声が聞こえなくなって、途端に吹きぬける風の音が大きく聞こえる。

 寂しさが寒気となって足元から這い上がってくるのを堪えて進む。孤独には慣れていたが、人が嫌いなわけじゃない。

 聞き慣れた声を聞いたからか私の足取りはさっきよりも軽くなった気がした。



******



 灰色の空、冷たい空気。見上げるとぽつりぽつりと雨が振り始める。舞い上がった埃の臭いと異常成長した草木の青臭さが鼻につく。仕事帰りの火照った顔に冷たい水滴がぶつかり弾けると物思いに耽る気も失せ、溜息が零れた。

 濡れるのは好きじゃない。服を何着も持っている程裕福じゃないし、濡れた服のまま動き回った時の肌に張り付いて引っ張る生地が気持ち悪くて不快だ。どこかに雨をしのげる場所は無いだろうかと周囲を見渡すも、悲鳴に聞こえる風の音を紡ぐ廃墟群が広がるばかり。屋根がある廃屋に入っても、いつ崩れてもおかしくない建物の中で雨宿りはありえない。そもそもそういった場所には大抵〝先客〟がいるだろう。

 ひと仕事終えた後だというのにまた命のやり取りをするのはリスクが大きすぎる。しかし、だからといってこのまま頭の中にある帰り道を歩けば家に着く頃には濡れ鼠になる事は必至。服が重くなるのは有事の際に障害になる。そういう意味でも濡れるのは嫌い。


 目に入ったのはかつての高速道路だ。この高速道路の先は渋谷ヴィレッジへと続いている。所々道路は折れて柱だけが残っているが、まだ屋根代わりになりそうな部分もある。高架下で少しはこの鬱陶しい雨をしのげるか……。

 高架下には意外なものがあった。文明崩壊以前の建物ではなく明らかに誰かの手で建てられたであろう手作り感溢れるあばら家が高架下に建てられていた。高架の柱に寄せて造られたあばら家は錆だらけのトタンや板きれを組み合わせて造られていた。どこから持ってきたのか分からないが金網まで使って壁を造っている。一人暮らしにしては大きすぎるあばら家。柱から歩道、二車線の道路の反対側までの広さがある大きな建物だ。もしかしたら、ブリガンドのアジト? 等と建物の大きさを見て思いホルスターに収めたTMPに手を伸ばし、掴むことなく手をおろした。あばら家の入り口であろう扉の横にある看板が目に入ったからだ。


「酒場? 渋谷ヴィレッジまであと一時間そこらのこの場所で……?」


 そう、木材の継ぎ接ぎで出来た隙間だらけの扉の横にある看板には〝タカハシ酒場〟の文字が掠れて見えた。この場所はお世辞にも人目につく場所ではない。現に高架下に近づくまでそれらしい案内も無く、周りは他の土地と同じく瓦礫と廃ビルだらけだ。人目を避けて営業していると考えるのが自然だが、そうなると怪しさを感じずにはいられない。

 店に近づく。埃の臭いや植物の青臭さに混じってアルコールの香りが微かにする。少なくとも酒場なのは間違いなさそうだと思った。扉にかかった開店中という文字とは裏腹に、店の中から物音が微かにするが声は聞こえない。客はいないのだろうか。何やら音楽が聴こえる。音質の悪さからラジオだなとすぐに気づく。

 正直酒は飲まないし普段ならスルーするところだけれど、雨を凌げるならなんだっていい。それとこの道は渋谷ヴィレッジのキャラバンが通るルートだ。仮にブリガンドが住み着いていたなら、排除しておかなければと思った。私は変に警戒されないように普通の力で店の扉を開いた。

 キィ、と扉の軋む音が店内に大きく響き渡る。扉を開けて正面、如何にもバーのカウンターといった感じでの奥行きが微妙に無い横長のバーカウンター……を模した手作り感溢れる継ぎ接ぎだらけの長テーブルの向こう側の壁には金属製の棚があり、綺麗に洗われた酒瓶が並び、天井には裸電球が暖色の光を放っている。少し薄暗いが、それが逆に場末の飲み屋といった雰囲気を醸し出していた。部屋を見渡して店主の姿が無いことに気づく。


『やあリスナーの諸君! DJディスク・ジョッキーケルベロスだぁ! 日ノ本一のラジオ! オールデイニッポンの時間だぁ! まぁラジオ番組はこの番組しかねぇんだけどな! ハッハッハァー!』


 やかましいDJのラジオが酒が並ぶ棚の角に置いてある白い傷だらけのポータブルラジオから流れている。普段は旧文明の様々な楽器が合わさり激しさと速さが心地よいロックが中心の音楽が常に流れていて、昼と夜だけふざけた口調で真面目な内容の情報を流したり適当なゲストを呼んで談笑したりと自由にやってるラジオだ。唯一のラジオ番組だからとDJが好き勝手やってるが、それで誰かが迷惑を被ったというわけでもなく、熱心なリスナーもヴィレッジではたまに見かけた。私自身は自分の音楽プレイヤーを持っているのでラジオはあまり聴かないから今何を流しているとかはよく分かっていない。


「いらっしゃいお嬢さん。初めての人だね」


 声の主はバーカウンターの向こうでしゃがんで何かしていたらしく、ヌッと体を持ち上げて私の前に姿を現した。言葉から察するに彼が店主だろう。シミだらけの白いワイシャツを着た少しやつれ気味の男だ。もう少し健康的であればカッコいいと表現しても良いであろう端正な顔立ちはなるほど客引きには良さそうだと思った。手にはグラスを持っており武器は持っていなさそうだ。ヴィレッジの中でもないのに不用心だなと思いながら私はカウンターの椅子に腰を下ろした。


「雨が降ってきてね。少し雨宿りさせてもらっても良いかしら?」

「ああ、どうぞゆっくりしていってください。それで、なににしますか?」


 店内を見渡すと真正面はバーのような作りにも関わらず、左右の壁には居酒屋でよく見かける壁にお品書きがかかっている。なんともちぐはぐな店内だ。私は壁のお品書きを指差し、適当に注文する。ポケットの中を弄って、プラスチックの箱を取り出して中に入れていた釘を数本取り出すとテーブルの上に置いた。それを「毎度」と一言だけ言い店主が回収すると店主はカウンターの店員側の方に設置されたコンロで調理を始める。


「店主はタカハシっていうの?」


 店の名前にタカハシとつけておいて店主の名字がタカハシじゃなかったらそれはそれで面白いし訳を聞きたいと思う。しかしそんな面白い展開はなく普通に店主は「そうなんですよ」と返す。兎の肉を一口サイズに切り、それをフライパンに放ると酒と醤油で焼き始めた店主は焼ける肉に視線を向けたまま頬を緩めた。


「名前を考えるのが苦手でしてね。凝った店の名前なんてつけられませんよ。ははは……」


 苦笑しながら私の前に出してきたのは香ばしい醤油の匂いがする兎のサイコロステーキと濾過された冷たい水。私は少し歪んだフォークを手に小さくいただきますと呟くと早速目の前の料理に手を出そうとした。その時だった。


 バタンッ――!!


 背後で扉がけたたましく開け放たれた。その勢いに目の前の店主は驚きの色を隠せず、そしてすぐにその顔は血の気が引いていく。絶望、いや、諦めといったものに変わっていく。

 どかどかといくつかの足音。私も店主も黙ったままだ。店主はいらっしゃいの一言もない限り、明らかに歓迎ムードではなさそうだ。そんな冷ややかな空気の中、ラジオのDJが空気を読まずにヘラヘラとした口調で最近の出来事について語っている。


『最近はブリガンドの手口も色々増えてきてるのを知ってるかィ? アイツらは馬鹿だが人間だ。それなりに頭の切れる奴もいる。頭にナイフを仕込んでるって事じゃねえぞ?』


 沈黙を切り裂くDJの語りの合間に背後の靴音はどんどんカウンターに近づいてくる。五人だ。五人分の靴音がカウンターの前、私の横で止まるとようやく視界の隅に靴音の主の姿を捉えた。私よりも背が高く、ゴリゴリの筋肉を見せつけるかのようにノースリーブの革ジャケットを着たモヒカン頭が店主を睨みつけている。


「ようタカハシさんよぉ。今月分、貰いに来たぜ。ショバ代出しな」

「こ、今月は全然で、お渡しできるものは……」

「嘘こいてんじゃねえぞこの野郎ォ!」


 今にも店主の胸ぐらを掴みかかりそうな勢いのモヒカン頭。そしてその後ろに控える四人は小さく汚い笑い声を漏らしている。怯えた店主を見て調子に乗ったモヒカン頭の取り巻きの一人がナイフを逆手に持ってテーブルにソレを突き立てた。ドスンというナイフが木材に刺さる鈍い音で威圧感を加えていく取り巻き。私の前に置かれたグラスの中で冷たい水が跳ねた。


「あんま兄貴を怒らせんじゃねぇぞ? ヒヒッ」


 如何にも腰巾着といった感じの下水のような体臭をした男が店主に顔を寄せ、店主もたまらず顔を歪ませた。


『最近は人質をとって身代金を要求してくるやつやヴィレッジの外で住む人間にいきなりやってきて縄張りを主張し、住民税を要求してくるような姑息な手口が最近増加してるんだってよ! 全くますますヴィレッジの外が危険になっていってるぜ! まぁキャラバン隊やワケありの奴しかヴィレッジの外なんざうろつかないと思うがよぉ。アーティファクト探しにご熱心なスカベンジャーは護衛の一人でも雇っておけよ! 依頼料ケチってるとそれ以上にでかい損をするかもしれねぇからな!』


 緊迫した空気の中、相変わらずラジオ放送が流れる。モヒカン頭は私の方をチラリと一瞥した。この状況でのんきに隣で食事している女がいたらそれは気になるだろう。そんな私の動じない姿が癇に障ったらしい。イラついた口調でモヒカン頭は店主の方に向き直ると舌打ちをひとつ、口を開いた。


「こいつがテメェに払った金はあんだろ。出せや」

「……はい」


 何かを考える素振りをするもやはり諦めたのだろう、店主は私が支払った釘を全てカウンターの上に出した。それを目にし、やっぱりなという顔をしたモヒカン頭は急にカウンターの上に釘を置いた店主の手首を掴むとそのままカウンターに叩きつける。なんとか掴まれた手をどけようとするも、カウンターに縫い付けられた腕はピクリとも動かない。痩せぎすな店主とガタイの良いモヒカン頭では力の差がありすぎる。モヒカン頭はもがく店主を見てニヤニヤと口角を上げるともう片方の手でカウンターに置かれた釘を掴んで振り上げた。それを見て店主はヒッと喉を鳴らした。


「あんじゃねぇかよ。嘘はいけねぇなぁ。なあ、タカハシさんよお!」

「すいません! すいません!」

「本当はもっとあるんだろ? どうなんだコルァ!!」


 怒号と共に唾を飛ばすモヒカン頭。そのままの勢いで釘を店長の手の甲に突き立てそうな勢いだ。しかし頭にきていたのはモヒカン頭だけではない。


 ビチャッ――!! モヒカン頭の顔にかかったのは冷水だ。私がぶっかけた。モヒカン男も取り巻きも一瞬何が起こったか理解できずに固まっていた。そして額に青筋を立てながらモヒカン男は私の方に顔を向けると血走った目で私を睨みつけた。ぽたぽたと顎の先から冷水が滴り落ち、床を濡らす。ラジオの音が遠く感じるほど、緊張の糸が張り詰め、一触即発。


「なんのつもりだこのアマ……!」

「うるさいのよ。人が食事している横でごちゃごちゃと」


 兎のステーキの最後の一切れを口に運ぶとフォークの頭を皿の縁に置いてゆっくり立ち上がる。立ち上がった私がモヒカン頭の方に向くとモヒカン頭は店主の腕を離し、釘もカウンターに置いた。店主は腕が自由になるとその場でしゃがみ、縮こまってしまった。足が震えているのがカタカタという床の音で分かるほどだ。

 モヒカンの取り巻きは私とモヒカンを囲うように散らばる。タイマン勝負をさせるためというわけではないだろう。何処からでも私を攻撃する為というのが正しい。一対五で包囲戦というわけだ。


「テメェ俺たちを舐めてんのか? 女だろうが許さねぇぞゴラァ!」


 そう叫んだモヒカン男は私の顔と同じくらいの拳を飛ばす。振り下ろされるそれはハンマーのようで空気を裂く。しかし、私の方が速かった。モヒカンのパンチが私に届く前に、私の足が男の脛を蹴飛ばしていた。ぐぅ、と痛みを堪える声が漏れながら失速する拳。戻した足でそのまま踏み込んで溝に深々と私の拳をめり込ませた。流石大男と言うべきか、吹っ飛ばずによろめきながら三歩後ずさり、後ろの椅子につまづきドカッと尻餅をついて倒れた。


「兄貴になにしてくれてるんじゃワレコラァ!」

「ブッ殺す!」


 各々罵声を飛ばしながらナイフや拳銃を抜いて私との距離を詰めてきた。

 汚らしい雄叫びを上げながらナイフを持った取り巻きが駆け寄ってくるのを見て私は身構え、ナイフを持った腕を絡め取ると捻り上げる。ヒエッという情けない声。さっき店主を脅していた悪臭男だ。そのまま腕を男の背中に回してナイフを取り上げると男を拳銃を持つ取り巻きの方に向けて盾にし、首元にナイフを添えた。


「動いたらサックリといくわよ」


耳元で囁く。


「や、ヤメロォ! 降参、降参だぁ!」


 腕を捻り上げられ、喉元にナイフを突きつけられた男は大声で泣きべそをかく。そんな姿を見ても周りの取り巻きは余計に頭に血を上らせた。男が寄ってたかって女一人に勝てないというのがプライド的に許せないのだろう。しかし、そのプライドは冷静を欠いただけだ。私の背後に回っていた男が突っ込んでくるのを足音と気配で察すると私は自分が座っていた背後の椅子を蹴飛ばした。蹴飛ばされた椅子は放物線を描き、突っ込んできた男の顔面に直撃すると声もなく男は床に倒れ込む。これで二人を無力化した。

 ナイフ男の肩の関節を勢いよく外す。ゴキッという鈍い音が間近で聞こえた何度聞いても嫌な音よりも間近で臭覚が馬鹿になりそうな悪臭に嫌悪した。


「うわああああ!」

「泣いてもいいけど少しでも動けば後ろから撃ち殺すわ」


 片腕が使えなくなり最早泣き叫ぶしかできなくなった男を盾にしながらショルダーホルスターからTMPを抜き、銃持ちと銃を向け合う。素早くセレクターボタンをセミオートにして。

 向こうは私が盾にしているお仲間に当てないか不安のようだ。私に正確に当てられるかという不安からか銃口が右往左往している。扱い慣れている様子ではなかった。それでよくミュータントも跋扈するヴィレッジの外で生きてこられたなと思うのはお節介か。私の顔と悪臭男の顔を交互に見ながら目線と一緒に銃口も揺れる姿で幼い頃の私を思い出しこの状況でなんだか懐かしくなってきた。それでも同情はしないけど。

 ふらふら揺れる銃の側面が僅かに見え、黒いスライドに照明が鈍く反射して見えたその瞬間、私はその側面に向けて発砲した。私が撃ったことで慌てて発砲しようとたようだが遅い。


「ぎゃあ!」


 三人目。銃持ちの手にした銃の側面を弾が掠め、銃は弾かれ床を転がり、弾道が反れた弾は銃持ちの腕の肉を少しえぐり取り壁に穴を開けた。短い悲鳴の後、腕を抑えながら男は店から飛び出して行ってしまった。それを目で追いながら、肩の関節を戻そうと動いた悪臭男の後頭部を掴んでバーカウンターに叩きつけた。メキッという音と手に伝わる感触、鼻の骨が折れたようだ。ドバドバと流れる鼻血であっという間にカウンターの上が赤に染まる。


「わあああああ!」

「動くなと言ったはずよ」


 私じゃなかったら本当に殺していたところだろうけど、こんなところで店中血塗れにしてしまっては店主に申し訳ない。本当は外でやり合いたかったところだったけど後の祭り。少しばかりの後悔を抱きつつ、さっきからナイフを前に突き出しながら壁際で震えている最後の取り巻きに視線を向けた。

 今までの戦いを見ていたのだろう。男は壁に背中を擦りながらジリジリと出口の方へ摺り足で動いている。さっきの銃持ちが飛び出していったから扉は開きっぱなしだ。冷たい風と雨が入り込んでいる。ナイフ男はゴールまでもうすぐだ。


「……来ないの?」

「ヒッ! ヒィィィィィ!!」


 何故逃げないのか。私が声を出した拍子に緊張の限界を迎えたのか、なぜか私の方へ奇声を発しながらナイフを突き出して突っ込んでくる。へっぴり腰で。しかも目を瞑っている。

 私が少しだけ横に避けてやると、ナイフ男の足を足で引っ掛けて転ばした。ナイフを両手に持って前に突き出し、目を瞑ったままの男は綺麗に前のめりで転がり、そして……。

 きっとナイフ男の手に伝わる肉を貫いた感覚は今までのブリガンド人生の中でも一際記憶に残るだろう。鼻を折られてうずくまっていた悪臭男に飛び込んだナイフ男は体育座りの太ももに深く突き刺さったのだ。刺された男が叫び声を上げるとようやくナイフを持った男は何をしたのか理解したようで、うわぁと声を出しながらナイフを手離し、全身を震え上がらせながら腰を抜かし、四つん這いになりながら店の隅に逃げ出した。これで取り巻きは全員戦闘不能。そう思った時だ。


「そこまでだクソ女」


 声の方を向くと最初にダウンさせたモヒカン頭がみぞおちを片手で押さえながらよろよろと立ち上がっていた。もう片方の手には銃が握られている。勝ち誇ったようにヘヘヘ……と口元を歪めたモヒカン男は私の頭に狙いを定める。再び店内に静寂が戻ってくる。相変わらずラジオではやかましいDJが話をしているけど。


『急な強盗に困ったりしてないかい? 旅の護衛は? どうしても見つからない探しものとかあるかい? そんな時は独りじゃ駄目だ! 傭兵を雇おう! 渋谷ヴィレッジに出来たばかりの傭兵事務所ストレンジ・サバイバーは仕事を募集中だぜ!! つよーいお姉さんとヤベー兄ちゃんがどんな問題も即座に解決してくれるってさぁ! 俺も失くしたお気に入りの首輪でも探してもらおうかな!? ワオーン!』


 ラジオの言葉にモヒカン男は目の前の私を見て表情を強張らせた。ラジオの中で聞こえた傭兵事務所、つよーいお姉さんという言葉が現状と重なったのだろう。女性の傭兵はそんなに多くない。そして〝私自身同業者で女性をそんなに見たことがない〟のだから傭兵をやれる強い女という人物像が私と重なるのは仕方がないだろう。それにここは渋谷ヴィレッジの近く、ここまで条件が重なると流石に察するだろう。モヒカン頭はまた、へへへ……と笑うが今度は引きつっている。


「まさかテメェが最近噂の傭兵女かよ……ざけんじゃねぇぜ」

「どうする? 逃げるなら後を追わないわよ」

「舐めやがって!」


 モヒカン頭は叫ぶと同時に銃を構え直す。流石に取り巻きの雑魚と違ってへっぴり腰というわけではない。大男が肩を怒らせ、私に向けて銃を構えると叫びながら引き金を引き絞った。


「開業直後に潰れるとは運がねえなぁぁぁぁ!!」


 パァン――!


 乾いた音が店内に響き渡る。拳銃から放たれる弾丸、吹き出すマズルフラッシュ。空気を捻って弾丸は真っ直ぐと飛んだ。

 倒れたのはモヒカン頭だった。倒れた本人は何が起きたのか分かっていなかっただろう。


「た、弾を、弾を避けやがった……バ、バケモノか」


 大の字で倒れるモヒカン男。

 弾丸を避けた私は男の目の前まで詰め寄り、銃を持った手を裏拳で叩き、そのまま胸板にラリアットの要領で腕をぶつけ、そのまま床に張っ倒した。倒れ込んだモヒカン頭は天井を見上げたまま目を見開き、固まっていた――。



******



 ――脇腹を刺され指を折られた悪臭男は最早自分で動くことは出来なかった。仕方なく私は手持ちの包帯と消毒をモヒカン頭に持たせると応急処置をさせ、悪漢全員店から追い出すと私は何事もなかったかのように自分の座っていた椅子を拾い上げ、元の場所に座った。

 もう大丈夫よ。そう声をかけながらTMPをホルスターに戻す。カウンターの向こうで隠れていた店主がゆっくり顔を出した。


「あの連中、追い払ってくれたのかい?」

「店を散らかしてしまったけどね。ごめんなさい」


 私が謝ると店主は不思議そうな顔をしてハハッと乾いた笑みを漏らした。


「いやいや、ありがとうお嬢さん。傭兵なんだってね。すまないけど本当にお金に余裕は無いんだ」

「いいわよそんなの。通りかかっただけだし。それよりもう一杯冷たい水くれるかしら?」

「勿論。これは私からのサービスだ。タダで良い」


 店主はにこやかにグラスに水を注ぎ私の前に置いた。


「お金に困っているんでしょ? そんな事しちゃ駄目よ」

「いいんだ。どうせもう店を畳もうと思っていたしね……」


 表情を曇らせた店主。ブリガンドは追い払ったし、恐らくもう来ることもないだろう。それなのにもう畳んでしまうというのだろうか。あまり他人の事情に首を突っ込んでもろくな事にならないのは分かっているし、実際にろくな目に合わなかったので聞くべきじゃないと頭で分かってはいたが、私の性がそれを拒んだ。

 ああ、こんなんだから……。


「訳ありのようね?」

「まぁ、ね。実はこの店の裏手に墓があるんだ。僕が作った」


 予想外の言葉に少し後悔した。聞くべきことではなかったなと。何となく分かる。自分で作ったとわざわざ言うということは、自分に関係した誰かの墓なのだろう。そして、それは……。


「僕の妻がね、ここで死んだのさ。五年位前の事でね。医療設備が揃っている渋谷ヴィレッジに移り住もうと移動している最中、妻は病気をしてて、駄目だった。地上の厳しい環境で生きていくには体の弱い妻には厳しすぎた。それで、妻の亡骸を担いで行くことも出来なかった。僕も限界でね。それで、ここに埋めたのさ」

「……」

「埋めた後に独りで渋谷ヴィレッジに着いたけれど。妻のいない場所での新生活なんて耐えられなかった。たまたまキャラバン隊の通り道だった妻の墓の側に店を作ったのさ。自分が生きていくために、妻と一緒にいるためにね……おかしな話だろ? 今の時代、自分ひとり守って生きるために何だってやるっていう時代にね。商品を卸してくれるキャラバンの人にも同情はされたけどそこまでするかと変人扱いさ。ハハハ……」


 乾いた笑い声もラジオの音楽でかき消えていく。この店は彼にとって大切なものなのだろう。しかしなんで今更そんな店を畳もうと思ったのだろう。仮に私が暴れて店内を滅茶苦茶にしてしまったせいならば、私が償わなければならない。そう思い、私は俯いた店主の顔を覗き込んだ。


「私に出来ることがあるなら手伝うわ。店の片付けだって……」


 そんな私の顔を見て店主はまた乾いた笑み。どうやら私の気持ちを察したようだ。流石接客業と言うべきか。大丈夫ですよと丁寧に私の申し出を断る店主の顔は少しだけ明るく見えた。ロック調の音楽が流れる店内で、私と店主と二人。沈黙が続いた。グラスに注がれた水は半分を残し、ぬるくなっていた。


「このままここで燻ってても妻に申し訳ないってね。なんとなく思ったんだよ。それに、またブリガンドが来た時にお嬢さんみたいな助け舟がいるとは限らない。……渋谷ヴィレッジに行くよ。店の道具を掻き集めてね」

「そう……頑張ってね。応援してるわ、タカハシさん」

「タカハシでいいよ。あ~……」

「ステアーよ。呼び捨てでいいわ」


 手を差し出す。今後の健闘を祈る意味を込めて。タカハシは直ぐに手を出し、握手を交わした。互いの今後を激励する握手だ。そして握手を終えるとタカハシはバツの悪そうな顔で私に一言聞いてきた。


「なぁステアー、傭兵さんは引っ越し作業も手伝ってくれたりするのかい?」


 私は外の雨音を聞きながら言う。


「ストレンジ・サバイバーは生きる為に頑張る人を助けるわ。必ずね」


 私達の笑い声は渋谷の雨音とうるさいラジオ放送の中溶けていった――。

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